第7話 幽霊じゃないです。

「で、いったい何なんだよ」


 誠はうんざりとした声で呟く。

 あの後、本堂の中にある一室に通されていた。さすがに寺の中だけあって、畳の部屋で壁には掛け軸なんかも飾ってある。なかなか立派な部屋だ。


「何のようなんでしょうねぇ」


 ふよふよと浮かんでいる優羽も首を傾げながら呟く。どうやら少しは落ち着いたらしい。

 ただ桜餅坊主に本能的に恐怖を抱いているのか、そちらの方だけには視線を向けようとはしていない。


「さあな。とりあえず聞いてりゃわかるだろ」


 誠は投げやり気味に告げると、美朱の様子をうかがってみる。

 美朱はとりあえずお茶を入れていれていたようで、湯飲みを四つ用意していた。


「美朱」

「いま茶いれてるところだから、少しくらい待ちなさいよ。すぐ終わるっての」


 美朱はそう言いながらも軽く鼻歌がもれてきていて、むしろ機嫌はよい様だった。

 そして茶をそれぞれに配り終えると、さてと小さな声で呟く。


「で、何? お茶のお誘いだったら、間に合ってるけど」

「あほかっ。何でこの状況で茶に誘わなくちゃいけないんだよっ。それよりこの湯飲みだ。ここにいる人間は俺、お前、坊さんの三人。なのに用意された湯飲みは四つ」


 辺りを見回してみても、他に誰の姿も見えない。つまり四人目の存在はない。


「あ、酷いです酷いです。私がここにいるのに無視しました。誠さん、いじめです。それ。いじめかっこわるいって、昔テレビでも言ってました」


 こうして誠の背中で文句を告げている、優羽を除くとすればだが。

 だが実際に用意された湯飲みは四つ。そしてそのうち二つが誠の前に差し出されている。この事から考えても、もう間違いはない。

 すなわち美朱には優羽の姿が見えているということ。


「美朱、お前こいつの事がわかっていたのか」

「あ、また酷いです。私、こいつじゃありません。優羽です、優羽。いくら記憶喪失だからって、こいつ呼ばわりしていいって事にはならないんですよ、誠さん。いいですが、ちゃんときいてますか」


 誠の声にあわせて、優羽が再び抗議の声をあげる。


「あのな。優羽、お前ややこしくなるから少し黙っててくれ」

「えええー。私に黙れというのは、それはもうワニが腕立て伏せをするよりも難しい事ですよっ。ええ、天地がひっくり返っても無理ですっ」

「いや、そんなことねぇだろうが!?」

「うー。わかりました。誠さんは、私が嫌いなんですね。いいです。わかりました。黙ります。黙ればいいんでしょう。ええ、黙ります。黙りますよ。ほんと。いいんですか。もう誠さん口ききませんからね。謝るなら今のうちですよ」

「いや、いいけどよ」

「ひ、ひどいですっ。誠さんの鬼っ、悪魔っ、人でなしっ、お前の母ちゃんでべそーっ」


 言い放つとしくしくと泣き真似をしながら、誠の陰でうずくまっている。

 その様子に誠はため息を漏らすが、美朱は逆に笑いを押し殺しているようだった。


「あんたって、本当面白いわね。見えてなかったら、一人で喋ってる変な男よ」


 美朱はよほどおかしかったのか、少しでも刺激すれば今にも笑い転げそうに見える。


「そう。お察しの通り、私はその子の事が見えているわ。そもそもだからここに呼んだに決まっているじゃない」


 まだ端々に笑みを浮かべながらも、美朱は誠へと視線を向ける。


「え、私のこと見えてたんですか。それはびっくりですね。てっきり美朱さんには私の姿は見えていないものかと」


 優羽も自分の姿が人には見えない事には慣れてしまっているのだろう。昨日のそぶりでは優羽の事を気にしていない態度ではあったので、あの時、様子をみていたらしい美朱には、自分の姿は見えていないものだと決めつけていたのかもしれない。


「ま、普段は見えても知らないふりするんだけどね。相手するとよってくるから、とりつかれでもしたら面倒くさいし」


 美朱はさらりとした口調で告げると、それから優羽をじっと見つめていた。


「でもこの子は、どうも普通の幽霊じゃないみたいね。大抵の霊っていうのは、やっぱりどこか陰気な部分を含んでいるものでね。明るく見えたとしても、よく見れば陰の部分がどこかしら感じられるものなのよ。でも、その子からはそういうところを感じない」

