七頁 路傍の華
*
トイレの花子さん。
消えた記憶。
怪談。
気絶。
羽車学院。
妊娠。
転校――。
ぼんやりとした思考の中で、これまで得てきた幾つもの単語が渦を巻く。
「…………」
川中の竿、喉奥の小骨。強く引っかかる物を感じ、どうにも落ち着かない。
眼球に刻まれた呪いの影響なのだろうか。
右眼を貫通して脳に突き刺さるそれは酷く感情的かつ抽象的で、具体的にと問われると何も答えられない。
けれど、何故か奇妙な胸騒ぎがあった。
「……はぁ」
溜息を吐いて、改めて視線の先、立ちはだかる門の中心に刻まれた銘板を見る。
――そこに刻まれた名は、告呂歌倉女学院。
地元内ではかなり有名な女子校だ。
規模は少々小さめであるものの、創設は古く蓄積された伝統と格式はかなりの物。
平たく言えば由緒正しきお嬢様学校であり、弥生さん曰く若風先生が転校する前に通っていた場所であるそうな。
羽車学院とは立地的にそう離れていない事もあり、取材を終えた僕達はその足でこの場所へと訪れていた。
「…………」
チラ、と。同じく女学院を眺めていた花子さんに視線を向ける。
もう十分程になるだろうか。彼女はガラス球のような瞳で女学院の校舎を見つめ続け、微動だにしていない。羽車学院の反応とは雲泥の差だ。
いい加減見ていられなくなり、近くの塀に背を付け小さな声で問いかけた。
「……あの。そんなに気になるんなら、中見てきたらどうです。今回はアポも何もとって無いんで僕は一緒に行けませんけど、幽霊なら何の問題も無く――」
『――ねぇ、あの事務員さんが呟いてた事って本当だと思う……?』
ふと気付けば、いつの間にか彼女の顔が僕の眼前にまで迫り寄っていた。
瞳の中に浮かぶ澱みを直視し、思わず肩が跳ね、後退り。
「っひ。わ、若風先生の話です? 僕には嘘には見えませんでしたが……!?」
『……そう』
上擦った声でそう言い放つと、花子さんはいつの間にか元居た場所に戻っていた。
まるでコマ落ちした録画映像のような不自然さ。何だよそのホラー演出。
「……あ、の。それで。中に入らないんですか?」
『…………』
反応は無い。
彼女は無表情のまま微動だにせず、どこか虚ろな雰囲気を纏う。
僕は再び溜息を吐き、弥生さんの取材記録を見返そうとめいこさんを開き。
『――痛むんだよ。引っ掻かれるなんてもんじゃない、抉られるようにね』
唐突に、そんな言葉が落とされた。
見れば彼女は左胸を掴み、俯いている。
「……えと、胸が、ですか」
『多分さ、嫌なんだ。記憶が突つかれる度、近づきたくないって心が疼いてる』
「過去に、何か思い出したくない出来事があったとか?」
『多分ね。この分じゃ、きっとロクでもない事なんだろうさ』
大きく溜息を吐き、柔らかな乳房を握り潰す。
痛くないのかと心配になったけど、彼女は既に幽霊となっているのだから痛覚も何も無いだろうと思い直した。
……しかし、近づきたくない、か。
「……止めますか? 記憶を探すの」
暫くの沈黙の後、そう問いかける。
元々花子さんの記憶探しを始めたのも、僕の負けず嫌いが祟っての事だった。
当の彼女が思い出したくないのならば、それを尊重すべきなのだ。
例え、不完全燃焼であろうとも。
「僕にも、何となく察せる。花子さんの失われた記憶は、失礼かもしれませんが、きっと胸糞悪い類の物だ」
『……ああ』
「だったら、やめたって……離れた方がいい事だって、きっとある」
『……………………』
花子さんも分かっているのか、深く逡巡していた。
そして僕が見つめている中、ゆっくりと頭が縦に振られ――。
『……いや、それじゃダメだね』
――しかし、彼女はすんでの所で踏み止まり、無理矢理首を横に振る。
「……どうしてです? 嫌な事は……その、避けても良いと思いますけど」
『フフ、随分と似合わない事言うね、頑固者の負けず嫌いの癖に』
……刃物で胸を突き刺された気がした。
様々な屁理屈と言い訳を捏ね回し、自らの罪と距離をとっている事を皮肉られているように錯覚する。
『図書館漁って、嘘吐いて、取材して。一週間と少しの間だけど、アンタの頑張りは見てきたんだ。ここまで来て止めてくれ――なんて、納得しないだろう?』
「…………」
『……何でそんなショボくれたカオすんだいよ。全く』
微かに感じる慈愛と信頼の情が、辛い。
そんな僕の様子に花子さんは苦笑して、ゆっくりと頭を撫でてくる。
それはやはり暖かく、優しい怖気だ。
『だから、アタシも頑張らなきゃ。素性も、記憶も。アタシが何をやらかして、何をされたのか。全部見なきゃいけないんだよ』
……そこで言葉は途切れ、暖かさが離れていく。
見れば、彼女は一人で校門の中へと進もうとしていた。
「…………」
地を踏みしめる足は無い。されど確かに前進する。
僕にはその背中が輝いているようにも思え、自然と右眼を眇めてしまう。
羨望、或いは劣等感。
心を苛む激情に強く唇を噛み締めつつ、僕は静かに半透明の背を見つめ――。
『…………』
見つめ。
『…………』
見つ……。
『……悪いんだけどさ、やっぱり付いて来てくんないかね……?』
「えぇー」
輝きが一気に消えた。ガックリと力が抜け、抱いていた感情が霧散する。
せっかく格好良く凛々しい感じだったのに、台無しじゃない?
