五頁 取りこぼしの再会



【私立羽車学院高等部 事務長 安中弥生】


 ……若風先生からその名刺を差し出されたのは、図書館に籠もり続けた末、碌な手がかりもなく迎えた金曜日の事だった。


「私の母校と……学生時代の恩人だ。長く学校に居て、半ばカウンセラーのような事もやっている人だから、きっと色々な話を知っているだろう」


 そう語る先生の瞳は暖かい物だったが、表情としては苦渋に満ちていた。

 矛盾とも言えるそれに僕は大きな疑問を持ったけど、無遠慮に尋ねるほど人間関係を捨てているつもりは無い。

 結果として感謝と共に名刺を受け取らざるを得ず、またその弥生さんとやらの下へ尋ねる新たな義務を負ってしまった訳である。あーあである。


『そんなにヤなら止めりゃ良い……ってのは、今更かね』


 そしてその翌日の土曜日。トボトボと街中を歩く僕に、花子さんが肩を竦めた。

 当然ながら、歩く先は私立羽車学院以外に無い。牛歩の上に鈍と重を上乗せした足運びだ。


「……止められる訳無いでしょ。よく知らないけど、先生が何か無理をして当たってくれた伝手ですよ。ここで知らんぷりしたら、僕は優等生を名乗れない」


『その肩書にこだわるねぇ、アンタは』


「むしろそうで無い僕に何の価値があるんですかね。品行方正である事を止めたら、ただの性悪クソガキに成り下がりますよ僕は」


『自覚してんのかい』


 うるせぇ。


「……くそ、そもそも何で今更こんな場所に……」


『は?』


 思わず漏れたその愚痴に花子さんが疑問の目を向けるが、敢えて無視をする。

 そう、僕が嫌がっているのは面倒事その物ではない。今から行く場所、その学校自体に原因の大半があった。


「…………」


 それから十数分。花子さんから逃げるように無言のまま歩き続けていると、街中にあって一際大きな建造物が目に入る。

 広大な土地、それを囲む高い壁、そして並列したトラック数台分の長大な正門。


 ――私立、羽車学院。

 そこはかつて、山原が数日だけの高校生活を謳歌していた場所だった。





「――ああ、君が連絡のあった子かい? 昔の話が聞きたいんだってね」


 学院内の職員室。来客担当らしきその男性教師は、にこやかな様子で僕を見た。

 その目に疑いの色は微塵も無く、むしろ好青年を見る色合いだ。

 僕は努めて爽やかな笑みを作り、深々と頭を下げる。


「今日は休日にもかかわらず、校内への立入許可を頂きありがとうございます。今回は戦後間もない告呂における民間の風説について、長く事務長を務めていらっしゃるという安中さんにお話を伺いたく――」


 などなど斯く斯く然々云々かんぬん。

 それっぽい単語を並べ真面目くさった態度を意識し、自己紹介と目的説明を行った。


『アンタさぁ、詐欺の才能あるよね。結構本気で』


 うるせぇうるせぇ。

 からかい混じりにつっつく花子さんを睨みつければ、彼女はおぉ怖い怖いと引き下がる。ほとほとムカつく幽霊である。


「若いのに随分と勉強熱心なんだなぁ。分かった、じゃあちょっと待っててな。すぐに準備させて貰うから」


「あ……はい、わざわざありがとうございます」


 男性教師は勉学熱心(を装った)僕に気を良くしたようで、朗らかな笑みを浮かべた。

 その丁寧な対応に心が痛むが、ここまで来たらもう引き返せない。

 僕はにこやかな表情とは裏腹に、心中で謝罪の意を込めた礼を一つ。備え付けの電話に向かっていく男性教師を見送った。


(……山原の居た、学校か)


 正直、こんな所には絶対に来たく無かった。

 当たり前だ、何が嬉しくて大嫌いな――それも自分が殺した奴の生きた痕跡を見に来なければならない。距離と時間を置くつもりが、逆に近づいてるじゃないか。

 腹の底で黒い物が煮立ち、奥歯の裏で何か苦いものを噛み締める。


『……っていうか、花子さんは見覚えないんですか。この場所』


『あ? あー……いや、特に引っかかるものは無いかな。今んトコ』


 気を紛らわせようと傍らの幽霊にめいこさんを掲げれば、返ってきたのは最早聞き飽きた言葉。一体何処なら心当たりがあるんだ。

 と、そうしている内に男性教師が戻って来た。手帳を仕舞い、笑顔を被る。


「待たせたね。今担当の者と話をして大丈夫だって事だから、これから別棟の事務室に案内する事になると思うけど、それでいいかな?」


「はい、特に問題はありません。別棟というのは?」


「実習室とかが集まってる場所でね、ここからだと……あ、見えないか」


 教師は窓に目を向けると、そこに繁る木々の葉を見て軽く眉を寄せる。


「……そうだな。準備するから、ちょっと待ってて」


「あ、いえ。場所だけ教えてくれれば、後は自分で……」


 仕事の中断作業を始めた彼にそう申し出た、丁度その時。

 ガラリと職員室の扉が空き、軽い声が轟いた。


「失礼しまーす。自動車整備科からの荷物なんすけどー」


 目を向けてみれば、そこには橙色のツナギを着た大柄な男が一人。重なったダンボール箱を抱え、入室して来た所だった。

 ……いや。長身で引き締まった身体をしてるが、少年だ。

 ダンボール箱の影になっているのか、どうやら僕の存在には気付いていないらしい。


「ん、ああ、そうだな……とりあえずこっち持ってきてくれ」


「うっす」


 その男子生徒は、教師の指示に従い近くの机に荷物を置き――そこで初めて顔を上げ、僕と視線が交差した。


「……?」


 既視感。

 どこかで見た事のあるようなヘタレた顔と、どこかで見た事のあるような金の髪。

 脳のシワの奥底に埋没していた記憶が浮上し始め、彼の存在に色を付けていく。

 そうだ、僕はこの少年と会った事がある、気がする。んだけれど。


「あー……?」


 向こうも僕の顔を見て、何やら引っかかるような表情を浮かべている。

 誰だったかなぁ。そう考え込んでいると、男性教師が少年へと声をかけた。


「丁度良かった。お前、彼を事務室まで案内してやってくれないか?」


「……え、いや。は?」


「!」


 カチリ。

 聞き覚えのある戸惑いの声が記憶をひっかき、忘れていた記憶が眼前へと広がった。

 そうだ、彼は確か。


「――前。山原達と一緒に居た金髪……?」


「っ、やっぱお前あん時のメガネかよ……!」


 男子生徒――かつて山原達からリョウだかリュウだか呼ばれていた筈の少年は、僕の漏らした声に反応し、思いっきり顔を歪めた。


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