第45話 狼少年の、本音

 果てしなく囲われ、そして途方もなく壊れた村の中で、その二人は一際輝いていた。

 ながれぼしのように、マーガレットアイスのように、無視できないくらいに存在感を放っていた。

 俺と違って、このまま微睡みに身を任せる事を願っていたわけでもなければ。

 記憶という曖昧にして残酷な存在でもなかったからだ。

 

 しかし、嬉しいという感情は素直に出てこなかった。

 俺は触れたいと思った自分を殺して、血の海に身を任せるだけにした。

 伸ばそうとした先にいたのは、俺にはとても眩しすぎる二人だったから。

 

 俺自身、魔力を媒介にして逆にトゥルーの心に入った事がある。

 だから今更自分の記憶の狭間に、入り込んでくることに驚きはしない。

 ただ、俺は聞くことは一つだけだ。

 

「……何をしに、こんな地獄までやって来たんだい?」

 

「決まっているでしょう。あなたを助けに来たんですよ。何かから、というのは分からないですけどね」


「……最初から、死ぬ気だったの? 私達を助けてから」


「そんな事はどうでも良かった。トゥルーとレアルさえ無事ならなんでもよかった」


 俺がこうして三途の川に沈もうとしているのは、あくまで結果論だ。

 俺は、生きようが死のうが良かった。

 

「いや。死に方としては最高かな」


「死に方としては最高……!? 死に方に美しいも醜いもあるものですか!」


 声を荒げるレアルに俺は立ち上がり、両手を広げた。

 いつかレアルがベランダでモルタヴァを示してくれたように。

 俺は両手で、俺の既に終わった血まみれの世界を示した。

 

「なあ、トゥルー。レアル。これが、俺なんだ」


 後ろではエルーシャに何度も斬られては回復していく俺がいた。

 テルースを助けられず、ただ慟哭を上げているだけの俺がいた。

 ……これまで俺が手をかけた人の血で、溺死していた幼い俺がいた。


「……死に方に美しいも醜いも無いかもしれない。だけど俺はもう、嘘と死しか振りまけない醜い化物に成り果てた」


 足元には、まるで花畑の様に哀しい量の死が散らばっていた。

 肉体能力SSなんて、素手でを人を殺せてしまう怪物の周りは、もうどこにも死の置き場所は無かった。

 そんな俺に、もう美しい生き方は出来ない。

 

「あなたが殺してきたのは……闇ギルドの人間達です。彼らは闇ギルドとして所属した時点で、生死問わずって奴になるのです!」


「……そう。俺は偶々法律って人間が創り出したルールに守られてきただけだ」


「だったら……!」


「だけど俺が殺した中には、大事な人もいた」


 俺の背後で、エルーシャがまるで死んだ瞳になって俺を切り刻んでいた。

 俺の背後で、テルースが本当に死んだ瞳になって俺を睨んでいた。

 

「……俺は彼女達を守るって約束をした。そして守れず、嘘つきになって、二人とも少なくとも人として死んだ」


「……」


 二人とも、言葉を失ったままだ。

 俺の記憶って言うのは、少女達には少しショッキング過ぎたらしい。

 

 そろそろ彼女達を汚すわけにはない。


「俺はトゥルーに出会えて、レアルに見つけてもらって。人間らしい生き方をする事が出来た。もう十分、幸せを貰った」


 俺の中が、泡沫の幸福感で一杯になる。

 彼女達とも、沢山の思い出があった。

 でもそれはこの世界には持っていかない。

 

「……ありがとう。俺はトゥルーとレアルのおかげで、抜け殻でしかなかった俺の人生に、生きる意味を与えてくれた」


「何を言ってやがるんですか! なら生きましょうよ!」


「それは出来ない。これ以上は、俺には重すぎるんだ。幸せって奴が」


「……ライ」


 だってこれ以上、俺は彼女達から幸せを貰ったら。

 そしてこのまま生き続けたら。

 俺の景色は、モルタヴァにも広がるから――。

 

 

「じゃあ、沢山泣いて。そうしたら無理しなくても笑えるから」



 トゥルーの口から発されたのは、言い覚えがある内容だった。

 まるでなぞらえるように発言した後で、小さく悲しい笑みを浮かべた。

 

