第4話 一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に

「『スマイル・カンパネラ』でした!ありがとうございました!」


 先程楽屋で談笑していたグループが出番を終えて去っていく。


「これって本格的にアイドルだけの企画みたいですね」


 菊池が壁に貼られたポスターを指さす。


 ポスターには3人組の女の子が写った写真と、『ホワイトラビッツPRESENT』『白うさたちの行進』という文字が大きくプリントされていた。


「つまり、この子たちが主役ってこと?」


「まあ、そういうことになりますね。下にツアーの日程が書かれているので、恐らく今日がツアー最終日ってことですね」


「へえ、キクちゃんやっぱそういうの詳しいよね」


「いや、たまたま知っていただけですよ」


「隠す必要なんかないだろ?別に」


 菊池は不貞腐れたかのようにそっぽを向く。


「じゃあつまり、干川さんはアイドルだっていうこと?」


「まあ、そうなりますよね。見た目はヴィジュアル系のバンドマンっぽいんですけどね、かっこいいですし」


「そうそう、意外だよね」


「問題はどういう音楽性なのかってことですよね、干川さんが一体どの方向性へ振り切っているのか気になるところです」


 菊池が一人高揚していると、舞薗が違和感に気が付く。


「お客さん、だんだん減ってないか?」


「あれ?本当ですね」


 会場にいた観客たちが少しずつその場を後にしていくのが目に見えて分かる。


「ずっとこの場にいると息苦しいですからね。そういうのも必要ですよ」


「まあ、確かに」


 気が付くと、会場に残っていたのは菊池たちを含め数人だけになっていた。改めてこの会場の広さがわかる。


「……もう、始まりますよね」


「あ、カメラ準備しないと」


 照明が暗くなっていき、BGMがフェードアウトする。


 次いで流れてきたのは、シンセサイザーの音だった。旋律はポップさを感じさせ、まさにアイドルという曲調をしていた。


 音楽が盛り上がる。それと同時に下手から主役が登場する。


「どうもー☆ スター☆ウィンクルでーす! 今日は楽しんでいってねー!」


 登場したのは、干川だった。


 先程までの様子とは打って変わって、無理矢理に出しているような黄色い声で、干川は名乗りを上げる。


 衣装は着替えたのだろうか、セーラー服を模したその衣装は、着る人間さえ違えばそれなりに似合っていただろうが、干川が着ると、その衣装がもつ可愛さは薄れるどころか、最悪な相乗効果を生み出していた。


 干川が歌いだす。しかし、音程はいまいち合っておらず、それどころかヌケの悪いその声質はバックでなっている音楽にかき消され気味で、歌詞を聞き取ることができない。


 そのバックで流れているオケの音楽も、流行りの音楽とはセンスが桁違いにずれており、どこか20年前のヒット曲を彷彿とさせるような曲調だった。使われている音源もどこか質が悪く、到底手間暇をかけては作られていないだろう、あるいは作曲の理論を知らない者が作ったのだろう、そんな想像すらさせてしまう。


 曲がサビに入る。


 ここまで見てきたが、肝心のダンスはとてもぎこちなく、手足の末端は動いているのだが、根本からはほとんどと言って良いほど動いておらず、まるでロボットダンスという例え、ダサいという端的な形容詞こそがしっくりくるだろう。


 これは、アイドルと言っていいのだろうか。


 二人には、そんな疑問が渦巻いていた。


「ハァ……、ハァ……! ありがとー!」


 一曲が終わる。ふと周りを見回すと菊池と舞薗以外の客は皆会場を後にしており、先程までの喧騒、拍手、歓声は、耳鳴りが聞こえるほどにその存在を潜めていた。


「2曲目、いっきまーす!」


 二人は当然耐えられなかった。


 共感性羞恥に近しいものもあった。しかし、観客もいないまま、どうして彼女はライブを続けるのだろうか、彼女をここまで駆り立てるものの正体は、一体何なのだろうか。二人にはそれは分からない。それでも、彼女の背負った見えない業や苦しみが、得体の知れない感情として二人の心臓を締め付けていた。