「そういえばそうじゃのう。霊といえばこの世に何らかの未練があるから残るもの。それだけの強い執着心があれば、おのずと気が現れるのも当然じゃからの」


 美朱の言葉を継ぐように桜餅坊主が呟く。優羽をじろじろと上から下まで観察すると、軽く腕を組んでみせる。


「さて面妖な事もあったものよの。美朱はこの幽霊娘の事が何かわかっておるのか」

「馬鹿ね。わからないからこそここに呼んだんじゃないの。おじさんなら何かわかるかと思ったんだけど」

「はてさて」


 二人は顔を見合わせて腕を組んで首を傾げる。

 どうやら二人にも優羽の正体はわからないようではあったが、ただ優羽の姿をみられる人間が二人も現れたということは、何かのきっかけになるかもしれない。


「あのー、その幽霊がどうとかって、もしかして私の事でしょうか」


 優羽がきょとんした顔つきをして呟く。どうやら自分の事を告げているのはわかってはいたようだ。ただ気持ちとして納得は出来ないのだろう。


「もちろんそうよ」


 美朱は何を今更とばかりに見つめ返すが、優羽はすぐにぷうっと口元を大きく膨らませていた。


「美朱さんまで。私、幽霊じゃないですっ。もうこんな可愛い女の子を目の前にして、どこをどうみたら幽霊に見えるんですかっ。失礼ですね。全く」

「いや、どっからどうみても幽霊にしか見えないけど。ま、違うというなら妖怪かしらね」


 美朱が呆れた口調で答えると、すぐにそれを継ぐようにして桜餅坊主が答える。


「うむ。幽霊でないなら物の怪の類じゃな」

「わ。違います違います、違いますよっ。幽霊でも物の怪でもないです、私。もー失礼だなー、みんな」


 優羽は完全に膨れ面になって、誠の方へと少し降りてくる。


「ねぇ、誠さん。なんとかいってください。人を幽霊扱いするんですよー。もー、失礼ですよね。全く」

「いや、まぁ。つか、どうみても幽霊にしか見えないと俺も思うけど」


 誠がしみじみとした声で呟くと、優羽は思い切り怒りを表面に浮かべて、すぐに誠をばしばしと叩き始める。

 もちろん優羽は直接触れる事は出来ないので、実際には手がすかすかと誠の身体を通過してはいたが。


「まぁ、落ち着けって。お前がそうまで幽霊でも妖怪でみないっていうんなら、そうなんだろ。でも、そしたらお前は何者なんだ。それくらいはわかんないのか」


 誠の問いに優羽は大きく首をひねる。


「そんな事いわれてもそれがわかったら、いまごろ誠さんにとりついたりしてませんよ。私は一体何者なんでしょうか。私が教えてほしいくらいですっ」


 優羽はまだ怒りを露わにしていたが、しかし全くもって迫力はない。

 その様子に今まで腕を組んで悩み顔を見せていた桜餅坊主が立ち上がり、優羽の目の前に立つ。

 すると優羽は少し怯えた様子で、びくんと身を震わせていた。


「私、この人なんだか苦手ですー」


 同時にやや失礼な事をはっきりと告げる。


「そりゃ、こいつはいちおう坊主だからだろ。で、坊主を怖がるって事はやっぱりお前幽霊なんじゃないのか」


 誠は言いながら、じっと優羽を見つめてみる。幽霊ではないと言う主張も誠はあまり信じてはいない。もっともどこをどうみても幽霊以外には見えないのだから、それも仕方ない事だろう。

 あえていうならば、全く怖さを感じさせない事や、少し天然の入った性格はまったくもって幽霊らしくはないのだが。

 しかし誠の抱いた感想と、桜餅坊主の考えは一致していないようだった。桜餅坊主は声を出して大きく頷く。


「ふむ。まぁ、しかし確かにこうまで自分が幽霊ではないと否定する幽霊は見た事がないの。実際、こういった霊的な存在は自分自身を否定するような事は出来ないものなのじゃよ。それが例え自分自身が死んだ事を認識していない霊だとしてものう」

「そうなのか?」


 桜餅坊主の言葉に誠は驚いた様子で訊ね返す。

 坊主はそれに気をよくしたのか、からからと大きな笑い声を漏らした。


「その通りじゃ。このような霊的な存在は精神的な力でのみこの世に残っておるからの。そこで自己否定をする事は自分の存在そのものを否定するのと変わらん。じゃから、幽霊でない等と何度も否定しておれば、ここにいる事自体が危ういはずじゃ。とはいえ、だとしてこの娘っ子が何なのかまではわからんがの」

「それだったら」


 美朱が不意に口を挟む。彼女はなんだか楽しそうな目で、優羽と誠を見つめて、そのままどこか挑戦的な口調で呟いていた。


「この子はどうみても霊としか言い様がない。でも彼女は幽霊ではないってことよね。だったら生き霊って事じゃないかしらね」

「ふぇ。生き霊ですか?」


 何か思いがけてもない事を言われたかのように優羽が呟く。

 ただ優羽は深く考え込んでいる様子であり、それを否定する事はしなかった。


「どうなんでしょう。私、生き霊とかなんでしょうか」


 逆にきょとんとした顔で誠に向けて訊ねてくる。あまり自分でも自信がないのだろう。


「いや、それはわかんないけどさ。幽霊って言うのと違って、否定はしないのな」

「え、だってほら。私、幽霊じゃありませんから、そこのところははっきりさせとかないといけないと思うんです」


 優羽は何を当然の事をといわんばかりの口調で言い放つ。幽霊でない事はどうしても否定したいらしい。

 ただ優羽は生き霊だという事は否定しなかった。そして坊主の言う事によれば、霊は自分の正体を否定しつづける事は出来ないらしい。だとすれば優羽は美朱の言う通り、生き霊なのかもしれなかった。

 生き霊といえば、言葉通り生きている人間の魂が何らかの形で飛び出したものだ。それくらいは誠にもわかる。

 だとすれば優羽は死んでいないと言う事なのだろうか。

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