第6話 坊主が危ない

『もしもし、誠? やほ、元気?』


 携帯電話の先から聞こえてきたのは、美朱の声だった。

 夜になったかと思うと、予想通り美朱から着信があったのだ。


「ああ。おかげさまで。で、何のようだよ」


 ため息をもらしながら誠は電話の向こうに話しかける。優羽の奴は部屋の片隅でテレビに夢中になっているようなので、とりあえず気にしない事にする。


『なによ。助けてやったっていうのにご挨拶ね。何なら今からでも侵入者ですっていって、つきだしてもいいんだからね?』


 電話越しの美朱の声がやや険悪にトーンがあがる。こんな時は下手に逆らうと、かなり手痛いしっぺ返しを食らう事になる。誠はもういちどため息をもらした。。


「はいはい。すみませんでした。つか、お前、ほんとのところはみてたんだろ」

『さー。何のことかしらねー。ま、いいじゃないの。そんなことは。それよりさ、頼みたい事があるんだけど』

「やっぱりか。何だよ」


 無意識にため息をもらしながら、美朱の言葉を待つ。それから自分がまたため息をこぼしてしまった事に気がつき、さらに息を漏らしそうになる。

 優羽と出会ってからというもの、ため息の奴が大バーゲンだな等と心の中で呟く。


『大した事じゃないから安心していいよ。明日、大善寺まできてくんない』

「は? それって、あの町外れにあるでっかい寺のことか」

『馬鹿ね。この辺りに他にそんな名前の建物がある訳ないでしょうが。とにかく明日の昼ね。遅刻厳禁だから、そこんとこよろしく』

「って、おい。俺の都合はきかねーのかよ」

『夏休みなんだし、どうせ暇でしょ。じゃ、明日ね』


 そこまで言い放ったと同時に、電話の向こうからツーツーと言う電子音が聞こえてくる。誠の返答をきく前に通話を切ったようだった。


「たく。まぁ、絶対にやる事があるって言う訳じゃないけどな」


 言いながら優羽の方をちらりと覗き見る。


「ほえ? 誠さんどーかしましたか」


 視線に気がついたのか、テレビから目を離して誠へと向き直る。


「いや、明日なんだけど美朱の奴に呼び出されちまってな。悪いけどお前の記憶探しはしてやれない」


「ああ。そんなことですか。いいですよ、別に慌ててませんし。そのうち思い出すかもしれませんしね」


 優羽はけろりとした顔で呟くと、すぐにまたテレビへと視線を戻した。

 どちらにしても手がかりはないだけに、これといった方法も思いつかない。適当に街を探索する程度なら、どこに向かっても同じだろう。

 テレビに夢中になっている優羽を横目にみながら、誠はもういちどため息をこぼした。





「なんだか、やな感じがします」


 優羽は目の前に建つお寺をめにするなりそう告げていた。

 大善寺と描かれた門の前で、優羽は誠に寄り添うと、その身をぶるぶると震わせていた。

 もちろん実際に体がある訳ではないため、そんなそぶりを見せているにすぎなかったが。


「そうか? 別にふつうの寺だと思うけどな。ま、とにかく美朱の奴を待たせているからな」


 優羽の様子を訝しがりながらも、誠は寺の中へと入っていく。

 寺の中にはこれといって特に変わった様子もなく、優羽の言うような嫌な感じは全く受けない。それどころか静寂に包まれた空気は、どこか荘厳な雰囲気を醸し出していて悪くないとも思う。どこか少し落ち着かせるような感じがある。


「しかしこの寺のどこにいればいいんだ」


 とりあえず門をくぐったものの、寺社内はそれなりに広い。奥には本堂が見えるし、右手にも左手にも別の建物も見える。それぞれの建物が何なのかはよくわからなかったが、それなりに立派な建物だ。

