第7話 悪魔に教えを請うときのマナー

「え、なんで帰んないの?」


 サキュバスはつい本音を吐いた。ひとり勝手にキレて、かと思ったら泣きだし土下座するレナコは、気が触れているとしか思えなかった。


「が、帰りまぜんっ……私に、わだじにっ本当のマナーを教えてぐださい!」


「はぁ?」


「お願いしまず!」


 なんなんだこの女、■■■■か? マジでウゼェ。


 カーペットから額を上げることなく、鼻をすすり上げ懇願するレナコにサキュバスはうんざりした。もし自分が彼女の立場なら喜んで帰るのに、と完全に理解不能だった。


「いやお前」


 ■角から唐突にマサトラの声がして、サキュバスはぎくりとする。


「さっさと帰れよ!」


 見ると、マサトラが長机に手を付いてよろよろと立ち上がっていた。


「先生が帰れっつってんだぞ!」


 彼はそのまま椅子に腰を下す。若干バランスを崩したのか、ガラッと大きな音がした。


 それを見てサキュバスは目をみはった。


 あれだけ精気を吸ったのに、マサトラはもう話せるようになっていた。


 彼女は彼から穴間の数倍は精気を吸収した感覚があったが、さすがはエクソシスト、鍛え方が違うのだろう。エネルギーの最大量だけでなく回復も早い。


「いやお前、そこは帰れよ」


「無理、帰らない」


「だから帰れって。俺ひとりでマナー先生の授業受けるし」


 マサトラは気だるそうにそう言うと、ニコっとサキュバスにアイコンタクトした。


 あーこいつ、やっぱ可愛い。


 サキュバスはときめいた。また、チョロいとも思った。つかマナー先生ってなに? あーもっと吸いたいっていうか食いたい。


 舌に甘苦いマサトラの後味が残っていた。彼の精気は腹の中で先に吸収した穴間のそれと混ざり合い白濁しながら燃えていた。その絡みつくような喉越しを、活力が血に溶け出していく快感を、サキュバスはもっと味わいたかった。


 なのに、


 彼女は土下座するレナコに視線を戻す。


 この女が邪魔だ。邪魔すぎる。


「マナー先生。私も、私にも授業を受けさせてください!」


 いやだからマナー先生ってなんやねん。ウザいから早く■んで、とサキュバスは思った。意味もわからず土下座されても嬉しくもなんともなかった。むしろ怖かった。


「お願いします。本当に、本当にお願いします!」


 レナコは本当にしつこく、さっさと変身しぶっ■してやりたかったが、マサトラの手前、サキュバスは最大限に取り繕い言った。


「とりあえず顔上げてウザいから」


 最大限に取り繕ってそれであったが、レナコはすっと顔を上げた。


「あのね。もう一回言うけど、できたらさっさと帰って欲しいんだけど」


「帰りません。残らせてください!」


 レナコは大声で叫んだ。そのまぶたは腫れて目が赤くなっていた。


 サキュバスは本当にうんざりした。マサトラが、こいつどうするんスか、的な目で見てくるのも正直困った。


 壁にかかった丸時計が、23:20を指していた。


 フィデリオなるエクソシストの親玉が帰ってくるまでまだ残り百分近くあった。何を言ってもたぶんレナコは帰らないだろうと思うと、サキュバスの胸は苦しくなった。押し問答になるのが目に見えていた。


 どうしよう? 彼女は考える。


 マサトラを操るのは簡単だ。ただの童貞男子高校生など、色仕掛けでどうとでもなる。だが問題はレナコ。私をミスターマナーだと信じてるのはいいが、こいつは私に妙な理想を抱いている。マナー講座は最初から始まっていただとか、なにか大きな勘違いをしている。


 やっぱ変身してレナコを■す? いや、そうするとマサトラに■される。ならレナコなんて無視して、マサトラとまたキスしちゃう? それだとマサトラが■んだ後にレナコに■されるし、あーもうどうしたら、■■■■、■■■■、■■■■!


