『彼が死にかけた、あの日の出来事』

 大地から隆起するように現れた新たな大地によって、既存の建物はコンクリートの地面ごとめくれ上がり、そのまま瓦礫の山と化す。


 天空から舞い落ちる木々、あるいは石造りの建造物によって、文明の象徴とも言えるビル群が抉られていく。


 大量の水が地面から溢れ出て、人々は水圧に押し潰されて死に、または現代の建造物が流されていく。


 天空から降り注ぐ大量の水が滝となり、大地に存在するものを例外なく、その大量の水によって叩き、破壊し浸食する。


 都市にいた者、街にいた者、村落にいた者。


 人間か動物かなど問わず、平等に天災に巻き込まれて死んでいく。


 瓦礫に押し潰されたもの。

 木々に挟まれたもの。

 突如として出現した謎の建造物や植物群に呑み込まれたもの。


 生き残ったものは全員、現在起こっている天災を目撃して、悟っていた。


 人の世の終わりを。人が今まで築き上げた文明の崩落を。


 誰かが天に祈りを捧げた。あるいは、存在しない何かに向かって、ひたすら疑問と嘆きの声を叫んだ。



『ああ、なぜです、なぜですか神よ』


『なぜ我らにこのような仕打ちを為さるのですか』



 どこかで女の子がぬいぐるみを抱えて泣いていた。

 ただ、幼さ故に泣くばかりで、母親の助けを求めて、迷子の子どものように当たりを探し回る。


 そのまま少女は、どこからか降って来た岩山に頭を打たれて死んだ。


 子供は恐怖に泣き叫ぶ。大人は混乱した頭で何かから逃げ惑う。老人は何かを悟ってただ死を待ち続ける。



 なんの前触れもなく起こった天災は、人々から細やかな生活を奪うに飽き足らず。


 人々の築き上げた文明そのものを奪い去った。


 続いてやってきた新たな天災。


 それは人々の心を嘲笑う。


 黒い嵐と共にやって来た、あの物語から飛び出して来たかのような化け物は。


 瞬く間に、この世界から人の世を簒奪した。


 逃げ惑う人々。彼らは意思のある天災から必死に逃げる。


 逃げられなかった者は命を奪われる。その身体を蹂躙される。


 生きたまま身体を食われる者もいた。


 


