火吹き揺らめくは意思の華
■
――暮六ツ半、戌の二つ時。
人が出歩くには少しばかり遅く、妖魔が出るに早すぎる時刻。
薄い月明かりが差し込むその場所に、赤い光が舞っていた。
石塀に囲まれた小路の半ば――その端に止められた救急車が発する光だ。
常にくるくると動き続けるその光は、車から降りた救急救命士を、道端に落ちる小石を、地に広がる黒い粘液のようなものを照らし、赤く染め上げていた。
「……お、あれかな」
車外に立ち、道の向こうを見つめていた救急救命士から、声が漏れる。
視線の先にあるのは一台の青い乗用車だ。
それは救命士の誘導に従い、道脇へと流れるように停車した。
「いやぁ、この辺は道が狭くて嫌になりますねぇ。ほんと」
運転席の窓から顔を覗かせたのは、狐の様な細目の優男だ。
年齢の読めない中性的な顔立ちをしており、端正だとは表現できる。
しかし全身に漂う胡散臭い雰囲気が、全てを台無しに打ち消していた。
男は徐ろに胸ポケットから黒張りの手帳を取り出すと、救命士の眼前に開き大きな金の旭日章を見せつける。警察手帳、その中身だ。
「告呂市警の水端冬樹です。連絡あったの、ここですよね?」
「ええ、違いありません。ご足労頂き感謝します」
「あーイエイエ、そういうの省きましょ。あんまり上のヒトじゃないんで、私」
冬樹はひらひらと手を振り言葉を遮ると、気負う事無く降車。
すぐ様後部席へと向かうと、丁寧な手つきでその扉を開け放つ。
上司でも同乗しているのだろうか。
救命士はその様子を見つめ――冬樹の手を取り姿を表した者に目を丸くした。
(……女の子?)
年の頃は一六、七と言った所だろうか。
漆黒の長髪に大きな桜の髪飾りを差した、和服姿の美しい少女だ。
その如何にも大和撫子といった風情にほんの一瞬見惚れかけたものの、やはり状況に対する違和感が先に立つ。
「あの、彼女は……?」
「協力者ってトコです。ま、良い娘ですので余り気にしないで下さい、ハハハ」
どうやら冬樹に説明する気は無いらしい。
適当に誤魔化し、救命士の肩を軽く叩いて案内を促した。
「……はぁ、ではこちらへどうぞ」
救命士は暫く迷っていたようだが、最後には警察という肩書を信用したようだ。
怪訝な表情を浮かべつつも冬樹と少女を先導し、小路の奥へと歩を進めた。
――二十時四十分。救急センターに一本の通報があった。
通報者はおそらく少年。
小路の中ほどにある電話ボックスからの物で、酷く取り乱していたらしい。
その内容は全く要領を得ない支離滅裂な物だったが、少年の様子から緊急を要する案件と判断し、救急救命士三名の出動を決定。
そうして四分の後には通報場所へと到着したが、当の電話ボックス周辺には、少年どころか怪我人の姿も見当たらなかったそうだ。
目立った騒ぎも無く、周囲を捜索すれど人の気配も目撃者も無し。
質の悪いイタズラ電話の可能性を疑い始めたその時、小路の一部に真新しい血痕を発見し、警察への協力を要請したとの事だった。
「血痕……ですか」
「はい、量は少なかったのですが……ほら、これです」
道を歩く救命士は、塀の一部を指し示す。
懐中電灯の光に照らされたそこには、確かに赤黒い跡が残っていた。
強く、何度も叩きつけられたのだろうか。
飛び散った血液が斑に広がり、よく観察すれば肉片らしき物さえこびり付いている。明らかな暴行の残滓だ。
「ははぁ……これはこれは、あまり穏やかではありませんねぇ」
「私達はここが現場だと思い、周辺を捜索したのですが……何と言えばいいのか」
言い辛そうに口篭る。
それを不審に思った冬樹は細い目をほんの少しだけ開き、救命士を見つめた。
「……いえ、見てもらうのが早いですね。こちら、どうぞ」
やがて、某かの結論を付けたらしい。止めていた足を動かし、先へと進んでいく。
(見てもらう……ま、確かに捜査しがいはありそうな感じですケドも)
粉末の入ったビニールや割れた眼鏡、転がっている懐中電灯。
軽く道を見回すだけでも、手がかりになるであろう物は数多い。
冬樹は様々な遺留品らしきものを頭に書き留めつつ、歩き続け――やがて、道を塞ぐようにして広げられた、青いビニールシートの元へ辿り着く。
付近には他二名の救命士が控えており、シートの周囲を見守っているようだ。
「……これです」
救命士は仲間に断りを入れると、水端達をその近くに手招いた。
そしてシートの端を軽く捲り上げ――その中身を晒す。
「――う……っ」
それはむせ返る程に濃い肉の匂いを放つ、個体と液体の中間のような、不定形の物体だった。
