第7話

[ 【βρυκόλακας -ヴリコラカス- 】7 ]

「別に...何ともないけど」


不思議そうに首を傾げる妹。

引き抜かれたアンプルは空。確実に打ち込まれたはずなのに、妹はそのことを歯牙にもかけていない様子だ。


「だったらお前、脚の傷はどうした!?」

「えっ、傷って?怪我なんかしてなかったでしょ?」

「......」


おかしい。何かがおかしい。

さっきから変だ。


「....兄貴、なんか変だよ」

「......いや、大丈夫。こっちの話だ」


────────────────────


14年前。


俺達兄妹は、最も愛すべき存在を、同時に失った。

俺達は、血魔と人間の混血として生まれていた。

しかし、その能力のほとんどは妹に受け継がれ、俺は血魔である証の黒ずんだ血漿だけが残された。


黒滝 慶一。血液を強酸に変え操作する血魔だった。

そいつに、俺達が家を空けてる間に襲撃された。

家に戻り、俺達は居間に散る赤黒いドロドロと、一人嘲笑うあの男を目にした。


「........」

『やぁ、一足遅いお帰りだねェ君達。ご両親はこの通り。僕が溶かしてしまったよ』


自然と理解できた。この男には太刀打ちできないと。

馬鹿正直に立ち向かったところで、両親の二の舞であると。


『次、君達の番だね』


掌をこちらに向ける黒滝を、横から割り込んだ、剣を握った影が遮った。

その顔は深紅の仮面に隠されていたが、俺達を守ろうとしているのは確かにわかった。

「逃げて」とその影は言った。


頭は憎悪で満ちていたのだが、身体が言うことを聞かない。

恐怖だ。邪魔をするのは、死への恐怖。

それを怒りの雄叫びで振り切った妹が、戦いへ乗り出す。

そして悪意の酸は、標的を切り替えた。


散布された強酸の一滴が、妹の肩に命中した。苦痛に顔を歪めるが構わず拳を振りかぶり、正確に黒滝の顔面を捉える。

それと同時に、その影が黒滝に、銃のようなもので何かを撃ち込むのが見えた。


もろに攻撃を喰らった黒滝は後方へ激しく吹き飛び、窓を突き破って家から飛び出した。

そのまま逃走したのだろう、それから黒滝の姿は見えなかった。


影はこちらへ歩み寄ると、顔を覆っていた仮面を綻ばせ、素顔を見せる。

予想に反して、仮面の裏は美しい女性だった。

彼女は甲原 深怜と名乗り、自身が経営する喫茶店「ロディア」で住まわせてくれるというのだ。


そして彼女は、「お近づきの印に」と妹に、独自に調合したのだという肉体を治癒させる効果があると説明された赤い薬を手渡した。

妹は信用したのか素直にその薬を飲んだ。

すると先程酸の触れた部分はたちどころに治癒してしまった。


俺も同じものを手渡されたのだが、まだ彼女を訝しんでいた俺は飲むふりをして、移動の途中で薬をこっそりと捨てていた。


そして、十数年が経ち、自身の素性を隠してこうして”クローバー”の一員となるまで、俺は彼女の血を摂らずに生きてきた。

転居してしばらくは能力を持たない俺が血を摂取しようと意味がないと信じてきたが、今は疑念だけが頭を支配している。


彼女には何かある。

「直感」がそう俺に告げている。

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