 レナコはそんなサキュバスの心の内などつゆ知らず、彼女の次の言葉を待っている。


 そこで突然、ふっとアイデアが浮かんだ。


 期待されているということは、逆にいえば、幻滅されればいいのではないか。私をろくにマナーも知らないバカだと思ってくれれば、また勝手にキレて帰ってくれるのではなかろうか。


 あ、なーんだ。なら、レナコが嫌がりそうなことを適当に言えばいいじゃん。


 そう思うと、サキュバスの身体は軽くなった。


 あまりバカをやるとマサトラが疑うのでは、とも考えたが、マサトラなら多少間違ったマナーをしようが、エロい感じをキープできればフォローしてくれるだろうという期待もあった。そしてエロこそサキュバスの得意分野だった。


 行けるっしょ。


 サキュバスは、ふんす、と息を吸い込むと、土下座から顔を上げただけの姿勢のレナコを挟み、マサトラと向かい合うように椅子へ腰掛けた。大げさに脚を組むと、マサトラの鼻の穴が大きくなったが、気づいていないふりをして、嫌らしくレナコを見下げこう言った。


「うーん。あなた、スカートの丈が長すぎんだよね」


「へ?」


「服装がなってないっつーか、丈が長すぎるのって、正直マナー違反だよね?」


「え? え? で、でも、丈の長さは校則で決められていて……」


「は? 校則守ることだけがマナーなの?」


「……いえ」


「まぁ文句あるなら帰ってもらっても――」


「やります。短くさせていただきます!」


 レナコは素っ頓狂な声で言って、サキュバスはさすがにちょっと驚いた。やるんだ。


「あの、立ってもよろしいでしょうか?」


 サキュバスが顎で促すと、レナコはそろそろと立ち上がった。それから少しためらったあと、膝下丈のスカートをつまんで上にたくしあげた。二センチほど。


「いやいや、もっとでしょ」


「こうですか?」

 やっと膝丈になった。


「ダメ。もっともっと」


「え……」


「はぁ……」

 気合十分な啖呵を切ったくせに、そのあまりのやる気のなさにサキュバスは大げさなため息をつく。

「ねぇよく考えてみて。あなたが悪魔退治依頼するとき、スカート丈の短い女子と長い女子、どっちを選ぶ?」


「え? そ、それは……」


「短いほう」

 と、マサトラがつぶやき、サキュバスは答えた。

「正解」


「う……」


 レナコはマサトラへの嫌悪を隠しきれぬ様子であったが、さりとて反論もできず、目を泳がせることしかできなかった。


「で、やるの、やらないの?」


「……やります」


 これ以上はウエストを折らないといけなかった。帰れさっさと帰れ、とサキュバスは心のなかでレナコを囃し立てながら、なおも急かした。


「もっとでしょ。無理なら帰って。折ればまだまだいけるから」


「……はい」


 レナコは慣れぬ手つきでウエスト部分を折り始める。


「……こ、こうですか?」


 一回折り曲げた程度では大したことはなかったが、レナコは羞恥のあまりタコのように真っ赤になっていた。縮こまり少しでも露出を減らそうともじもじする彼女をエロ猿マサトラがチラチラ見ていた。サキュバスはそんなマサトラを横目にニヤつきながら続けた。


「もっと」


「こ、こうですか?」


「もっともっともっと」


 やっと■■や■■■のJKくらいになった。


 レナコはもう限界やめてくださいという目で見てきて、それがいっそうサキュバスを加速させる。


「あとシャツのリボンはいらないし、胸のボタンも開けたほうがいいかな」


「こうですか?」


「もう一つ」


「こう、ですか?」


「うーん。やっぱスカートもっと上げたほうがいいと思う」


「え?」


「あ? じゃあ帰る?」


「う、うぅぅ……!?」


 悶絶しながらではあったが、レナコはのろのろと二~三秒に数ミリずつスカートをたくし上げ、ついに白いパンツがモロ見えな状態になった。


 第三ボタンまで開いたシャツからは同じく白いブラがのぞき、貧乳とまではいかない手頃な大きさをした両胸が見えていた。そんな胸から顔にかけて、レナコの皮膚は紅潮していたが、太ももから下は血の気を失い真っ白だった。そのどちらにもうっすらと汗が滲んでいた。


