真実の空
あの大空に届くまで手を伸ばし続けよう。
本当は空の子なのよ。
天使様が私たちのところに連れてきてくれたの。
どうしてかはわからない。教えてくれなかったの。
でも私たちは嬉しかったわとても。
だから本当の親子じゃないって悲しまないでね。
子どもの頃は本気で信じていた母の言葉も今では戯言だとわかっているが、子どもの頃からの習慣というものはなかなかに抜けなくて。
私は今日も今日とて、手を伸ばす。
曇天立ち込める大空に。
世界が曇天に覆われてから幾星霜。
当初は曇天を消そうと躍起になっていたが、いつしか、この曇天と共に生きようとの意見が増加。エネルギーとして活用する術も得た人類は各国にそれぞれ小さな太陽を創造して、曇天が覆う以前のような生活をゆるやかに送っていた。
「うえ」
今日も今日とて曇天の空に伸ばした腕がいつもとは違う変化を見せた。
伸びたのである。
どこぞの人気漫画主人公のように空へと向かって勢いよく伸びていく。
しかし果たして、伸びていく感触がない。空を切る感触がない。鳥に衝突する感触さえない。
何も感じない。
どうやらこれは腕だけろくろ首になっているらしい。
つまりは、腕だけ幽体離脱状態。
「おーい戻ってこい」
のんきに言ってはいるが、その実焦っている。
今は腕だけのようだが、その内全身飛び出て、魂が肉体に戻れなくなってお陀仏にならないか、気が気でない。
しかし果たして、己の呼びかけに己の腕の魂は応えず、とうとう曇天に突入した。
ら。
「うえ」
顔をしかめる。
豆腐を握りつぶした時のような感触を得てしまったのだ。
もしや同じ幽体離脱した魂を握りつぶしてしまったのだろうか。
もしや妖怪なる奇々怪々な生物を握りつぶしてしまったのだろうか。
戦々恐々している主の下に、反抗期を終えた腕の魂が戻って来た。
何かを持ったまま、
捨てなさいと言ったって聞きやしない。
まだまだ反抗期続行中らしい。
ほぼほぼ現実逃避していた私の身体は、持っている綿菓子のような物体を認識した途端、地面に倒れてしまった。
ばかりか、綿菓子が血生くさい臭いさえ放っていそうなほど赤黒い色に急変したかと思うと、全身に覆ってきた。
途端、息ができなくなる。
腕一本分だけ幽体離脱したままの腕が必死にどけようとするが、硬い物質にでも変化したのかそもそもその性質だったのかはわからないが、弾き飛ばされてしまう。
肉体の腕は胸の辺りの衣服を握るのに必死で、退かす動作さえできない。
ああ、
青い空を望んだ罰か、
いつかのどこかで見た青い空。
窮屈な曇天では見せられないと断言できる、果てない希望をもたらす青い空。
退かしたかった、なあ、
心の中では諦めているつもりだったが、口だけは逆の言葉を発していた。
助けて、
助けてたすけて。
まだ、
死にたくない。
青い空が見たい。
「例えばあの曇天の先がおまえの望む空ではなかったとしても退かしたいと願うのか?」
鋭く小さな痛みを与える声音。
どこか針みたいなそれは私のツボを押したのではないか。
笑みを浮かべさせるツボを。
でなければおかしいだろう。
なぜ危機的状況にある私は今笑っている?
「おまえらが血を流しすぎた結果があれだ」
助けてもらったお礼を言わせないまま、助けてくれた少女は不愛想に言い放つ。
「どうにかするのはおまえらの役目だ」
「この幽体離脱した腕で?」
「知らん。私はただ下った言葉をおまえに伝えているにすぎん」
暗に助けたわけではなく、命令に従っただけだと言っている少女は、横に向けていた身体を真正面に動かして、小さく口の端を上げた。
笑っているわけではないだろう。
今日も今日とて、私は曇天に手を伸ばす。
曇天の先を見る為に。
曇天の先が青い空ではなかったのならば、青い空を創造するために。
さすがは欲深い人間だ。
侮蔑を湛えた目を真正面に受けて、私は微笑んだ。
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