第15話 悪魔だと偽るときのマナー

 四肢がバラバラになってしまいそうなほどの衝撃に、サキュバスは我に返った。


 まるで雷に撃たれたみたいだった。関節という関節が激烈に痛かった。両手首と両足首については爆破されたのではと思えるほどで、息が乱れ顔が歪んだ。だけど頭の中がすぅーっとクリアになっていく感じがした。


 なにがあった?


 両手と片膝が硬いアスファルトに接地していて、どう見ても路上である。なんで私はこんなところにいるんだ? サキュバスは痛みをこらえ顔を上げる。


 そこは暗く人気のない路地である。


 終電も終わったこの時間、オフィス街の灯りはほとんど消えており、一定間隔で並んだ電灯や信号、常時消えることのない非常灯や広告灯などといったものだけが、無人の街を照らしていた。しかもここは表通りから一本ずれた路地であり、通りかかるものもほとんどいない。仮にいたとしても、目の前の化け物に遭遇したら一目散に逃げ出すに違いなかった。


 その化け物である蛸壺がマサトラをつかんだ触手を掲げ、細かく震える声で言った。


「な、なんですかあなたは?」


「は?」


「なんなんですか、って聞いてるんです!」


 なんなんですか、って言われても……


 トリップから醒めたばかりで、依然5W1Hのはっきりしないサキュバスにとって、眼前の光景は巨大な人面ダコが見知らぬ金髪の少年を捕らえわめいているようにしか見えず、その意味不明の構図に彼女は余計に混乱した。


 そもそもなんでこんな格好……あ、スーツ。そっか私はミスターマナーになりすまして……って、え? あれってよく見たらマサトラじゃん。あー、なんかちょっと思い出してきた。男栽培プラントがどうとかで、なんかイカの悪魔が■されてて、謎のドラッグ、アレ吸って宇宙行って、って宇宙!? なんだそれ?


 彼女はゆっくりと立ち上がる。


「なにこれ? なにがどうなってんの?」


 彼女は思い切って蛸壺に尋ねてみる。足に違和感を覚え、見ると、ヒールが両足とも折れていたのでごそごそ脱ぐと、大きな声で怒鳴られた。


「だから動かないでください!」


「はい? あー、はい……」


 蛸壺に言われるがまま、サキュバスはヒールを投げ捨て両手を上げて、敵意がないことを示してみせる。詳細は知らないが、このタコがブチ切れていることだけはよくわかった。


「これ以上近づくなら、この子を■しますよ!」


「いやそれは困るし」


「でしょう。だから――」


「いやだからほんとなに? なにがどうなってんの? なんでマサトラがそんなことなってんの?」


「なんで、ですって? よくもまぁぬけぬけとそんなこと言えますね。あなたたちは穴間に雇われたエクソシストでしょう?」


「は? エクソシスト? いや普通に違うし」


「違うわけ無いでしょうが! 私の可愛い子分たちを皆■しにしておいてよく言う」


「皆■し? って、なに? マジで知らないんだけど」


「いい加減嘘つくのはやめてください! そ、それに……」


「ん?」


 サキュバスは蛸壺が触手で指す方を振り返った。さっきまで自分がいたオフィスビルに巨大な穴が開いていた。


「あそこから飛び降りたくせに! そんなのエクソシスト以外あり得ないっ!」


「あーね」


 言われてサキュバスは納得した。たしかにあの高さからなら人間じゃ無理だわ、そう思い、さらりと答えた。


「まぁ、私は悪魔だし」


「は!?」


 これには蛸壺だけでなく、蛸壺に締め上げられているマサトラもまた驚愕した。その眉の上がり具合にサキュバスは、うわーしまった、と思ったが、言ってしまったものはしかたなく、まだ寝ぼけているのだからこれくらい許して欲しい、とも思った。


 嫌な間が生まれたので、彼女は続けた。


「とにかく私はアンタの敵じゃないわけ。悪魔だし、誰も■してないし。つか私もその子食いたいって思ってるから」


「あ、悪魔だなんて信じられるわけないでしょう。あれだけ■しておいて。隙を見て私だって■すつもりなんでしょう?」


「はぁ」


 サキュバスはうんざりした。


 なにがあったか知らないが、こいつはかなり勘違いしてるみたいだった。


 悪魔の中にも好んで同類と戦いたがる変わったタイプもいるにはいるが、サキュバスは違う。彼女はただ若い男を、特に今はマサトラを食らいたいだけだった。巨大人面ダコを■すメリットなどなに一つない。


「あーもう、どうやったら信じてもらえるのかなぁ」

 いい加減にしびれを切らし、サキュバスは言った。

「証拠見せたらいいの?」


 こうなったら変身してやろう、と思った。シャツ姿だと羽根を広げられないので、脱ごうとボタンに手をやると、蛸壺が甲高い声で叫んだ。


「ちょっとちょっと動かないでください! 動いたら本当に■しますよ!」


 ぎゅうっ、と触手が軋む音がした。


 締め付けが強くなり、マサトラが鼻息を漏らし呻いた。


「わかった動かない! 動かないからマジで■すのはダメだって!」


 それを見て、サキュバスは再び両手を上げた。この■■ダコ、マジでやめろや。


「じゃあ、じゃあこうしましょ。その子のかわりにレナコをあげるから、マサトラは放して」


「レナコってのはあの妙なビームを出す女のことですか? 仲間でしょう?」


「だから仲間じゃないって! あ、でもあいつ私の言うことは聞くからたぶん人質になってくれると思うし」


「はぁ?」


「男より女のほうが絶対美味いじゃん、ね? だから――」


「ダメです。私は年頃の少年が好きなんです。この子が内に秘めたはち切れんばかりの魔力。この美味さが人間などにわかるわけがない」


「わかる」


「え?」


「いやわかるし、魔力もだし、成長しきってないとことか生意気な感じとかそういうのでしょ? 私的にはもうちょい大人な方が好きだけど、このくらいの子もそれはそれでいいよね」


