第7話 「じゃあ、沢山泣いて。そうしたら無理しなくても笑えるから」
格安にしては、とても良い宿泊施設だ。
今日一日の疲れを取り戻すには、十分な環境だ。
勿論肉親を失い、あまつさえ自らの体に値札が付きそうになったトゥルーの心を癒せるかとまで言われれば、自信はないが。
トゥルーは結局俺の腕にしがみついたまま、夕暮れの帰路を歩いていた。
まるで人間の視線そのものが、彼女には毒の様に見えたのだろう。
「ライお兄さん……、ごめんなさい。ずっと腕を借りちゃって……」
「固くて気持ち悪くなかった?」
自嘲交じりに、緊張するトゥルーを解そうと冗談を言ってみる。人間辞めた腕の感想を聞いてみた。
「そんな事なかった、です」
「でも冒険者ギルドに保護してもらうって事も出来たけれど、本当に俺と一緒で良かったのか?」
「うん……ライお兄さん……いっぱい、傷つけちゃったから……何かお詫び、したくて……」
目を泳がせながら、手探りで揃えた言葉を口にしたトゥルー。
彼女の眼には、外の世界への恐怖があった。
「それに、変だけど、ライお兄さんの近くがいい……」
言葉を覚えたての子供の様に話された言葉に、正直心が解けた。
まあ、懐かれたとポジティブにとらえよう。
「お手伝い何でもするから、暫く近くにおいてください……」
「分かった。じゃあ料理一緒にして貰おうかな」
それから俺達は台所で、途中で買ってきた食材を並べた。
魔物を狩るようにではなく、感謝するように切って焼いて煮て、美味く出来た料理をテーブルに並べる。
エルーシャがいた頃は、全てエルーシャが作ってたっけな。
「食事が、体を作る」
「……?」
「いやね、昔幼馴染がそんな事を言っていたのを思い出してね」
だけど俺の体を作ったのは栄養の吸収ではなく、肉体の破壊だった訳だ。
何とも皮肉な話だよね。
しかも化物の体を作っていたんだから。
「ほら、食べて」
「……美味しい」
「それは良かった」
「ライお兄さんはどうですか?」
「俺はね、ちょっと味が分からないんだ」
「味が分からない……?」
「でも料理は好きでさ。よかった、トゥルーが美味しいって言うなら」
それは何もギルドでステータスを測ったから分かった事じゃない。
一年前、過酷な地獄の日々の中で気付いたことだ。
パンが、ただのスポンジにしか感じなくなったのだ。
そんな味覚障害を抱えたあの日から、俺の体は人間の枠をはみ出し始めたのかもしれない。
エルーシャの修業が、人間を鍛えるためじゃなくて、化物を傷つけるものになったのかもしれない。
物憂げな表情をさせてしまった。
「気にしないで。ほら、食べな。冷めるぞ?」
「は、はい……」
それから俺達は色んなことを話した。
なるべくこちらから話を振ってあげた。
そうした方が、少しずつご両親の死から離してあげられると思ったからだ。
これからの事。
最初は俺が依頼でいない時に、天使という宝箱として狙われるトゥルーをどうするか。
俺は最初、イリーナさんの所に預けようかと思っていた。
「わ、私……頑張って役に立ちますから……!」
って提案すると、まるで親離れできない子のように泣きつかれてギブアップだった。
そもそも天使である時点で、戦闘力の素養が段違いなのだ。
人間を超越する魔力。そしてあらゆる奇跡を起こす“唄”。
寧ろ俺から御同行を本来お願いしたいくらいの逸材だ。
けれど、ついさっきまで奴隷になりかけていたこの天使を、危険な目には合わせたくなかった。
「分かった。じゃあ二人でパーティーだね」
……それに、俺も近くに置いてちゃんと見てあげたい。
また髑髏の天秤のような卑劣な屑達から、守ってあげるために。
「私、お兄さんの役に立ちます……!」
「うん。ありがとう」
俺はそんな彼女が、どこか愛おしく感じられた。
絶対に今度こそ死なせない。
彼女が死ぬくらいなら、俺の眼でも内臓でも売ってやるってくらいに。