「私達、見てきたよ。ライお兄さんを見つけるまで、ライお兄さんの身に何があったのかを」


「救国の剣聖に切り刻まれ、特異変質の元になったんですね。その元凶として、救国の剣聖の妹さんが亡くなったから……」


 彼女達は見てきたのだ。俺の轍を。

 徹頭徹尾、俺が躊躇い全てを台無しにした日から、村から逃げるまでも。


「その時、泣いていなかったのはエルーシャさんだけじゃなかった……ライお兄さんもだった」


「……」


「ライお兄さんも、あの日泣いて、泣いて、泣くことをしなかったから、無理矢理テルースさんの死を受け入れちゃったんだよね」


 テルースは死んだ。俺はそれをちゃんと受け止めてきたはずだ。

 なのになぜかトゥルーの質問に、俺はうんと頷く事が出来なかった。

 

「ライお兄さんはきっと、ずっとテルースさんを救えなかったことを、悔やんできたんだよね……?」


「……」


「だって……家族だったんでしょう? 十分に悲しむ事も出来ないまま、もう一人の家族を支えるのでライお兄さんは精一杯だった……」


 両親をこの前殺されたトゥルーが、俺の掌を握りながら、子守唄でも奏でる様に口にする。

 俺の事の様に、泣きながら、エルーシャが決して口にしなかった言葉を放つ。

 

「だから……今泣こう。私達も一緒に泣くから」


 もう片方の手を、レアルが併せてくる。

 

「龍王が言っていましたね。過去は嘘にできない。未来は嘘にできる。でも……そんな風に前向きになれる人間ばかりじゃないのは知ってます」


「レアル……」


「君には私達だって、沢山の感謝があります。前を無理矢理向かせるくらい、させてください……だから教えて下さい。どうしてこのまま死のうとしているのかを」


 俺は透き通る程真っすぐな二人の眼から目を背けた。

 背けた先には、過去。血みどろの過去。

 狂ったエルーシャ。逝ったテルース。

 何物にもなれなかった、幼い頃の俺。

 

 俺は……俺は……。


「生きるのが……辛かった……」


 俺は塞ぎ込みながら、子供の様に泣いた。

 いや、俺の体は本当に子供の頃に戻っていた。


「誰かの命を奪わなきゃ、大切な人が殺される世界が……苦しくて……仕方なかった……」


 誰かを助けるために、誰かをどかさないといけない。

 二者択一を常に図られる世界。

 世界そのものが、髑髏の天秤だ。


「でも……俺にはもう、辛いなんて思う資格は無かった……! テルースが死んだのも、エルーシャを救ってやれなかったのも……やっぱり全部俺のせいだから」


「……」


 トゥルー。

 レアル。

 もう、俺にとっては家族だった。

 だから、髑髏の天秤にさらわれた時、心の一部が消失した気持ちになった。


「……ずっと……いなくなりたかった……また、同じ哀しみを味わう前に……!」


 子供の様に、醜くすすり泣く俺を、左右からそっと抱きしめてきた。

 エルーシャ? テルース?

 否――もっと柔らかくて、優しい感触だった。

 トゥルーとレアルが、泣きながら嬉しそうに抱きしめてくれた。


「やっと過去の事、本音……話してくれたね……!」


 親や家族から見放され、一人ぼっちになったような俺に、トゥルーはそう言いながら頭を撫でてくる。

 溢れた涙も二人に拭われながら、一緒に寂れた村をしばらく見ていた。


「ねえ、ライお兄さん」


 トゥルーが聞いた。


「でも、生きているからこそ、嬉しかったこともあった筈だよ……私達が『大切な人』にランクインさせられるくらいに」


 自意識過剰かな、と付け加えながら。


「本当はライお兄さんは、どうしたい……?」


 エルーシャの悲痛な顔。

 テルースの無残な死。

 遡り、二人の無邪気な遊ぶ姿。

 あの日、空は確かに青かった。

 空の青さも、生きていなければ知らなかった事だ。


 今俺の両隣にいる二人。

 トゥルーと一緒に食べたマーガレットアイスは、氷水みたいだったけど暖かった。

 レアルが見せてくれた街は、本当に綺麗だった。

 二人と見た流れ星は、本当に綺麗だった。

 

 眠る事なら、死んでも出来るけど。

 心を躍らせる事は、生きていなきゃできなかったんだ。

 俺は守った未来の次に、確かに望んでいたものがあったんだ。


 そうか。

 生きることは辛くて、怖かったけれど。


「俺は……本当は、生きたかったんだ」

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