第42話 天使を救う為に、怪物にのみ許されたたった一つの冴えた嘘――結
真っ白な世界だった。
天国と勘違いしてもおかしくない、何もない世界だった。
何もなさ過ぎて、おかしくなりそうだ。
きっと果ての無い砂漠に放り出されたら、そんな風に思いながら干乾びて死ぬのだろう。
「……」
あの魔力で干渉するというカプセルが、エイトハンドレッドの操作でトゥルーの心に悪影響を及ぼしている。
いまここに、彼女の意志はない。
だって彼女は、雪のように白い空間の中心で、閉じ込められているのだから。
いつか彼女を助けた時に閉じ込められていた様な檻に囲われて。
トゥルーは、眠りについていた。
カプセルと言う揺り籠で、彼女の意志はこうやって眠らされていたみたいだ。
「……」
俺は最初に会った時みたいに檻を捻じ曲げる。
なんどだって、彼女の為に捻じ曲げる。
更に両手両足についていた枷も外す。
「起きろ」
ぺちぺち、と頬を叩いてみるがなかなか起きる気配がない。
中々深い眠りみたいだ。起こすには相当のショックが必要だな。
いけないな、この眠り姫は。
なので。
上唇と下唇をそれぞれ俺のと併せてみた。
「んんんんんんんんんんんんっ!?」
「お、起きたな。おはよう」
物凄いものを口にしてしまったような面白い顔で、トゥルーが起き上がった。
慌てふためいて、焦りまくりのトゥルーらしい反応だ。
その瞬間世界に風がふわぁ、と舞い上がっていく。
かつて人間に住処を奪われたにしては優しい、とても世界を破滅に導くとは思えない青空の世界だった。
いつまでも見ていたい、魅せられる世界だった。
「ら、ライお兄さん……!? 私今ライお兄さんと……!」
「あー、ここは心の中だからノーカンで」
「心の中っ……!? あれ、私……」
どうやら自分の身に起きたことを思い起こしているようだ。
パチに
そしてエイトハンドレッドに弄り回されたこと。
「今私……どうなってるの……!?」
「怖がらないで」
怯える彼女の肩を、俺は優しく叩く。
本当に良かった。そう思ったから。
「これからはずっと、隣にいるから……手紙、読んだよ」
「……」
心の中の桜が舞う。
向日葵が揺れ、紅葉も落ちてきて、雪が舞い落ちる。
真っ赤になった彼女の心は大忙しだ。
ただ、春夏秋冬365日ずっと一緒にいたいという気持ちが、心の中で綴られているのだろう。
落ち着いたトゥルーに、物凄く久々に顔をほころばせて俺は言う。
「そうか。文字凄い上手だったよ。本当に嬉しかった」
「い、いっぱい変なこと書いてあるけど……」
「変なもんか」
トゥルーも、レアルも。
自分勝手に、とんでもないことを書きやがって。
でも、あんな文面を見てて。
今こうしてトゥルーを救い出せるのなら。
二年前から、俺は生きている意味があったんだ。
二年前ライという少年は死んだ。
死んだはずの嘘つきが、やっと守るという約束を果たせた物語だ。
「トゥルー」
俺達二人は手を繋いで、檻から出た。
その時に見た頬は、桜よりも桃色に満ちていた。
「俺の事、世界で一番好きでいてくれて、ありがとう」
そして。
トゥルーは真っ赤な返り血を帯びて、目の前の光景に理解が追い付いていない様子だった。
青ざめていく顔をして、いつもならどうした? って声をかける所。
俺は本当に安心した。胸に空いた風穴なんてどうでもいいくらい。
だって、トゥルーが破滅の未来を産む兵器から、心を取り戻して一人の少女になったんだから。
「ライ……お兄さん……」
絶望の声すらも、もう俺には希望の唄に聞こえた。
「大丈夫。痛くないし、こうして生きているって事は致命傷じゃない」
俺の胴体に空いた風穴のことを言っているだろう。滝の様に俺の足元に溜まっていく血を見ているのだろう。
へえ、俺も感心するよ。これで良く死なないな。実は不死身なんじゃないのか?
イリーナさん、やっぱりステータス魔術おかしかったんじゃないのか?
まあ心臓はギリギリ避けているみたいだし、修復も始まっている。
「あ、あああああああああああああああああ!」
慟哭して、俺の胴体の風穴に手を当てながら唄を放つ。
唄なんてものじゃない。叫びだった。
「
人間にはとても為しえない様な、天国で口ずさむ優しい何かが掌から聞こえる。
しかし至福の音色は、右腕が消失した時の様に回復を齎さなかった。
胸にぽっかりと開いた穴を、埋めつくすことは出来ない。
それを見て、何度も唄を狂ったように唱えるが、トゥルーの絶望めいた表情が変わることは無かった。
それよりトゥルー、裸なんだよ。
何か隠すもの……。
「とりあえずローブ着なよ、ほら」
俺がローブを脱ぐと、トゥルーはまるで手足でも捥ぎ取られたかのように、一層絶望の色を濃くした。
レアルは後ろで最早言葉を発する事も出来ず、その場に座り込んでしまった。
どうやらローブで隠れていた胸の穴が強調されたからみたいだ。
「私の事……どうでもいいから……」
「俺にとってはトゥルーの裸が晒されてる方がいやだ」
そう言ってローブを無理矢理トゥルーに着せていると、横から声があった。
「無駄だ。天使が唄によって破壊したものは、魔術でも、
明らかにトゥルーに心が戻り、目論見が失敗したにも関わらず、無念の一言も無いエイトハンドレッドだった。
「やっぱり……これ、私が……!」
「いいや。やったのはお前だ。エイトハンドレッド」
俺はまだ動ける。死んだらレアルに何とかしてもらうしかなかったが、まだ生きている。
折角生きているなら。
もう二度とこんな悲劇を繰り返さない様に、ここで仕留めよう。
テルースの仇を取って、過去にも決着を付けよう。
トゥルーを二度と狙わない様、絶望の未来に終止符を打とう。
未来はまだ分からないけれど、復讐を遂げることは出来る。
ぽたぽた、と血の足跡を床に付けながら俺はエイトハンドレッドに静かに歩いていく。
「後片付けだ。エイトハンドレッド」
「結末か。こちらも詰んだ」
そう思って怒りを向けた矛先で、エイトハンドレッドは相変わらずのすまし顔で俺を見ていた。
とてもこれから殺されるなんて、微塵も思っていない顔だった。
かといって隠し玉があった訳でもなく。
俺はエイトハンドレッドと一つだけ対話をして、怪物の食事の様に頭を潰したのだった。
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