 仕事だから。


 今はそう自分に言い聞かせるしかなかった。




「今日はありがとう!またね!」


 それでも笑顔だけは崩すことの無かった彼女は、そう言って上手に去っていった。


「はは、なんか、すごかったね」


 瞬間の静寂すらも耐えられなかったのか、舞薗が口を開く。


「……キクちゃん?」


「……どうして干川さんは、アイドルなんかやってるんでしょうか?」


 舞薗が期待していたのは、簡単な肯定だった。


 すごかったですね、と。普段の菊池ならそう答えていたはずだし、舞薗もまたそういった答えを求めていた。


 しかし、今の菊池は、底知れぬ感情を抱えていた。


「分からない、本当に分からない……!」


 それは、怒りにも似た感情だった。


「キ、キクちゃん?」


 干川の出番が終わると同時に、観客達が次々と会場へなだれ込んでくる。




 ライブを終えた干川は、1人静かに楽屋へ向かっていた。


 すると、通路で誰かが怒りを露わにして叫んでいるのが聞こえた。円陣の掛け声だろうかと思ったが、真っ白な衣装を纏った2人組の少女が、もう1人の、同じ衣装の少女を壁際に追いやっているのが見えた。


 リハーサルの際に他の出演者たちは追い出されてしまったため、その姿を確認することはできなかったが、それはまさしく、ポスターに映っていた『ホワイトラビッツ』の3人だった。


「センターになったからって天狗になっちゃってさぁ!何様?」


「リーダー気取りも、ホントやめろよ!」


 彼女たちへ近づくにつれて、会話の内容も段々と聞き取れるようになる。


「あんたのパパが偉いからってどうしたの!私たちのこと見下すのがそんなに楽しいの!?」


「……おい!何か言えよ!愛羅あいら!」


 一人が、愛羅と呼ばれた少女を突き飛ばす。


 突き飛ばされた少女は、痛がる素振りも見せず、ただ静かに目線を上げて口を開く。


「……今、何言っても、状況が変わるわけじゃないでしょ?結局、私で鬱憤晴らしたいだけじゃないの?」


「……っ!」


 押し倒した少女が、思いっきり平手を振りかぶる。

 しかし、その手は既の所で静止する。


「な、なんだよおばさん、離せよ!」


 干川が、手を掴んでいたのだ。


「ライブ前に顔ひっぱたこうなんて、いい度胸じゃん」


「おばさんに関係ねえだろ!」


「・・・・・・おばさん、ねぇ」


 その言葉で感情が昂った干川は、掴んだ腕を捻り、そのまま肩関節を極めてしまった。


「いっ!痛ああああああああぁぁぁ!!」


「お姉さん、じゃないの?年上の人への口の利き方は教えてもらわなかった?」


「痛い痛い!!お願いです!!やめてえええええ!!」


「おい!何やってんだ干川ァ!!」


 それを見ていた松土が、怒鳴り声をあげる。


「何って、マッサージで――」


 電流が走った。


 それは、ここ数年で感じたことのないような痛覚だった。


 松土は、干川の胸ぐらを掴み、全力でその頬を殴ったのだ。


 一瞬とはいえ、意識が飛ぶ。


 ミシミシと体が軋む音、衣装の繋ぎ目がちぎれる音、体が空を切る音、それらを反芻しながら、干川は後方へ吹き飛ばされていった。


 酷く響く痛覚と倒れ行く感覚の中、ふと愛羅と呼ばれた少女と目が合う。


 その少女は、冷たい目をしていた。


 高校生あたりの年齢だろうか、僅かに揺れるポニーテールに少女らしいとても可愛いらしい顔立ちをしているが、まるで人や社会を信用していない、孤独で、寂しい目でこちらを見つめていた。