 誰かが、この光景を最後に目の当たりにして、こう呟いた。




「この世の地獄だ」




 間もなく、その者も化け物に身体を食われ、貪られて息絶えた。






◇◇◇






 夜明けを迎えた、世界が終わったあの日の二日目。


 駅の入り口が、見知らぬ誰かの家に塞がれていた。


 唯一、出られそうな窓は瓦礫で塞がっていて、駅構内にいた人々は中に閉じ込められていた。


 誰もが別の出口を探そうと、駅の入り口から去っていく中。

 一人だけ、駅の入り口から、一件屋の窓から出ようとする青年がいた。


 ガシャンッ、と窓が割れる音がして、それから間もなく何か重いものを引きずるような音が、駅の入り口を塞ぐ家の中から響いた。


「・・・・っち、くっ・・・・・おらぁ!!」


 家の内側から、小さな岩山のような瓦礫が押しのけられ、地面を転がる。

 ズシンッと音を立てて、地面を転がった瓦礫が止まった。


  瓦礫が地面に落ちた勢いで、地面の埃が巻き上げられる。灰色の淡い霧の中、ガラスを踏み砕く足音と共に一人の青年が現れた。


「ケホッ、ゲホッ・・・・」


 埃を吸わないように口元を腕で覆い、もう片方の腕で宙を舞う埃を掻き分けるように振るいながら、青年は窓枠を乗り越えて外に出る。


 少し咳き込むが、すぐに落ち着いて朝の日差しを全身に浴びる。


 しかし、そんな事よりも、彼は目の前に飛び込んできた光景に絶句した。




「・・・・・え?」





――――――――それは、何と形容すればいいか。



 幾つもの崩れたビル群と、それに倒れ込むようにして存在する大地。


 辛うじて健在するビルの殆どは、植物に呑み込まれて・・・透明なガラスの窓に数多の緑の植物が這っている。


 住宅地がっただろう所は、一部は湖の底に沈んでいたり、大地に呑み込まれて自然の一部と化していた。


 大きく隆起した山は、都市に似つかわしくない石造りの建造物と同化しており、山の中腹から降り注ぐ滝も相まって、ある種の幻想的な世界を作り出している。



 変わり果てた近代都市、その成れの果てをの当たりにして、青年は眩暈がしたかのように錯覚し、その場に膝から崩れ落ちる。


 自然と、目から涙が零れ落ちた。同時に、よく分からない汗も噴き出した。



「あ、ああ・・・・」



 ただ、青年は自分が何で泣いているのかも分からず、その場で地面に膝をつき、大声で叫んだ。



「ああああああああああああああああああ!!!!???」





・・・

・・・・・

・・・・・・・





 状況を整理するため、あるいは衝撃的な光景を目の当たりにして混乱した頭を鎮めるために、青年は自分が何者なのかを振り返る事にした。



「・・・俺の名前は鏡峰蓮司かがみね れんじ、21歳の大学生。今年になって就職活動を始めて、都心に上京しようと計画を立てていた」


「昨日は都心の生活がどんなものかを下見に来ていて、そのまま企業のインターンシップに行こうとしていた」


「インターンシップを終えて、昼過ぎくらいに電車で帰ろうと駅に入って、それで俺は――――――――」



 その時の光景を思い出し、青年――――――蓮司は口元を抑えて吐き気を堪える。ゆっくりと深呼吸を繰り返し、時間をかけて気持ちを落ち着かせていく。



「すぅ・・・・ふぅ~・・・・すぅ・・・ふぅ~・・・・」



 やがて、数分の時間をかけて、蓮司は気持ちを落ち着かせる。その顔は、僅かに青褪めていて、小さく身体を震わせている。

 蓮司は、記憶を辿って蘇った光景から込み上げてきた様々な感情を抑えることなく、両手で身体を抱いてゆっくりとその時を振り返った。





 駅構内。混乱した人々が恐怖の感情から暴れ出し、喧噪に包まれた昼時の頃。


 多くの人が電車に乗って逃げようと押し掛けて、人の波に呑まれて数人が死んだ。

 老若男女問わず、足がもつれた、背中を押されて転んだ、落とし物を拾おうとした。

 そんな些細な理由の一つ一つで、数人があっさりと死んだのだ。


 地震などが起こった被災地で、テレビを通して見ていた光景。

 そこには、ヘリコプターに乗ったカメラマンが上空から映した、人の波に呑まれて死んだ人々が集められた映像があった。


 死体を囲む、周囲の人々。


 それらを見た時、密かに自分があの現場にいたらと想像し、ゾッとした。


 それを目の前にした時、言いようもなく思い知らされる、自分が今現在いるここは、天災の中心地だという事を突き付けられた、あの光景。



 それは、蓮司に恐怖と吐き気、安堵・・・それらがぐちゃぐちゃになって脳内を駆け回る。


 何よりも、急速に理解の及ばない出来事が起こっているという事は、その規模の大きさから逃げられないという事を瞬時に悟らせて、彼らを絶望させるには事足りた。



 ただ――――――ただ、死なないように行動する。


 理性を持っている人と言えど、死に瀕した時は生存本能というのが働く。


 幼少の時から、少々特殊な両親に鍛えられて育った蓮司は、こうした場合に自分が行動すべき事を、即座に判断させ、行動させた。



 落ち着いた今になって思う。両親には――――特に、自分に生き残るためのすべを叩き込んでくれた父には、感謝しかない。



 どこにいれば安全かを見分け、早々に避難する事が出来たため、〝運良く〟蓮司は生き残る事ができた。


 だが、他の人々はどうか。


 自分が誰かを犠牲にして生き残っているという事は、自分が一番分かっている。避難場所で、自分を射抜く誰かの恨むような視線は、記憶に新しい。


 この世界が変わり果てたのも、多くの人々が死んだのも、全ては昨日の出来事だ。たった一日で、人の世は、文明は崩壊したのだ。




 昨日の出来事を振り返り、ポケットをまさぐってスマホを取り出す。


 起動して画面を開くと、驚くべきことに、まだ電波が通っている。


 SNSアプリを開くと、昨日の出来事で話題は持ち切りになっていて、これは日本だけでなく、世界中で起きた天災なのだと知れた。



 数々の議論、討論がSNS上で繰り広げられているのを見て、蓮司はアプリを閉じてスマホをポケットに突っ込んだ。


 なぜだか、今はスマホの画面を見ていられない。そんなことよりも、一刻も早くここから移動した方が良い。

 

