第14話 一撃必殺のマナー

 『蛸壺組』なる聞き覚えのある単語が聞こえた直後だった。


 壁の向こうから、バラバラバラバラ、と重くくぐもった音が炸裂し、ドレスのファスナーに手こずっていたレナコは反射的に床に伏した。


神聖防壁ホーリーガード!」


 マサトラが叫び、出現した半透明のバリアに一瞬で無数のヒビが入り、床を伝わってくる振動に彼女は度肝を抜かれた。


 嘘でしょ!?


 バリアにめり込んでいたのは、数発の銃弾であった。


 攻撃が来た方向、入り口付近の壁に目を向けると、銃弾と同じだけの小さな穴。


 壁越しに撃たれてる!?  相手は――


 バラバラバラ。レナコの思考を妨げるように穴が増える。


 マサトラがバリアを強化する。反動に押され倒れそうになるも、彼は腰を落とし重心を下げて、辛うじてそれらをしのぎ切る。


「なんだよこれ!」


 彼は今、十字架もなしに魔法ホーリーガードを発動していた。


 エクソシストにとって、十字架や聖書といった道具は自転車の補助輪のようなものである。詠唱同様なくても魔法は出せるし、むしろなしで出せてこそ一人前。だけど半人前の彼らとって、なしでは心もとないのもまた事実で、レナコはマサトラを助けるためにと、胸ポケットの十字架を取り出そうとした。が、今はドレスを着ていたことを思い出しハッとした。


 マナー先生は!?


 レナコは首をひねり後方へと目を向ける。しかし、サキュバスは見つからない。


 どこだ、どこにいる?


 さっきまで彼女が立っていたホワイトボード付近を見るが見つからない。


 銃撃は止まらない。敵はおそらく複数いる。扉を中心に左右から横殴りの雨のような攻撃に、バリアでカバーできぬ机やパーティションが穴だらけになっている。


 ひょっとして、パーティションの後ろに移動した?


 と思ったら、すぐ近くの机の影に倒れていた。


 裸の足裏に食い込む瓦礫にかまわず、レナコは慌ててサキュバスに駆け寄った。


 銃弾を食らってしまったのか、と一瞬焦ったが、サキュバスは無傷であった。


 とはいうものの意識を失っているようで、多少エクソシストに詳しくとも、先生は一般人だ。いきなりの銃撃だなんて想定しているわけがなく、ショックで倒れてしまっても無理はない。


 レナコは彼女の安全を確認すると、再びヒビだらけのバリアの裏、穴だらけの壁へと視線を戻す。


 先生は人間だけど、向こうにいる奴らは間違いなく人じゃない。


 悪魔。


 そうに違いない。まともに話し合うこともなく、突然の攻撃。傾聴や共感などが通用しない相手であることは確実だ。


 蛸壺組の蛸壺、と扉の向こうの男は言った。それは、廊下で■んでいるクラーケンたちを指揮する悪魔に違いなかった。


 ボロボロになった壁の隙間から、なにものかの影が見え隠れする。


 ほぼ途切れなく続く銃声は、当初のくぐもった音から乾いた音へと変わり、壁はすぐにでも倒壊しそうに見える。


「おいレナコ。やるぞ!」

 マサトラが言った。

「俺たちで退治するぞ!」


 その声はかすれ、彼はもはやヘロヘロだった。神聖防壁ホーリーガードもほとんど限界に思われた。


 先生に伝えなくちゃ。


 レナコは定石通り応援を呼ぼうと考える。けれど、スマホは先の戦いで破壊されていた。


 壁がきしむ。防壁が狭まる。迷っている時間はない。規則違反だが、やるしかない。


 レナコは鼻から大きく息を吸った。カーペットの埃っぽさに混じって、わずかに甘い香り。これはマナー先生が撒き散らしたあの白い粉の匂いだろうか?


