第49話 純白の翼、返す言葉に迷うなぁ
勿論そのまま作戦会議という訳には行かない。
聞いた話ではあれから殆ど寝ずの番でトゥルーとレアルは俺の看病をしてくれたらしい。
俺は二人を休ませたく、一度レアルの屋敷に戻る事にした。
もう二度と戻ってこれないと感じた、自分の部屋に戻って来た。
途上の街は慌てていた。
対処法の知っている魔物が襲ってくる時よりも、どんな残酷な手段だって取れる帝国の大軍が攻め入ってくることに人は恐怖を覚えるらしい。
そもそも帝国は恐怖統治で植民地を圧搾している。
人らしい扱いだってされないかもしれない。
……二年前、寧ろ滅ぼされていた方は世界にとっては幸せだったのかもしれない。
「……」
俺は自分の部屋で、また右目を閉じて左目で破滅の未来を見る。
まるで人体をつぎはぎして創り上げた様な、歪な足を持った一つの怪獣が闊歩しているのだ。
その怪獣は首から上は巨大なミミズと言うべきか、ワームと言うべきかそんな顔の造りをしていて、その口から光を放つ。
トゥルーの
「……やっぱりライお兄さんの事だから、未来ばかり見ていると思った」
俺ははっと、後ろに突如あたった暖かい感触に現実に引き戻された。
トゥルーが、後ろから抱き着いていたのだ。
「トゥルー、寝てたんじゃないのか?」
「……ライお兄さんはきっと、一人だと破滅の未来を見ちゃうなって気がして」
確かに俺はずっと破滅の未来を左目で見ていただろう。
でもそれは、それから先の未来を見据えたいからだ。
決して悲観主義者でも、破綻主義者でもない、
「じゃあ、私がライお兄さんがちゃんとした未来を見つけるまで……いや、見つけてからも、こうやって私が繋ぎ止める」
「トゥルー……」
手紙の中で、彼女は書いていた。
『ずっと隣にいてほしい』と。
そしてそれは、俺も思っていたことだ。
背中を包む感覚が、心を優しく包み込む感覚が、俺を破滅の未来から引き戻してくれる。
「ずっと隣にいてくれるかな」
「……」
そう振り返ると、紅潮した可愛いトゥルーの顔があった。
嬉しそうで、今にも爆発しそうな顔をしてくれていた。
「……うん」
「最初に会った日も、こんな感じだったね」
本当にこんな感じだった。
俺の部屋で、柔らかいマットの上。
俺の背中には、純白の翼を広げたままの天使が横たわっている。
でも今度は親を殺された悲劇に耐えるために、必死にしがみ付いているのではなく。
俺がどこかに行かない様に、支えてくれているかのようだった。
今度は俺がトゥルーの手に、頼っている様だった。
鬼ごっこも、かくれんぼもいらない。
どちらも、離れた遊びだから。
だからもう少しだけ、ただこうしてくっついていたい気分だった。
「俺の体、この前よりも固くなっていない?」
「ううん……変わらないよ。前と同じで、暖かいよ」
「そうか。肉体能力Xって聞いて、龍王の力を引き継いだって聞いて、俺が俺でも良く分からなくなってさ」
「例えライお兄さんが人間じゃなくても、世界中が化物と揶揄したって……私は言い続けるよ。だからなんですかって」
「……ありがとう」
「そしてライお兄さんが人間である事を忘れそうになったら、私が何度も心に潜って連れ戻す」
「ああ。現に今トゥルーがいるおかげで、俺は今未来を見なくて済んでる」
見ないといけない未来なのは分かっている。いつか直面する破滅なのは知っている。
だが一人で立ち向かいかねない終焉の炎の世界から、こうしてトゥルーには連れ戻してもらっている。
「隣にいるっていうのは……そういう事です。健やかなるときも病める時も、隣で真実になって、目を覚ますよ……」
「君は……本当に成長したな」
「ライお兄さんがあの日、髑髏の天秤の檻から私を救い出して、ずっと横にいさせてくれたから」
「……」
「レアルお姉さんと一緒に、人ってこんなに暖かいって教えてくれた、から」
「それは俺も同じだよ」
成長したなんて上から目線なんて出来る訳がなかった。
俺こそ、嘘で固められた何もない子供同然だったからだ。
心の中でずっと彷徨っていた子供の頃の俺。あのまま、俺は村を出た。
「俺は何も知らなかった……俺だって、もしかしたら村に置き去りのまま、一人ぼっちだったかもしれなかった」
「……エルーシャさんがいたじゃないですか」
「エルーシャは……間違いなく家族だった。それでも……」
俺は言い淀んだ。
その先を口にするのは、何だか卑怯な気がしたからだ。
だってエルーシャをあんな風にしてしまったのは、一人になるのが怖かった幼いままの俺だったのだから。
全部俺のせいだ。そんな思いが頭が過った時。
「ライお兄さんのせいじゃないよ」
そっと抱きしめてくれた。
エルーシャの様に、心臓を締め付けられるような抱きしめ方じゃない。
優しく、全てを癒してくれるような包み方だ。
小さな体の、細い体でこんなに暖かいのは、天使だから?