鮮やかなピンク色の表面が懐中電灯の光を照り返し、不気味な瑞々しさを放つ。
ピクリ、ピクリと時折飛沫を上げて全身を震わせるその姿は、見様によっては生物のようにも見えない事もない。
「おえッ……な、なんですか、これ……?」
「分かりません。この道を塞いでいた物なのですが……全く判断がつかず、触れて良い物かも分からなかった為、ビニールシートで保全していました」
「は……ははぁ、それはそれは。なんというか、懸命な判断で……」
鼻を摘みながら観察していた冬樹は、手元に落ちていた小石を掴みピンク色の『何か』へと恐る恐る近付ける。
表面に触れた小石は粘着質な音を立てて内部に沈み、少し力を込めて引き抜けば、小石の表面に付着した粘液がねっとりと糸を引いた。
「……うえ」冬樹は細い目を歪ませながら、気味悪げに小石を投棄。
気を抜けば胃の中身を戻しそうになる口元を抑えつつ、救命士に顔を寄せた。
「……何かの化学製品の不法投棄、とかどうです?」
「は? ……ああ、いえ、しかし。この匂いは無機物だとはとても……」
「――十三人です」
鈴、と。
男二人が行う『何か』の落とし所の相談に、涼やかな声が割り込んだ。
「……
「これは幾人もの人間が溶かされ、混ざり合った末に生まれたもの。霊魂の怨念が作り出した、呪いの結果……だと思われます」
灯桜と呼ばれた少女は、独り言のように呟きつつ『何か』の傍へとしゃがみ込む。そうして手に持っていた花束をそれの上に捧げ、合掌。
言葉の胡散臭さとは裏腹に、その姿にはふざけている様子など微塵も無かった。
「……あの、ちょっと。大丈夫なんですか、あの娘」
突然の言動に驚いた救命士は、不審な様子ですぐ横の監督役の耳に口を寄せた。
しかし冬樹はその言葉に答えず、曖昧な笑みを深め灯桜へと向き直る。
「ふむ、元人間……ですか。その心は?」
「肉体と共に融け合い、混ざり合った意識達。彼らは既にあらゆる意味で人の形を失っていますが、全てが崩れた訳ではありません」
霊魂とは、生物の肉体を巡る霊力の集合体に意識が宿った存在である。
それは種によって様々な形を持ち、人なら人、犬なら犬と、自らの生きた肉体を模している。
例えどれだけ霊魂の形が崩れようとも、必ずどこかにその形跡は残るのだと、彼女は屹然と告げた。
「ははぁ、それでは十三人もの市民を殺し、こんな姿にした腐れ外道が居ると」
「……これを成したものは、酷い憎悪に苛まれていたのでしょう。詳細は分かりませんが、それだけは感じられる……」
余りにも常軌を逸した内容であるが、ごく自然な様子で会話は進む。
そして合掌を解いた灯桜が腕を薙いだ瞬間、『何か』に供えられていた花束が、音を立てて燃え上がった。
「なっ……!?」
「…………」
驚く救命士を余所に、冬樹と灯桜は冷静なままだった。
真っ赤な炎はすぐさま『何か』に燃え移り、ビニールシートを熱気で吹き上げ夜空を照らし上げて行く。
「……昇るケムリは十三本、と」
煌々と、轟々と。
赤い炎が『何か』を……人だったものを焼き滅す。
それは、慈悲の炎。
それは、浄化の炎。
それは、告別の炎。
壊れ果てた魂を天へと葬る、少女の――華宮灯桜による弔いであった。
「…………」
そうして盛る炎を眺めながら、灯桜は静かに拳を握る。
彼女の属する華宮家は、古来より続く怪異の浄化を専門とする名家の一つだ。
憎悪に狂った悪霊や、悪意ある妖魔への対処。そして平和に暮らす一般市民の守護を存在理由としているというのに、今回の結果は何たる事か。
事の委細を何一つ把握できないまま、既に十人以上の被害者を出している――華宮として、あってはならない事だった。
胸裏に悔しさと申し訳無さが渦巻き、ただ立ち尽くす。
「……あー、っと。処理は完了と言う事で、救命士さんはあっち行きましょか」
その姿を見た冬樹はほんの一瞬笑みを消すと、すぐに唖然としたままの救命士へと向き直り、その背を押した。
「……え? は!? いや、い、今、火、火が、何が!?」
「いいからいいから、はーいこっちでーす」
冬樹は混乱する救命士の手を引き、他の救命士の元に引きずって行く。
気を遣ってくれたのだろう。灯桜は心中で礼をすると、大きく息を吐き出した。
まだ事件は終わっていない。沈み込むには早過ぎる。
(…………)
近くの壁に指を這わせた。
そこにあったのは、並んだ二つの『界』の文字。
血液で斜線の引かれた大きな物と、油性ペンで書かれたらしき小さな物。
……霊力の感じない、単なる落書きにしか過ぎない筈のそれが、何故か無性に気になった。