 すっかり痴女の装いであった。半端にフェチい分、おそらく全裸よりもエロスがあった。


 マサトラはもう隠す気もなくガン見していた。文句のつけようもない童貞ムーブであったが、前傾姿勢の彼が確実に■■しているであろうことを想像し、サキュバスも露骨に微笑んだ。


 あーマサトラきゅん最高。早く食いたい。しゃぶりたい。だからレナコ、お前はさっさと帰れって。ほら、すごい格好じゃん。さっさとキレろって。


「う、うぐ、うぅぅ……」


 またしてもレナコは涙をこぼし始める。


「う、うむぅ、もう無理、無理です……」


「あぁん!?」


 サキュバスは怒鳴った。しかしその流れで、お前泣けばいいと思ってんだろ■■、と言いかけ踏みとどまった。


 ついさっきまで前のめり気味だったマサトラが、急におろおろしていた。マナー先生、これ以上やる必要あるんスか? 的な目で見ていた。


 え、いやなんでキミそんなに引いてんの?


 これにはサキュバスもまごついた。


 嗜虐性の高い悪魔と違い、性癖が特段こじれているわけでもないマサトラは、嗚咽を漏らすレナコを見て引いていた。真顔で、半目で、正直ドン引きであった。


 ホント■ねレナコ! マサトラが萎えてんじゃん!


 そんなことを思っても、レナコが■ぬわけがなく、会議室にはレナコがすすり泣く声だけが虚しく響いていた。


 サキュバスだって泣きたかった。


 実は、サキュバスのキスに相手を魅了させるといった特殊効果はない。それはただ精気を吸収するだけで、彼女が今マサトラから擁護されているのは童貞の初キスボーナスに過ぎない。なのでマサトラが醒めるのはまずかった。唯一の味方がいなくなってしまう。


 サキュバスはしぶしぶ言った。


「わかりました。いいでしょう。ずいぶん“見れる”格好になりましたね」


 取って付けたような言葉だったが、レナコは涙を拭い、ありがとうございます、と言って笑った。その後彼女は、サキュバスがマサトラに意識を向けた一瞬のタイミングを見計らい、さり気なくボタンを一つ留めると、スカートを微妙にずり下げた。


 サキュバスがそれを見逃すはずもなかった。


 ムカついた。


 ちやほやされて生ぬるく育ってきた女特有の、とりあえず泣いときゃ相手をコントロールできるだろうという腐った性根。しかもそれをほぼ無意識にやっている狡猾さに、サキュバスは怒髪天を衝く思いだった。マジで■ねよ■■■■!


「では、本日はよろしくお願いします」


 サキュバスの細められた目をナチュラルに無視してお辞儀して、レナコは足を揃え近くの椅子に腰掛けた。


 さっきは座る前には許可がどうとか言ってたくせに、自分はちょっとパンツ晒したくらいで、もう別に大丈夫でしょっていう、その感じ。禊はすんだでしょ的な振る舞いに、こいつ結構ふてぶてしいのな、とサキュバスは思った。レナコはなにげに手でスカートを押さえるのも忘れてはいなかった。


 まぁ、こいつは後でぶっ■すとしても……


 こうなるともう講義するしかないのか、とサキュバスは悩んだ。レナコと違いサキュバスには、マナーなんてとんとわからなかった。


 残り約一時間半、バレずにやり過ごせる自信はない。


 なにか、なにか他に手はないのか?


 サキュバスはこちらこそお願いします的なことを言ってヘラヘラ笑いながら、懸命に考える。


 なにか他に、レナコが今すぐ帰りたくなるようなことはないのか? レナコは帰りたくなるけど、マサトラは帰りたくならないようなことは?


 しばらくして、彼女の頭の中でカチリ、となにかが噛み合う音がした。


 割とあっけなくひらめいた。いくぶん性的な方面に特化しているとはいえ、サキュバスだってれっきとした悪魔である。人を困らせることに関しては才能があった。


「ならまず挨拶から。基本の基本から始めていきましょう」


 サキュバスはその思いつきに自分でも怖くなりながら言った。


「ではレナコさん、マサトラくんにキスしてください。マナーに詳しいレナコさんなら、朝飯前ですよね?」

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