二限目 先生から「帰れ」と言われたときのマナー
第4話 マナー講師を煽るときのマナー
マサトラは部屋に入るなり、近くの椅子に腰掛けた。
「ッチ。だりぃー」
粗野な声が無秩序な会議室にこだました。部屋は机や椅子が雑然としていた。パーティションのアルミ枠が曲がって微妙に傾いていた。
二時間後に戻ってくると言ってフィデリオが去って、数十人は入れる部屋にたった三人しかいなかった。サキュバスと、日本エクソシスト高校一年男子マサトラと、同じく一年女子レナコである。
舌打ちを無視して部屋の奥へと進んでいくサキュバスの背中をマサトラは睨みつけた。彼女はふるふると情けなく震えていた。
マサトラのすぐそばで棒立ちのレナコが言った。
「ちょ、ちょっとマサトラ。なんで勝手に座ってんの!?」
「るせーな知るか」
「知るかってなに? 勝手に座るとかマナー違反じゃん。普通許可もらってからでしょう?」
「だから知らねーって」
「はあっ? あんたのせいで私の評価まで下がったらどうすんのよ!?」
レナコは唾を飛ばしまくしたてた。■ね■■、とマサトラは思った。なんで俺がこいつと一緒にマナー講座など受けないといけないのか。
理由はあった。
マサトラは四月の入学以来その態度の悪さ、礼節の足りなさゆえ、フィデリオにマナー講座への出席を指示されていた。受けなきゃ退学とまで言われていた。
だけど、マサトラにとってマナーなど心底どうでもよかった。
「こんなの時間の無駄だろ」
彼はレナコ向かって吐き捨てる。
礼儀正しくても悪魔に勝てなきゃ意味なくね? 強かったらマナーなんかいらなくね?
彼は本気でそう思っていた。
つか二時間とかありえねーし。頭おかしいの? ■■なの? しかも講師直々ってなんだよ。座ってるだけなら寝てりゃ終わんのに、こんなん筋トレでもしてたほうがよっぽどマシだって。
マサトラがそんなことを考えていると、前方から、カタン、と乾いた音がした。エクソシストたちふたりはそちらに顔を向けた。
部屋の奥まで移動したサキュバスがホワイトボードのフレームに手をつき息を荒げていた。
彼女はその巨乳に顔を埋めるかのように背を丸め、ピンク色の髪が垂れ下がり表情が読み取れなかった。
マサトラたちは彼女の言葉を待ったが、彼女はなにも答えなかった。答えるどころか、顔すら上げなかった。
「おいなんか言えや」マサトラは毒づいた。
てかこいつなに? ■■みたいに白いし、やたら汗かいてるし、スーツブカブカだし、髪の毛ピンクだし■■。そもそもこいつ■■なの? ■■なの? さっきフィデリオが謝ってたけど、よくわからん。まぁ、あのおっぱいで■■ってことはないだろ。
どっちにしろ、こいつは魔法も使えない一般人。
マサトラはたとえマナーといえど、自分より弱い人間に教わるなんて嫌だった。
「あ、あのっ!」
レナコはそんな様子で険しい目つきのマサトラと、頑なに顔を上げないサキュバスとをチラチラ見比べながら、言い訳がましく口を開いた。
「え、えっーと私たちは、日本エクソシスト高校一年の一条レナコと……」
レナコはマサトラに顔を向け、発言を促すジェスチャーをした。しかし彼は目をそらし口をつぐんだので、かわりに言った。
「こちらは同じく一年の中村マサトラです。今日はよろしくお願いします!」
「うっぜぇ」
レナコのみならず、依然うなだれるサキュバスにまであえて聞こえるようにマサトラは言った。
「ちょっとマサトラ、いいかげんにっ!」
「あぁ!?」
彼は椅子を引き机に両足を乗せ、レナコの反論を封じ込める。赤いスニーカーが薄っぺらい長机に叩きつけられ、オフホワイトの天板が黒く煤けた。
なによりウザいのはこいつだ、とマサトラは思った。ひとりならともかく、こいつと一緒。
彼は机の上で脚を組んで、レナコをキッと睨みつけた。彼女はなにか言おうとしたが、彼と目が合うと眉根を寄せて黙り込んだ。
お前にマナーなんて必要ねーだろ、■■■。マサトラがことさら長いため息をつくと、レナコのこめかみに青筋が立ったので、彼は鼻先で笑った。
レナコは校則が服着て歩いているみたいな女だった。
短すぎるでも長すぎるでもない無難な黒髪。
短すぎるでも長すぎるでもないスカートの丈。
短すぎるでも長すぎるでもない黒いソックスに学校指定のダサいローファー。
マサトラのようにブレザーの袖をまくったり、下にシャツがわりのタンクトップを着ているような人間がマナー講座を受けさせられる理由はわからなくもない。だけどレナコはその真逆で、そこがマサトラには理解できなかった。
■■みたいに規則規則規則。ルールなんて守ってなにが楽しいのか?