「……解せない」
視線をブロック塀の向こう側――さやまの森へと移し、考える。
何故このような事が起きたのだろう。
あの塊となった人々は、何故そのような目に遭わなければならなかったのか。
(怪異とは、あまりにも大きな怨念を抱えた霊魂が振りまく呪いの実体化。狂い、思考能力が低下した霊に、道理や理屈を求められる筈も無い。それは分かっている。けれど……)
納得など、出来る筈が無い。
握る拳の力が増し、小さく軋む。
(それに、怪異の姿が視えなかった事も不可解)
この小路はさやまの森からの怨念に包まれており、霊力が散らされやすく感知が酷く難しい場所だ。
されど、霊力の残滓一つすら残さずに姿を眩ます事などまず不可能。
いや、例え可能であったとしても、呪いを撒き散らす程に狂い果てた怨霊に、そのような器用な真似が出来る訳がない。
まるで、そう。誰かが裏で蠢き、手を引いているような。そんな違和感。
(…………)
……灯桜の脳裏に、一つの記憶が蘇る。
かつて母から聞かされた怪談話。諌め言や子守話といった絵空事ではなく、現実に先達である母が経験してきた、人の悪意が詰まった生臭い話。その中の一つ。
「――怪異、法録」
それは華宮にとって因縁の深い、最悪で醜悪な怪異だ。
赤い皮張りの書物の姿をしているというそれは、心根の腐った人間の下にどこからともなく現れ、自由自在に怪異を作り操る力を与えるらしい。
ある者は金を、ある者は女を、そしてまたある者は権力を。
所有者となった者の欲望を現実に映し、戦前から長きに渡りこの告呂の地に混乱を巻き起こしてきたという。
その中には、この小路で起きた事件もあったと記憶している。
もし、それが用いられていたとすれば、今回の出来事も、或いは……。
「……まさか、ね」
頭を振り、溜息を吐く。
黒髪が宙に散らされ、漆黒の粒子を振り撒いた。
「…………」
そうしてふと思い立ち、懐から小瓶を取り出し月明かりに翳す。
中に入っているのは、先程この場で回収した、黒く濁った粘液だ。
灯桜には、ここで何が起こっていたのか分からない。
しかし、これを始めとした現場に残る手がかりを調べれば、何らかの真実には辿り着けるかもしれない。
真っ直ぐに前を見つめるその目の奥には、確固たる意思の華炎が燃えていた。
「……待っていて、下さい」
自らが葬った十三の魂達にそう呟いて。
遠くから自分を呼ぶ冬樹の声に従い、確固たる足取りで歩き去る。
「 …… ぃ 」
――森の中より注がれる、濁った視線。
その気配には、終ぞ気付かぬままとして。
*
キィ、キィ。
電灯が照らす明るい部屋に、仏壇の扉が軋む音が、響く。
部屋の中は、乱雑に荒らされていた。
本や服を始め様々な物が無造作に散らかされ、木製の壁と床に敷かれた畳には、正体不明の黒い液体がこびり付いている。
血飛沫のようにも見えるそれは、部屋の状態と合わせ強盗事件が起こったかのような様相を作り出していた。
「……違う」
そんな酷い惨状の只中で――その少年は、泣いていた。
ただ、静かに。しゃくり声も、呻き声も上げる事も無く。
流れる雫は囁くような呟き声と共に服に落ち、襟元に透明なシミを作り出す。
――ろくちゃんは、良い子だねぇ……。
「違う、違うんだ……こんなつもりじゃ、なくて……」
彼は外れかけた襖に背を預け、動かない右腕を垂らし、今はもうこの世に居ない誰かへと釈明する。
左手には黒い位牌が握り込まれており、縋るように胸に押し付けられていた。
――ろくちゃんは、良い子だねぇ……。
――ろくちゃんは、良い子だねぇ……。
――ろくちゃんは、ろくちゃんは――。
「……違う……ごめん、なさい……、……ごめん……」
今はもうこの世の何処にも居ない、心を許せるたった一人の家族。
彼女からの許しの言葉を求め、少年はただ懺悔する。
誠意も無く心も無く。あるのはただ、心身を苛む後悔と罪悪感から逃げたいという願いだけ。
結局のところ、それはどこまでも見苦しい責任逃れにしか過ぎなかった。
……そしてそんな彼の周辺。その身を折り曲げ、中身を晒し転がる幾つもの本。
その内、アルバムと表記されたものから、一枚の写真が顔を覗かせている。
映るのは、穏やかな空気を纏う老婆と、赤子を抱えた女性、そして――少しぎこちなく笑う、丸眼鏡をかけた細身の男性の姿。
黄ばんだ紙の中に立つ彼らは、誰もが幸せの表情を浮かべていた――。
了
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