「適当に同調してるんじゃないですよ」


「いや、わかるし。今だって触手にヤられてんの見てちょっと興奮してるし」


「だから嘘つかないでください!」


「嘘じゃないし。つかじゃあさ、そのままもうちょいマサトラ締め上げてみて? ■しちゃダメだけど」


「ふん」


 顔をしかめながらも蛸壺は、サキュバスが言う通りマサトラをなおさら痛めつける。彼は声ならぬ声をあげて身悶えし、体をよじらせるも、動くほどにタコの触手と吸盤は彼の体を包み込み、骨が軋む音が無人の路地に響き渡る。


「いいじゃん!」

 そんな彼の激しい吐息にサキュバスは立場も忘れ昂ぶって、上ずった声を出した。

「もっとやってよ」


「どうなっても知りませんよ」


 ボタボタッ、と触手の間から水っぽい粘液が溢れ、糸を引きながらアスファルトへと落ちていく。その色は薄いピンクで、むんむんと鉄臭い血の臭いが漂い始める。


「あーいい。すごーくいいんだけど、苦痛一辺倒っていうのもどうかって思うんだよね。要所要所に快楽も挟んで、こうメリハリっていうの? 緩急ないと面白くなくない?」


「ほぅ」


「だから、他の触手も使って太ももとか首筋あたりも攻めちゃってみて」


 それを聞いたマサトラの顔つきが一段、歪む。汗と粘液でぐしゃぐしゃになった髪、力の入った首の筋肉に眉間の深いシワ。素晴らしい。


「せんせっ――」


 息継ぎにもならない声や、涙で潤んだ上目遣いもこれまたそそる。たまらない。


「そうそう。うるさい口はちゃんと塞いで。で、そこはもっとこう擦り上げる感じで。あーいいね。いい」


「ッッ!」


「もっともっと」


「あひぃッッ!」


 触手を口に突っ込まれたマサトラが白目を上げて痙攣し始めた。


 無茶苦茶にこねくり回され、触手と同じくらい赤くなって恥辱を晒すマサトラに興奮し、すっかり調子に乗ったサキュバスは蛸壺に次の指示を出す。


「いいね。じゃあ今度は地面に叩きつけちゃおう」


「ほぅほぅ」


 少年への嗜虐心を満たされた蛸壺もまんざらではなく彼女に従った。


 マサトラは頭上を走る電線を縫うように高く持ち上げられると、

「ぐぇっ!」

 触手ごと勢いよくアスファルトに打ちつけられた。何かが砕ける鈍く嫌な音がした。

「いいね。でもまだそこまでって感じじゃないね。 あーもしかして触手にショックが吸収されているのかな?」


 サキュバスは止まらない。


「なら今度はもっと高くからいくべきっしょ。あーまだ、まだまだ。もうちょい高く。うん。うんうん、そうね。そこからいこっか」


「ひょっとして、あなた、本当に悪魔ですか?」


「だからそうだって何度も――」


 言ってるじゃん、と続けようとしたが、サキュバスの声は後方からのまばゆい光にかき消された。


 後方から前方へと、衝撃波を伴った轟音がものすごい速度で狭い路地を突き抜けていった。サキュバスの左上あたりを最高速度の新幹線が通過していったような感じであった。


 虹色に煌めく残像を伴って光が消える。そして、


 ボトリ、と重い音がして、無残に千切れた触手がマサトラとともに落下した。


「ぐぉおおおおおっっ!」


 蛸壺が絶叫し、驚いたサキュバスが光の放たれた方へと肩越しに振り向くと、十メートルほど離れ、サキュバスのドレスを着たレナコが立っていた。


「あなたの相手は私よ!」


 両手をまっすぐに突き出して、レナコは啖呵を切った。ドレスはぶかぶかで、路上に素足がみすぼらしかったが、凛々しい表情のおかげで様になっていた。


「ぐおおおおおっっっ! よくも、よくもっ私を騙しましたねぇっ!!」


 蛸壺が大きな頭を前後に振り乱しながら叫んだ。残った四本の触手が大きな弧を描いてサキュバスの頭上を通り超し、レナコへと振り下ろされんとした。


「うるさい黙れ! 悪魔めが!」


 しかしレナコの鬼気迫る様子に、触手たちは空中であっけなく停止する。


 顔をレナコのほうに向けたまま、サキュバスはなんの言葉も発せなかった。体が硬直し、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。視界の端で、千切れた触手の中から瀕■のマサトラが這い出してきていた。


 レナコは蛸壺を睨んだまま、サキュバスを見やることなく言った。


「先生ありがとうございます」


 サキュバスはぎょっとして、目を泳がせた。さっき悪魔だとか語ってしまったことで、■されるのではないかと身構えたが、


「自らを悪魔だと偽るなんて、素晴らしい交渉術でした」


 そんなことはなく、レナコは続けた。


「後は私に任せてください! 天上ノ光ルクス・デ・カエロ!!」


 ほどなく、サキュバスの真横を新幹線の爆風が再び突き抜け、閑散とした路上をまばゆい光が埋め尽くした。

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