『ここは平和だった、なのに世界は――――』

 君は、世界というものが実際に崩れ去る光景を、その目に映した事はあるか?


 俺は、何度もある。


 何度も見た。罅割れた大地が切り取られるように崩れ、虚無とでも称せる闇の中に落ちていく光景を。


 枯れ葉が落ちるように、必然のように所々が零れていく光景。


 果てのない世界であり、あれほど無限に広がっていると思っていた海は、断崖から滝が流れるように、世界の果てから零れ落ちていく。


 滅びゆく運命さだめを神によって突き付けられた。


 それを酷く実感する光景を見て、人々は誰もが平等に恐怖し、あるいは狂い、あるいは受け入れ――――――――。


 誰もが絶望していた。既に希望も断たれた。できる事はやりつくした。


 なら、もういいじゃないか。


 ……………世界中の人類という生命は、知恵あるが故に、あるいは弱者であり、心の弱さを持つ者であるが故に。


 誰もがその胸中に死にたくない、終わりたくないという反抗心を抱いていたとしても、これに逆らえる者など、いやしない。


 〝世界の終わり〟


 それは、どうしようもない事象であり、世界の終局を免れる事は出来ないという事実であり……………〝世界〟に存在する全てにとっての、絶望という感情を突き付ける〝崩壊〟である。






◇◇◇






 受け入れる事ができようか。



 断じて、絶望とは享受するものなどではない。



 俺は諦めはしない。



 例え、その先がどんな世界だろうと。



 必ず――――――――。




「〝未来〟を、この身で享受する」






◇◇◇






―――――――ふと、起き上がる。


 背中が痛い。いや、身体中のあちこちの筋肉が凝り固まっているようだ。


 ゴキゴキと、首を回し、腕を回し、全身の筋肉をほぐしていく。


 やはり、瓦礫の上などで寝るものじゃないな。


 気分は最悪。これなら芝生か土の上で眠った方が、幾分かましというもの。


 ………いっその事、魔獣の死体の上で寝るか?


 はっ、死臭の漂う屍の上で、群がるハエに集られながら寝るのか。


 昔を思い出す眠り方だな。上等な毛皮に腐った香水でも吹きかけるか?


 そっちの方がましな気がするな。



 瓦礫の山の上で、俺は背筋を伸ばして目だけを動かし、周囲を見渡す。



 あれほど発展していた文明が、一夜でこうまで変わり果てるか。


 まさか、この世界には魔獣への対抗手段が存在しないとはな。


 あんな鉄筒で魔獣をどうにかできると、本気で思っていたのか?


 世界が違うのだ。当然、理も異なるだろうが……………いや、違うか。


 この世界が、異なる世界に浸食されたからこそ、か。


 ふむ、なるほど……………そう考えれば、あの鉄筒の威力の弱さにも頷ける。


 文献で調べてみれば、あの鉄筒――――〝銃〟といったか?――――は、この世界では主力兵器であったようだし。


 岩を削るだけなら、鍛えた者なら誰でも出来る事だしな。


 ならば、既にこの世界は、世界中の誰も知らない法則が働いていると考えて、概ね間違いないか。


 だが、どうやら世界は異なれど、ある程度の法則は同様であるようだし。


 その限りではないのか?


 ふむ、幸い時間は無限に等しくなったのだ。ここいらで、研究テーマでも決めて、この世界の新たな法則でも研究してみるか…………。



「GRURURU…………」



 唸り声。四足の豹を彷彿とさせる魔獣の群れが、その瞳に殺意を滲ませながら、瓦礫の山に立つ者を睨んでいた。



 ちっ、魔獣か。そうだ。そうだったな。私がここにいるのだから。お前らもここにいてもおかしくない、か。


 そも、ここはお前らの巣であったな?


 ふむ、確かに、私は貴様らにとっては縄張りに侵入した外敵という事になる……。



「はっ―――――獣畜生が、傲慢な。土地は平等に誰のものでもない。各々が勝手に居座っているに過ぎん。ならば、この私も含めて、貴様らは傲慢であるらしい」



 右手を振り上げる。



「だ、が」



 襤褸切れと化した衣服を纏う男―――――――私は、その瞳に獣と同様の殺意を滲ませ、やつらを睨む。



「そんな事はどうでもいい。誰のものでもないなら、貴様らから奪ったとしても良かろう――――――そういう訳だ。選べ。この場からく失せるか、それとも私の喉笛に牙を突き立てるか」