 鼻で息を吸って口から吐く。二回、三回、そのとき、複数の銃撃が同時に止まる。


 弾切れだろう。今しかないと、レナコはマサトラと拍子を合わせ飛び出した。


 枠の歪んだドアをマサトラが蹴り飛ばす。蝶番ごと脱落した扉が廊下側に倒れ、盛大な音を立てる。


 バリアを張り続けるマサトラを前衛に、ふたりして廊下に躍り出ると、三人の男たちが廊下の奥へと飛び退いた。


「来よったな、エクソシストども!」

 野太い男の声が廊下に響いた。


 伊刈と同じ白スーツにサングラスの男たちがふたり並んで、アサルトライフルの銃口をレナコたちに向けて立っていた。


「これだけの銃撃を受けても■なないとは、結構な手練のようですね」


 彼らの後ろに立つ赤いスーツの男が静かに言った。その丁寧な口調に、レナコが目を凝らすと、彼こそ蛸壺組の組長なのであろう。銃こそ持ってはいないが、白スーツ同様の大男が堂々と控えている。


「お前らこそ悪魔だろ!」マサトラがとりわけ大きな声を出す。


 手前右側の男が答えた。「悪魔とちゃう。妖怪や!」

 手前左側の男が答えた。「組長オヤジは蛸入道様やぞ、悪魔なんかと一緒にすな!」


「知るか!」


 マサトラが一歩前に踏み出すと、当然銃弾が飛んでくる。


「■■がっ!」


 両手を伸ばしマサトラが神聖防壁ホーリーガードを厚くするも頼りない。至近距離からの銃撃は強力で、バリアはいつ崩壊してもおかしくない。


「なにやってんの? 疲れてんなら私に変わって」


「疲れてねーし」


「どう見ても疲れてるでしょ■■!」

 よろよろのマサトラにレナコは吐き捨てた。

「自分の体調もわかんないバカは後ろに引っ込んでて!」


 マサトラを押しのけ彼女は前に進み出る。民間のビルの中、無闇に能力を使うとどうなるか、四月にクレームをつけてきたあの依頼人の顔が脳裏をよぎったが、命と天秤にかけてはやむを得ないと、彼女は心のなかで自らの枷を解除した。


 しかしそこで、銃撃は唐突に終了した。


 乾いた残響はしばらくの間、廊下に留まっていたが、やがて消えた。ちょうどそこでマサトラのスタミナは底をつき、バリアも消えた。彼はヘナヘナと床に崩れ落ちた。


「ほぉー」

 白スーツたちの口元がいやらしく緩んだ。


 彼らは銃を構えたまま、なぜだかレナコを凝視していた。


「なに?」

 急に攻撃が止まったことに戸惑いを隠せず、警戒の構えを解かぬままレナコは尋ねた。


 右の男が答えた。「いっやー、ねーちゃんむっちゃエロいやないか」

 左の男も言った。「むふっ、むふふっ、降参するんやったら■さんとってもええで」


 彼らの言葉を聞いて、レナコは改めてミスターマナーのドレスを着ていたことを思い出した。また彼らの表情から、今そのドレスがすごい状態になっていることもよくわかった。彼女はそれを確認すれば間違いなく動揺すると思い、あえて悪魔たちから視線を外さず言った。