 ああそうか、わたしには人を助けたり、なだめたり、咎めたりする、至極当たり前な権利を持ち合わせていないのか。


 わたしには、人を助ける権利などないのだ。


 そうふと思った瞬間、干川の体は床に打ち付けられた。


「さあ、君たちは行きなさい」


 松土は少女たちに声をかける。


 愛羅は少しばかり干川を見つめた後、二人に続くようにステージへ上がっていく。


 会場には、場を埋め尽くすほどに人がひしめいていた。もはや人と人の間に空間は無く、息もしづらそうなほどに密接している。


 盛大な拍手と歓声の中、愛羅は大きく息を吸い込んだ。


「ホワイトラビッツです!よろしくお願いしまーす!」




「干川、お前はもう帰れ」


 そうとだけ言うと、松土は会場を後にする。

 干川はまだ痛みの残る頬をさすりながら楽屋に戻り、そそくさと衣装を脱ぎ、荷物をまとめ、興奮の渦巻く会場を後にした。


 エントランスを抜けると、すでに日没した街並みに、街頭テレビのまばゆい光と、遠くから聞こえてくるクラクションの音で、干川は日常に戻されたことを認識する。


 ふと、空腹を感じた干川は財布の中を確認するが、数えるほどの小銭しか見当たらず、小さくため息を漏らす。


「あの、干川さん?」


 後ろから声をかけられる。


「あんた、あのリポーターの?」


「菊池凛花です」


「ああ、そうそう、そうだったね」


「……今日はお疲れ様です」


「ええ、どうも」


 沈黙が訪れる。


「あれ、もう一人は?」


「舞薗さんはもう少し見ていくって会場に残ってますよ。随分気に入っちゃったみたいで」


 そう、と干川は相槌を打つ。


「……干川さんって、なんでアイドルなんかやってるんですか?」


 菊池は話を切り出す。


「なんでって?そりゃ魔法少女やってるからね。当然の選択だと思うけど」


「その割には、お客さん誰もいなかったんですけど」


「まあ、そうだろうね。今日はあのホワイトラビッツとかいうユニットのツアー最終日だし、前座は前座らしく、時間稼ぎが仕事だからね」


「そう、ですか」


 菊池はその説明に納得がいっていない様子だった。


「干川さんって、いつもああいう感じなんですか?」


「いつもも何も、そうだけど」


 菊池は、さらに不満そうな表情を見せる。


「まさか、説教でもするつもり?」


「……私は、分からないんです」


「分からない?」


「どうして干川さんは誰かに愛されようとしないんですか?」


 その言葉、ついさっきも聞いたな、と干川はふと壬酉の顔を思い出す。


「愛し愛される関係なんて、ゴミの考えるようなこと。そんな単純なこと、あなたにもそれぐらいわかるでしょ?」


「――じゃあ、なんで!」


 菊池が声を荒げる。


「なんで、干川さんはアイドルなんかやってるんですか……?」


「ちょっと、なんで泣いてるの」


 菊池は、目に涙を浮かべながらこちらを見つめていた。


「ご、ごめんなさい、つい姉を思い出しちゃって」


 菊池はバッグからハンカチを取り出し、涙を拭う。


「お姉さんもアイドルやってるの?」


「はい、6年前までは」


「それってどういうこと?」


「・・・・・・私の姉は、小さい頃からアイドルに憧れてて、高校を卒業してからすぐに上京したんです。ですけど、事務所からパワハラを受けたり、陰湿なファンから嫌がらせを刺せられたり、気がついた頃には精神を病んで、そして終いには――」


 菊池は、遂に泣き出してしまった。


「いいよ、別に言わなくても」


「うう、干川さん・・・・・・」


 菊池はしばらくハンカチを手放せずにいた。


「・・・・・・いつもみんなを笑顔にしたい。私の姉は、口癖のようにいつも言ってました。だから、干川さんみたいなタイプの人がいるの、本当に悔しくて」


 菊池は凛とした表情で干川と向かい合う。


「干川さん、どうしてあなたはアイドルなんか・・・・・・」


「・・・・・・そうね、わたしには、死んでも果たさなきゃいけない目的があるから」


「目的、ですか?」


「そう」


 干川は、街頭テレビに目線を向ける。


『川澄透也主演。これは、果たされぬ復讐の物語である――』


 街頭テレビには、侍の格好をした川澄透也が映っていた。


「わたしはね、わたしの人生を滅茶苦茶にした、川澄への復讐のためにアイドルやってんの」

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ファイヤー・ディストラクション Chiara Wednesday @ChiaraWednesday

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