第21話 父との対峙

 優羽は誠の言葉を黙ったまま、じっと聞き続けていた。そして誠がすべてを語り終えたあと、ゆっくりと口を開いた。


「そんなの嘘ですっ……と、いいたいところなのですが、お二人はたぶん本当の事を言われているのでしょうね」


 優羽は彼女にしては静かな口調で声を漏らすと、自らの両手にある金と銀の腕輪を見やっていた。


「父は私の事をU-02と呼んでいたと言っていましたね。たぶんそれは私の母の名が優衣ゆいという名前である事と関係があると思います」


 優羽はあふれ出ようとしている何かを抑えるようにして、少しくぐもった声で答える。

 少しずつ少しずつその声に嗚咽がまぎれこんでいく。


「こんな風になる前、ときどき父はいってました。母は優衣だから分解したら、ゆうといになる。ゆうのいちだな。だったら優羽はお母さんの次だから『ゆうのに』だなって。その時はおちゃらけた冗談……だったのでしょうけど。まさかこんな形で聴くことになるなんて思わなかった……です。でも……だからU-02なんでしょう」


 優羽の声はところどころかすれていて、その目に涙をあふれ出していた。


「この腕輪も見覚えがあります。父が何か機械に向き合っていた時、近くにおいてありました。まさかそういう目的のものだとは知りませんでしたが」


 気丈に耐えて告げる言葉は、どこかあやうい揺れを感じさせて誠には何も言えなかった。


「父を止めなければなりません。父も本当は優しい人なんです。ただ少し道を踏み外してしまっただけなんです」

「俺の言葉を信じてくれるのか。俺が嘘をついているかもしれないのに」


 誠は優羽に問いかける。今の優羽は誠と一緒にいた優羽とは違う。二人で積み重ねてきた時間は覚えてはいない。ただ誠だけが記憶している。

 だけど優羽は少しだけ寂しそう笑みをうかべて、ゆっくりとその唇を震わせた。


「誠さん、でしたっけ。そうですね。今の私にとってはついいま出会ったばかりの人ですから、普通だったら簡単には信じられないとは思います。でも逆に私をだまそうとするなら、こんなむちゃくちゃな話なんてしないでしょう」


