珈琲は月の下で
松本 せりか
珈琲は月の下で
ピリリリリー。
車掌さんの笛が鳴る。
「この列車は『夢の国』行、最終列車です。お乗りの方はお急ぎくださ~い」
転々と光があるだけの薄暗いプラットホームを、子どもたちがわらわらと走って列車に飛び乗る。
『駆け込み乗車は危険ですからおやめください』なんて、アナウンスは鳴らない。
だって、この列車を逃したら明日の夜20時まで、この『夢の国』行の列車は来ないのだから。
20時の始発列車は、昔走っていたような蒸気機関車。煙を吐きながら走る蒸気機関車は子どもたちの憧れだ。その後、時間が下がるごとに、現実の列車に近くなっていく。
そして、今日も21時30分発の最終列車が発車しようとしていた。
車掌さんと駅員さんが何か確認するように、合図を交わす。
子どもたちが車両に乗ったのが確認出来たのか、列車はホームから滑り出すように出ていった。
駅員さんと2人、駅のホームに取り残される。
列車が去ってしまって、ホームの屋根の間から月明かりが見えた。
「乗らなくて良かったのですか? お嬢さん」
声を掛けられ、私は駅員さんの方を見た。制服姿の、意外と若い男性だった。
「始発から、ずっとホームにたたずんでいて、いつ乗るのかと思っていたのですが」
「夢の列車に乗るような歳でも無いわ。今日だって、ここに来れたのは奇跡みたいなものだもの」
「そうですか? 昔はあんなにはしゃいで、一番列車を待っていたのに……」
そう言って懐かしそうな目で、私の方を見ている。
昔は? 昔……は、だってあなたじゃ無かった。
「代替わりしたのかと思ってたわ。私が覚えているのはもう少し年配の……」
「私ですよ。……というか、そんな風にあなたの目には見えていたのですね」
駅員さんは優しく笑って私を見る。
「今日は乗り遅れた子もいないし、良かったら駅員室で珈琲でもいかがです? 備え付けの物なので、インスタントですが」
「いいの?」
「ええ。どうせ貴女はしばらくここから動けないのでしょうし。かまいませんよ」
駅員さんにいざなわれる様に、私はホームの端にある駅員室に入って行った。
この駅は、変わらない。
列車に乗ろうと駆け抜けている時には気付かなかったけど、ほんわりとした明かりが灯るだけで、どこか薄暗い。
田舎のどこにでもありそうな、小さな駅だからだろうか。
駅員室の中もそうだった。
電気は無く。ランプで明かりをとっている。
達磨ストーブの上のやかんが湯気を立てて、私達を待っていた。
「日中は暑いのに、夜は寒くなりましたからね。暑かったら言って下さい」
「いえ」
丁度良い暖かさだ。
「どうぞ。適当なところに座ってください」
そう言われたので、私は入り口の近くのベンチの様になっている木製の椅子に腰かけた。
しばらくすると、珈琲の良い香りがしてくる。
インスタントと言っても侮れないわね。
「どうぞ」
駅員さんは、そう言って私にマグカップを渡してくれた。
ミルクの代わりに牛乳を入れて。濃さもちょうど良い。
「駅員さんには、私の好みまでわかるのね」
「ここもまた、夢の国ですからね」
駅員さんは、またにっこり笑った。
そして立ったまま、珈琲を飲んでいる。
「座らないの?」
立ちっぱなしじゃ疲れるだろうと思って訊いてみた。
「座った方が良いですか?」
駅員さんが訊き返してくる。
…………どうだろう? 私はただ駅員さんの為に訊いたのに。
そう思っているうちに、パイプ椅子を取り出して私の目の前に駅員さんは座っていた。
「何かありましたか?」
何か……。別に、決定的な何かがあった訳じゃない。だけど心の底に溜まっていっているような感じがずっとしている。
「ああ、失礼。
私が黙っていたのを何と思ったのか、駅員さんは即座に謝ってくれた。
「大人って……何なんだろう」
私は、ぽつんとつぶやいてしまった。
目の前で、駅員さんは珈琲をただ飲んでいる。
私も、珈琲を飲んだ。
大人にこんな質問をしても、ありきたりの答えしか返ってこない。
最悪、『そんな質問をしているうちは子どもだ』……なんて言われてしまう。
「そうですねぇ。イヤな事があっても、胸の内一つに収めておける。周りの空気を上手く読んで、その場に合わせた行動が出来る……なんて人間は、大人でも子どもでも、つまらないですよねぇ」
駅員さんは、私の方では無く、どこか遠くを見ているような感じがした。
「まぁでも、お嬢さんがなりたい大人になれば、良いんですよ」
答えになっているような、なっていないような……そんな曖昧な言葉を返してくれた。
ここは、本当に不思議な場所だ。
夢の列車の発着場所。幼い頃、散々お世話になっていたはずなのに、最近まで忘れていた。
もっと大人になれば、こんな
ホームの屋根の間から、月明かりが漏れていた。
珈琲は月の下で 松本 せりか @tohisekeimurai2000
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