『また後日とかにしてさ、アンタも学校に入れるように許可取ってさ、ね?』
彼女の顔は年甲斐もなく赤く染まっており、もじもじと指先を弄っている。
いい年こいてぶりっ子すんなや。
「……分かりましたよ。とりあえず連絡してみますが、期待しないで下さいよ」
『ああ、ありがとう。それダメだったら……まぁ、一人で頑張るから……さ』
自信なさげに照れ笑う花子さんではあるが、僕は彼女に頼られている事に少し嬉しくなった。
まぁ、下らない自尊心の充実である。
(とは言っても、相手は女子校なんだよな……)
問題はそこだ。果たして男子禁制のお嬢様学校が、僕を迎え入れるかどうか。
頭のおかしい犯罪の増加する昨今、取材の申し入れが通る可能性はかなり低い。
少なくとも僕が職員だったら絶対に断る。となれば、どうするか。
「……最悪、夜に忍び込むしか……」
『……本気かい……?』
何やら花子さんが性犯罪者を見る目を向けるが、致し方ない事であろう。
先程は彼女一人で行かせようとしていたが、考えてみればそれが今生の別れになるかもしれないのだ。記憶を取り戻して昇天とか、幽霊物のお約束だし。
僕だって女子校への不法侵入なんて変態チックな事はしたくない。
でもお別れになるかもしれないのなら、最後まで見届けたいではないか。
「まぁ、とりあえず一回家に帰りましょうか」
勿論、そんな恥ずかしい事は伝えない。伝えてたまるか。
……羽車の時みたいに、すんなり進めば良いんだけどなぁ。
僕は重たい不安を胸に、歌倉女学院を後にして――。
「――あの、本校に何かご用ですか?」
凛、と。
鈴の音のような声が、通り抜けた。
*
「……はい?」
振り向けば、そこには和装の少女が立っていた。
女学院の生徒だろうか。烏の濡羽のような黒髪と、そこに差し込まれた桜の髪飾りが特徴的な美少女だ。
休日の学校と和服とのミスマッチに疑問を待ったが、おそらく茶道部や生花部のようなものがあるのだろうと勝手に納得。
それよりも、その警戒心溢れる様子から見て不審に思われている事の方が重大だ。
僕は瞬時に誠実の仮面を被り、にこやかな笑顔を浮かべた。
「ああいえ、後でこの学院に取材に訪れたいと思っているので、その下見に」
「……取材、ですか?」
「はい、僕、告呂の歴史を調べるのを趣味にしておりまして――」
口八丁の二枚舌。
既に一回経験している為か、更によく回るようになった舌で平然と嘘を並べ立てる。詐欺師でも何でも好きに罵るがよろしい。
しかし少女は僕の説明に更に瞳を厳しく細め、あからさまに不信感を醸し出す。
『……かなり警戒されてるよ』
花子さんが僕の耳に口を寄せる。
それは僕も感じてはいるが、今更止められる筈も無い。
ここで話を止めれば更に警戒させる事になるのだから。
「……それで、よろしければ学院の先生方にお話を聞きたいのですが……」
「不可能でしょう。報道関係の方ならばともかく、個人的な理由で、しかも貴方のような学生では許可を得る事は難しいと思います」
『……なーんか鼻につく言い方ね』
あなたのような、だってさ。
胡乱げに少女を睨めつけ、花子さんは鼻を鳴らした。
まぁお嬢様学校だし、男に対してはこんな物じゃないの。特に突っかかる必要も感じられず、スルーする。
『しかし、取り次いですら貰えないとなると、最悪の手しか無いのかねぇ……』
「……そうですね、やはりそうなりますか」
少女の話に納得し、言葉を返す素振りで花子さんにも頷いた。
「ありがとうございます。どうやら取材は諦めた方が良さそうですね」
「ええ、是非そうして下さい。どうかお引き取りを」
決まり悪げに笑い、穏やかな人柄を演出しても、警戒は解けない。
僕の一挙手一投足を見逃すまいと、頭に当てられた右腕をじっと見つめてくる。
そうしてこの雰囲気に耐えられなくなった僕は、挨拶もそこそこにこの場から離れようとして――どうせもう会う事も無いだろうと、最後に質問を置き残す。
「ああ、そうだ。この学校、ひょっとしてトイレの花子さんに纏わる噂とかありません?」
「――――」
――瞬間、右眼の視界が僅かにぶれた。気がした。
「……仮に知っていたとして、何故貴方達に教えねばならないのですか?」
命中だ。
その質問をした瞬間、少女の瞳に宿る物が変わった。
熱と冷たさを内包した、力強い何か。僕の右眼が、朧気にそれを感じ取ったのだ。
『……ねぇ、早く切り上げた方が良いんじゃないのかい?』
「まぁ、それもそうですね。下らない事を聞いてすいません。では」
耳元で囁く花子さんへの同意と少女への謝罪を同時に行い、一礼。
これ以上の不信感を与えないように、自然な様子を心がけて歩き去る
背中に視線が突き刺さっているのが分かるが、決して反応はしない。
そうして、改めてこれから先に少女との縁が無い事を祈り、僕はその視線を振り切った。
――貴方『達』。
彼女が放ったこの一言。
もしこの時それに気づいていれば、後の展開も色々と変わったのかもしれない。
……けれど残念ながら、当時の僕はポンコツだったようである。畜生
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