八頁 変質
3
編まれた髪は芯とされ、伸ばされた骨は紙となる。
*
幼子と暮らす日々は、決して優しさに溢れた物ではなかった。
私達の持つ異能、その子に集う怪異、それを疎んじる周囲。
精神的にも肉体的にも、傷の原因となるものは幾らでもあったのだから。
否、傷だけで済むのならばまだ良い。
時には命を脅かされるような出来事もあり、その度に私達は自らの住む村から距離を取っていく。
無論、何も思わない訳が無い。
私の事はどうでも良い。既に老い先短いこの身と心にどれ程の傷を受けようが、乾き切ったそれらは一滴の血すら流さないのだ。
しかし、幼子を拒絶し傷つける事だけは我慢がならなかった。
あの子には何一つとして罪は無いというのに、何故あのように傷つかねばならないのか。
……だが、その子は憎悪に駆られた私を見て、嬉しそうに笑う。
――私はだいじょうぶだよ、おじいちゃん。しんぱいしてくれて、ありがとう。
違う。大丈夫である訳がない。
私の異能と違い、幼子の異能は人の心を見通す。自分に対する悪意を直接叩きつけられて、傷つかぬ筈が無い。
されど、その子はそれを感じさせないように明るく笑い、私の怒りと憎悪を治めようとする。
……私は、それに流されるしかなかった。
その子が常に優しくあろうとするならば、私もそう在らねばならない。
――そうか。お前がそう云うのならば、穏やかに暮らそう。奴らの側より離れ、何者にも脅かされぬ場所で過ごすのだ。
村より排斥されたのは、ある意味では望む所であったのかもしれない。
事実、再び山へと戻り共に暮らした数年間は至極平和なものであり、温かく素晴らしい記憶として残っている。
このまま永遠に過ごせたらいい。
そう思って、ならなかった。
■
『――時間であります。起きる、であります。そう、すみやかに、目覚めよく』
「……ん」
カサカサ、と。何か硬いものが胸を擦る感触で目が覚めた。
……せっかく、穏やかでいい夢を見ていたのに。
ぼんやりとした意識のまま胸元に手を這わせれば、ポケットの中のめいこさんがバッタの如く跳ねまわっていて――「うわっ」衝動的な嫌悪感を感じ、思わず引き抜き投げ捨てる。
気持ち悪いな。
寝ている隙に服に潜り込むなんて、ムカデじゃないんだから――。
『……そりゃ無いんじゃないかねぇ。目覚まし頼んだの、アンタだろうに』
「ぅん……?」
胸元を擦りつつ振り向けば、花子さんが呆れた目でこちらを見下ろしていた。
寝ぼけ眼をぱちくりと瞬き、何用かと問いかけようとして――そこでようやく、我に返った。
そうだった。仮眠するに当たり彼女に目覚まし時計になってくれと頼み、懐に入れておいたのは僕だった。
慌ててめいこさんを拾い上げ、折れ目の付いたページを伸ばす。
「ご、ごめん、ちょっと寝起きで分かんなくなってて……」
『非。へいき、であります。かなしくなんて、無かったり、するのです……』
どうやら、多少なりとも気分を害してしまったらしい。
どことなく刺々しい筆跡に罪悪感が込み上げる。
僕は今しがた見た夢の事もあっさりと忘れ、只管ご機嫌取りを続けたのであった。
――日曜日、時刻は深夜一時半。
僕が歌倉女学院への不法侵入を決行する、少し前の出来事である。
*
『……ねぇ、本当にやるのかい? 女子校に潜り込むとか変態みたいなさ……』
「言わないでくださいよ。僕だってそう思ってるんですから」
支度しがてら、大きな息を吐いた。
一応、歌倉女学院での一件よりすぐ後、僕は電話で取材の申し入れを行った。
しかしあの髪飾りの少女が言った通り「お断りします」とけんもほろろに一刀両断。まともに取り合ってすら貰えなかったのだ。
本当は、他の方法を探すのが物分りの良い選択なのだろうけども――。
(僕の事だ。時間を置けば、それだけ及び腰になって動かなくなる)
そうしたら、また図書館詰めに逆戻りだ。
なら、羽車学院に潜入した勢いに乗って行動した方がずっと良い。
「…………」
良い、のかなぁ。
一度殺人を経験しているせいか、犯罪に対する忌避感が薄れてきていないか、僕。