 なんとなく、そう感じて蓮司はその場から、当てもなくどこかへと歩き始めた。






◇◇◇






 ……………道中、幾つもの死体をの当たりにした。


 頭の無い男、半身が抉られた女、腕だけを残して圧死した誰か、片足を失った女の子、誰かに手を伸ばして背中を瓦礫に貫かれた女。


 全身が砕けた茶色い猫、上半身を失くした犬、檻から逃げ出そうとして瓦礫に押し潰されたライオン、何かに翼を食い破られたカラス。



 それらの屍が放置された道を歩いている蓮司の様子は、ぼんやりとしたものだった。


 不思議と、吐き気が込み上げて来なかった。それどころか、何の感情も浮かんでこなかった。


 あるのは、どこか水の中にいるような浮遊感。


 でも、自分の足は地面をしっかりと踏み締めていて、この道を歩いている。



 ぐちゃぐちゃと、何かを喰らう咀嚼音が耳に届き、蓮司は音のする方向へと顔を向けた。



 見て、後悔した。



 そこには、一心不乱にの死体を貪る、何かがいた。



 口の周りを血で赤く染めて、腸に顔を突っ込んで赤色に染まった内臓のような何かを喰らう、何かがいた。



 それは、首から上が無い死体だった。だが、体つきから女性と分かるものだった。なにか、感情が沸く事を期待して、屍となった女性の身体が喰われる光景を見ても―――――――蓮司は、何の感情も沸いてこなかった。




