第34話  「だから俺は、今から怪物になってきます」

 二つの手書きの文字が、俺の涙で滲む。

 紙の中に封じ込められたこの時の彼女達に会いたくて、しょうがないんだ。

 俺が体の一部の様に彼女達の事を考えていたのと同じ様に。

 彼女達も、こんな俺の事を体の一部のように考えてくれていた。

 現実と真実の狭間で、こんな嘘みたいな男を愛してくれていた。


 気づくのが遅すぎた。


 だけど、『ありがとう』なんて言葉も、『愛してる』なんて言葉も言えない。

 今、俺とこの手紙の中に記憶にしか彼女達はいない。


 冒険者ギルドに行っても。

 病院に行っても。

 プリンスの店に行っても。

 マーがレッドアイスの店に行っても。

 

 どこに行っても、まるで昨日の楽しかった一時はエイプリルフールの盛大な嘘であったかのように。

 トゥルーも、レアルも影も形もいなくなっていた。

 

 昔から、かくれんぼは苦手だった。

 隠れた相手を探し出すのは、俺が最も苦手な事だった。

 

 でも、昨日あれだけ俺に人間として触れてくれた二人さえ、俺は見つけることは出来ない。

 

 犯人は分かっている。

 髑髏の天秤は、とっくにトゥルーの在処に気付いていたんだ。

 今まで動いてなかったからって、自分がいたからってなんで油断していたんだ。

 

 半月後だろう!? 絶望の未来は。

 奴らがこんな強硬策に出る事くらい想像していた筈だ。

 俺はまた――繰り返すのか。

 

「落ち着きなさい、ライ君」


 冒険者ギルドで蹲っていた俺に、イリーナさんは声をかけてきた。

 ビートルさんや、プリンスさんも昨日とは裏腹の心配そうな声で気にかけてくれる。

 彼らに当たっても仕方ない。俺は彼らに頼るしかない。

 一人じゃ何もできない。今も昔も。

 

「俺は、俺は冷静だ……」


 そう言い聞かせながら、後ろの壁に崩れるように寄り掛かった


「暴れ散らかしたって何にもならない。考えるんだ。考えるんだ。考えるんだ……」


「暴れないだけマシよ。でも今から聞く言葉を聞いて安心なさい」


 俺はプリンスさんから、情報を聞いた。

 プリンスさん自身も、昨日髑髏の天秤で捉えた人間から聞いた事だったらしい。

 どうやら髑髏の天秤の副頭領である“パチ”は催眠魔術の使い手だったようだ。

 更には気配遮断能力も持った生粋の諜報係である事から、屋敷内に潜入してレアルを洗脳し、油断したトゥルーを連れ去った――というところだろうと推測を受けた。

 

 だとすれば、今二人がいる所は場所の割れている支部とは考えにくい。

 勿論レアルの親父さんであるアドラメレークは全兵士を今判明している支部に向かわせているが、全てもぬけの殻だろう。

 天使程のウルトラレアの商品は、未だ場所が割れていない本部に置くのが常套手段だ。

 

「プリンスさん。その人、本部についても知ってますかね」


「ええ。知っていると思うわ。でも口の堅いというか、組織からの報復を恐れているというか、もう少しで吐き出してくれそうで全然吐き出してくれないのよ」


 だが、蜘蛛の糸はそいつが持っている。

 そうやって捉えても間違いなさそうだ。


「……イリーナさん」


 昔、テルースを失った時の心が冷めていく感覚。

 久しぶり、と哀しく心の中で告げながらイリーナさんに尋ねた。


「ハサミ、持ってますか」


「ええ……まあ、あるけど」


「出来れば何でも切れそうなやつで、お願いします」


「いいけど……何に使うのよ」


 イリーナさんからハサミを受け取る。

 確かに人間の指でもよく切れそうななハサミだ。


「プリンスさん、そいつの下に案内してくれますか」


 プリンスさんとビートルさんに連れられたのは、とある建物の地下室にある独房。

 ってこの前俺が捕まえた黒衣の男の一人じゃないか。

 

「久しぶりだな」


 狼の覆面を被っていた為に、男は狼狽えながら俺の事を思い出した。

 

