第30話 それでも狼少年が、冷酷な理由

 俺はその後、シャワーを浴びながら体の匂いを嗅いでいた。

 俺は味覚を失ったが、嗅覚は生きている。

 ……洗っても、最近血の臭いが消えなくなったように感じる。

 血生臭さが、当たり前になった気がする。

 誰か親しい人と話している時じゃないと、俺は怪物になった様なふわふわした世界にいるように見える。

 

 だが、怪物になっても立ち止まる事は許されない。

 龍王から見せられた未来を思い出せば、猶更。

 トゥルーが古代伝承通りの破壊者として、非業を成し遂げる未来を嘘にする為に。

 レアルが愛したモルタヴァが、一瞬に灰燼に帰す前に。

 

 この帰る家になった屋敷で、トゥルーとレアルという大事な人と過ごす日常を奪われないために。

 そんな日常が、一瞬の躊躇で奪われる事を俺は知っている。

 

 俺はシャワーを止めた後も、ぽたぽたと滴の様に落ちる水滴を目で追う。

 テルースが死んだ時、彼女の血と、初めて殺した人間の血でこうしてポタポタと垂れていたっけ。

 

 テルースが死んだと同時、俺は人間を辞めた。

 初めて人間を殺すことによって。

 

 そして、妹を失った痛みによって学んだ。

 容赦なく殺す時に殺さなければ、誰も救えないし、誰も守れない。

 だから妹は――テルースは死んだ。

 

 トゥルーの様な、優しい妹の様な存在だった。

 いつも奥手で、でも誰よりも優しくて、誰よりも眩しかった、俺のもういない家族。

 

 

「ライお兄さん!?」


 浴場の外から呼びかけがあって、はっと俺は自分を取り戻す。

 勿論浴場の中に入っている訳ではない。

 

「ずっとシャワー浴びてたから……どうしたのかな、って思って」


「ああ、悪い。ちょっと考え事をしていた」


 俺がそういいながら、シャワーを元に戻していると言葉があった。

 

「ライお兄さん、もし襲い掛かってきた悪人でも殺さなくてもいいと分かってるなら……どうしてました?」


 突然あった質問に、俺は裸のまま扉一枚隔てたトゥルーに答えた。

 もし殺さなくてもいいなら。殺さなくても、トゥルーとレアルに危害が及ばないなら。

 

「……分かっているなら、殺しはしない。多分」


「うん。だってライお兄さんは優しいから、きっとそう答えると思った」


「でも、それが分からないから怖くて俺は殺す」


「……」


 沈黙させてしまったようなので、俺は一つ昔話をした。

 

「昔々あるところに、お前を守ってやると嘘をついていた少年と、花のように優しくてきれいな少女がいました」


「どうしたの? 急に」


「少年と少女のもとに、闇ギルドがやってきました。彼らはなんと、二人を殺そうとしていたのです」


「うん……」


「運よく少年は闇ギルドの人間をあと一歩という所まで追い詰めました。しかし頭の中では、この男は死なない限り俺達を殺しに来る。それが分かっていたのです」


 俺は相変わらず水滴野垂れる髪の毛を擦りながら、続ける。

 

「それでも少年は躊躇してしまいました。結果、男は形勢逆転し、守ると約束していた少女は殺されてしまいました」


 俺はドア越しまで近づき、ドアの向こうにいるトゥルーに読み聞かせるように話した。

 

「少年は怒りで初めて男を殺しました。俺があの時、男を殺していれば。そう後悔しながら……」


「……それはライお兄さんの昔話?」


「さあね」


 俺は肝心なところで恍けて見せたが、ドアの向こうからは静かで辛い声が聞こえた。

 

「タオル、置いて行くね」


「トゥルー」


 去ろうとしたトゥルーに、声をかけてみる。ドア越しでも足を止めたのが分かる。

 

「それでも、人を殺さない世界が、一番幸せだよな。トゥルーはどうか、その世界にいてくれ」


「……」


 トゥルーはいなくなった。

 ドアの向こうには、着替えとタオルしかなかった。

 人殺しの言い訳しかしない男には、これくらいが丁度いい。

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