九頁 真意



「くそ、どこだ、どこだっけ……!」


 箪笥の中を、漁っていた。


 おばあちゃんが使っていた時のまま、殆ど手付かずだった古箪笥。入っているのは小物に文具、本やレコードなど様々だ。

 それらをなるべく傷つけないよう丁寧に取り出し、目的の物を探す。


(アルバム、違う。辞書、違う! 小説、電卓、古いメガネ、全部違う!)


 逸る心を抑えながら、只管に漁る。

 そんな僕の脳裏に、先程帰宅していった藤史さんとの会話が浮き上がる。





『一緒ってのは語弊あるか。あの連続行方不明事件、俺の家内も被害者の一人だったんだよ』


 既に心の整理はついているのだろう。

 訥々と言葉を紡ぐ彼の表情は穏やかな物で、ただ寂しさだけがあった。


『居なくなる前に買い物行ってくるとだけ言って、そのままドロンだ。多分、その事がトラウマか何かになったんだろうな。俺が出かける時は行き先をしつこく確認するし、自分が出かける時は呆れる程詳しく言い残してくんだ』


『……はぁ』


『今でもそれは変わんなくてさ、あんなナリしてんのにどこ行くんだよって必死になって聞いてくるんだ。一昨日もかなり細かいとこまで言っててな……』


 それなのに、帰って来ない。

 彼にはそれが妻が消えた時と重なって、堪らなく不安なのだという。

 僕の心を覆い隠す仮面が罅割れ、ボロボロと落ちていった。


『……っと悪いね、何か空気悪くなっちまったか』


『いえ……こっちこそ、すいません。僕、知りませんでした』


『ハハ、まぁ意外だったわな。あのバカ、何時も本音出させてやるとか息巻いてたから、言ってるもんだと思ってた』





 ギチ、と唇を噛む。


「くそ、くそ、くそ……!」


 それから先の事を思い出すまいと作業に没頭しようとするが、上手くいかない。

 それどころか、更に鮮明になって僕の意識を犯し、かき混ぜる。





『本音って、あの……それってどう言う……?』


『ん? ああ、何でも君が何時も嘘付いてるから、それを止めさせてやる……だったっけか。十歳くらいの頃からずーっと言ってんの。はは、バカだよなぁ、こんなに君良い子なのになぁ――』





 その時上手く返事を返せていたかどうか。

 ただ、激しい不快感を感じていた事は覚えている。


「何が嘘だ、何が、何が――――、!」


 悪態を吐きながら箪笥の奥を探っていると、一際大きいファイルを発掘した。

 もしかして、と期待感のままに取り出し中身を確認する。


「あった、あった……!」


 それは、かつての行方不明事件の記録。

 幾つもの新聞の記事をくり貫いて作られたスクラップブックだ。


 僕はいつの日か、これをお婆ちゃんが作っている姿を目にしていた。

 何のため、どんな感情を持っていたのかは分からないが、それは今考えるべき事じゃない。


 震える指で無造作に開き、中身を確認。

 考察、批評、被害者、事件概要――記事に書かれた活字の群れを、忙しなく眼球を動かし追っていく。





『――にしても、本当どうしちまったんだろうな、浩史のバカ』





(起こったのは十二年前の今頃、最初の被害者は僕の両親で一件、そして山原のお母さんが……二件目。その直ぐ後に更に二件……)


 脳裏に再生される声を無視して、切り抜きの記事を一つ一つ指差して熟読する。

 重要な部分には赤いマーカーが引かれており、探しやすくて助かった。





『早く帰って来ないと、どんどん騒ぎが大きくなるってのに』




(五件目からは二週間毎に一件ずつ起こって、七件目、十一人目を最後にぷっつり無くなり、そのまま。被害者同士には血縁関係の者も居たけど、それは一部。大半には共通点は無い。しかし、その誰もが同じ場所で消えている)