違う。
エルーシャに俺は、きっと愛は無かったんだろう。
それすらも分からないくらいに、あの頃俺の中には嘘だらけだった。
テルースが目の前で死んだ事を信じたくなくて。
三人で駆け巡っていた思い出が終わってしまった事を信じたくなくて。
それが、今こうして俺が振り返って手を繋ぐ少女との違いなのだろう。
一緒に未来を創り上げていきたい。
絡ませた指と、真っすぐに見てくれる瞳と、少しだけ俺を求めつつ我慢している吐息に、全乗せされていた。
顔が近くなったからか、布団で半分顔を隠すトゥルー。
でも上半分だけニョキっと出してくれていて、両の眼だけ少しだけ揺れながらも俺を見て来ていて、俺はそんな沈黙の唄に少しずつ心を解されていた。
「……ライお兄さんの心に潜った時いっぱい見たよ」
「どこまで見たの?」
「全部……最初から最後まで。いろんな角度から見たよ」
そう言うと、俺の右腕を擦りながらトゥルーが言う。
「本当に、痛かったね。辛かったね」
「でももう、十分に泣いた」
「本当?」
「泣き足りないってなったら、また泣くよ……恐らく俺は10日後、もう一回泣かないといけないから」
だって10日後、破滅の未来と戦うという事は。
帝国軍と戦うという事は。
間違いなく、エルーシャと戦うという事だから。
その結末で、俺がみんなが笑顔になる未来を選ぶとしたら、エルーシャにしないといけない事を俺は知っている。
破綻した過去の掌と、破滅する未来の光と戦うという事は。
つまり、そういう事だ。
覚悟なら、この世界に戻ってきた時に決まっているつもりだ。
「……エルーシャさんと、戦わない未来は選べないんだよね」
「多分無理だと思う。エルーシャの事は、俺が一番よく知っている」
「……殺さないといけない?」
俺は少しだけ沈黙した。
「そうならないといけなくなったら、俺はそうする」
「……ライお兄さん、悲しい顔してる」
「……」
そりゃあ。
殺さなくて済むなら、それが一番さ。
それでも、物事には順番がある。
「……ごめんなさい。なんだかライお兄さんを楽にさせようと思ったのに、こんな話」
「あはは、気にしないでくれ。こうしているだけで、俺は心が安らぐんだ……」
「……嬉しい」
「それに男の子は、女の子にこんなに近くで心を許されると、色んな気持ちになるんだからな」
「ライお兄さん……!」
俺が自嘲交じりにいったことに、物凄い真剣な表情になってトゥルーは。
まるで天使が口ずさむ唄の様に、優しい声で言った。
その時、トゥルーは上半身を起こした。
雪景色の様に心を奪われる、美しい翼を部屋いっぱいに広げながら言うのだった。
綺麗。
すっごく、綺麗。
「そんな気持ちになってくれるって聞くと、女の子ってこう、心が……ときめくの」
「トゥルー……」
「好きな男の人に……そう言われると、ね」
そして閉ざされた扉を開いて新しい何かを掴むように、トゥルーはまず俺と額を合わせて。
紅潮した顔を更に近づけて。
柔らかい両の唇を重ねた。
今度は心の中の幻想ではなく、実際の柔らかさ。
味覚を失った筈の俺口いっぱいに、沢山の愛の味が広がった。
恥じらいながらも、後悔の無い顔で、トゥルーは繰り返した。
「私は、ライお兄さんの事が、好き」
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