「お、狼少年……!」


「本部の居場所について知ってるそうだな」


「し、知らないと言っているだろう……」


 目を右に逸らしながら、あくまで知らぬ存ぜぬを押し通すつもりらしい。

 そんな屑に、俺は納得するように言ってみた。


「やっぱりな。知ってるのか」


 訝し気な表情になる男。

 

「嘘をつくとき人間は右に目を逸らす。左は過去を思い出す為に、右は未来という何もない仮想を思い出す時に見るからだ」


「そ、そんな事……!」


「だから嘘をついても分かる。俺もよく嘘をつくから、心理状態は知ってる」


 ああ、ただの嘘だ。

 この男を揺さぶる為の嘘だ。

 だが俺も反応で分かる。プリンスさんが重要情報を握っていると判断した理由も分かる。

 

「プリンスさん、ビートルさん。ここから先は人間には耐えがたい光景になります」


 俺は振り返って、昨日の二人の笑顔を思い出す。それを汚したくない。

 

「せめて回れ右をして、耳を塞いでいる事をお勧めします」


「何をする気だ」


 ビートルさんの制止も効かず、俺はあらかじめ用意していたハサミを持ってきた。


「なあ、ハサミで指を真っ二つに出来るって知ってるか」


 カン、と腕置きに置かれた男の小指にハサミを開いた状態で挟んだ。


「いいっ!?」


 勿論まだ斬り落としていない。

 だが既に小指の皮膚に刃が入り込んで、微かに血が出てきている。


「待て!? そんな拷問みたいな方法は……!」


「倫理じゃ人は守れない……道徳は何も救ってくれない」


 ビートルさんがプリンスさんが止めようとする通り、今やっている事は人道に反している。

 だから何だ。

 人道を、規律を、秩序を守って二人が救えるなら幾らでもルールに沿ってやる。 

 だがこれはゲームじゃない。

 このままでは最悪の未来が待ち受けるという真実に晒された、現実だ。


「だから倫理と道徳から人間が解き放たれたらどうなるか、地獄を見せてやる、なぁ」


「ひぃっ!?」


 ハサミに少しだけ力を加えてみる。

 男の顔が干乾びて、青ざめていくのが分かる。まるで拷問されている哀れな奴みたいじゃないか。

 同情はしないけど。


「喋る? 楽になる?」


「……!」


「一回試してみるか」


 ハサミが進む。


「あっ……」


「死よりも辛いことは世の中に幾らでもある。お前も闇ギルドの端くれなら朝飯前に覚悟してる事だ」


「た、たた、助けて……」


「あんたが喋らないなら直ぐに指を斬り落とす。次は何がいいかな。まあその次はその後考えるけど、生まれてきてごめんなさいって言うくらいの誕生罪を償う事になる。さあ、どうする?」





 俺はビートルさんとプリンスさんに、血を拭ったハサミを返した。

 この血のついていないハサミを、イリーナさんに返してほしかったからだ。

 

「場所は割れました。僕はいきます。ビートルさんは念の為、別の支部を洗ってください」


「……結局、斬り落とさなかったんだな」


 ビートルさんは振り返る。

 結局少しの傷で失禁していた男を、安心したような表情をとっていた。

 

「拷問なんて、気持ちのいいものじゃないですから。案外口が軽くてよかった」


「喋らなかったらどうする気だったの」


 プリンスさんの質問に、当然の反応で返す。

 

「手を汚すしかないに決まっているじゃないですか」


「……その手で、彼女達を抱きしめるつもりなの?」


 まるでスプラッタ作品の悪党にでもなったような掌で。

 傷つける事しか知らなくなった掌で、抱きしめるつもりなの、と。

 プリンスさんは、忠告してくれた。


「……いいえ」


 俺は答えられなかった。

 そんな手で彼女達を抱きしめたくなかったし、そんな顔で彼女達に会いたくなかった。

 でももう立ち止まれない。

 時間は進んでいる。腕時計の時は進んでいる。

 絶望の未来に、近づきつつある。

 

「でも俺は、トゥルーとレアルがもう僕の全てなんです。手を汚して二度と会えなくなったとしても、命を捨てたとしても俺は、その選択をします」


 その結果、彼女達に嫌われようとも。

 だって二人はもう、俺の全てだから。

 あんな未来を嘘にする為に、否定する為に。


「だから俺は、今から怪物になってきます」

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