第24話 たわわ

 もみじがボートから降りるのを見守った後、ぴゅーっと口笛を吹きスレイプニルに合図を送った。

 すると、ニワトリがアヒルのようにびちゃびちゃと水面をすっーと泳いでこちらにやって来る。

 ちゃんと見ていなかったけど、ニワトリの足は水かきになっているのかもしれないな……。どう見てもニワトリだったから、足にまで注目していなかった。


「にゃーん」


 ニワトリの頭頂部から顔をのぞかせたスレイプニルが一声鳴く。


「ありがとうー。降りて来てくれ」


 スレイプニルがするするとニワトリのトサカを足場に首元まで降りる。

 ここから見えないけど、たぶんラウラに「にゃーん」と鳴いているに違いない。


「ラウラ。こっちに」

「うん」


 銀色の獣耳がぴょこりとトサカの隙間から出たかと思うと、白猫を胸に抱いたラウラが跳躍する姿が見えた。


 お、おお。

 ニワトリの背から2メートル近く飛び上がっているな。勢いそのままにくるりと空中で一回転した彼女はストンと地面に降り立つ。

 中々の身体能力だ。さすが、森を一人で彷徨って無事だっただけはある。彼女は幸運のみで生き抜いてきたわけじゃあないってことだな。


「こ、こやつ……」

「き、貴様は……」


 椛は特に反応がなく、栩にいたっては「おおー」とラウラの跳躍に手を叩いて喜んでいた。

 しかし、年長の二人はあからさまに警戒を強め、身構える。

 彼らは椛と栩の前に立ち、ラウラから目を離さぬまま俺に問いかけてきた。


「この娘。そなたとの関係は? 従わされているのか? そなたのような者がこの娘と連れ合うなど思えぬ」

『何を言うかもきゃー。ラーテルは下級魔族リヒトの慰み者もきゃ。つまり、オレサマの下僕……うきゅう』


 変なことをのたまいそうになったルルーの口を塞ぐ。

 それでもまだ収まらないようで、彼はもがもがと何か喋ろうとしていた。


「彼女はラウラ。いろいろあって今は俺たちと一緒に暮らしている。大人しい子だよ」

「本心から言っておるのか……」


 隼の糸のような目が細まり、眉間に大きな皺が寄る。

 一方で彼より気が早い蜻蛉は腰の刀へ片手を乗せ、いつでも斬りかかることができる姿勢を取っていた。


「何を懸念しているんだ? 気配……って奴で分かるだろ? ラウラに敵意が無いことくらい」

「……その娘、黒銀の悪魔に瓜二つなのだぞ。牙を剥いてこそいないが」

「彼女は決して君たちを傷つけたりなんかしない。彼女に似た何者かを警戒する気持ちも分かる」


 でも、決して彼女ではない。

 ラウラが鬼族に恐れられるような所業をしていたとは思えないんだよ。

 ひょっとしたら彼女と鬼族の誰かが獲物を巡って争ったのかもしれない。だけど、揉め事を起こしても彼女なら力で無く言葉で解決しようとするだろう。

 彼らの警戒の仕方は、危険で凶暴なモンスターに対するそれだ。過去に揉め事を起こした厄介者という扱いじゃあない。

 だからこそ、俺は彼女ではないと確信しているんだ。


「私、ニワトリさんのところに戻るね。スレイプニルさんも連れて行っていいかな」

「ラウラ……」


 鬼族に背を向け、無防備な姿を晒す彼女の肩は小刻みに震えていた。

 背を向けたのは自分は決して彼らを襲ったりしないという意思表示なのだと思う。

 彼女は両手でスレイプニルを抱っこしているから、手も使えない。

 