「降参、すればっ、命だけはっ……」

 わざとらしく息を弾ませながら、レナコは続ける。

「はぁ、助けて、もらえるって、はぁはぁ、本当、なの?」


 慣れぬ口調は棒読みに近い。馬鹿らしい台詞は恥ずかしく、穴があったら入りたくなってくる。とはいえ、この状況はまたとないチャンスだった。


 右の男が言った。「ひょひょ、それにゃあ条件があるわ」

 左が付け加えた。「そやそや。ワイらの言うこと、なーんでも、聞いてもらうでぇ」


「な、なんでも、ですかぁ?」


「そや」「そやそや、とりあえずねーちゃんパンツみせいパンツ」


 失せろ薄汚い悪魔どもめ、とレナコは思ったが、


『それは慈悲深き煌々たる光……』


 ゆえにここぞと、脳内で術式を組み立て始める。


『天より降り注ぐ聖なる光よ……』


「こう、ですか……?」


 こうなったらどうとでもなれだ、とレナコは指先でドレスの裾をつまんで捲りあげた。すると中で蒸れていた汗が逃げてスッとして、まっさらな素足が顕になった。


『我らが前に立ち塞がる……』


 レナコの無言の詠唱には気づかず、白スーツたちから歓声が上がる。羞恥心をこらえるため、裸足の足の指をカーペットの上でぎゅっとしながら彼女は続けていく。


『邪悪なるものどもと……』


 いい感じに時間を稼げていた。


 ふたりの白スーツたちが鼻の下を伸ばし、のたのたとレナコのほうへと近づいてきた。


『そのすべての悪徳を浄化せん……』


 そのとき、彼らの後ろで顔をしかめ控えていた赤スーツと目が合った。


「待ちなさい!」

 レナコの表情になにかを察した彼は叫んだ。


「これは罠――」


「今ここに、天上ノ光ルクス・デ・カエロ!!」


 赤スーツの声をレナコの叫び声が上書きした。


 瞬く間もなく、廊下中を閃光が満たし、ビル全体がぐらぐらと震動した。突き出したレナコの両手から図太く真っ白な光線がまっすぐ廊下の奥向かって伸びていた。サイズが大きくブカブカなドレスの緩んだ襟ぐりの中から風が吹き上がり、ないはずのバストが膨らんで、彼女は衝撃波にカーペットの上を数メートル後ずさっていった。


 白スーツの男たちが瞬時に蒸発し、その後ろで背を向け逃げる赤スーツの姿が、光の狭間に霞んで見えた。


 ゴゴゴゴゴゴゴ――


 この世の終わりのごとき異様な重低音を伴って、強烈な光が数秒かけて引いていく。


 先と同じはずなのに一段暗く感じられる明るさが戻ってくると、レナコたちから五、六メートル先のところで、行き止まりだったはずの壁が消えていた。


 白い壁のかわりに、四角く縁取られるのは真夜中のオフィス街。


 鼻をつんざく焦げ臭さに、やっちゃった、とレナコは思った。


 彼女の固有能力、天上ノ光ルクス・デ・カエロは空気中の聖なるエネルギーを集めて凝縮し、大出力の破壊光線として射出する魔法である。ごく単純であるがゆえ威力も絶大なのだが、詠唱時間すなわちエネルギー充填時間が長く、隙や反動も多いゆえ、使い所が制限される能力であった。


 レナコはひどく後悔した。


 彼女はフィデリオの指示もなく戦って、誰かのビルをこれでもかと破壊してしまっていた。ふたたびちらつくあの依頼人。しかも四月のように障子一枚、といった程度じゃない。ビルの壁を壊した場合、どのくらいの損害賠償が請求されるのかまるでわからなかった。


 ただし相反する気持ちもあった。


 ふっと、レナコの口から笑みがこぼれた。


 人間に扮した悪魔たちの姿はもはやなかった。倒した。私が倒した。私がマサトラやマナー先生を守りきったのだ。


 胸の奥が熱くなるのを感じると、ドレスがほとんどずり落ちていて、彼女はいそいそと体裁を整えた。ファスナーは変わらず上げづらかった。


 こんな格好をするのにも意味があったんだ、とも彼女は思った。


 悪魔は総じて好色な性質を持っている。となると、卑猥な格好をしたほうが相手に取り入りやすくなる。目を引きつけることで油断が生じ、撃破の際にも有利に働く。今回の勝利も、これなしではありえなかった。