 心が麻痺していた。衝撃の光景を何度も目の当たりにして、既に精神が慣れていた。現実にはあり得なかった事の連続で、脳が思考することを放棄した。



 理由はいくらでも見つかった。だが、そうじゃない。そうじゃないのだ。



 あの日から、どうにも蓮司の感情は凪いでいた。


 思考はクリアで、頭の中は冷静だった。


 それが異常だと理解できているのに、蓮司の〝理性〟は何も揺らがない。



 あの日から、蓮司の身に何かが起きた事は確実だ。



 だが、



 蓮司の頭は自然と、そういう思考に辿り着いた。



 女性………いや、人間だったものは、何かの獣に身体を貪られている。再度その光景を目の当たりにしたとしても、蓮司の〝理性〟はびくともしない。



 死体を貪る獣から目を外し、蓮司はそのまま、その場から立ち去った。





・・・

・・・・・

・・・・・・・





 蓮司は、どこかの公園に辿り着いた。何となく、鼻孔をくすぐる良い匂いに従って、匂いの強まる場所まで足を運んでいただけだ。


 何か、何かが、蓮司の感情を動かした。


 それが何なのかが知りたくて、蓮司は途中から走り出して、最も匂いが強い場所まで辿り着いた。


 ………そこまで行って、早々に蓮司は後悔した。



 そこには、一匹の狼に似た―――――しかし、虎のような大きさの体躯の化け物がいて。



 ちょうど、を食べ終えた所だった。



「GURURURURURURU・・・・・」



 化け物が蓮司を見て、警戒したように唸り声を上げたが、気づいているのかいないのか、その口角は僅かに吊り上がっていた。


 人間なら笑みを描いているだろう、そう容易に想像のつく表情だ。


 蓮司は足に力を入れる。すぐに逃げられるように。



 だが、それはどうやら叶わないようだ。



 視界から外れた化け物の姿は―――――――蓮司の背後にあったからだ。




 なぜ気付けたのかは分からない。だが、直感に従って蓮司はその場から地面を転がるように飛び退いた。



 結果、それは蓮司の命を救う事になる。



 さっきまで蓮司がいた場所に、化け物の爪が振り下ろされたからだ。



 地面に四つの爪痕が残る。



 ザリッ、苛立ったように地面を削り、化け物は唸り声を上げて蓮司を睨む。



 化け物の眼光に貫かれて、蓮司の身体からぶわっと大量の汗が噴き出る。



 生存本能に従って、蓮司は地面の土を握り、それを化け物に向けて投げる。



 当然、化け物は自らへ投げられた土塊を避ける。



 だが、一瞬だけ目を離した隙に、




 化け物は、蓮司の姿を見失った。




「GRUUAAAAAA!!」



 どこだ、とでも言うように化け物が吼える。ザリッザリッと、何度も地面を爪で抉る。苛立ちを抑えきれず、化け物は歯を剥き出しにして唸る。

 だが、ふと気づいて化け物は、その目を狩りをする時のに変える。



 捕食者の目つき、獲物を狙う狩人ハンターの鋭い眼差しで、化け物は蓮司を探し始めた。



 存外早く、蓮司の姿は見つかった。鼻をひくひくと動かし、蓮司の匂いのする方向まで駆け出す。



 そこは、瓦礫の積みあがった所で、ちょうど人が一人くらい隠れられるような所だった。




『浅はか』




 化け物は内心でほくそ笑み、存外に簡単な狩りだったと、瓦礫を飛び越えて爪を振るう。


 しかし、そこに蓮司の姿はなく、代わりに蓮司が身に着けていたコートが瓦礫に挟まっていた。


 化け物の瞳が怒りに染まる。目が血走る。


 化け物はコートを爪で裂き、瓦礫を体当たりで崩す。



「GAAAAAAAAAAAAA!!」



 自らを嘲笑う小細工に、化け物は怒りの咆哮を上げる。


 そして今度は間違えぬと、鼻を地面に近づけて蓮司の痕跡を探った。



 ここからゆらゆらと、左右を交互に移動したような匂いの痕跡に、化け物は尚も苛立つ。それが、獲物に逃げられるという焦りに繋がり、化け物を匂いの痕跡の奥へ奥へといざなっていく。




 化け物が地面に鼻を当てて、蓮司の匂いの痕跡を辿っている様子を見て、蓮司はでほくそ笑む。


 その手に握られた、掌よりも少し大きな瓦礫を振りかぶり、蓮司は化け物目掛けて瓦礫を投擲する。


 瓦礫は真っすぐ化け物まで飛んでいき、そして――――――



 化け物の耳がピクッと反応する。


「GURU!!」


 直感に従い、化け物はその場から飛び退く。



「馬鹿な!」



 信じられないと、蓮司は思わず驚きの声を上げてしまい、はっと口を塞ぐがもう遅い。



 化け物は既に蓮司の目の前まで迫っていた。



 濡れた身体が重い。水を吸った衣服が動きを阻害し、それが蓮司の死を近くする。


 匂いを消すために、公園の池の水を被ったのがあだとなった。


 せめて一枚だけでも。蓮司はコートの下に着ていたパーカーのジッパーを降ろし、急いで脱ぐ。


 そして濡れたパーカーを化け物の顔に叩きつけて、蓮司は必死にその場から逃げ出そうと移動する。



 全身の筋肉を総動員して、重い衣服を纏った身体で走り出す。最近、あまり身体を鍛えていなかったが、幼い頃から父に鍛えられた身体は、蓮司の思う通りに動く。


 多少、遅いと感じる程度だが、それで良かった。


 蓮司は化け物の方を振り返らず、一心不乱に駆け出した。






―――――――――だが、それも無駄に終わる。






 背中に衝撃を受けて、蓮司の身体が吹っ飛んだ。




「がっ―――――――がはぁ!?」




 瓦礫の転がる地面に叩きつけられて、肺の空気が強制的に吐き出される。


 咳き込んで息を吸って肺に空気を送り込もうと喘ぐ蓮司。


 そこに追い打ちをかけるように、また蓮司の身体が吹き飛ばされる。


 今度は瓦礫の壁に叩きつけられて、身体のあちこちが痛むのと、左目の視界が上から赤くなっていくのを、蓮司は認識した。



「(骨が何本か………内臓もいくつかやられてるな…………頭も少し切ったか)」


 片方の視界が赤い。息が上手く吸い込めない。


 ヒュー……ヒュー……と、蓮司の口から空気が吐き出される音だけが響き、引き裂かれるような痛みに、蓮司は顔をしかめる。



「ゲホッ、ゲホッ―――――――がはぁ!」



 蓮司の口から、赤い血の塊が吐き出される。


 喉が焼けるように熱く、痛い。



 僅かにぶれる右目の視界に、こちらへ向かう化け物の姿が目に入る。



 ああ、ここで終わりか………。



 蓮司の中で、達観したような感情が広がる。




「(もう、いいんじゃないか?………十分、頑張ったじゃないか………抗ったじゃないか…………だから、もう―――――)」




 瞬間、蓮司の脳裏に幼い頃の記憶が映る。



「(………走馬灯、ってやつ、か……?)」



 そこには、ボロボロになって地面に膝をつく幼い自分と、そんな自分を無表情で見下ろす父親の姿があった。



 父親の口が開く。




『いいか、蓮司。人間は弱い、自然界で生きるか死ぬかの生存競争に陥った時、人間は酷く無力だ。だからこそ、人間は罠を張り、道具を用いて獣を狩る。

 生きるためにな。しかし、人間は丸腰になったらどうしようもない程に無力で、弱者だ。


 そんな弱者が生き残るためには、どうすればいいか。

 