優等生とは何だったのかと嘆きつつ準備を進め、最後にめいこさんをポケットに入れ――よく見れば、指先が軽く震えている事に気付いた。
緊張しているのだ。
血液が冷たくなり、心臓が煩いほどに跳ね回っている。
……何だかんだ言いつつも、やはり精神的にはキていたらしい。
法を犯すという行為に対し、まだ怯えられる自分に少しホッとした。
『……悪いね、アタシが意気地無いばっかりに』
そんな声に振り返れば、花子さんは申し訳無さそうな表情で目を伏せていた。
気怠い表情か、こちらをからかう表情。主にその二つしか見ていなかったが僕にとってそのしおらしい態度は新鮮で、口元が綻ぶ。
「いいですよ、別に」
その言葉は、意外な程にすんなりと出た。
彼女の似合わない態度のせいか、それとも単純に彼女への好感度が高まったのか。まぁ、どっちでも良い。
「……よし」
ともかく、行こう。
僕は懐中電灯を握り締め、玄関のドアノブを握った。
*
そもそも女学院に侵入し何をするのか。
答えは単純、花子さんと共に校内を練り歩くだけである。
実際の学校の空気を直接肌で感じさせ、彼女の記憶を刺激すると同時、めいこさんに怪談や言霊を集積して貰うのだ。
記憶が戻ればそれでよし。例え戻らずとも、何らかの進展は見込める筈だ。
思えば、不法侵入までしてする事が学校観光というある種の『軽さ』が、罪の意識を薄れさせているのかもしれない。
『……開いたよ』
ガチリ、と。鉄錆が擦れる音と共に、閂が回る。
歌蔵女学院の裏手。体育館横の金網に設置されている、用務員用らしき出入り口の鍵だ。
本来で専用の鍵が必要となるのだろうが、今の僕達には何の意味も無い。
音を立てずに押し開き、素早く身体を滑り込ませ、再び施錠。瞬時に物陰へ身を潜めた。
酷くアッサリと事が済んだ。脈動する心臓を抑え、眼鏡をかけ直す。
『はぁ……片棒、担いじゃったなぁ……』
暗闇の中、花子さんが今しがた閂を外した右手を軽く振る。
よく見れば、その姿は若干ながら存在感を増しているように見えた。
――融通。
僕達の行った事をめいこさん風に表現するならば、それに尽きる。
怪談として再現された霊魂は、現実世界へ干渉出来る。
その法則を利用し、予め敷地内に花子さんを移動させた上で実体化、内側から鍵を開けて貰ったのだ。
(……まさかまた、この怪談を利用するとは思ってなかった)
ちら、と金網の外を見る。
狭い道を囲む石塀に二箇所、雑草に隠れる程の低い場所に小さく落書きが描かれていた。
それは二つの『界』の文字――『異小路』を再現した、その痕跡だ。
本当は他の怪談を利用したかったのだが、悔しい事にこの場で再現出来得る怪談が他に存在しなかった。
その為めいこさんに頼み込み、血を吐く思いで削除されていたそれを復活して貰ったのである。
何せ告呂の地という大前提を守れば、道に文字を二つ書くだけで容易に再現できるのだ。汎用性高すぎだろ。
『……どうしたよ、そんなしょっぱい顔してさ』
「いえ、別に。それより用済みの怪談から解放しますけど、良いですか?」
『ああ、別に構やしないけど……』
まぁ、その事に対するアレコレは今考える事では無い。
現在時刻は二時を少し回った所。
学校関係者の第一陣が何時登校してくるのかは分からないが、残り時間は決して多くはない筈だ。
僕は花子さんと頷き合うと、物陰から身を晒し、足早に校舎へと向かった。
……小さく震える彼女の指先には、気付かなかったふりをして。
*
女子校、しかもお嬢様学校であるのだから、さぞ華々しい場所なのだろう――そう思っていたのが、見た感じでは普通の学校と余り差異は無いように思えた。
というか、羽車学院の方が豪華。
別に何かいかがわしい期待をしていた訳ではないが、ガッカリ感は否めない。
「警備員とか、居ないみたいですね」
『……そうだね』
自転車置き場の影から顔を出すが、少なくとも見える範囲に影は無かった。
とは言え油断はしないまま、照明の無い真っ暗な道を歩く。
「にしても、女子校って言っても結構普通なんですね。フリフリのフリルが至る所にあったり、年中フローラルな香りが漂ってたりとか想像してたんですけど」