 少し奥の方には五重塔のようなものもあり、この街の規模から考えればむしろ立派すぎるくらいだろう。

 辺りを見回しながら、美朱の姿を探すが、しかし誰の気配も感じられない。


「うーん。誰もいませんねぇ」


 優羽もぽつりと呟く。ちなみに優羽は今も誠の肩の辺りでふよふよと浮かんでいた。

 ただどこか不安そうな表情を浮かべて、いつもよりもやや寄り添うような形で近づいている。最初に言った通り、何か嫌な気配を感じているのだろうか。

 ただしかし漠然とした不安くらいの事で、美朱との約束を果たさないままここを離れる事もできない。

 もういちど辺りを見回してみる。やはり美朱の姿はない。どうするかと思案を巡らせようとした瞬間、不意にその声は背中からかけられた。


「ちょ、ちょっとそこのお主っ」


 かなり慌てた様子に思わず誠は振り返る。

 それと同時に誠に何者かが抱きつく。


「う、うわっ。なんだっ」

「あぶないっ。あぶないぞっ。お主、危険じゃ。いや、これはもう危険すぎるぞ。うむ。これはもうするしかないな。うむ。もはや一刻を争う。さぁ、くるのじゃっ。嫌とはいわせん。さぁさぁさぁっ」


 その声の主は強引に誠をつかむと、そのままどこかに連れ去ろうとする。


「ちょ、ちょっとまてっ」


 慌てて誠は振り払うと、その声の主はたたらをふんで離れる。

 少し落ち着いて姿を眺めると、年の頃は五十前後というところだろうか。壮年と言って差し支えないくらいだ。また袈裟姿であり、頭を丸めているところをみると、もしかするとこの寺の僧侶なのかもしれない。


「なんだよっ、坊主っ」

「む。なんだと言われれば応えて進ぜよう。名を清四郎。姓を道明寺。誰が呼んだか、桜餅坊主とはワシの事だ」


 どこか時代ががった名乗りをあげると、その台詞とは全く似つかずに目頭に指二本を立てて当ててポーズをとってみせる。


「で、その錯乱坊主が何の様だよ」

「桜ん坊ではない。桜餅じゃ! いや、そんなことより、お主。気がついておらんのか」


 桜餅坊主と名乗った僧侶は、誠のやや後方に目線を向けながら神妙な顔で告げる。

 誠もその目線を追いかけてみると、まっすぐ向かったその先で怯えた顔で震える優羽の姿があった。


「坊さん、あんたこいつが見えるのか!?」

「むろん。ワシほど徳が高い坊主となれば、この程度の霊や物の怪ぐらい、簡単にみてとれるのじゃ」


 桜餅坊主はにやりと口元に笑みを浮かべると、袖もとからおおよそ直径で五センチはあろうかいう珠でできた、巨大な数珠を取り出していた。数珠そのものの大きさは、誠の腕の長さほどにもあろうかというくらいのサイズだ。


「しかし気がついておったのならば、なぜ放置しておる。霊にとりつかれておっては、どんどん精気を吸われ、やがて死に至る事すらあるのじゃぞ」


 桜餅坊主は言いながら数珠を優羽の方へと掲げる。

 その瞬間、優羽がびくんと大きく体を震わせて、大慌てで誠の後ろに隠れていた。


「わ、私、そんなことしませんからっ。しないからっ」


 優羽は叫びながらも、よほどこの坊主が怖いらしく、誠の背中に完全に隠れてしまっていた。


「ふん。邪霊の分際で何をいうか。人にとりつく等というのは、霊の中でも下のうちじゃ。今生に未練があるのはわからぬこともないが、観念して天に召されるがよい。それがこの世の常というものじゃ」


 桜餅坊主はそのまま巨大な数珠を優羽へとつきつける。

 そうしてじりじりと距離をつめると、その度に優羽の体がびくんと上下する。


「ちょ、ま、まてよ、坊さん。あんた、こいつにどうしようっていうんだよ」


 一瞬、何が起きているのかわからずに呆然としていた誠が慌てて桜餅坊主を止めに入る。


「しれたことよ。この世に残ってしまった霊は、はじめはよくても次第に邪気に満ちて邪霊と化して、現世の人に仇をなす。よってワシの経文をもって、霊を天に送り返すという訳よ」


