第2話 いつから俺は人間を辞めていたのだろうか。止めていたのだろうか。病めていたのだろうか。

 エルーシャがいる帝国から、俺は隣の王国まで来ていた。

 若干密入国に近い事をやっているが、エルーシャは救国の剣聖と呼ばれるほどの影響力を持っている。

 帝国にいれば見つかり、また連れ戻される。

 だからこそ、まずは帝国から出る必要があった。

 

「……しかし流石に金も底をついてきた、か」


 村を出て一週間。予め溜めておいた予算も中々悲しい事になっている。

 俺は王国の辺境であるモルタヴァに辿り着いていた。

 村とは真反対の、人間と建造物だらけの騒がしい場所だ。


 この街でライという人間をやり直す。

 これだけの喧騒に溢れた街なら、働き口くらいはあるだろう。

 確か冒険者ギルドがある筈だ。そこで暫くは生計を立てよう。

 

「それにしても初めて見るな、あれが魔物という奴か」


 檻の中に入った白毛に覆われた二足歩行の魔物――ワーウルフが運ばれていくのを見た。何かのイベントで扱われるのだろうか。

 本で見たから知識はあるが、実際に見たことは無い。

 俺に危害が加わったら大変だからと、村に近づく魔物はエルーシャに八つ裂きにされてたからだ。

 

『ガシャン』


 俺が視線を逸らした瞬間、耳障りな音がした。

 もう一度見ると檻を支えていた紐が落ちたのか、檻が割れてワーウルフが自由の身になった。

 

「うわっしまった……!」


「きゃあああああああああああああああああああ」


 千差万別の活気が、満場一致の悲鳴に切り替わった。

 蜘蛛の子を散らす様に逃げ出す市民たちの背中を、立ち向かう兵達の前面を鋭い爪が斬り裂いていく。

 束縛の恨みをはらす様に命を散らかす狼の魔物を目の当たりにして、一週間ぶりに冷や汗をかいた。 

 流石にこれ、逃げないとまずいんじゃないか……?

 

 脳裏に過る選択肢とは裏腹に、俺が立ち止まっていると――尻餅をついている女性がいた。


「た、助けて……!」


 しかし怯え切った女性の顔を見ても躊躇するでもなく、飢えたワーウルフは少女に向かい涎に塗れた顎で覆った。


 だけどその動きが俺にはとても緩慢に見えたので、女性とワーウルフの間に割り込むのは簡単だった。

 そして結果ワーウルフの牙が噛みついたのは、俺の左肩だった。

 見ず知らずだけどこの女性が傷つくよりも、自分が傷ついた方がいいかな、と思った。

 

「ギッ!?」


 しかしワーウルフは直ぐに離れた。

 亀裂の入った牙を晒しながら。

 一方の俺は噛まれた箇所を確認するが、特に傷は深くない。

 エルーシャの剣と比べれば、全然大したことないじゃないか。

 魔物ってこんなものなのか?

 

「あ、あ、あなた……大丈夫なんですか……!?」


「ああ。慣れてるもんで」


 今度はワーウルフは幹の様に太い腕を叩きつけてくる。

 俺も同じく左腕で防ぐ。

 エルーシャが放っていた数々の攻撃と比べれば、蚊に刺された様なものだ。

 ……あれ、こんな程度の力なのか?

 

「ギギッ!?」


 二回りも小さい俺の体が吹き飛ばず、それどころかそれ以上進まない事に狼狽えるワーウルフの声が聞こえる。

 攻撃しなきゃ。でも剣はエルーシャの所に置いてきた。

 殴るしかない。眉間に当てれば怯むかな。

 空いていた右手をビキビキ、と鳴らして拳に変えながら、ワーウルフの真上へ覆いかぶさる。


 そのままワーウルフの顔面を地面へ殴りつける。

 巨大な果物が破裂するような音の後で、俺が立ったのは血の海の上だった。


「……えっ、死んだ?」


 ……あれ、ちょっと待って。今ので死んだのか。

 ワーウルフの顔面は殆ど原型を留めていなかった。


「う、うおおおおおおおおお!」


 正直困惑している俺に掛けられたのは、歓声だった。

 まるで救世の英雄が掛けられるべき、称える声だった。


「Bランクの魔物を……あっさりと……!」

 

「あ、あああ、あなた……何者なの!?」


 後ろにいた女性から向けられていたのは、奇異の眼だった。

 まるで初めてのレアモンスターを見る様な、大きく見開かれた眼だった。

 どうやら魔術も無しに倒せる魔物ではなかったらしい。

 それを一切の素手で、拳骨一発で駆逐出来てしまった事に異端さを覚えられたらしい。

 

「えーと……ライって言います。冒険者ギルド探してて」

 