「黒銀……いや、ラウラ殿と言ったか。それがしと目を合わせてもらえんか?」

「どういう意味だ?」


 隼の能力が分からぬ今、はいそうですかと従うわけにはいかないな。

 いくら無警戒な俺であっても、蜻蛉はラウラに斬りかかる体勢を崩していないんだぞ。


「何もせんよ。只、目を見るとな、不思議と『分かる』のだ。ラウラ殿から悪意ある気配は感じぬ。だが、理人殿までも欺いているやもしれん」

「そんなことはない! ラウラは」

「分かっているとも。某とて、理人殿と同じ気持ちではある。だが、自分の目で見たい。それだけなのだ。約束しよう。只、目を合わせるだけだと。妖術など使わぬさ」

「う、うーん」

「そうだな。もし某が違えたとしたら、椛の裸を飽きるまで見せてやろうではないか」


 何言ってんだよ。こいつ……。

 

「ちょ、ちょっと! 隼さん!」


 ワイシャツを着たままの椛が真っ赤になって、自分で自分の体を抱きしめる。

 そんな彼女の頭を隼の大きな手が覆う。

 

「信じよう。隼さんが、自分ではなく他人を犠牲にするような人じゃあないと思うから。それに、そんな冗談を言うくらいだ。逆に信用できるよ」

「ははは。あからさま過ぎたな。失礼」

「俺はよくても、ラウラが否と言えばお断りさせてもらうぞ」

「うむ。そうであった。すまぬな。ラウラ殿」


 後ろを向いたまま静かに俺たちのやり取りを聞いていたラウラは、耳をペタンとつけピンと立てた後、こちらに向き直った。


「ラウラ」

「顔を見るだけだもん。全然平気よ。私も何かしなくっちゃ。ずっとリヒトに頼ってばかりだもの」

「別にこのままここを立ち去ってもいいんだ」

「ううん。それだと、リヒトが悪く思われちゃうじゃない。それはダメ。この人たちともう会わなかったとしても、それでも」

「分かった。頼む」


 ラウラは満面の笑みを浮かべて大きく首を縦に振る。

 一歩前に出た彼女は真っ直ぐ前を向き、隼に問いかけた。

 

「隼さん。ここからでもいいのかな?」

「構わぬ」


 隼もラウラの方へ一歩進み、細い目を閉じる。

 静かに目を開いた彼はラウラの瞳を覗き込む。

 

 しばし静寂が流れ、隼が元の位置に戻った。

 

「ラウラ殿。これまでの非礼、申し訳ない。そなたは黒銀の悪魔などではない。鬼族と変わらぬ異種族の客人だった」


 隼が深く頭を下げると、蜻蛉も刀から手を離し彼と並ぶようにして同じように深々と非礼を詫びる。

 

「ラウラさん。本当に申し訳ない。我らはそれほどまでに黒銀の悪魔を警戒している」

「ううん。私はずっとそうだったから。でも、頭を下げてくれるなんて、ちょっと嬉しいかな」


 ラウラはてへへと自分の獣耳を指先で撫で彼らから目を逸らす。

 

「よかった。解決、解決!」


 パンパンと手を叩いた椛が「ね」とばかりに首を傾げ下から俺を覗き込む。

 

「うん。良かった。俺の友人が客人と言ってもらえて」

「あはは。面白い人だね。理人って」

「そ、そうかな」


 彼女のたわわなところについつい目が行きそうになる自分を律し、彼女から視線を外す。


「あれ、面白いって表現がよくなかった?」

「そんなわけじゃ。ま、回り込まないでくれ。と、ともかく。種、ありがとう。助かったよ」


 隼の方へ向き直り、ペコリと頭を下げる。

 

「いや、こちらこそ。見事な刀を頂戴した。そうだ。先ほどの非礼の詫びと言っては何だが」

「ん、これは。笛?」

「そうだ。もし、我らと会いたいと願うなら、この地でその笛を吹くがよい。近くにいれば訪れよう」

「ありがとう。また来させてもらうよ」

「うむ。こちらこそだ。ではな、理人殿、ラウラ殿」


 四人と順番に握手を交わし、立ち去っていく彼らに手を振り見送った。

 

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