第5話 本当にいい名前の天使だね。

 古代に世界を滅ぼしかけたが故、人々から今でも忌み嫌われている存在がいる。

 逆に背から生み出す翼は、白の中で最も綺麗とされ、鑑賞物として飼われる存在がいる。

 

 それが、天使。

 今目の前で、人間に絶望した少女だ。

 俺も恥ずかしながら、檻一杯に広がる雪の様に綺麗な翼を見上げながら、俺は思わず口走っちまった。

 

「綺麗だ」


「……ライ!」


 だから俺は気付かなかった。

 憤怒で泣き叫ぶ少女の眼前に浮かび上がった、紅の魔法陣に。

 

「消えて……私に近づかないで……!」


 爆炎というより、灼熱の光線。

 古代の世界の終末を、身をもって体験していた。

 だが光線は、まるで躊躇するように俺の右腕を掠める。

 SSランクの肉体すらも焦げ、溶けていく。

 一筋の太陽が消えた後で、しかし俺の体は残酷にも修復する。

 

「……」


 天使は縫い合わされていく俺の右腕を見て、愕然としたのだろうか。

 俺は天使の強力な魔術でも回復してしまうのか。

 

「ごめんね。これが、俺なんだ」


「……あ、あ、ああああああああああああああああああああああ!!」


 その叫び声は、ただの悲鳴じゃない。

 “唄”だ。

 天使の唄はあらゆる奇跡を起こす。

 声がそのまま衝撃波となって、鑢の様に全身を削っていく奇跡を一身に受けていた。

 

「はぁ……はぁ……」


 でも、また回復してしまった。

 もう服はボロボロだったけれど、でも俺は無事だった。

 全身が一瞬真っ赤に染まった事も、数秒後には忘れていた。

 痛くないから。

 痛いのは、彼女の方だから。

 苦しんで、哀しんでいたから。


「どうして、消えてくれないの……消えて……いなくなって……!」


「……」


「人が、殺した……私の家を燃やして……抵抗した私のお母さんとお父さんを……」


 そうか。

 家族を失ったんだ。

 彼女も。


「……そんな仇でも、殺したくないんだね。優しいね、君は」


「えっ」


「だから直接急所は狙わないんでしょ。後ろのビートルさん達は狙わないんでしょ」


 俺の後ろでは、一切の無傷だったビートルさん達がどうしたものか、って顔で動けずにいた。

 灼熱の魔術、天使の衝撃波うた

 俺の心臓にだって、彼らにだって向ける事が出来たのに、この子はしなかった。

 

「俺達は同じだね……俺も、お父さんとお母さんを殺されたんだよ。人に」


「……え?」


 俺は座りながら、村を襲った野盗に殺された親の話をした。

 エルーシャの親ごと殺した、野盗の話だ。

 それから俺とエルーシャと、エルーシャの妹は三人で家族の様に過ごした。


 この子の両親も、良心を持たぬ髑髏の天秤に殺されたんだろう。

 あの時、この子の眼には世界はどう映ったんだろう。

 迂闊に気持ちが分かるなんて言えない。

 でも俺に出来るのは、それくらいだ。

 

「辛かったね……痛かったよね……」


「……」


 俺は無言で、天使の傷塗れの手を握り締めた。

 最初は天使はビクッとしたが、俺の真心が通じたのか、徐々に力が抜けていくのを感じた。

 

「ごめんね。君のお父さんとお母さん、救ってやれなくて」


「……お兄さんの、せいじゃない」


 たどたどしいながらも、手探りで見つけた言葉を天使は俺に向けた。

 そして急に涙目になって、目を伏せて謝罪する。

 

「ごめん、なさい……私、お兄さん、傷つけました……! お兄さん……何も悪く、ないのに……!」


「何のこと?」


 俺は余裕ですっとぼけて見せた。

 だって、本当に痛みなんて感じなかったんだから。

 俺は燃やしたり削ったりしてもダメージにならないし、痛いのなんて慣れているから。

 体が勝手につぎはぎを始めて、つじつまを合わせちゃうから。

 

 どちらかといえば、目の前の少女が。

 遠い思い出の妹によく似た少女が、泣いているのが痛い。

 

「もう、大丈夫だよ。怖かったね」


「……う、うぁぁぁぁぁ」


 この時、エルーシャが最後に見せた涙を思い出した。

 あの日俺達を埋め尽くしていた豪雨を思い出した。

 綺麗で、苦しくなる瞼からの落水。

 俺はひとしきり彼女の頭を撫でると、最後は手を繋いで檻から出た。

 

「ビートルさん。状況説明したいんで、一緒にイリーナさんの所までついてきてくれますか」


「ああ、それはいいが……」


 俺以外にはまだ心を許していないのか、俺に隠れてビートルを見上げている。

 だが、憑りつかれたような憎悪は一切ない。


「大丈夫だ。俺達は無宗教の集団だ。天使がどうとか、考える気はないからな。俺達だって闇ギルドは許せねえ。イリーナだって同じだと思うぜ」


「助かります」

 

 俺にしがみつく天使に、そういえば聞いていなかった事がなかった。

 

「ねえ、そういえば名前は?」


「な、なまえ……? トゥルー」


「そうか。本当にいい名前だね、トゥルー」


 名前を呼ぶと、一層強くしがみ付いてきた。

 まるで妹が帰って来た気分になった。

 俺はビードルさん達と一緒に、このトゥルーを離すことなく冒険者ギルドまで向かった。

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