「冒険者ギルドを探している!? まだその段階……!? じゃあ来なさい!」


「えっ」


「冒険者ギルドを探してるんでしょ!」


 俺に拒否権はなかった。

 そのまま女性に引っ張られるまま、俺は冒険者ギルドに連れてかれた。


 俺はこの時。

 自分の体は一体どうなってしまったんだとか、そんな感情でお腹いっぱいだった。

 正直、どうなってた所で、どうこう言うもんじゃないけれど。


      ■      ■


 村で一番大きかった教会よりも、随分と開けた世界だった。

 どうやらここが冒険者ギルドで、しかも酒場でもあるらしい。

 しかしギョロリ、ピリピリという擬音語が似合う視線を掻い潜りながら連れられた個室。

 二人きりになると、ふぅ、と女性は息をついた。

 

「強引でごめんなさいね、正直ワーウルフを素手で斃せる人、初めて見るから……私も正直心中穏やかじゃないの」


「俺も驚いている。実戦も魔物も初めてで、いきなり頭蓋を潰せるなんて思ってなかったもんで」


「……君、さっきから嘘はついている……ようには見えないわね」


 覗くような目で、顔を近づける。

 美少女は卒業した、美人という感じだ。

 

「自己紹介が遅れたわね。私はここモルタヴァの冒険者ギルドの受付をやっているイリーナよ」


「そうだったのか。助かった。じゃあ冒険者ギルドに登録したいんですけど。受付願えないですか?」


「やる気十分なのはいい事ね。なのだけど、その前に聞きたい事があるの。あなたのステータス値を教えてほしい」


 ステータス値?

 なんだそれ? って顔をしていると鏡映しの様にイリーナさんは疑問符を浮かべてきた。

 

「知らないの!?」


「ああ……済まない。元々かなり田舎に住んでたもので」


「王国の人間なら相当の田舎でも知っているもんだと思ったけど……まあいいわ」


 帝国から逃げてきたっていうと色々外交問題にまで発展しそうだったので、軽く嘘を混ぜた。帝国にはない魔術なんだろう。

 頬を掻きながら適当な言い訳をする俺に、少し諦めた様にイリーナさんも頷く。


「……特定の魔術をあてる事で、その人の強さとか、能力とかが数値化されて分かるの」


「そんな便利なものがあるのか」


「知らないならいいわ。ここで済ませてしまうから」


 イリーナさん曰く、どうやら次の事が数値的に分かるらしい。

 単純な肉体能力。

 剣術等の技巧能力。

 魔術の源となる魔力。

 それ以外に特筆事項があれば、それも分かるらしい。

 ステータスという概念で、強さを図る指針らしく、ギルドの受付としてちゃんとレベルに見合った依頼を紹介するのが彼女たちの仕事だ。

 

「正直ワーウルフを一撃で素手で倒した君のステータス、私も興味があるの……本当は金取るんだけど、サービスしてあげる」


 そう言いながら、イリーナさんは一枚の紙を取り出すと、俺に向かって両手を向けた。

 えんじ色の魔法陣から光が放たれると、俺の体で反射した光が紙へ文字を焼き付けていく。

 紙に書かれた文字が一杯になったところで、イリーナさんはその文字を目で追っていく。

 追っていくうちに……顔が青ざめていく。

 

「……想像はしていたけど、こんな事ってある?」


「いや、何が書いてあるのさ」


 苦笑いしながら、イリーナさんは恐る恐る聞いてきた。


 

「あなた、人間?」



 まるで人の皮を被った怪物を相手にしている様に。


「突然失礼なことを聞くもんだな」


 俺は笑って答えた。

 果たして、何をもって人間かを定義するのか俺には分からないけれど。

 少なくとも俺は今日まで、自分を人間だと思って生きてきた。

 しかし震えるイリーナさんの手が、冗談を言っている訳じゃない事を代弁している。

 

「じゃあ聞くけど、さっきワーウルフに噛まれた肩、どうなってる?」


「噛まれた肩?」


 そういえばイリーナさんを庇ってワーウルフに左肩を噛まれたな。

 痛くないから忘れてたけど、服がボロボロだった。

 しかしその中をイリーナさんと覗いてみると、もう既に傷はなかった。

 

「えっ」


 俺も思わず声を零した。

 噛まれた時点では、確かに浅くとも数個の穴が肩にあったはずなのに。

 

「ここに来るまで回復魔術、使ってないよね?」


「ああ」


 俺は回復魔術なんて使えない。その役目はエルーシャだ。

 

「だとすると、ステータスに書いている通り……“自然治癒”してる」


「自然治癒?」


 ステータスが書かれた紙を見てみた。

 肉体能力の特筆事項の所に書かれた一文が目に入る。

 