 読み進める内に、音を立てて血の気が引いていく。

 息が詰まり、吐き気が胸から迫り上がる。僕には、その事件を構成する要素に大きな心当たりがあった。


「……めいこさん、山原を消した時。あれ、何回目の再現って言ってた……?」


 その問いかけに応え、めいこさんはカサカサと蠢く。


 ……彼女を開くのが怖かった。

 真っ赤な表紙を見つめたままで怖気付き、躊躇う。僕は粘つく唾液を飲み込み、意を決して表紙を開き――。





『――母さんみたいに、小路の中で行方不明とかになってなきゃ良いんだけどな』





「……ッ」


 そこに書かれていた数字は、八。

 僕が山原と井川の件で利用した一回を除けば、七。

 この記事に書かれていた数と一致する。


 いや、それだけじゃない。

 小路という場所も、条件と事件の性質も。単なる偶然と片付けるには共通する箇所が多すぎた。


 物的証拠は何一つとして存在せず、ただの推測にしかならない。

 けれど、僕は確信を持って一つの事実を予想する。


 ――即ち、この行方不明事件は手帳の力を用いて行われた可能性が高いのだと。



「…………」


 僕や山原の家族を消したのが、この手帳の前任者であるかもしれない。

 その事実が、重く心を押し潰した。



 *



 両親が居なくなった時、お婆ちゃんは毎日の様に泣いていた。


 仏壇の前に正座し、誰かの名前――おそらくは祖父の――を呟きながら、必死になって拝んでいたのだ。

 嗚咽と涙を漏らしながら手を合わせ、何度も何度も頭を下げていたその姿は、今もなお強く脳裏に焼きついている。


 だからこそ、僕は良い子になろうとしたのだ。

 お婆ちゃんが泣かないように、彼女に迷惑をかけないように。


 色々な事を我慢した、色々な事を努力した。

 デロデロに腐っている本音を表に出さないようにしたし、山原との件もバレないように細心の注意を払って誤魔化して、周りに好印象を振りまいた。


 だからこそ、今がある。

 成績優秀、品行方正、清廉潔白で優等生な僕がある。


 心には沢山汚い物が産まれたものの、その生き方は決して間違っていない。

 ……いなかった、筈なのだ。少なくとも、さっきまでは。


「……ごめん、なさい……」


 遺影のお婆ちゃんは笑顔だったけど、今だけは泣いているように見えた。


 僕は、井川と共に山原を消したのは正しい事だったと思っている。

 だってそうしなければ、お婆ちゃんの遺した物が穢されていた。

 例え山原が何を考えていても、藤史さんが悲しもうとも、あんなクズに僕の大切なものが堕とされるなんて絶対にあってはいけない。


 だからあの時の事に後悔なんて無いし、しちゃいけない。


(……けれど、それは。絶対にやっちゃいけない事だった……ッ!)


 僕の前任者。かつてめいこさんを手にしていた奴が、何を考えて幾人もの人間を行方不明にしたのかは分からない。

 物取りに利用したのか、それとも他に何か目的があったのか。今となっては察する事すら不可能だ。

 分かっているのは沢山の人を消して、そして、お婆ちゃんを泣かせたという事だ。


 ――ろくちゃんは、良い子だねぇ……。


「……くそッ」


 ……僕は、顔も知らない犯罪者と同じ力を手にして、同じ方法で人を消した。

 そしてそれを喜び、笑い。調子に乗って星野君を消す事をも検討した。

 それは、お婆ちゃんを泣かせた奴と一体何が違うのだろう?


(違わない、違わないんだよ、何も!)


