第22話 水浴び

「よし、頼むぞ。ニワトリ」

『ゴケエ』


 気の抜ける鳴き声だなあ……。でも、ニワトリが体に比べて小さい翼を震わせたら、フワリと浮き上がる。

 お、おお。

 トサカにしがみついた俺とラウラがが同時に声をあげた。

 

「よっし、まずはあの滝でも目指そうか」

『ゴゲエー』


 濁音溢れる鳴き声を発したニワトリが、前へ動き出す。

 

「お、おお」


 巨体な上にニワトリな見た目だから、ゆっくりとした飛べないと思いきやカラスや鷹と変わらぬくらいの速度で飛翔している。

 俺たちを乗せても平気みたいで、飛んだけどやっぱり落ちていくなんてこともなかった。

 あっという間に滝が近づき――。

 

「きゃ」


 ラウラが小さな悲鳴をあげる。

 彼女の声を聞き、俺の方は声をあげることを押し留めることができた。

 一人だったら思いっきり叫んでいるね。うん。

 

 だって、滝の上で真っ逆さまに落ちているんだああ。

 

 ドパーン。

 盛大な水しぶきをあげ、滝の下にある池に着水する。

 そのまま沈むかと思ったが、ニワトリはアヒルのように水面に浮かんだまま停止した。

 

「ふう。ん?」


 ニワトリのトサカを挟んで右手にラウラ、左手に俺が乗っていたわけなのだけど、トサカを背にした方向へ目を向けたんだ。

 したら、額に三角錐の角が生えた女の子と目が合った。

 彼女は巨大ニワトリが突然着陸したことに大層驚いているようで、指先をニワトリに向けたまま完全に固まっていた。

 胸より上が水面から出ているのだけど、水浴び中だったのか何も服を着ていない……。


「ご、ごめん……」

「……」

 

 俺の言葉にようやく再起動した彼女は両手で胸を抑えそのままずぶずぶと肩の辺りまで水の中に体を沈める。

 さっきまでの硬直はどこへやら、涙目になって俺を睨む。

 全面的に俺が悪いので、何も申し開きはできないのだが……。

 

「まさか人がいるなんて思ってもなかったんだ」

「……そ、その魔獣……あなたが?」


 肩口までの鮮やかな赤色の髪をぶるぶる震わせ、丸く剃った眉毛――眉麻呂を潜める女の子。

 でも、どこの人なんだろう。彼女は?

 眉尻と頬の辺りに赤い斑点のような化粧をしているし、角が生えている獣人はいるけど彼女のような角が生えた種族を見たことがない。

 独特な化粧もまた俺の知るものではなかった。

 

「このニワトリは一応、餌をあげることで協力してくれることになっている。人を襲わ……ないから安心して欲しい」

「……ほ、ほんと……? さっき変な間があったけど……」

「ほ、本当だとも。な、ニワトリ」

『ゴゲエ』


 汚らしい鳴き声に女の子は水の中に顔を沈めてしまったじゃないか。

 ここは、スレイプニルに頼ろう。

 トサカに爪を立てていたスレイプニルをルルーごとぐわしと両手で掴み、彼女の方へ向ける。


「にゃーん」

「ほら。こんな小さな猫でも平気なんだって」

「わ、分かったわ。あなたに敵意が無いのも。食べないでいてくれて……」


 再び顔だけを水面に出した彼女は、眉麻呂を潜めつつもそう言ってくれた。


「食べるわけないってば。あ、俺は理人。君は?」

「私はもみじ


 椛か。何だか懐かしい感じがする名前だな。


「椛ー! 何だか凄い音がしたけど! うわあ! み、みんなあ!」


 盛大な水音が原因だろう。彼女の名を呼ぶ少年が岸辺に姿を見せた。

 ニワトリを見た瞬間、彼はその場で尻餅をつき喘ぐようにして叫ぶ。


くぬぎ……」


 少年の方へ手を伸ばし、口を大きく開いた椛はチラリとニワトリを見て彼の名を呟くに留まる。

 きっとニワトリを刺激すまいと考えたのだろう。

 彼女は小さく首を振って青ざめ、縋るように俺を見つめてくる。

 

