第32話 愛して愛されて、そして、そして、そして
両親が死ぬ前、こんな風に皆から祝福されていたっけ。
テルースが死ぬ前、こんな風に皆から拍手を送られていたっけ。
俺はそんな過去を回想しながら、蝋燭の灯を消した。
レアル家での食事は、俺が味覚障害でも少しでも楽しめる様にと、香りや匂いが良く突いた食べ物ばかり食べていた。
流石令嬢だけあって、質のいいものだったけれど、今日のそれは久々に極上の感じがした。
相変わらず俺の舌は麻痺しているけれど、鼻腔や口内の神経を擽る様な、玩具の様な味だった。
「そんなライに、プレゼントという奴なのですよ」
トゥルーとライが俺に渡してきたのは、腕時計だった。
革製で、多少の衝撃で壊れない様なベルトを付けた、時を刻む絡繰りだった。
「……へぇ、腕時計。凄い良さそうだな」
「あなたが腕時計を付けているの、見たことないですから。男子には今はやりのファッションアイテムなのですよ」
「私達で考えたんだ。ライお兄さんが戦わない時にこそ役立つアイテムってなんだろうって思って」
嬉しかった。
確かに都市の男子の様にファッションをしたことは無かったし、そんなものは無縁だと思っていた。
テルースが死んだ日から、俺には普通の毎日は許されないと思っていた。
許されないと思いながら、毎日の様に斬られて焼かれて砕かれて、そして回復の毎日だった。
エルーシャを超える最強の戦士になる為に。エルーシャの横で、二度と失われない様に。
そんな人形だった毎日にとって、二度と訪れない空間だと俺は思っていた。
それが世界の約束だと思っていた。
「ありがとう、大事にする」
腕時計の時間を直し、セットすると時を刻み始める。
腕に巻き付いた時計を何度も腕を返しながら、見つめる。
「似合ってるよ……!」
「そりゃ当然です。私が選んだのですから」
「レアルお姉さん、私が最初に見つけたんだよ!?」
「判断したのは私です」
二人の些細な喧嘩に周りの参加者たちが楽しそうに笑う。
「そういえば腕時計の箱に、手紙が二つ入っていたけどこの手紙は?」
箱の底に、封筒に入った手紙が二枚。
その存在を示唆すると、反射神経をフルに働かせたかのようにレアルとトゥルーが慌てふためいてその手紙を押さえつける。
「こ、ここ、ここで開けられると恥ずかしいから、後で、後にして!」
「ばかばか、ばかばかなのですよ! そういうのは後で一人になってから読むものなんですよ!」
「お、おう……」
やけに眼を泳がせる二人の言う通り、再び箱にしまう。
やがて楽しい時間は早く過ぎるという約束通り、イリーナさんもビートルさんもプリンスさんも帰り、さっきまでの宴会が嘘だったかのように静かになった庭に、俺は座り込んでいた。
嵐の様に過ぎ去ってしまった魔法の時間を回想しながら、俺は彼女達から受け取った腕時計を見る。
何度も腕時計を見ながら。
何度見ても、秒針を確かに刻んでいく盤を見ながら。
俺はもう、何も考えられなくなっていた。
「……相当気に入ってくれたんだね。ライお兄さん」
隣でトゥルーが座って、嬉しそうに話す。
「……誕生日なんて祝ってもらえないと思っていたんだ。こんないいプレゼント、貰えないと思ってた。おめでとう何て二度と言われないと思っていた」
「そんなの、何度だって言ってやりますよ」
レアルが仁王立ちして、豪語していた。
「家族みたいなものでしょう。私達」
「……そうだな、レアルお姉さん」
「……!」
顔を真っ赤にして、初等部の子供が恋愛を覚えたかのように挙動不審になりながら俺の隣に座る。
「と、とにかく……ここにいる限り。モルタヴァにいる限り。私達はこうやって『おめでとう』とか『ありがとう』とか言いながら明日へ続いていくんです」
今あなたに差し上げた、腕時計のようにね。と付け加えてくれる。
「皆、あなたに最強の怪物として生きてほしい訳じゃないんです。一人の人間として、一緒にいてほしいんです」
俺の左腕を掴んで、お願いをするレアル。
「ライお兄さんが、ライお兄さんらしくあって欲しい……本当のライお兄さんを見つけるまで、私はこうやって何度でも受け止めるよ」
俺の右腕を抱きしめて、トゥルー。
だから、と。
せーの、と呼吸を合わせて。
二人はそっと、俺に言った。
「お誕生日、おめでとう」
また、水が滴っている。
血かな。いや、昨日浴びた様なシャワーかな。それとも雨かな。
「ライお兄さん……泣いてる?」
「えっ」
正体は、もう二年前に枯れ果てた筈の涙だった。
テルースを失った時に失った筈の、涙だった。
「なん、で」
「あなたが一つの生命だからですよ。男だから泣くななんてとんでもない」
「やっとライお兄さんが泣くところ、見れた……」
泣き顔を見られたくなくて、思わず顔を隠す。
しかし少女たちの手は俺の両腕から離れず、涙で腫れているであろう眼を覗き込んできやがる。
やめてくれ。恥ずかしい。
久々過ぎて、俺は何をしたらいいのか分からないんだ。
っていうか、なんで泣いてんだよ、俺。
さっきから皆の笑顔が広がっているだけなのに、なんで泣いているんだよ。
イリーナさんの綺麗な笑顔、ビートルさんの励ますような笑顔、プリンスさんのちょっと不気味な笑顔。
トゥルーとレアルの、今俺の前にある天国のような笑顔。
ただそれが、じわっと舌に広がる極上の美味の様に広がっているだけなのに。
嬉しい。そんな当たり前の感情を抱いているだけなのに。
「……いいんだよ。私、ライお兄さんの色んな事、見たい。受け止めなきゃいけない所は受け止める」
トゥルーは後ろから抱き着いて、まるで一度背負った時の様に顔を横に持ってくる。
「だからずっと、そばにいる。この手を離さない」
「トゥルーばかりずるいのですよ」
俺の胸を背もたれにするように、レアルの小さな体が滑り込んでいた。
「正直私、今日ずっとあなたの事でいっぱいだったんですから」
「……良かったね。ライお兄さんはもう、一人じゃないんだよ」
「……だけど俺はまたお前達の為に傷つく。お前達がそうやってそばにいるなら、俺はお前らの代わりに傷つく」
「だったら、私達が何度だって死の淵から引き上げる……三人で、みんなで生きる方法を探し続ける」
「そうです。あなたが傷つくのは分かりました。ならその分私達だって無茶します」
「…………」
そんな風に暫く俺は、二人の愛するべき少女達に抱きしめられながら、夜を過ごした。
まるで止まった時計がようやく動き出したかのように、二人の少女を俺は何度も抱きしめた。
家族として。仲間として。愛するべき誰かとして。
俺は久々に、人間って奴に慣れた気がする。
最後は、二人と手をつなぎながら部屋まで行って、そして眠りについた。
そして眼を覚ました朝。
トゥルーとレアルが、本当にいなくなった。
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