第4話
時刻は17時半。
今日は金曜日で、明日からいよいよ高校総体が始まる。
新チームでの初の公式戦。どの高校、どの部活でも皆同様だ。
「ゆりちゃん…」
「花芽…」
「明日のこと…なんだけど…」
鬼灯は口籠った。本当は別件の用があるということを黄乃瀬は察した。
「花芽はいいのよ。明日も私がなんとかする。責任は全て部長の私にあるんだから」
「でも…そんなの…」
「いいから!」
強い口調で黄乃瀬は鬼灯に言い放つ。
鬼灯はその気迫に一歩うろたえた。
「明日早いから先に上がって。明日の試合のために今日は早めに練習終わらせたんだから」
黄乃瀬はそう言い切るとまたシュートを放り始めた。
鬼灯にはどうすることもできず、体育館を後にした。
嫌だな、私って…
鬼灯に強く当たってしまった自分に、黄乃瀬は後悔した。
少しだけ、浅く、蘇るかのように黄乃瀬は右頬の痛みを思い出す。
今から1年前。
渚東高校女子バスケ部に期待の1年生が入学をした。
黄乃瀬ゆりは中学バスケで県大会準優勝を果たし、県の指定選手にも選ばれるほどの優秀な選手だった。
卒業後は、バスケのために名門の
しかし本人は受験選び、見事、渚東高校への進学を果たす。
なぜ渚東高校に進学したのか、真相は本人しか知らない。
そして中学から一緒にいた鬼灯花芽もまた、渚東高校へ進学した。
渚東高の女子バスケ部も県内ではベスト8に食い込むほどの強豪または中堅としてのポジションを築き上げていた。
そして、そこまでチームを牽引したのが、監督の“
白髪混じりの髪の毛、シワが寄っているおでこ、少し臭うタバコ臭さは蘭丸という名前には似つかなかった。
そして何よりも厳しい指導で有名だった。時には手を挙げるとか挙げないとかという噂まで立ち込んでいた。
黄乃瀬にとっても、厳しい監督というのは初めての経験だった。
経験したことがないということもあってか、彼女は稲垣先生を
しかし、現実、特に高校の部活はそれほど甘くはなかった。
毎日飛ばされる罵声、呼吸をすることさえも辛くなるほどの練習。こんな日々が、ほぼ毎日続いた。
中学までは優秀な選手として、多少努力を積まなくても練習にはついていけたし、試合にも出れていた。
自分が、井の中の蛙だということを黄乃瀬は痛感した。
もちろん、ついていけない生徒も出てくる。黄乃瀬も例外ではなかった。
たくさんの人が辞めていくのを黄乃瀬は見てきた。
皆が辞める時、口を揃えてこう言った。
「勉強に専念したいので、部活辞めます」
そういう奴に限って、落ちぶれていくのを黄乃瀬は知っていた。だからこそ、彼女は辞めなかった。
逃げるための口実も実践できない奴なんて、邪魔以外なにものでもないわ。
落ちぶれていくことを知っている上で、彼女は、辞めていった人々を軽蔑した。
月日は流れ、8月の新人戦(1、2年生のみが出場可能)で、黄乃瀬は1年生ながら見事スタメンに上り詰めた。
ようやく自分が認められた…!
側から見れば、中学の時に県指定の選手が高校1年で試合に出るのは当たり前と感じるかもしれない。
しかし、過酷な練習に耐え、努力を積んできた黄乃瀬にとっては、これまでにないほどの高揚感に満たされた。
努力は必ず実るのだ。腐らずに継続することで認められるのだ。
そのことを彼女は身を挺して証明し、それを誇った。
しかし、その高揚感は仇となる。
試合で大きなミスをしてしまった。それも連続で。
パスをミスし、ファールが
理由はわかっていた。
極度の緊張からだった。
小さい頃から緊張癖はあった。中学の時も県大会決勝で緊張からミスを誘発し、結果準優勝だったのだ。
普段は出来るプレーも大一番ではミスしてしまう、彼女の唯一の弱点だった。
そして、そんな姿を知ってるのはチームの中で鬼灯のみだった。
ベンチでは彼女の醜い姿に、応援よりも
「何してんだぁ!!」
ハーフタイムに入ると同時に、稲垣監督の罵声が飛んできた。
黄乃瀬の頭の中は真っ白だった。
「ご、ごめんなさ…」
声が
黄乃瀬は
誰の顔も見えない。声も聞こえない。ベンチに戻りたくない。
気持ちが
助けてよ…。誰でもいいから、私を庇ってよ。先輩も私を慰めてよ。
花芽、私を守って…
バチン
鈍い音が体育館に響き渡った。
後を追うようにゆっくりと、ずっしりと、黄乃瀬の右頬がジンジンと痛み始めた。
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