『……そうだね』
「ええと、とりあえず、どうしましょうか。時間的に不安がありますし、トイレの方から回りますか?」
『……そうだね』
「……。あの、花子さん?」
気のない返事に花子さんの様子を窺えば、その目は虚ろに窪み、意識はここに在らずといった風情。記憶の裡に潜行しているようだ
(まぁ、集中散らすのもアレか……)
溜息を一つ。
手持ち無沙汰になった僕は、何か怪談が収集されていないかと、めいこさんを開いた。
と言ってもまだ敷地に入ったばかりなので、期待はしていなかったが――。
「……『ゆくえ父めい』?」
意外にも、よく分らない怪談が一つだけ収集されていた。
『霊魂の封入されていない、無編集・非活性の怪談、のようであります』
「ふぅん? どんなの……って、長いな。何か」
それはこれまでとは違い、丸々一ページ近くに渡る口語文だった。
軽く斜めに目を通せば、それはどうもこの学校で起きた集団妊娠事件の話のようで、その趣味の悪い内容に眉が皺寄る
……だが、記憶を擽るものもまたあった。
(妊娠、騒動……)
思い出すのは、弥生さんが漏らした例の呟き。
何か、関係があるのだろうか。
僕は不快にざわめく胸を抑えてもう一度、今度は深く目を通し――。
『――ッガ!?』
「ッ、うぐァっ……!?」
前触れ無く文章が黒い火花となり弾け飛び、右眼を衝撃が貫いた。
大きく首がネジ曲がり、意識が飛びそうになるが――「ぃ、ぎッ」しかし歯を食いしばって堪え、同時に聞こえた花子さんの声に右眼を向ける。
すると彼女は身をのけぞらせ、痙攣を繰り返していた。
限界まで見開かれた目は血走り、明らかに異常な様子だ。
僕は閉じそうになる右眼を指で無理矢理こじ開け、彼女の下へと走り寄った。
「ぅぐ……は、花子さん!? どうしたんですか、花子さん!」
背中をさすろうとしても触れられない。
ただ焦りが積もり、唇を噛み。
『――ここで、さ。注意した。気がするんだ』
「っ、は、はい?」
ぽつり。
のけぞったままの花子さんが、震える声でそう言った。
『その娘の自転車、ブレーキが壊れてたんだよ。なのに大丈夫って言って聞かなくって、しょうがないから自転車屋まで送ってやって……いや、そう、そうだ。他にも、アタシは』
「あの、どうしたんですか。ねぇ」
『皆、とてもいい子だった。優しくて、正義感があって、でも少しやんちゃで。お嬢様って子なんか――……逆に少なく、て……』
そうして緊張と共に花子さんの記憶の断片らしき物を聞き続けていると、最早独り言と呼ぶのが相応しいであろう彼女のそれがプツリと途切れ。
『違――な、……っを、何も、アタシは、見てただけで……――ぁぁぁあああッ!』
「っ!?」
唐突に、叫んだ。
嫌な記憶でも蘇っているのだろうか。右眼を通して花子さんの絶叫が脳内に反響し、吐き気と頭痛さえ催してくる。
(っ、どうする。えと、とにかく、何か対処を、)
混乱し、助けを求め手帳へ視線を落とした瞬間――当の花子さんと目が合った。
…………、は?
「ぁ――、うぉああああああッ!?」
本当に、何時の間にか。
血走った瞳が眼前に迫り、僕を覗き込んでいたのだ。
気付けばあれほど煩かった声も既に無く、反対にこちらが絶叫し、飛び退る。
『……ぁ、あ。行こう、行く、ンダ。あぁ、タシは、アタシ、は…………』
「っひ、え? い、いや、ちょっと……?」
心臓が激しく脈動する。
しかし花子さんは何事も無かったかのように身を起こし、昼の時と同じコマ落ちの動きで暗闇の中へと進み――やがて、消えた。
「な……なんだ? 今、何が……」
『こ、こわい、であります。いつもの、やさしい、と違うであります』
ポンコツ手帳と二人、暫くそのまま呆然。
心に巣食う恐怖が密度を増し、じわりと燻る。
(く、くそ、でも……!)
けれど、放っておく訳にはいかない。
すぐに我を取り戻し、僕もまた慌てて暗闇の中へと走って行った。
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