それから暫くして、トゥルーは水魔導器室……通称シャワー室に入っていた。
俺が一息ついて皿を洗った後で、シャワーが長い事に気付く。
更には甲高い水滴が叩きつける音の中に、別の水の音がした。
女の子がすすり泣く、胸が痛む声だった。
ここまでずっと、時折見せてきた笑顔が少し造られていたことに、やっと俺は気付いた。
ずっと一緒にいた誰かがいなくなるのは、自分の一部が喪失したようで。
そのたびに、人間は脆く出来ているって分かる。
心臓を貫かれた程度で死んでしまう肉体も、肉親がいなくなった程度で死にたくなる心も。
トゥルーは両親と一緒に王国の最果てに、生まれてから14年間住んでいたらしい。
人の往来が少ない場所で、自然と一緒に育ってきたらしい。
その自然ごと、住処ごと、両親ごと、燃やされてしまったらしい。
「長くなってごめんなさい」
シャワー室から声。
その下には何も身に着けていないし、バスローブを着慣れなれていないのか、素肌が見えていた。
人によっては、あどけなさとは対照的に綺麗に刻まれた谷間に飛び込むところかもしれない。
俺には、そんな勇気も、余裕も無かった。
妹の様な少女の涙を見て、そんな所に手を伸ばすような気持ちは浮かばなかった。
代わりに、俺は自然と出てきた言葉を紡ぐ。
「今度、墓を立てにいこう。だからいつか、君の故郷まで案内してくれ」
「……」
「勿論、出来るようになってからでいい。今は、両親の死を思い出しちゃうだろうから」
「ありがとうございます……」
俺もシャワーから出た後、別々の寝床についた。
だが暫くして、後ろにぴと、と何かが張り付いた。
儚くて薄い、天使だった。
もう14歳だ。
異性の背中にくっつく事にも、谷間を見られる事にも羞恥心を覚える年ごろだろう。
結構人間社会から隔離されて生きてきたらしいから、そういった心は芽生えにくいのかもしれないが。
でも14歳だ。
一人で両親の死を受け止めるには、小さすぎる年齢だ。
「ごべん、なざい……」
どうやら天使というのは、感情が高ぶると翼が背中から出てしまうらしい。
灯りの消えた夜闇が、悪魔達の蛮行を思い出させたって所か。
トゥルーよりも大きなその翼は、まさに布団の様にシーツの上に横たわっていた。
「明日には……立ち直っでるがら……お兄ざんに……お兄ざんの仕事に……迷惑がけ、ないから……」
「俺、トゥルーに一個謝らないといけない事がある」
そんな彼女に、俺は一つの昔話をした。
「俺のお父さんとお母さんが死んだのは、俺が3歳の時だった」
「3歳……?」
「だから物心着いた時には、両親はいなかったんだ。それが当たり前だった」
「……だからって、なんでお兄さんが謝るんですか……?」
「まるでトゥルーの気持ちが分かるみたいな事、平然と言っちゃったから」
「私は……嬉しがっだです……」
泣きじゃくった声だった。
嘘じゃない、真実の言葉のように聞こえて少しほっとした。
人間の体温も感じる事が出来ないこの体に、少し温もりが伝染した気がしたからだ。
「……だからフェアじゃない。韜晦はここまでだ。一つ俺の秘密を話すね」
「秘密……?」
「俺は孤児院に入って、二人の女の子と仲良くなった。その二人は姉妹だった」
登場人物の名前は言わない。
エルーシャという姉と、その妹の名前は言わない。
「俺も混じって、家族みたいにずっと過ごしてたんだ」
「……その二人はどうしてるんですか……?」
「姉は物凄い強くなった。世界で最強と言えるくらいに」
「妹さんは……?」
俺は暫くいうべきかどうか迷って。
エルーシャの妹の、最後の笑顔を思い浮かべながら言った。
「とある闇ギルドに、殺された」
「……!」
振り返らずとも、驚き加減は分かる。
トゥルーは嘘が着けない素直な子だって、この一日で分かったから。
「その時に、姉は泣かなかったんだ」