「叫んでも大丈夫だよ。襲ってこな……いから」

「……本当?」

「う、うん」


 頭に手をやり、乾いた笑いが出つつ曖昧に頷きを返す。

 正直、曲がりなりにも餌で契約した俺とラウラ以外に対し、ニワトリがどういう態度を取るか分からない。

 いや、別にニワトリの出方なんて気にする必要なんてないじゃないか。

 

「大丈夫さ。万が一、そういうことはないと思うけど、ニワトリが襲い掛かった場合、俺がこいつを止める」

「え、ええ」

「そのまま岸まで行ってくれてもいいのだけど」

「腰が抜けちゃって。動けないの」


 なるほど。そういうわけだったのか。

 ニワトリに対し襲われるかもと思っているのに、何故逃げ出さないのかなと不思議に思っていたんだ。

 このままニワトリを再び飛び立たせてもいいのだけど、せっかく出会った会話できる人物なのだ。彼女が許容してくれるなら、情報交換したい。

 

「よっし。出でよ」

 

 公園にあるような手漕ぎボードを出し、ひょいっとニワトリから飛び降りる。

 すたっとボードの上に着地して、椛に手を伸ばす。


「ごめん、裸だった……。出でよ」


 バスタオルを出し、手を伸ばした方の腕にそれを被せる。

 彼女から顔を逸らし、ここに掴まれとばかりに指先をくいっと動かした。

 すぐに彼女の手が俺の手を掴む感触がしたので、ぐっと腕に力を入れ彼女をボードの上に引っ張り上げる。


「体を拭いて」

「こ、これは……どこから……」

「ええっと。魔法だ。うん。とりあえずそのままだと、顔も合わせられないから」

「わ、分かったわ……」


 そろそろ終わったかな?

 とりあえず、何か服を。

 

 ……ま、またワイシャツかよ!

 我ながら自分の脳内がどうなってんだと自己嫌悪に陥るな……これ。


「とりあえず、これ着て。岸まで送ってもいいかな?」

「あ、ありがとう。こ、こんな生地見たことがないわ。それに、このボタン。キラキラして軽くて、貝殻でもないし……」

「着たかな。あう」


 無言で顔を逸らし、バスタオルをもう一枚出して彼女に渡す。

 

「そ、それを上から羽織って」

「あ、ありがとう」


 顔を合わせたら彼女の顔が真っ赤になっていた。

 こっちまで頬が熱くなってしまったよ……。

 確かに主に胸の辺りがいけないことになっていたから、慌ててバスタオルを出した。

 いけないことになっているなら教えてくれればいいのに。もしくは、濡れたバスタオルでもいいから、上から羽織っててくれるとか。

 やりようはあるじゃないか。

 これは、不可抗力であって決して俺が凝視したのではなく、まあいい。

 一つだけ言えることは、彼女はラウラと違っておっぱいが、以下自主規制。

 

『待つもきゃー』


 ニワトリの背から、両腕を開いたフクロモモンガが滑空してくる。

 ふわりと俺の肩に乗ったルルーがふんふんと鼻を鳴らした。

 

「ラウラ。スレイプニル。しばしそこで待っていてくれ。スレイプニル。ニワトリが暴れないように頼む」

「うん」

「にゃーん」


 スレイプニルがいるなら、俺が離れても大丈夫だろ。

 余計なことをしでかすかもしれないルルーが俺と同行したいようだし、こっちの方が都合がいい。

 

 備え付けられたオールを握りしめ、ぎーこぎーこと岸辺に向かって漕ぎ始めた。


「んじゃま、行くとしますか」

『もきゃー』


 意気揚々と右腕をあげるルルーに苦笑する。

 つられて椛も薄い笑みを浮かべたことで、ホッとする俺であった。

 この分だと、話くらいはできそうだ。

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