六頁 華咲く談話



 羽車学院は、幼稚園から大学部までが一つの敷地に詰め込まれている、日本でも有数の巨大私立学校だ。


 在籍する生徒数は高等部だけでも四千名を超え、それに合わせて敷地も広く、キッチリと整備されている。

 モザイク状のレンガ道に、その両脇に植えられた桜並木。学校内とは思えない程に風情があり、どこかの観光名所と勘違いする事もあるかもしれない。

 ……で、そんな綺麗な景色を見ながらリョウ君に連れられている僕といえば。


「………………………………」


「………………………………」


『……ねぇ、この空気どうにかなんないの? ほれ、言霊とやらで何かしてさ』


『非。そのような昨日は本書にありません、ええ、無いのです、でありますからして……はい……』


 歩く桜並木の華やかさとは裏腹に気まずい空気を撒き散らし、美しい風景を台無しにしていた。

 まぁ、致し方無い事ではある。僕は彼から暴力は受けていないが、目の前で起こったそれを傍観されたのだ。

 敵意は無いとはいえ、好意的にも見られない。

 もう少し強く一人で行くと主張すればよかった。知り合いならば話が早いと笑った男性教師を、心の中でけたぐり回す。


「……まぁ、何だ。この前は、さ。悪かった」


 先に踏み込んできたのは、リョウ君の方だった。

 顔を半分こちら向け、決まり悪げに謝罪の言葉を口にする。


「いや、でも俺あいつらの事とか、お前らの関係とかよく知らなくてさ。そんで、その……どう動けばいいか分かんなかったつーか……分かるだろ、なぁ?」


 そうして後頭部を乱暴に掻きながら、言い訳らしきものを呟いて来る。

 後ろに浮かぶ幽霊は『何か男らしくないねぇ』と呆れた目をしているが、まぁ彼の言い分も分からなくは無かった。

 突然殴り倒されたにも関わらず、「友達だ」と言い切り笑った僕。

 何も知らない人から見れば、仲良しのじゃれ合いと勘違いされても不思議では無いのだ。


(せめて山原達のリンチくらいは止めてくれても……いや、もう良いや。終わった事だ、色々)