 桜餅坊主は言いながら数珠を振るう。


「わわわわっ。だめですっ、そんなのっ。私にはやることがあるんです。ちゃんとやらないと怒られてしまうんですっ。だからだめですっ。まだ戻れませんっ」


 優羽はいいつつも、誠の背中から姿を出そうとはしない。

 この坊主がどの程度の力を持っているかは全くわからなかったが、優羽がこれだけ怯えているところをみれば、確かな力を持っているのかもしれない。

 逆に言えばやはり優羽は幽霊なのだろう。坊主のいう通り、この世に未練が残り、現世に残ってしまっているのだろう。


「まぁ、まてよ。その。それってどういうことなんだ。こいつが幽霊なのはそうかもしれないけど、今のところ何も実害はないし。そんな怯えているのを無理矢理かえそうとしなくっても、何か他に方法とかないのかよ」


 誠は背中で震える優羽へと顔を向けながら、桜餅坊主の方へと訪ねかける。


「まぁ、なくもないがな。しかしなぜその娘をかばう。む。もしかして、生前はお主のこれか。え、これなのか!?」


 言いながら坊主は小指を立てて誠へと迫り出す。


「なっ、ち、ちが」


 誠が言い返そうと手を振るった瞬間。

 目の前の坊主の頭から、ものすごい音が鳴り響いた。そしてその奥には


「清四郎おじさん。何、下品なことしてるのよ」


 言いながら拳に息を吐き出している美朱の姿があった。どうやら美朱が坊主の頭を殴り飛ばしたらしい。


「佐藤美朱!?」

「だから、フルネームでよぶなっつうの。ああ、もう。なんであのクラスには佐藤が五人もいたのかしらね」


 思わず叫んだ誠を制するように、美朱が声を張り上げる。

 美朱の言う通り、中学時代には佐藤姓が男女併せて五人もおり、誠がつい彼女をフルネームで呼んでしまうのも、その辺りに理由があった。


「いや、まぁ、そのお前が佐藤せん……」

「佐藤戦隊サトレンジャーとかいったら殺すから」


 にっこり微笑みながら拳を握りしめる美朱の姿に、思わず背筋が凍りそうになる。

 ちなみに佐藤姓の男女は、美朱を筆頭に桃香、蒼太、みどり、廣徳の五人である。それぞれが色をあつらえた名前になっていたため、テレビでやる戦隊物によく例えられていた。

 もちろん美朱本人はその事に納得はしていないのだが。


「み、みあ。よくきたの。いや、その。邪霊が」


 答えに窮した誠の代わりに、桜餅坊主が声を漏らす。どうやら二人は知り合いのようだ。


「なに、寝ぼけた事いってんの。どうみたって、おじさんただのエロ親父にしかみえなかったつうの」


 美朱は荒い息を吐き出しながら、もう一度拳を頭の横に突き出す。


「わわわ。いや、まぁ、その。わ、わるかった」


 坊主はそそくさと手で頭を塞ぎながら距離をあける。どうやら美朱の暴力癖は桜餅坊主といえど、恐ろしいらしい。


「ま、でも全員そろったところでちょうどいいわね。さっそく話をする事にしましょ。じゃ、ついてきて」


 美朱はすぐに振り返って、本堂の方へと歩き出す。どうやらこの寺は勝手の知る場所のようだ。


「お、おい。は、話って何だよ」


 呼び止める誠に、美朱は顔だけ振り返ってにこやかに微笑む。


「こんなところじゃなんでしょ。質問は部屋にいってからね」


 そう告げると、すぐに背を向けて再び歩き出していた。


「はぁ。しゃあない、いくか」

「仕方ないのう」


 その声に、誠と坊主は同時にため息も漏らす。どうやら誠だけではなく坊主も同様に美朱には逆らえないようだった。これも彼女の人徳というものだろう。まぁ人徳というか、暴力というかは置いておく必要があるが。


 お互いもういちど深く息をこぼした。

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