第10話 お願いだから死なないで生きていてお願い生きてさえいればそれでいいからさ

 一見、最強の種族であるように見える天使だが弱点はある。

 基本的にどの魔術も、少し溜めが必要になるのだ。

 だから速度を持つ魔物に集団で襲われると、魔術が間に合わず太刀打ちが出来ない。

 その弱点があったからこそ、かつて人間に敗れて古代の支配を為しえなかったのだ。

 

 だから拠点でトゥルーには索敵を担当させていた。

 少しでも気配があれば、狼煙を打ち上げさせるようにしていた筈だ。

 

 なのに。

 どうして。


「拠点が……」


 目印の旗が、根こそぎ折られている。

 明らかに力のある魔物の仕業だ。

 同時に血痕があった。

 人間と同じく紅い、天使の血だった。

 

「……」


 俺はそもそも何をしていた?

 何で狼煙が上がらないからって、もっとよく拠点を凝視しなかった?

 ここは立ち入り禁止の安全地帯なんかじゃないんだぞ。


 トゥルー。

 どこにいるんだ、トゥルー。

 どう考えても魔物に襲われている。

 トゥルーは俺と違って、簡単に裂けて折れる体なんだ。

 

 待ってくれ。

 時間よ、もう一回戻ってくれ。

 お願いだから、もう間違えたくないから。

 嘘であってほしいと思うのは、もう嫌なんだ。

 

「落ち着きなさい! ライ君!」


 両肩を平手が叩く。

 俺は止まりそうになっていた息を取り戻しながら、真っすぐ見つめるレアルの眼に焦点を当てた。

 

「血痕の量を見てもそう深手じゃない! 見て! 足跡がちゃんと残ってるじゃないですか!」


「……!」


 二つの足跡。

 トゥルーが逃げた足跡と、トゥルーのそれよりも大きな獣の足跡だ。

 

「追いますよ!」


「ああ……!」


 足跡を走って辿っていると、すぐに物音が耳に入った。

 反射的にそっちの方向を見る。

 

 左肩を抑えながら逃げているトゥルー。

 狼に食い殺されそうになっている、兎の恐怖する顔をしていた。彼女の目線には人間を軽く踏み潰せそうなサイズの銀の狼が入っていた。

 

「トゥルー!」


「お兄さん!」


 脚力を最大限発揮し、一気にトゥルーの前に出た。

 生きてる。左肩から流している以外は無事だ。

 

 代わりに、巨大な狼の顎が俺の右肩を喰らいついた。

 ワーウルフとは比べ物にならない強靭な顎で、俺の肉体に牙がめり込む。

 返り血が、トゥルーの綺麗な顔を悲嘆へ彩る。


「お兄……さん」


 深手に見えたのだろうか。

 そんな彼女をまず安心させたくて、精一杯の笑顔を一回送る。

 

「俺なら大丈夫だ。痛くないから」


「……でも」


「話はちょっと待っててくれ」


 俺は右腕で狼の牙を引き抜くと、そのまま遠くの木へ投げ飛ばす。

 改めて見ると銀色の体毛に包まれた、人間の二倍は全長としてありそうな巨大な狼の魔物だ。

 冒険者ギルドの依頼書で見かけた記憶もある。

 

「フェンリル……!? Sランクの魔物ですよ!?」


 思い出した。

 狼型の魔物の中でも最強を誇る魔物、フェンリル。

 

「大方ミノタウロスの増援として龍王が差し向けてきたって所でしょうか」


 Sランクだけあって、木に叩きつけた程度ではよろけて立ち上がってくる。

 

「なんで狼煙を上げなかったんですか!?」


「……ごめんなさい」


 左肩を抑えながら、申し訳なさそうに目を伏せるトゥルー。

 何となく理由を察しているが、それをあれこれ言いあっている時間は無い。

 

「レアル。トゥルーを頼んだ」


 トゥルーが傷つけられた箇所と同じ、左肩の周りについた歯形が丁度消えた所だった。

 ようやく左肩が自由に動く。

 

「よくもトゥルーをいじめてくれたな」

 

 言い終わった時には、想像以上の速度で俺へ突進してきた。

 神格化さえされている最強の狼。神速とはこの事を言うのだろう。

 そして大きく開いた顎が、俺の前面を覆う。

 

「警告はしない」


 上顎の前歯を、左手で支える。

 半分突き刺さったその左手で、鼻も握り締める。

 身動きが取れなくなったフェンリルが下顎を閉じる前に、隙だらけの腹を思いっきり蹴り上げた。

 

 しかし全力でやったが、まだ息がある。空中に放り出されたフェンリルを見て確信した。

 流石はSランク指定という所か。

 だから俺も全力で跳んで、フェンリルの上に乗っかる。

 右腕を思いっきり引いて、着地と同時に放つために備える。

 

 肉体能力SSだっていうのなら。

 Sランクくらい、何とかして見せろ。

 大事な女の子を、二度と失うな。

 

「死ね」


 全力全開、全身全霊の一撃。

 着地と同時にフェンリルの頭蓋に放った拳が、地面に亀裂を走らせた。

 あまりにやりすぎたのか、俺の右腕のあちこちが折れた気がしたが、それも直ぐに自然治癒する。

 頭蓋が完全に割れたフェンリルは、さっきのレアル曰く美しくない倒され方で永遠に横たわる事になった。

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