九頁 瓶の中身



「……保護、ですって? 貴方は、キサマは一体何を言っている……!」


 どれ程沈黙が続いただろうか。

 頭を下げ、薄汚れた地面しか映らない視界の中、髪飾りの少女の怒声が轟いた。


 そっと様子を窺えば、彼女の身体から華炎が立ち昇り、その怒りを表している。

 リュウ君を盾にしていなければ、即座に焼かれていただろう。


「怪異法録を捨てたくないが為に華宮に取り入る? 戯言を! 私は――華宮はッ、キサマのような穢れを屠る為の家なのです! それを、都合のいい逃げ場とするなどッ……!」


「……あんた達の矜持か何かを傷つけたって言うなら、謝る。でもこっちも本気なんだ。牢屋に入れられたって構わない、僕から彼女達を奪わないでくれ」


「――ッ!」


 その一言が更に油を注いだのか、漆黒の御髪が炎の熱で舞い踊り――ぽん、と。キツネ目の男の手が、彼女の肩に乗せられた。


「ままま、落ち着いて落ち着いて。今はこちらに不利な状況ですし、とりあえずは話聞きましょ。それにほら、きっと少年君にも何かしら言い分があるのでしょうから――ね?」


 こちらを見る細目には、背筋に伝わる程の冷気が込められているように見えた。

 何かを間違えたらそこで終わりなのだと、粘着く唾液が乾いた喉を潤す。


「ふむ、ではまず何故怪異法録を……ああいえ、めいこさんでしたか? を手放したくないのでしょうか?」


「……一緒にいるって約束したって事もある。だけど、一番の理由は……仲間、だからだ」


「ほぅ、約束、仲間。まるでそれに意思があるような物言いですが――だとすれば、犯罪者仲間とか何かですかね?」


「そうだよ。そしてその表現なら、花子さんも合わせて贖罪仲間って事になる」


 キツネ目の男の嫌味を全肯定し、静かに頷く。

 贖罪という単語に、少女が小さく反応した。


「キサマは、自分のやった事を悔いていると……そういう事ですか?」


「…………」


 すぐに答える事は出来なかった。

 後悔、罪悪感、反省。全て感じている事ではある。

 けれど、もしまた山原達を殺した時に戻れたとしても、他に選択肢が無かった以上同じ事をしただろう。

 何十回、何百回と繰り返したとしても、きっとそれは変わらない。


「……答えられないのですか。ではやはり、キサマは……」


「――あいつらは、死んで当然の奴だったんだよ」


 少女の言葉を遮り、吐き捨てる。

 飾らないと決めたのならば、本音をぶつけていくしか無い。


「僕が殺した二人、山原と井川は人間のクズだった。特に山原は小さい頃から色々やってて、あの時だってそうだったんだ」


「……二人? 以前この場で見つけた肉の粘液は、それ以上の被害者の……」


「他の人らは多分、前に手帳を持ってた奴がやったんだ。十二年前の連続行方不明事件の結果が、纏めて出てきただけ。あの粘液には、僕の両親も混ざってた筈さ」


 投げやりに吐き捨てる。

 どうやらそこまでは調べ切れていなかったらしく、二人は軽く息を呑んだ。少しは同情を引けたらありがたいけれど。


「……成程。まぁそれらについては分かりましたが……しかし、君の口ぶりでは贖罪の意思なと感じられませんがねぇ」


「――相手がどんなクズでも、人殺しは悪い事。認めたくないけど、当たり前の事だろ……!」


 まだ感情では納得していない。

 けれど、それは向き合わなくちゃいけない事だ。


「山原を殺した後、その父親が訪ねてきたよ。アイツの境遇、考え、遺族の心――聞きたくなかった事を聞いて分かった。アイツらを殺したのは僕にとっては肯定したい事柄だ。でも、絶対にやっちゃいけない事でもあった」