 静かな声に少しだけ誠は優羽との距離が離れてしまっている事を感じ取っていた。

 だけどそれと同時におそらくは過ごしてきた時間は決して消えてしまった訳では無いのだと、誠には信じられた。

 今は心の奥底に封じられてしまっているけれど、確かにそこにはあるのだと。


「それに」


 優羽は言葉を続けていた。


「父と会ってみればわかる事ですから」


 その声に決意すら含ませて、優羽は力強く手を握りしめていた。


「それじゃあ行きましょう」

「どこに」

「決まってます。私のおうちにですよ。誠さん。一緒に父と会ってくれますか」


 優羽はにこやかに微笑んで、誠へと手を差しのばす。

 誠は一瞬とまどうが、しかしすぐにその手をとった。


 優羽のすべてを取り戻すために。例え今まで過ごした時間が戻ってこないとしても、優羽の大切なものを取り返すために。


「わかった。行こう」


 確かに頷く。

 同時に美朱はにこやかに広角を上げてつぶやく。


「実家にご挨拶って訳ね。お父さん、娘さんを私にくださいって」

「違うっ」

「違いますっ」


 二人の声が綺麗にはもって、美朱をじと目でにらみつけていた。


「ドクター中森の計画をとめにいくんだよっ」

「父を説得しにいくんだし、似たようなものじゃない」

「ぜんっぜん違うっ。まったく違うっ」


 こんな時でも変わらない美朱に誠はつっこみながらも、少しだけ感謝していた。

 美朱の軽口のおかげで、優羽は少しだけ誠の事を思い出していた。まだ完全に思い出しはしていないけれど、思い出せるのかもしれないと希望を持たせてくれていた。


 夫婦だとからかい続けてくれた事が、優羽の記憶の鍵を開いてくれたいた。


 誠には何も不思議な力はないけれど、美朱が使う術のおかげで優羽を取り戻す事が出来ていた。美朱には感謝の気持ちしかない。


 そして彼女の軽口が、場の空気を重たくしすぎないでいる事も確かだ。


「美朱。ありがとな」


 改めて感謝の言葉を口にしていた。


「なに、急に改まって。あ。もしかして私に惚れちゃった? それはだめ。重婚は犯罪よ」


「惚れるかっ。あと結婚もしてねぇ」


「なによ。少しくらいは惚れなさいよ。あんたのためにだいぶん力貸してあげてるんだからね」


 美朱はいじの悪そうな笑みを浮かべたまま、誠をじっと見つめていた。

 実際もしも優羽がいなければ、誠は自分のためにこれだけ力を貸してくれる美朱に惹かれていたかもしれない。

 もっともそもそもが力を借りた理由も優羽のためだったのだから、どちらにしても結びつかない糸だったのかもしれない。


「惚れてはないけど、感謝はしているよ。俺と優羽のためにありがとな」


「ま、優羽ちゃんがいるから仕方ない。でもこの件は借りだからねっ」


 くすくすと笑みをもらしながら、美朱は誠の背中を叩く。


「いってーなっ。わかってるよ」


「必ず借りは返してもらうからね。ちゃんと覚えておくのよ」


 美朱は言いながら背を向けて、優羽の方へと向き直る。


「優羽ちゃん、行きましょう。私も微力ながら力を貸すわ」


「あ、はいっ。行きましょう。でも……」


 優羽は少しだけ後ろ髪を引かれるかのように声を濁す。


「……美朱さんって」


「ん? なにかしら」


「ううん。なんでもないです。行きましょう」


「んん? 変な優羽ちゃん。ま、いいか。誠、はやくいかないとおいてくわよっ」


 美朱は振り返って誠を呼ぶ。


「へいへい。行きましょう」


 誠は優羽と美朱の二人に続いて、歩き始めていた。





「ここが私の家です」


 電車を乗り継いでついた優羽の家は少し街中から外れた郊外にあった。

 それは何の問題も無かったが、予想を外れていたのはその家の大きさだった。


「でかい……」


 誠の部屋の何十倍あるのだろうか。立派な門構えの奥には大きな庭が広がっており、そのさらに向こう側に巨大な洋風の邸宅がたたずんでいた。


「そうですかっ。たぶんそんなことないですよっ。普通ですっ」


「こんな普通の家があってたまるかっ。こんなんぽんぽん立っていたら日本の土地が全くたりねえよっ」


 誠は思わずつっこむ。少々ばかりやっかみも含まれていたのは自覚しているが、それもこれだけ巨大な邸宅を目の前にしては仕方ないだろう。


「とはいっても、物心ついたときからこのおうちでしたから。私にとってはこれが普通なんですよね」


 言いながら優羽は門を開く。特に鍵はかかっていなかったようだ。


「それに家が大きくても、いるのは家族だけですから。結局ほとんど使っていないんです」


 優羽は言いながらもすたすたと歩いていく。


「雑草も生え放題ですしね。庭の手入れなんてもう何年もしていません」


 優羽が庭の方へと視線を向ける。

 確かに庭には数々の雑草が生い茂っており、石畳になっている邸宅までの通路だけが何とか見えている感じだ。