 なるほど、と思った。すごい、と思った。すべてが合理的だった。マナー先生には感謝してもしきれなかった。


 さて、とレナコが振り向き、うずくまるマサトラに駆け寄ろうとしたとき、彼女の脇を赤いなにかが高速ですり抜けていった。


「え?」


 触手だった。

 それは赤くて太いタコの触手だった。


「よくも、よくもやってくれましたね」


 触手が言った。一本の触手が、外へと開く穴となった廊下のきわから、上から下、外から中へと垂直に折れ曲がって伸びていた。


 無数の吸盤に覆われたその触手は、目にも留まらぬ勢いでマサトラをぐるりと包み込むと、そのまま、彼を外へと引きずりだす。


「だめっ!」


 レナコが食い止めようとするも触手は大きくしなり、彼女を妨害する。


「くうっ!」


 ずっしりとコシのあるその一撃に、レナコは弾き飛ばされる。


 まずい。


 強く壁に叩きつけられ、彼女は呻いた。


 床に転げ落ちるがいなや、手をつき体勢を立て直さんと顔を上げる。が、遅い。触手に絡め取られたマサトラの体はすでにビルの外へ飛び出している。


「うぉーーっっ!」


 彼の悲鳴にわずかに遅れ、四角く切り取られた街の明かりが一瞬、赤いなにかに遮られた。


 蛸壺であった。


 重力に従って、巨大なタコの頭部がビルの側を下方へと落ちていく。


「くっ!」


 レナコが崩れた廊下の縁まで飛び出したのと、変身した蛸壺がドチャリと路上に落下したのが同時だった。


「近づかないでください」


 地上からレナコを見上げ、蠢くタコの化け物が声を張り上げた。イカ人間といった見た目だった伊刈と違い、蛸壺は巨大なタコそのものであった。体はタコだが、顔だけが不気味な人面だった。距離があっても、人の姿から想像するよりはるかに大きいのがよくわかった。


 蛸壺が言う。

「そ、それ以上近づくと、この子を■しますよ!」


 しかし、レナコは近づきたくても近づけなかった。


 単純に高すぎた。


 ここは九階、と蛸壺がいる裏路地を見下ろしレナコは躊躇する。先生ならともかく、私の運動能力じゃ飛び降りるのはかなり厳しい。


「下がってください。今すぐに!」


 マサトラをつかんだ触手をビルの三階付近まで掲げ、大きな頭を揺さぶりながら蛸壺が言った。マサトラは膝から口元まで触手に巻かれぐったりしていた。顔色が悪く、呼吸もままならない様子だった。


 追加で天上ノ光ルクス・デ・カエロを撃つか、無理してでも飛び降りるか?


 レナコが逡巡しているあいだに、じっと彼女を見据える蛸壺はずるずると無人の路地を後退していく。


 蛸壺は相当なダメージを受けていた。


 全体的に肌ツヤがなく、大きな頭は黒ずみ煤けている。八本の触手のうち三本が根本から焼き焦げて、マサトラを捕らえる一本を除いては力なくうなだれている有り様だった。


 もう一発食らわせられれば始末できるのに……


 レナコは悔しがったが、この距離はどうしようもない。


 二発目はおそらく回避されるし、マサトラという人質もいる。無理だ。


 エレベーターや階段のある方に移動しようと、蛸壺に背を向けレナコが廊下を反対側へ走り抜けたとき、背後で突如気配を感じた。


「へ?」

 肩越しに見ると、

「マナー先生!?」


「こらー■■■■、マサトラを離せー!」


 レナコが認識したときには遅かった。サキュバスは千鳥足の割には結構な速さで崖になった廊下のきわへと駆け出して、あっけなく飛び降りた。


「え、ちょっと待って!」


 急いで戻るも、間に合わなかった。


 崩壊した廊下の縁から身を乗り出しレナコが下をのぞき見ると、蛸壺たちと同じ裏路地に降りたったサキュバスが片膝ついてしゃがみこんでいた。


 路上に血しぶきはなく、肉片が飛び散っている様子もなかった。そういえば着地の音も静かっだった、とレナコが首をひねると、サキュバスは何事もなくゆっくり立ち上がる。


「そんなっ!」

 レナコは調子の外れた声をあげた。


 この高さからって、そんなことあり得るのか!?


 あまりの事態に彼女は我が目を疑ったが、


 いや。でも待って……


 ふと妙な予感を覚えた瞬間、全身を悪寒が駆け抜けた。彼女の記憶のなかで、これまでの伏線がめきめきと繋がっていった。


 よくよく考えてみれば、ミスターマナーは最初から怪しかった。


 やたらと悪魔に造詣が深く、その特性に合わせチューンナップされた高度なマナー。絶妙なタイミングで手渡されたこのドレス。加えてあの身のこなし。


 導き出される答えは一つしかなかった。


 レナコは息を飲んだ。そうだ。


 マナー先生はエクソシストに違いない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る