「泣かずに、どうしたんですか?」
「強さを極めて、その闇ギルドを滅ぼした」
「……分かるような気がします」
「姉は泣かず、ずっと怒りに震えていた。俺はそれに寄り添うふりしか出来なかった」
「……寄り添うふり?」
「俺は彼女の前からずっといなくならないと、ずっと家族でいると彼女に誓った」
「優しいね……」
「でもそれは間違いだった」
「どうして?」
「姉の矛先が無くなった怒りは、俺がいなくなることへの恐怖になった」
「……」
「恐怖のまま、俺が殺されない様に、強くなってほしいと願った。最強の姉は、俺を鍛えた」
それが、拷問と地獄の始まりだった。
破壊と創造。
まるで世界の歴史みたいに、俺の体は死ぬほど傷ついて、飽きる程復活した。
そして人間ではなくなった。
「姉は自分も心を傷つけながら、俺を毎日傷つけてた。おかしいって気付いた時には、もう何もかもを取り戻せなかった」
「……だから、お兄さんはここに来たんですか」
「ああ。昔の様には戻れず、逃げ出してきたんだ。家族として一緒にいるという誓いに、嘘をついて」
俺は体を反対方向に向けた。
翼に包まれたトゥルーが、一体何の為に泣いていたのかは分からない。
「……でも、お兄さんがお姉さんのそばにいようと思ったのは、家族としての愛があったからだと思います」
愛。
この二年間に、愛はあったのかな。
二年前の始まりには、確かにあった筈だと思うけど。
妹の非業な死で崩れ始めた、砂上の楼閣みたいに。
「そして、愛があったからこそ終止符を打った、と思う……」
違うんだ。トゥルー。
ああするしか、俺達にはもうなかったんだ。
お互いに自分に嘘をつき続けた結果、俺達は人間じゃなくなったんだ。
この話は止めよう。
「……ごめんね。伝えたかったのはそこじゃなかった」
俺は伝えたかった事を、トゥルーに伝える。
「俺達は大事な人を失った時の抗い方を間違えた。それだけは真実だ」
「……うん」
「トゥルーはこの後どうしたい? 素直に答えてみて」
「私は……泣きたいです」
「じゃあ、沢山泣いて。そうしたら無理しなくても笑えるから」
「……笑えるかな」
「ああ。笑えるさ。きっと」
また想像だらけの嘘をつくと、素直に信じてトゥルーは俺に一層深くしがみついた。
「……ごべんなざい、今日だけ……こうしてて、いいでずか?」
俺は頷いた。
大きな泣き声があった。
泣き疲れて眠るまで、涙を流して鼻水を啜っていた。
自分に従って、ひとしきり。
あの時、エルーシャは普通の女の子の様に武器を置いて、泣いていれば良かったんじゃないか。
一緒に泣いて、肯定してあげていれば、いつかは笑えたんじゃないか。
風に揺れる稲穂の様に、柔らかいままの彼女だったら一緒にいれたんじゃないか。
剣のように硬かったから、折れたっきりだったんじゃないか。
そんな俺の後悔が生み出した、アドバイスだ。
「ひどづ……いいでずが……」
その中で、一つだけ質問があった。
「妹さんが、亡くなった時……お兄さんはどうしていたんですか?」
記憶の中にその時の俺を探して、俺は頬を掻きながら窓の外に眼をやった。
「俺は……何もできなかった」
「……?」
「今度話すよ」
結局、俺達は二人揃ってこの体勢のままで眠った。
出会ってまだ一日も経っていないのに、数年来の家族の様に。
そういえばさっきの話の妹の名前だが、テルースという。
名前まで、トゥルーと似ている。
俺がずっと考えていた事。
俺の体が人間を辞めたっていうなら、魔物みたいな体でこの子を守る。
たとえ二度と復活できない傷を受けても、構わない。
今度こそ、妹みたいな存在を嘘にしない。
もう失うのだけは、逃げるのだけは嫌なんだ。
その想いだけは、きっと真実な筈だ。
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