レナコはマサトラと睨み合っていたが、数秒後ぷいと顔を背け言った。
「せ、先生からもなにか言ってやってください!」
彼女は早口で言葉を継ぐ。
「この態度ひどいですよね? 常識なさすぎですよね?」
「…………」
答えはなかった。
ミスターマナーに扮したサキュバスはうつむいたまま答えなかった。彼らの胸元の
そんな事情など知らぬマサトラは今一度、ホワイトボード前の彼女に視線を移した。
垂れ下がったピンク色が薄くなっているように彼は思った。相当汗をかいているのだろう。髪は額にべっとりと張り付いて、隙間からちらちら見える肌は生気を失い、唇は紫になってブルブルしていた。はちきれんばかりの胸もブルブルしていて、それは普通にエロかった。
だけど、講義を受けたいとは思えなかった。
もしかしてこいつ緊張してんのか? とマサトラは思った。
指の関節が白くなるほど拳を握りしめているその様が、今にもブチ切れそうなのを抑えているというより、■■■を我慢しているように見えて、彼はふと思い出した。
こいつ、小学校のとき教育実習にきた女みたいだな。
見た目こそさすがに違うが、肩の縮こませかただとか、首の揺れる感じとかがまさにそうだった。
あれって結局どうなったんだっけ?
マサトラは記憶を振り返る。とにかくビクビクしてっから、みんなでからかってたら、なんか急にキレて教室飛び出してったんだっけ。で、あのときもレナコみたいな■■が謝りにいけとか言ってたけど無視して、それから、えーっと……まぁ、とにかくアレは笑ったわ。たぶんこいつもそのパターンだろ。
そう考えるとマサトラの口元は緩んだ。
ちょっと試してみるか、と彼は挑戦的に目を細め言った。
「なぁ先生、さっきからなに黙ってんの?」
「…………」
「■■■我慢してんの? それとも■■?」
「…………」
「黙ってねーで答えろや!!」
マサトラは自分でも耳が痛くなるほどの大声を出すと、背を引き椅子を後ろに傾け、両足で思い切り机を蹴り飛ばした。激しい物音が教室中に反響した。机は前の机や椅子を巻き込んで倒れ、教室がいっそう乱雑となった。
「ちょっとあんたなにしてんの!」
「るせー!」
彼はそのまま立ち上がり、レナコの前の椅子もひっくり返す。
「きゃっ、ちょっとなにすんのよ■■!」
「■■ってなんだよ■■■。この■■■!」
「うるさい!」
「うおっ」
キレたレナコが殴りかかってきた。
マサトラはその直線的なパンチをさっとかわしつつ、サキュバスを横目に見た。
いよいよ限界という感じであった。
彼女の呼吸はいよいよ乱れ、震えはもはや痙攣じみていて、肩や背中でピンクの髪が踊っていた。膝がカクつき、一文字に結んだ唇は血が滲みそうなほど噛み締められていて、
そうだ。キレろ!