 振り上げた右手を首元まで持っていき、掻き切るような動作をする。


 なんて事ない、挑発だ。やれるものなら、やってみせろという、普通の煽り。


 しかし、それだけで十分、あの魔獣共に伝わったらしい。


 彼らは牙を剝き出しにして、瓦礫の山の麓まで疾駆した。



「で、あろうな」



 至極当然。そも、私は戦争に例えるなら侵略者側。大義名分は彼ら魔獣にある。


 と、ふざけてみたが、大して面白くもなかったな。


 おっと、危ない。



 魔獣の一頭が、私の背中から爪を振り下ろす。私はそれを右にターンする事で避ける。



「腹ががら空きだぞ?」



 爪を振り下ろす動作で固まる魔獣の腹に、私は蹴り上げをご馳走する。明確に、足の甲に骨を砕いた感触が伝わる。ふむ、実体はあり、と。



「GYAッ!?」



 血反吐を吐きながら、魔獣は瓦礫の下へと転がり落ちていく。


 仲間があのような目に遭っているというのに、お前らは薄情なのだな。


 魔獣共は怯む事なく、私に向かって殺意の籠った目で襲い掛かる。



 ターン、ターン、ターン。



 ああ、茶会を思い出す。あの頃は、ひたすら踊りを叩き込まれたものだ。


 ダンスの指導役にはうんざりしていた。厳しく、優しさの欠片もない純粋な指導。できる事なら、このステップを見て貰いたかったな。


 どうだ?あなたの教えはこのような形で役立っているぞ?と。


 魔獣の攻撃は一向に当たらず、私は踊るように避けるばかり。


 だが、避けるだけなのも癪だ。反撃をしようか。


 右にターンして避ける。その回転の勢いを利用して、追撃を仕掛けようとした魔獣の横っ腹を蹴り飛ばす。



「おっと失敬。足癖が悪いものでね」



 怒った怒った。流石に至近距離で仲間がやられるのは気に食わんか。


 殺意の中に憤怒が混ざる。


 ふふ、心地好い。これこそ闘争というものだな。


 だが、私は対等な戦いよりも、蹂躙の方が好きでね?


 それに、私は足癖が悪いのだ。だから、そんなに隙を晒されると――――



「はっはっは、どうした?これでは蹴ってくれとでも言わんばかりじゃないかね?」



 ターン、ステップ、蹴るシュート


 玉転がしでもしている気分だね。


 魔獣共が面白いように吹っ飛ぶ、吹っ飛ぶ。


 同じような事の繰り返しに見えるが、やつらも馬鹿ではない。


 何度かフェイント、死角をついた奇襲を仕掛けるようになった。


 いいね、難易度が上がった。ちょうど簡単すぎてつまらなくなってきた所だ。



「GRUUUUAAAAAAAAA!!!」



「おいおい、少しは落ち着き給えよ。ダンスとは楽しむものだよ?」



 ダンス、ダンス、ダンス。


 一方的な蹂躙。私からの攻撃など反撃の蹴りしかない。


 それに、私は瓦礫の山のてっぺんから、一度も降りていないよ?


 なのに、君達ばかりが退場しているね。


 はっはっは、軟弱な。



「それでも、この一帯を統べる魔獣の群れかね!?」



 魔獣共が一斉に飛び掛かり、襲い掛かる。


 反撃のしようもない。完全に詰みの状況。


 しかし、それをこそ私は待っていた。



「良い感じに密集してくれたね?」



 私は笑みを浮かべる。さぞ邪悪で、醜悪だろう笑みを。


 飛び掛かった魔獣の内、私の顔が見えるものは、その顔に恐怖を浮かべた。


 はは、意外と表情が豊かなのだね。


 私は足場の瓦礫に右手を付ける。


 そして、可愛いペットの名を呼ぶのだ。



「ベティ、餌を用意したぞ?」



 瞬間――――――私を中心として、黒い飛沫が吹き上がる。


 円状に吹き上がった黒い飛沫は、さながら王冠クラウンのようだった。


 魔獣共がぎょっとする。突然、目の前に現れた黒い飛沫に動揺しているようだった。その動揺、見えなくても伝わってくるよ。



「「「「GAッ!!?」」」」



 黒い飛沫が形を変えて、まるで粘液の糸のように、魔獣共の身体を捕える。


 私は笑みを浮かべ続けた。


 粘液の糸のように形を変えた黒い飛沫に捕らわれた魔獣共。


 彼らの末路は決まっている。



「たんとお食べ」



 魔獣を捕える黒い飛沫、それらの全てに、獣の如く〝牙〟が浮かび上がる。


 開くあぎと、放り込まれる魔獣えさ


 骨をも砕き、肉を噛む咀嚼音が、耳朶に響く。


 やがて、全ての魔獣が喰われた時、黒い飛沫は地面に吸い込まれるように姿を消した。


 私は立ち上がる。


 そして周囲を見渡す。



「ふむ、どうやらダンスパーティーはお開きのようだね。おや、ダンスのお礼にここを私に譲るようだ。なら、遠慮なくいただこう」



 空を見上げる。それはどこまでも広がっている青い空。


 ああ、ここはあの世界と違って平和だ。


 多少、歪になって変異したとしても、ここはあの世界よりもずっと良い。



 惜しむらくは文明くらいだが、些細な事だ。



「むしろ、これくらい文明が崩壊している様相の方が、ずっと居心地がいいからね」



 脳裏にかつての世界を思い浮かべて、私は瓦礫の山の上に腰かけた。


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