 僕は溜息を一つ吐き、もう気にしていないとグダグダ続く言い訳を止めた。

 それで気まずい無言が続くのも嫌なので、そのまま会話を継続させる。


「……えー、リョウさんでしたっけ。山原達とは友達だったんですか?」


「リュウな、桜田竜之進。まぁ山原達とはそこまで深く付き合ってた訳じゃ無くて……つか敬語やめようぜ。多分タメだろ、俺ら」


 リョウ君改めリュウ君はそう言って、着ている橙色のツナギを引っ張る。

 聞けばツナギは学年ごとに色分けされており、今年は橙が一年の色らしい。

 ……この身長とガタイで僕と同い年かよ。世の不条理を垣間見る。


「……んで山原だけど、俺あいつとは学科も違かったし仲良くも無いんだよ」


「……? でも彼は、君の事を友達って言ってた気がしたけど」


「ちげーよ。最初の身体検査で引っかかった時に同じ教室で説教受けてさ、そのままズルズルと引っ張り回されてたんだ」


 また言い訳かとも思ったけれど、彼の嫌そうな表情を見る限り本心のようだ。

 大方、ガタイに似合わないヘタレた雰囲気に付け込まれたのだろう。


「この髪、染めてねぇっつってんのに信じてくれなくてさぁ。やんなるぜ本当」


 しかし何と言うか、金髪で不良っぽいけど別に悪い奴では無いらしい。

 それどころか山原を嫌っていた者同士、親近感すら湧いてきた気がする。僕は少し歩み寄り、彼の愚痴に乗ってやる事にした。


「……もしかして、それ地毛なの?」


「ああ、爺ちゃんがイギリス系でさぁ、多分そっからじゃねぇかって――」


 後は流れに逆らわず、桜の花咲く道を行く。

 そこには先程までの重苦しい雰囲気は欠片も無い。

 ただ学生が二人、その桜の中に無駄話の花を添えているだけだった。





「んじゃ、事務室はこの校舎の一階左にあるから。まぁすぐに分かるだろ」


「うん、案内どうも。助かったよ」


 そうして何だかんだと雑談を続け、辿り着いたのは事務室のある校舎前。

 予想よりも結構歩いたものだ。僕の学校より余程広く、ほんの少し嫉妬する。


「……なぁ、お前今ケータイ持ってっか?」


 そして大きな校舎を眺めていると、リュウ君がそんな事を言い出してきた。

 振り向けばポケットから携帯電話を取り出し、ぷらぷらと振っている。


「いや、悪いけど僕はまだそういうの……っていうか、機械類全般苦手で……」


「マジで? 化石かよお前」


 彼は珍しいものを見たかのような(実際見たのだろう、僕を)顔をすると、今度はメモ帳とペンを取り出し何事かを記し始めた。

 そしてすぐにページを破り取り、照れの混じった表情で押し付けてくる。


「電話番号。あん時見捨てた侘びって事で、何かあったら……まぁ、言え」


「……はは、じゃあパソコンとか買う時に相談に乗ってもらおうかな」


 キャラに似合わぬ男らしい部分に驚いたが、断る理由も無いので素直に受け取っておく。

 機械に弱いのは本当の事なので、いつか連絡する日も来るかもしれない。


「それじゃな」


「うん、また縁があったら」


 そしてその挨拶を最後に、僕達は別れた。

 何でも彼はこれから休日特別授業があるそうで、その準備を手伝う途中だったらしい。

 何となく清々しい気分で、徐々に小さくなるその背を見送った。


『……ふぅん?』


「っ」


 はた、と我に返り。恐る恐る右眼を回してみれば、花子さんがこちらを見つめニヤニヤと笑っていた。

 意地の悪さが透けて見える。


「……何です。何か問題でも?」


『いや、良かったね。って』


 彼女はそう言って、僕の頭を柔らかく撫でる。

 当然その手は僕の頭を透過するが――何だろう、彼女が僕に触れられない幽霊である事を、酷く残念に思った。

 ……は? いや、何でよ。

 頭がおかしい。大きく一歩踏み出し、無理矢理彼女の手から距離を取る。


『めいこ。万が一に備えてその番号をちゃんと覚えときなよ。ものすーっごく大切なものだからねぇ』


『了解、であります。確かに、しっかり、それはもう、ものすーっごく、記録いたしました』


「……何なんだあんたら、くそ……!」


 恥ずかしいやら居た堪れないやら。

 僕はめいこさんにメモを挟み込むと、早足で校舎の中へと突撃して行った。





「どうもこんにちは。この学校で事務員をしている弥生と申します」


 そうして会った弥生さんは、六十代始めくらいの上品な印象のある女性だった。

 ……こんな良い人そうなお婆ちゃんを騙そうというのか、僕は。

 ものすんげぇ罪悪感が押し寄せ、大きく胃袋が捻じくれる


「どうも、本日は羽車学院の卒業生である若風涼子先生の紹介で伺いました。取材に応じて頂き、ありがとうございます」


 しかしその感情は心の奥に封じ込め、表面上は爽やかに自己紹介。

 こんな心苦しい事はさっさと終わらせてしまおう。

 事務室に用意されたパイプ椅子に腰を下ろし、ペンとめいこさんを握り締め、取材のポーズを取った。


「はい、よろしくお願いします。それで、今日な何を聞きたいのかしら。涼子ちゃんからは、昔の色々な話をしてあげてって聞いているけれど……」


「はい。実は僕、告呂の歴史を調べるのが趣味でして――」


 若風先生に吐いた物と同じ嘘を舌に乗せ、淀み無く説明する。


「へぇ、それは凄い。お若いのに向学心がおありで、大変立派だと思いますよ」


「ははは、いえそんな。僕はただ自分が知りたいだけでして……(ズキズキ)」


 照れる振りをする傍ら、心中で何を思うのか。擬音で察して頂きたい。


「それで、今は近代の噂や怪談……つまり風説・風評について調べていまして。当時の学生達の間で流行っていた話題みたいな事を聞かせて頂けたら、と」


「確かに昔から生徒さんと良くお話してきたから、それなりに話す事もあると思うけど……それでいいの?」


「はい、噂からは当時の流行や好まれていた話題の傾向を窺う事が出来ますし、怪談は実際にあった事件に通じている場合もあります。他の情報と合わせれば、その話に至った背景を考察する事も可能かもしれませんから」