マサトラはもう笑顔を隠すこともなく待ち望んだ。
キレたらキレたで、マナー講師がキレるのはマナー違反だろ、って言え返してやる。
だけど、
「…………」
サキュバスはキレず、なにも言わず、彼はイラついた。
キレねーんだったら、泣け。帰れ。講師の女が泣いて帰っていった、って言えばフィデリオだって納得すんだろ。
マサトラはつかみがかってくるレナコをいなすのをやめ、サキュバスの前へと躍り出る。
「おいてめー、黙ってねーでいい加減なんか言えや!」
背後でわめくレナコの声をかき消すほどの声を出して、サキュバスに詰め寄って続ける。
「いいかげんにしろよ、なぁっ!」
前腕をつかむと氷のように冷たく、不快さに手を離すと、サキュバスの表情は梅干しみたいにしわくちゃだった。
「キメーんだよ■■!」
興奮続きのマサトラの首筋や額には玉のような汗が浮かんでいた。風通しの悪い部屋はムシムシと暑く、声を出すだけでも結構なエネルギーを使う。彼は額の汗を拭った。なぜかエアコンから生暖かい風が吹いていて、これって暖房なんじゃね?
「つかこの部屋暑すぎんだけど? 生徒に嫌な思いさせんのがマナーなわけ? なぁ?」
無言。
「ごめんもなしとか、それでもお前マナー講師?」
無言。
いよいよフリでなくキレたマサトラは、
「なぁ、なんとか言えや■■■!」
上着を脱ぎ捨て、思い切りサキュバスの顔に叩きつけた。
「ちょっとマサトラ」
「おめーもだよ■■。なに勝手についてきてんだよ■■■。フィデリオに媚売ってんじゃねーぞ!」
「はぁっ!? 媚なんて売ってないし。私はもっとマナーを向上させようと思って!」
「■ね■■■」
「きゃっ」
マサトラがレナコを突き飛ばすと、彼女は足をもつれさせ机と椅子の間になだれ込んだ。倒れた先に重なるようにさらに長机が倒れてきて、その予想以上の転倒っぷりに、さすがにやりすぎたかなと思ったとき、
「マサトラくん、だっけ?」
彼の背中越しに甘い声がした。
「え?」
振り向くと、サキュバスが顔を上げていて、マサトラは絶句した。
彼女の雰囲気はさっきまでと明らかに違っていた。
頬はすっかり血色を取り戻し、汗で張り付いたピンク髪の隙間からは燃えるように赤い瞳。その瞳孔はこれでもかと開いており、マサトラは戸惑った。
サキュバスは片手でゆっくりと髪の毛をかき上げると、もう片手に持ったマサトラの上着に顔を近づけ、くんくんとその臭いを嗅いで言った。
「いいね」
「は?」
「くさい。男の汗。オスの臭いがする。いかにも男子高校生って感じだね」
「は?」
「キミ、よく見ると可愛い顔してるし、ちょっと背が低めだけど髪染めたりピアス開けたり頑張ってオシャレしてるのがすごくいい。そのドクロのタンクトップとかもう最高!」
「ひっ」
急に饒舌になってグイグイ体を寄せてくるサキュバスに、マサトラは後ずさった。
ふわっとフローラルないい匂いまで漂ってきて、彼は鼻をこする。
「えー、別に逃げなくてもいいのにー」
サキュバスがさらに距離を詰めると、その匂いはもっと強く香り、頬をひくつかせるマサトラに彼女はいたずらっぽく続ける。
「お姉さん、別に怒ってないから」
「え?」
たしかにサキュバスは怒ってはいないように思われた。というか彼女は、にっこりと口元を緩め笑っていた。八重歯が覗くその笑顔はあどけない子供のようでいて、彫刻のように繊細で歪みのない目鼻のつくりは大人の気品も感じさせ、要するにむちゃくちゃに可愛くて、マサトラは普通に怒られるよりも怖くなった。
ガタン。後退する腿の裏がデスクにぶつかり、マサトラはぎょっとする。
もう逃げられなかった。
サキュバスの赤い瞳がメラメラと燃えていた。なぜだかその瞳孔はハートマークになっていて、目をそらしたくてもそらせなかった。
「なんなんだよお前はっ!?」
マサトラは叫んだ。声が裏返ってダサいと思ったが、どうしようもなかった。
そんな彼を見てサキュバスは、ふふっ、と声に出して笑った。熱を帯びたその声もまたセクシーで、マサトラの胸は締め付けられた。
そしてサキュバスは少し声のトーンを落とし、こう言った。
「私はサ、……いや、ミスターマナー。ねぇマサトラくん、今から私と■■■■しない?」
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