 答えは簡単だ、生き残るために頭を巡らせて、身近にある何かで戦うんだ。なんでも、そこらへんの砂でも、枝でも、石ころでも、何でも使って。



………なあ、蓮司。どうしてお前は?』






 記憶はそこで終わる。幼い頃に父から何度も言われた言葉を思い出し、蓮司はその顔を不適な笑みに変えた。



「うるせえよ…………」




 眼前に、ゆっくりと此方に迫る化け物の姿を確認する。


 どうやら、今の俺をどうとでも出来ると油断しているようだ。



「今から、それをする所だよ!」




 まともに動きそうな右腕を動かし、最も近くにある投げれそうなものを探して、瓦礫を手に取る。


 それを思いっきり腕を振りかぶり、化け物目掛けて投擲した。



 余裕の表情で蓮司が投げた瓦礫を、化け物は避ける。



 化け物の視界が一瞬だけ外れた時を狙って、蓮司は近くにあったを手に取り、もう片方の腕でもう瓦礫を手に取った。



 身体を起こして、蓮司はもう一度その手に握った瓦礫を化け物に投げつける。


 化け物は余裕を持って避けるが……表情に苛立ちが見えた。



 蓮司はそれに気が付き、通じるかどうかも分からないのに、手持ち無沙汰になった片手の指を立てて、化け物に向けてくいっと動かした。



「こいよ」



 思いっきり馬鹿にしたような笑みを向けられて、化け物が怒りの咆哮を上げる。

 蓮司の挑発は、上手く伝わってくれたようだ。



 蓮司に向かって、化け物は突進の構えで走り出す。


 どうやら、爪を使わずにもう一度、突進で攻撃して蓮司を仕留めるつもりのようだ。


 獣と言えど、感情に揺さぶりをかけてやれば、その思考は手に取るように分かる。

 それが、こちらの考えを多少なりとも理解できる知能を持つなら尚更に。



 蓮司は密かに準備をし、その時が来るまで身構える。


 額から冷や汗が頬を伝って、地面まで零れ落ちる。



 当然だ、これが失敗したら蓮司は死ぬ。



 これは生きるか死ぬかの生存競争。



 まさに、己の命をかけて挑む戦いなのである。



 化け物の身体が、鼻先が、蓮司の身体に当たる瞬間―――――――





 蓮司は、左手に握ったを化け物の眉間に突き刺した。



「!?GIIIYAAAAAAAAAAAA!!??!?!?」



 鋭利なもので貫かれる感覚、それが痛みとなって化け物に伝わる。



 全力で駆け抜け、走った勢いは止まらず。



 蓮司の握るそれ、その正体は――――――先端が尖った鉄筋だった。



 偶然、蓮司が衝突した瓦礫の傍に落ちていたそれを見つけて、蓮司はこの瞬間までの流れを思いつき、実行した。



 全身がボロボロになった今の蓮司では、到底この鉄筋をあの化け物に突き刺す事などできない。

 だからこそ、相手の力を利用しようと思いついたのだ。



 化け物の眉間に突き刺さった鉄筋の端が、勢いそのままに後ろの瓦礫に激突し、固定された。

 勢いは止まらない。後ろの瓦礫を壊そうにも、瓦礫の寄り掛かったそれは強大な質量の塊………倒壊しなかったビルだった。

 

 植物に呑まれて、奇しくもビルが補強されていた事もあり、化け物は何万トンもの質量の塊に激突している状態に陥ったのだ。



 勢いは止まらない。


 されど、壁は強大なれば。


 昨日まで建物を支えていた鉄筋は新品同然であり、頑丈であった。


 そのため、化け物の眉間に突き刺さった鉄筋は、化け物の脳まで深く突き刺さり。


 化け物を絶命に至らせた。



「は、はは………」



 安堵から蓮司は渇いた笑い声を上げる。


 胸がズキリと激しく痛むが、それでも、蓮司は気にせず笑い続けた。



 自らの命をかけた生存競争に打ち勝った。



 その事実は、勝利に余韻は、どうしようもなく蓮司の感情を激しく揺らした。






◇◇◇






 これが、鏡峰蓮司が〝あの日〟に送った出来事、その一コマである。


 彼はその後まもなく自らの【ギフト】を自覚し、この崩壊した世界を生き抜くために成長していくのだが・・・・・それは、また機会のある時に。



 では、また。



 本編でお会いしましょう。




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2020/11/26 加筆修正

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