『アンタの舌ってどうなってんだい』


 少なくとも根本に二枚目が隠れているなんて事は無い。断じて。

 しかし弥生さんは信じてくれたようで、感心したような表情だ。


「そういう物なのねぇ。でも、いつ頃の事から話そうかしら。私も長い事ここに居るから、何から話せば良いのか分からないけれど……そうね、まずは――」


 ……弥生さんのお話は、取材云々を抜きにしてもとても面白い物だった。

 バブル期に流行った無駄にスケールの大きい噂話。明らかにトレンディなドラマの影響を受けている都市伝説。一年ごとに細部の変わる学校の怪談……。

 若風先生の言う通り、様々な話が流れるように出てくる。めいこさんが会話を記録してくれなければ、とてもじゃないが覚えきれなかっただろう。


(……でも、ちょっと、まずいかな)


 しかし、どれだけ聞いても主目的である花子さんに繋がるような話が出て来ない。

 さりげなく話題を誘導もしてみたものの、反応はナシの礫。

 このままでは、約束していた取材時間を越えてしまう。


「……そういえば、あなたは涼子ちゃんの教え子なんですってね。彼女、立派にしているかしら?」


「っあ、はい。何時も僕らの事を気にかけてくれて、凄く頼りにしています」


 そんな折、僕にこの学校を紹介した若風先生の事へと話題が転がった。

 さて、これ好機と取るべきか否か。チラリと花子さんを見やり、逡巡し――。


「そう……それなら良かったわ、本当に……」


「……?」


 何故か心の底から安堵する様子を見せる弥生さんに、引っ掛かりを覚えたが――そこで思考を止めた。

 今まで何人もの顔色を伺ってきた僕の脳が、これ以上は踏み込んではいけない領域であると直感したのだ。


「あの子、昔から苦労人だったから。それが報われて良かった、本当に……」


 しかしその配慮を無視するように、弥生さんは懐かしむ目で回顧を始める。


「あの子がまだ転校してきたばかりの頃は凄かったんだから。周りの人達皆に噛み付いて……書類整備での交流がなければ、私でも近づかなかったわねぇ」


 転校してきた?

 という事は、若風先生は羽車学院の前に違う学校に居た?

 それがどうした……と思わないでもなかったが、花子さんが先生に既視感を覚えながらも、羽車に関してはそれが無かった事を思い出す。

 もしかしたら、その辺りに関わる可能性はある。相槌を打ち、先を促した。


「担任の先生やご家族ともあれだけ揉めてて、大人なんて信用しないって言ってたのに。今では立派な先生になって、あなたのような良い子に慕われて……」


 ただでさえ糸のような目が更に細められ、どこか遠い場所を見る。

 そして、その瞳には優しく暖かい光が灯り――ぽつり、唇を震わせた。


「――――」


 ――それは多分、僕にも聞かせるつもりは無かったんだと思う。

 現に僕はただの吐息だと思ったし、弥生さん自身の耳にも届かなかった筈だ。

 けれど、この場にはもう二つだけ耳があった。

 人ではなく、生き物ですらない存在だったけれど――その内の片方の耳には、届いた。届いてしまった。


「…………」


 手元のページに書き出されたその一文を見た時、どんな事を思ったのかは良くは覚えていない。

 ただただ大きな申し訳なさと、総毛立つ感覚を得ていた事は心身が記憶している。


 ――あの妊娠騒動、辛かったでしょうに。


 ……めいこさんのページの最後。

 ずらりと並ぶ今までの会話に付け加えるようにして、その一言は載っていて。

 視界の端で、幽霊の首がぐりんとこちらに傾いた。

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