第6話

[ 【βρυκόλακας -ヴリコラカス- 】6 ]

居間の扉を開くと、モスグリーンの燕尾服を身に纏った男が立っていた。

長身痩躯のその男は、こちらを嘲笑っていた。まるで、確実な勝算があるかのように。


『やぁ、久し振りだねェ。ヒバリちゃん』


絢香の歯軋りが聞き取れた。


「ヒバリ、こいつと何か...」

「...うるさいッ!!」


『さァて、吾立くん、君は知らないだろうから教えてあげよう。僕は、ヒバリちゃんの、親の仇なんだ』


「は...?」

「.......」


『彼女がさっきから怒っているのはそのためさ。僕は大義に従っただけなのに、酷い話だよ本当に』


「黙れぇえぇぇえぇッ!!!」


床を蹴り進み、一直線に蹴り入れる。

しかし、男はその脚を軽々と受け止める。

それと同時に、男の手から赤黒い液体が溢れ出てくる。

それは一面に散らばっていた酸と同じ色をしていた。


「ヒバリッ!!ソイツから離れろ!!」


間に合わない。

赤黒い酸が男の手のひらから噴射され、絢香の右足を侵食する。


「ッッ!!??ぅがぁあぁあぁぁあぁッ!!!」


その激しい痛みにもがき、絶叫しながら彼女はのたうち回る。

しかし彼女は這いずりながらも身を翻し、左足で蹴りを放ち男の体勢を崩させる。


男は腰を床に打ち付ける形で倒れる。


俺がやらずに、誰がやる。


殺すんだ、コイツを。


尋常な正気は、どこかの奥底へ引っ込んでいった____。


隼が翼を畳むように、血の羽根が顔を覆っていく。

そしてその羽根は、やがて真っ赤な仮面を形作る。

あの時と同じように、理性と引き換えに。


「グガギギィイィィィ...ギィャェエェエァァアァァァ!!!!」

『ハッ、ハハハッ!!あの女!こんな狂犬を飼っていたとは驚いたぞ!!面白い!本気を出すには不足のない相手だァ!!!』


一直線に、斬りかかる。

問題ない。武器をやられない限り。


『馬鹿正直に突っ込んでくるとは、やはり狂犬!!この女と同じように───』


向けられた掌から、例の酸が噴き出る。

刀を握る腕を守るように避け、酸は自分の胴に浴びさせる。

どうせ治る。片腹などくれてやる覚悟だ。

酸が腹に振りかかり、服、皮膚、続いて筋肉が溶け、骨が見えたところで、逆再生したかのように一瞬にして組織が再生する。


『そうか、君は───』


そうして酸を無理矢理すり抜け、男の頭めがけて刀を振り下ろす。

頭蓋を砕く、固い感触が刀を通じて全身を伝う。

それから、何度も何度も頭に向かって鉄塊を振りかざし続ける。

刀が折れるまで、何度も、何度も。


しばらく殴り続けると、床と天井の酸が消える。

男の頭は既に原型を留めておらず、例え親でもわからないような有り様だった。


そして一頻り潰した後、次の標的は、傍らに倒れる少女へと切り替わった。

理性でセーブしようとしても、そんなものは先程捨ててきてしまったおかげで出来ない。

この可憐な少女を、消したくて堪らない。


次の瞬間、首元に固いものがかかる。


「迎えに来たぞ、絢香」


首をそのまま回され、拳で仮面を砕かれる。

あの夜のように、意識が消え始める。

中途で折れた刀を取り落とし、膝から倒れ込む。


「間に合ったぜ....これでコイツは大人しくなるんだな?」

「......うん」


妹の爛れた脚に目をやる。

見覚えのある傷だ。俺達の間に悔恨を残していった、あの傷だ。


「これは...この死体、黒滝のものか」

「吾立が殺した...残虐に、まるで同じ恨みがあるかのように、徹底的に....」


吾立の身体を肩に抱える。


「吾立....お前って奴は...帰るぞ、肩貸してやる」

「嫌だよ。汗かいてそうだし」

「そうかよ、勝手にしろ」


物言わぬ肉塊と化した、兄妹の仇だった男の死体を見るとさっきの暴走した血魔と同じように肉体が膨張し今にも張り裂けそうになり、皮膚の裏からアンプルが突き出ている。

十中八九、あの自爆だ。


「まずいな、急ぐぞ。自爆だ」

「自爆って...?」

「目的はわからねぇ、だが確実に喰らえばまずいことに───」


死した爆弾は、起爆された。

俺と吾立は遮蔽物にギリギリ滑り込んだために無事だったが、妹はもろにアンプルを数本受けてしまった。


「絢香ッ!!」

「痛っつ....何これ....」


突き刺さったアンプルを疎ましそうに引き抜きながら、妹はよろよろと立ち上がる。


「お前...何ともないのか...?」


確かに中の血液は妹に注入されたはずだ。

いくらなんでも何ともないのはおかしい。

寧ろ先程よりも血色が良く、特筆すべき点は...酸による爛れが完全に治癒している点だ。

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