「いっそ塩でもまいとこうかって思いますよ。そしたら雑草も綺麗さっぱりなくなっちゃうでしょうし」


「それは土地が死ぬからやめとけ」


 少しやけ気味に呟く優羽に誠はいちおう否定しておく。

 ここにきて優羽がやや神経が尖っているのは誠も感じていた。自分の家、そしているかどうかはわからないが、ドクター中森を、実の父を前にして緊張しているのだろう。


「どーせ使ってないですもん。……昔は庭師とかもきてくれてたんですけどね」


 寂しそうに優羽は呟く。

 おそらくは原因は優羽の母にあるのだろう。財産の多くを新興宗教に貢いでしまったのかもしれない。


「こんな大きいだけの家よりも、私は六畳一間の誠さんの部屋のほうが好きです」


 優羽の言葉に少しだけ胸が痛んだ。


 今の優羽は何も覚えていないし、何も告げてはいないが、霊体の優羽は誠に告白のようなものをしていた。


 あの言葉を今はどうとらえたらいいのだろう。今の誠には答えが出せない。


 六畳一間のあの部屋で優羽と一緒に過ごしていけたら、きっと楽しく暮らしていけたのだろう。


 だけど今の優羽は何も覚えていない。誠の事をどう思っているのかもわからない。

 今の優羽にしてみれば、誠は出会ったばかりの相手に過ぎないのだ。


「ま……なるようになるか」


 声には出さずに口の中で呟く。

 今はとにかくドクター中森と対峙して、これ以上の幽体兵器の研究を止めさせなければならない。


 そう思い邸宅の方をみやる。


 その時だった。

 邸宅の扉がひらき、中から一人の男が姿を現す。


「お父さん……」


 優羽がひとことだけ呟いた。


「おかえり。優羽」


「ただいま……」


 特に何事もないかのように告げるドクター中森に、少しおっかなびっくりに優羽が答える。


「君たちも一緒か。おや、もう一人の坊主はどうしたのかね」


「叔父さんなら力を使いすぎたから、家で寝てるわ」


「さもありなん。あれだけ無茶をすれば、力も失われよう」


 美朱の答えにドクター中森は笑いながら、まるで世間話をするかのように平然とした顔で呟く。いや実際に彼にとっては世間話に過ぎないのかもしれない。


「お父さんがそういう言い方をするって事は、誠さん達がいっているのは本当だったんですね」


「おっと。これはしまった。一緒にくるからには、記憶の消去がうまくいかなかったか、思い出したのかと思ったが、そうでもなかったのかね。いやぁ、これはお父さん一本とられた。ははは」


「笑い事じゃないっ。ほんとなの。お父さんが私をU-02って呼んで、実験道具にしていたって。お父さん、ほんとなの」


 優羽はいつになく真剣にドクター中森と向かい合っていた。

 それもそうだろう。実の父が自分を実験道具にしていただなんて、誰も信じたくはない。優羽はおそらく嘘だといってもらいたくて、父へと問いかけているのだろう。


「さて。嘘だ、と言ったら優羽はそれで信じるのかね。いつもいっていただろう。真実は自分でつかみ取るものだと。人の言葉にまどわされず、自分で確かめなければいけないと」


「お父さん……」


 ドクター中森の言葉はほとんど話を肯定したようなものだった。

 嘘だと告げていたら、もしかしたら優羽はそれを信じたのかもしれない。半ば事実ではないとわかっていたとしても、目をそらしたのかもしれない。


 だけどドクター中森はそうはしなかった。


 それは彼なりの娘への愛情だったのか、研究者としての誇りだったのか。

 それともすでに優羽の事を不要と考えていたのか。

 その心はドクター中森本人を除けば誰にもわからなかった。


 ただドクター中森はゆっくりと手を大きく上げる。

 同時に大きな火花が彼の手から飛び散っていた。


「さて何にしても、私も研究を止める訳にもいかないんでね。君たちにも最後の実験に協力してもらおうと思う。うまくいくかはわからないが、まだ研究体が失われた訳ではないんでね。力を振り絞ってみる事にしたよ」


「術を!?」


 美朱が大きな声で叫んだ。

 飛び散る火花は何らかの術によるものなのか、辺りに音を立てながらまき散らしていく。

 同時にいくつかの雑草を焦がし、中には軽く火がついているものもある。


「大した術は使えないがね。私には術と科学を融合させて力を増す事ができる。そして幽体兵器には、大きな電気の力が必要なのだよ」


 バチバチと飛び散っている火花は、むしろただの副産物だったのだろう。ドクター中森の言葉と共に、空から一筋の雷のような光が放たれる。

 同時にどんと鈍い音が響いて、そしてもくもくと煙が上がる。


 そしてその向こうから四十代くらいの女性の霊が姿を現していた。


「お母さん!?」


 優羽の悲痛な叫びが響き渡った。

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