 歯軋りが鳴る。

 十二年前の犯人と同じ所まで堕ちた事が、お婆ちゃんに顔向け出来なくなってしまった事が、悔しくて悲しくて堪らない。


 認めらるか、そんな事。

 僕は憤りのままためいこさんを引っ掴み、手荒に開き問いかけた。


「……山原達を……異小路で消えた人を元に戻す方法を、教えろ」


『不可能、であります。貴方には、本書の機能を使用できるだけの霊力が存在しないため、言霊の根本的な書き換えや消去は、』


「知ってるよそんな事っ! それ以外に何か無いのかって聞いてるんだ……!」


『不可能、であります。貴方には、』


「――めいこさんッ!!」


 定型文を繰り返そうとする彼女を怒鳴りつけ、綴られる文字を強引に止める。


 ……きっと十二年前も同じようにして、当時の持ち主と共に在ったのだろう。

 どのような使われ方をしようとも決してそれを諫めず、そのサポートをし続けたのだろう。


 それは別にいいんだ。否、よくはないけど僕にはどうこう言える資格は無い。

 でも、このまま放置する事は絶対にダメだ。

 お婆ちゃんが、優等生である僕自身が、決して許してくれない……!


「頼むよ、何か、何か方法があったら教えてくれよ……!」


 切実に訴える。

 反応は無い。書きかけの否定文のまま変化しない。


「……もし、本当にどうする事も出来ないのなら、僕はあんたを捨てる。やりたくないけど、火を付けて燃やして灰すら残さず処分してやる。そうすれば、全部元に戻るかもしれないから」


 多くの創作物では、この手のオカルト関係の物は呪いや祟りの源を処分すれば何とかなる割合が高い。この場合はめいこさんの事だ。


 僕だって、多少なりとも愛着が湧いている彼女にそんな事をしたく無い。

 しかし、本当に何一つ出来る事が無いと言うのなら――僕は躊躇いなく彼女を燃やすだろう。

 例え、自分勝手と罵られようともだ。


「そうなりたくないのなら、教えてくれ。無いのなら考えてくれ、探してくれ。嫌なんだ、僕は。このままお婆ちゃんを泣かせた奴と同じになるのは……!」


 脅しに似た懇願。

 しかし彼女はやはり何も反応せず、紙面にも変化はない。

 僕は目を閉じ紙に額を擦りつけ、人を抱きしめるかの様に彼女を握り締めた。

 そして、ありったけの感情を込めて呟く。



「――――……めいこさん……っ!!」



 瞬間、脳裏に赤黒い火花が散る。


 これが最後だ。

 もしこれで何の反応も無かったり、機械的な文章を返してくるようだったら、もう――。


『……霊、魂』


「!」


 カサリと彼女が蠢き、開いた目の前に文字が浮き上がる。

 慌てて額を離せば、小指ほどの小さな文字がページの真ん中でゆらゆらと揺れていた。

 それは頼りなく不確かで、僕の物とは違う酷く弱々しい筆跡だった。


「霊魂……?」


『言霊を、再現する際には、自らの霊力だけではなく、核として他人の霊魂を封入しなければなり、ません。書き換えた言霊を、霊力の塊たるそれに認識させ続ける事によって、初めて言霊を編集する事が可能になる……の、であります』


 霊魂、つまりは魂。

 霊力だなんだと耐性は付いたつもりでいたが、また随分とベタな要素が出てきたものだ。


「……それで、何をどうすればいい」


『貴方の、求める言霊に――異小路の、怪談に封入されている霊魂と交渉し、説得する事ができれば。言霊の書き換えとは行かずとも、少々の融通を、効かせられる可能性もあります』