『大きな致命傷でない限り、数秒から数十秒で回復する』


 ……初耳だし、初見だ。

 知らない、俺はそんな能力知らない。

 俺は大きく首を横に振った。


「でも、回復魔術も施されていないのに真っ白になってる肩が、何よりの証拠よ」


「そんな事言われても……」


「心当たりはないの?」


「……村で師匠で当たる人間に滅茶苦茶切り刻まれて、そのたびに回復されてはいたけど」


「今サラっと地獄絵図のような事を言ったわね……」


「まあ、一日千回はそんな事を繰り返していた」


「せ、千回!?」


「でも全然魔術も剣術も強くならなかったですけどね……」


 と俺が少し嘘混じりの、しかし本当の事を話すとイリーナは「もしかして……」と頷いて見せた。


「それだけの傷と回復を繰り返している内に、あなたの肉体は変質してしまったのかもしれない」


「変質?」


「例えば体が回復を当たり前だと思って、勝手に自然治癒をする、とか」


 理屈は何となくわかる。

 脳だけでなく、体細胞も魔力回路も学習を繰り返して、人間は進化をする。


 俺の体は、エルーシャから毎日の様に死んでもおかしくない傷と負担に晒されていた為に、一種の限界突破を迎えていた。

 という事で説明がつく。


 エルーシャはどうやらそれを成長と感じていたらしく、俺への攻撃を深めていた。

 そんな負の連鎖と言うべきループの中で、俺の体は生存本能に目覚め、人外の体へと進化していたらしい。

 それはBランクの魔物であるワーウルフすら一撃で葬ってしまう程に。

 噛み傷すら数秒で治癒してしまうくらいに。

 

 副産物とでも呼ぶべきなのかは分かりかねるが、本当に痛みを感じなくなっている訳だ。


「そして肉体能力も、ワーウルフの牙が全く通らないほど超硬質化されている。数値を見るとね」


 肉体能力と書かれた隣の数値を見た。

 桁数がやたら多いが、一体それが何を示すのか分からない。


「その数値は、どうなの?」


「はっきり言うわね。人間辞めてる。過去の文献漁っても、こんな数値を叩きだした人見たことない」


 嘘を言っている様には見えない。

 イリーナが言っている事は本当なのだろう。

 

「はっきり言います。あなたの肉体は人間を既に超越しており、SSランク相当の能力を誇っています」


「SSランク……って」


「最上位ランク」


 別に、信じていない。

 だって毎日、エルーシャ相手に手も足も出なかったんだから。

 俺がSSなら、エルーシャは何だ? SSSSSか?


 だけど、一つだけ引っかかったことがある。

 俺はここしばらく、エルーシャの攻撃を、“本当に痛い”と思っていたのだろうか。

 切り落とされた腕が腐っていく様を、いつしか見慣れていなかったか。

 抉れた肉体に赤い、という印象しか受けていなかったんじゃないか。


 『痛い』と思わなければ、エルーシャにも、もう一人の家族にも申し訳ないと。

 『痛い』と思い込めば、いつか許してくれるんじゃないかと。


 誰に聞いても分からない質問を、ぐるぐると演繹していた。



 それから、俺はイリーナに更に三つの事を言われた。

 一つ。技巧能力は軒並み以下――Cランクであったこと。

 つまり、エルーシャにあれだけしごかれていたけれど、剣術については才能が凡人以下であった為に血にも肉にもならなかったという事だ。

 だから俺は剣で戦うのではなく、そのまま拳で戦った方がいいとの事。


 二つ。SSランクの肉体能力があってもギルドの規約でBランクの依頼からしか出来ないとの事。

 ソロで活動する場合は、そういうルールになっているらしい。

 その際、「いくらSSランクの体を持っているからって、不死身じゃないし、致命傷を受けたら死ぬんだから増長しちゃだめよ。油断して死んだSSランクの冒険者も五万といるんだから」と念を押された。


 三つ。魔力については、また今度もう少しちゃんと調べさせてほしいとの事。

 理由は良く分からない。

 しかしエルーシャの人間卒業コースの鍛錬しこたまやっても、上位魔術師が放つような魔法陣付きの強力魔術を習得する事は敵わなかった。

 正式に出た値を見て、まあそんなもんかと愕然するのがオチだろう。


 この三点を言われた後で、俺はモルタヴァの冒険者ギルドに新規加入した。

 俺の血印が押された資料を見て、イリーナはふっ、と綻ぶ。


「ようこそ。モルタヴァ冒険者ギルドへ」


 その日の内に、俺は受ける依頼を決めた。

 Bランクの依頼であり、モルタヴァ近くの荒野で暴走しているレッドバッファローの集団を討伐する事だった。

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