金木犀の晩
やる。
ぶっきらぼうな物言いに反して、長方形の箱を丁寧に両の手で持って差し出すこの子。
ありがとう、とお礼を言って受け取るや、中身を開けてもいいかと断りを入れる前に、この場から立ち去ってしまった。
余ったからやる。
ぶっきらぼうな物言い同様、長方形の箱を片手で持ちながら差し出すこの子。
どうやって断りを入れようかと逡巡するや、その箱を持ったままこの場を立ち去ってしまった。
なんか、優勝したって、聞いたから、祝いにやる。
怒っているのだろうか。不機嫌露わに、長方形の箱を片手で揺らしながら差し出すこの子。
応援していた子が負けて仕方なく私に渡したのだろうか。断ったら失礼だろうかと、ありがとうと受け取ると、じゃあ頑張れよと言い残して、立ち去ってしまった。
お近づきの印に。
とても丁寧な口調と姿勢で、長方形の箱を名刺を渡すみたいに両の手で差し出すこの人。
断りを入れる前に、同僚にもらっておけとせっつかれ、戸惑いながら受け取れば、満足そうに立ち去ってしまった。
配り切れなくて。
困りましたと、眉を八の字に下げて、長方形の箱を差し出すこの人。
箱の中身はすでに聞いていたので、それじゃあ、飾らせていただきますと言って受け取れば、助かりましたと人懐っこい笑みを向けて立ち去ってしまった。
どの子もどの人も、たった数分の邂逅。
長居しては不都合があると言わんばかりに、立ち去って行く。
「・・・あなた。次はいつに来るつもりですか?」
「うん。そうだな。飛ばした三十代」
悪びれもなく告げる伴侶に、頭痛がするのは気のせいではない。
「すごく奇妙に感じるのでやめてください」
「だって、出会っていない君を直に見たくて」
「どうしてもと仰るのなら、遠く遥かから見るだけに留めていただきたいです」
「えー」
「もう、やめてください。こうやって一緒になる事ができなくなるかもしれないんですよ」
「・・・・・・わかりました。遠くから見るだけにしますよ」
伴侶は渋々承諾したが、きっと、もう過去に行く事もしないだろう。
タイムマシンなんて、やっぱり要らないわよねと思ってしまう。
色褪せて行く記憶の中、鮮明に現れる人物が居た。
恋の魔法かと、乙女チックに考えないでもなかった。
どこの誰か、全く判明しない人なので、外見にでも惚れて、年を重ねた今、唐突に吹き出したのだろうと。
意図せず、奇跡的に掘り出した温泉のように、時間も場も選ばずどの記憶が甦るかわかったもんじゃない年齢だ。
あまり、気にしなかった。
一度目は。
それが間を置かずに、ぽこぽこ噴出してくるものだから、戸惑うのも当然である。
なんだろう、底辺では伴侶にしたことを後悔しているのかと、微妙に焦った。
伴侶のアルバムと、伴侶が完成させたタイムマシンの存在を思い出すまでは。
伴侶と出会ったのは、五十の時。
それまでは会った事など一度もないはずなのに、今、鮮明に浮かぶのは、アルバムの中でしか出会った事がない伴侶。
伴侶はタイムマシンを使って、記憶の中に、今までの人生の中に割り込んで来たのだ。
ご丁寧に、その時、その時の年齢の姿になって。
それは単にタイムマシンが不完成だったのかもしれないが。
何がしたかったのか。
タイムマシンで過去に行って、早く結婚したかったのか。
それにしては奇妙だ。たった数分で去って行って、記憶に残ろうとしなかったのに。
意味がわからない。
「タイムマシンは壊してきた」
「いいんですか?」
「目的は果たせたから」
「目的って。一気にこれまでの違う年代の私に会って、長方形の箱を渡す事ですか?」
「そう」
「今に不具合が起きなくて何よりですよ。まあ、それならそれで、あなたとは一緒になるなとの忠告だったんでしょうけど」
「大丈夫だよ」
「・・・・・・・・・サブリミナル効果でも狙ってたんですか?」
「ぶー。全然違いますぅ。ただ単に、どの年代の君にも贈り物をしたかったんですぅ」
「・・・・・・出会った時期を後悔してもしょうがないじゃないんですか?」
「単なるわがままだよ。どうしようもないわがまま。降って湧いた奇跡にちょっと噴出した結果の行動です」
「タイムマシンを作ってたんじゃないんですか?」
「そんな事言ったっけ?」
「何も聞いていませんよ。世紀の大発明だとしか」
「ああ、それは。ふっふっふ、聞いて驚きたまえ!じゃじゃーん。文章をこのライトを当てるだけで、紙の本を創り出しちゃうんでーす!」
「逮捕されますよ」
「だーいじょーぶ。もう一度このライトを本に当てれば、あーらら不思議。本は消えちゃいまーす」
「逮捕される前に離婚しておきましょう」
「やーめーてーくーだーさーいーぃ。これをあげますから!」
「・・・・・・ではお礼に離婚届を差し上げます」
「やぁーめぇーてぇー!結婚生活たった半年で終わらせたくない!」
伴侶の悲鳴を背に、歩き出す。
離婚届を取りに行くわけではない。
玄関に一枝の金木犀を飾りに行くだけだ。
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