「融通……それは、被害者を解放する事も出来るの?」


 めいこさんは、その質問には答えなかった。


 しかし彼女が否定の時に用いる『非』の一文字が出ないという事は、絶対に不可能ではないのかもしれない。

 光明を見出した気がして、詰め寄る。


「それで、その魂とはどうやったら交渉出来るの?」 


『貴方には、本書の使用だけでは無く、霊魂を視認できる程度の霊力すらありません。故に、言霊を再現し霊魂を現世に顕現させる工程が、必要となります』


 顕現――と言う事は、また小路に行って『界』の文字を完成させれば良いのか。

 咄嗟に柱時計に目を向ければ、午後の七時を差していた。

 今の薄暗い時間帯なら、殆どの人は気味悪がってあの小路に近づかない筈だ。


 善は急げ。

 僕は慌ただしく懐中電灯を引っぱり出し、油性ペンとカサカサ蠢くめいこさんをポケットに突っ込み、散らかった部屋はそのままに家を飛び出す。


「くそっ……くそぉっ……!!」


 待ってろ、なんて死んでも言わない。

 ただ悪態だけを吐き出しながら、全力で足を動かした。



 *



 人通りの無い住宅街と、曲がりくねった細い小路を駆け抜けて約十分。

 件の場所は街灯の一つもなく、月明かりもまた弱い。懐中電灯がなければ、自分がどこに居るかも分からなかっただろう。


「……はぁ、はぁ……!」


 体を酷使した事で息が上がり、心臓が早鐘を打つ。

 やはりインドア派の僕に運動なんてさせるもんじゃない、腕も足もガタガタだ。


 そうして浮かんでくるのは、山原の嫌らしい笑み。

 これから元に戻さなければいけない、害悪の幻覚。


「クソがっ!」


 どうして僕があいつの為に頑張らなきゃいけない。

 助ける価値もない人間なのに。居ない方が、僕にとっても社会にとっても良い影響を齎す筈なのに――。


「……だから! ダメなんだよそれじゃあ!」


 疲労で煮立った頭を強く振り、邪な考えを散らした。


 お婆ちゃんを泣かせた奴と同じのままで居てたまるかよ。

 何度も自分に言い聞かせ――懐中電灯でブロック塀を照らし出す。


「……あった」


 光に浮き上がるのは、一本の赤黒い線が縦断した「界」の文字。

 異界への扉を開くための鍵の片方だ。


 おそらく、僕の前任者はこの文字をスイッチとして用いていたのだろう。

 怪談を使用して、目的を成したら文字を欠けさせる。

 それを繰り返す事で簡単に怪談を制御し、七件もの行方不明事件を作り上げていたのだ。


 単なる推測にしか過ぎないが、そう確信できていた。

 何故ならば、僕も限定的ではあるがそれと同じ事を行い、また行おうとしているのだから。


「……これに入ってる霊魂を説得出来れば、山原達は帰ってくるんだよな?」


『本書には、記述されていないため、』


 ぱたん。相変わらずのめいこさんに見切りを付け、ポケットに捩じ込む。


 そうして返す手で油性ペンを握り、文字の横に新しく『界』を書き込んでいく。

 本当は元の字を修正した方が良いのかもしれないけれど、血で汚れた物を直すのは手間がかかる。

 反対側の塀にはまだ『界』の字が残っているし、条件的には問題無い筈だ。


「…………」


 ……藤史さんによれば。山原は僕の嘘を止め、本音を出させたかったそうだ。

 嘘や本音とは一体何の事だ……なんて知らんぷりした所で意味は無い。


 屈辱だ。

 完璧に隠せていたと思っていたのに、一番バレたくなかった奴に看破されていた――それを考えると、胃がねじ切れそうになる。


「くそがッ! あの、ノータリンが……!」


 ああ、ああ、分かった。

 山原の思惑は不快感ごと無視をすると、そう決めた。


 奴が何を思い僕に嫌な事をしてきたのか、それを慮る必要性などあるものか。

 汚点を雪ぎ優等生に戻った時には、これまでと同じようにお前を見下し続けてやる。

 どんなに暴力を受けようとも屈する事無く『良いお友達』で在り続けてやろう。


 ――お望み通り、胸に溢れる黒い粘液を吐きかけた上で、だ。


「……ぁぁあああ、っそがァ!」


 凄く、不愉快。


 割れた爪の痛みと共に、ペンを握る力を込めて――最後の一角を引き降ろす。

 ペン先が音を立てて摩擦し、赤黒い火花が迸った。


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