「……場合によって人の焼殺を行う私達にとって、耳が痛い倫理ではあります」


「なら分かるでしょ。記憶が無くなれば、この気持ちを無くしてアイツらのいない天国を謳歌する。許せるかよ、そんなクソみたいな負け犬の結果……!」


「……何か変にプライド高いですねぇ、君」


 吐き捨てるようなその釈明に、髪飾りの少女達から敵意が薄れたように思えた。

 といってもあくまで微量で、全て信じている様子ではないが。


「では歌倉女学院での件はどう説明するつもりですか? わざわざ忍び込んでトイレに行って、邪な目的以外考えられませんけども」


『それに関してはアタシの所為だね。ぶっ飛んだアタシの記憶を追って、その子は色んな所を周ってくれた。そしてその終着点があそこだったって話さ』


 今まで様子を見ていた花子さんが声を上げ、これまでの経緯を軽く説明する。

 おそらく、少女達はかつて歌倉で起きた不名誉な事件を知っていたのだろう。

 途中顔を険しくする場面もあったが、特に攻撃の意思は見られなかった。


「……私達の間に様々な誤解や行き違いがあった、と。成程、お話は分かりましたが――やはり解せない事は残ります」


目を閉じた少女が、静かに口を開いた。


「解せない事?」


「はい。そこの……ええと」


『花子でいいよ。今更生前の名前で呼ばれる資格もないし、この子らにもそう呼ばせてる』


「では、花子様の事ですが、彼女は華宮の現当主、私の母に浄化されたのでしょう。ならば何故、貴女は未だ現世に留まっているのですか」


「……霊魂を復元したからだよ。これは、怪談と一緒に霊魂も戻す。あんただって花子さんの事何回も燃やしたけど、この通り元に戻ってるだろ」


「ええ、それは把握していますが……天に昇り、かなりの時間を経た霊魂でも、呼び戻す事ができるのですか?」


 ちょこんと首を傾げる少女に、こちらも首が傾く。

 これは――まさか。もしかして、だけど。


「……ひょっとして。あんたらめいこさんの事――怪異法録って奴の事、そんなに詳しくないのか……?」


 そう問いかけた途端、少女は僅かに目を細め、キツネ目は明後日を向き口笛を吹く。

 どうやら図星のようだ。


「……こちらが把握している情報は、相対した場合に予測出来たものしかありません。詳細となれば、書を扱うキサマ……失礼、貴方より知識は少ないと言わざるを得ないでしょう」


「……言い方からして、何十年も追ってきた感じなんだろ。だったら……」


「秘密主義なんですよね、その手帳。過去に持ち主を捕らえ情報を探ろうとした際、持ち主と取り調べに当たった者は全員狂って死んじゃったそうですよ。怖いですネ」


 咄嗟にめいこさんを見ると、彼女はページの端をぶんぶん左右に振り『わたし知りません』アピールをしていた。気持ちが悪い。


(でも、そうなると、この激しい態度は当然なのか……)


 過去にめいこさんを持った前任者達。

 その軌跡を見る限り、大半は碌でもない犯罪者崩れだったのだろう。

 それに加え、無理矢理手を出せば狂って死ぬと来たものだ。焼却処分する以外にどうすれば良いんだ、こんな物。


「あの歌倉での夜。私は貴方の霊力の少なさを見て、制御は容易いものと思いましたが……今を見れば、それは侮りだったようですね」


 少女はそう言って気絶したままのリュウ君に視線を移すが、その目に宿る怒りは少なく――僕は、もう十分なのだと悟った。


「……花子さん」


『ん……あぁ、分かった』


 花子さんは僕の考えを察し、リュウ君の拘束を解いた。

 人質という切札が手元から離れ、少女達の前へと置かれたのだ。


「……良いので? 私達はまだ貴方を信用した訳では無いと、そちらも分かっていると思いますが」


「まだ、って言葉が付いただけでいいんだ。人質はもう、必要ない」


 それに、新しいカードはたった今増えた。

 同時に情報を渡せば狂い死ぬかもしれないという恐怖が生まれるが、敢えて無視。ここを凌がなければ、どうせ終わりだ。


「……さっきの、霊魂の復元に関する話。めいこさん――怪異法録は怪談を記録して、編集し。好きなように操る書物だ」


「……唐突ですね。そのくらいは知っています」


「じゃあ、その理屈は?」


「詳細は把握していませんが、地に宿る霊力と他者の霊魂を用い、記録した言霊を怪談という形で利用する、後付の霊能力としているのだと推察しています」


 後付の霊能力とは、またぴったりの解釈である。

 僕は頷きを一つ返し、めいこさんを眼前に翳す。

 火で狙い撃ちにされるかもしれないという危惧はあったが、彼女達は僕みたいに卑怯じゃないと信じた。


「本当は指向性何とかって用語があるみたいだけど、今は良い。彼女の中に怪談が記載されているからこそ、僕はちょっとだけ怪談の力を借りる事ができる」


「……ちょっとだけ?」


「霊力がみそっかすらしいからね。だから僕は花子さんと出会うまでは、正確には右腕がこうなるまでは霊力を使ったアプローチも出来ず――怪談の条件を整える事だけで再現してた」


「……ッ!」


 少女の血相が変わる。察しは良いらしい。


「そう、最初にめいこさんの力を使った時、僕は霊魂の封入なんて手順を踏んでいない。分かるだろ、この意味」


「まさか……では、それでは……!」


「――元から霊魂は封入されてて、解放されて無かった。あんたらがどんなに焼いても、生きたままだったんだ。怪談は」


 怪異法録と霊魂を燃やしても、囚われた霊魂には何の効果も及ぼさない。

 霊魂は怪異法録ではなく、怪談という形の無いものに封じられているのだから。


 つまり、歴代の華宮が行った浄化とやらの尽くが、不成立であったという証明でもあった。


 それは相当に少女の精神を揺さぶったと見えた。

 彼女の身体がふらりと小さく揺れ、咄嗟にキツネ目がその背を支える。


「あー……っと、それが本当だという証拠とかは……」


「花子さんは当然として、この小路にあった肉の粘液。過去にあんたらが解決したっていうんなら、今になって現れる訳無いだろ」


「……まぁ、ですよねぇ」


 ハハハと笑うキツネ目も、心なしか動揺しているように見える。

 怪異法録を焼き捨てる事が、根本的な解決になっていなかった。

 そのショックは僕には分からなかったけど、先程の家を誇りに思っていた様子からして、決して小さくは無いのだろう。


 ――たたみかけるなら、今ここだ。

 瞳孔が収縮し、呼吸が浅くなるのを感じた。


「そして、それはめいこさんにも当て嵌まる」


「……どういう事ですか」


 キツネ目の腕の中で少女が僕を睨む。

 その目には決して適当な事は許さないという意思が込められており、喉元に言葉が詰まる。


 けれど、ここまで来たらもう後には引けない。

 腹に力を込め、ダメ押しのように言葉を重ねた。


「僕は、ここに居るめいこさんは本当の怪異法録じゃない。そう、考えている――」


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