第5話 幸せが逃げますよ

「わぁっ。ご、誤解です。これには深い訳が。いやあんまり深くはないけど、ちゃんとした理由が」


 不意にかけられた声に、慌てて誠は振り返る。そのまま身を隠すように手をかざすが、もちろんそれで隠れられる訳もない。


「ばか」


 淡々と呟いた声の主は、呆れた様子で溜息を漏らす。

 目の前に一人の少女が立っていた。

 やや切れ長の勝ち気な瞳に、挑戦的な艶やかな唇。


「いやっ、そのっ」


 動揺を隠せないまま誠はしどろもどろに口走るが、まともな言葉にはなっていない。


「あんた、ほんとばかでしょ。私の事、忘れた訳?」


 確かに聞き覚えのある声に、誠はおそるおそる顔をあげる。

 そこには誠の見知った少女が制服姿で立っていた。


「え? あ。佐藤美朱さとうみあか!?」

「フルネームで呼ぶなっつーの」


 美朱と呼んだ少女の声と共に、頭部に強い衝撃を覚えていた。もちろん美朱が殴ったのである。


「わ、誠さん、殴られてます。大丈夫ですか」


 優羽が覗き込むようにして、誠に言葉をかけてくるが、誠はそれに答える余裕もなくうめき声を漏らす。


「うう」


 なんとかよろめきながらも、頭を振るって意識を取り戻す。

 目の前には美朱と優羽の二人が立っていたが、やはり美朱には優羽の姿は見えていないようだった。


「この方、お知り合いですか?」


 優羽の言葉に誠は無言のまま頷く。優羽の姿は美朱には感じられていないのだから、変に喋れば余計な疑いを受けるだけだろう。

 実際今ですら怪訝な顔をして、誠をじっと見つめている。

 彼女、美朱は有り体に言えば幼なじみだと言えるだろう。小学校の時から何度も同じクラスで過ごした事もあり、それなりに顔は見知っている。いや、むしろ仲は良い方だっただろう。子供の頃は互いの家で二人で遊んだ事もある。


 しかし彼女がこの双葉女子に進学してからは、すっかりと疎遠になっていた。もっとも今は高校一年の夏休みである。中学三年の時も同じクラスだったため、それほど長い時間がたっている訳ではない。


 それくらいの時間では性格がそうそう変わるはずもなく、そこにいるのは誠の見知った少女のままだった。

 とかく暴力的で、口よりも手の方が先に出るタイプだ。この学校を受験して合格した事は知ってはいたが、だからといってこんなところで出会うとは全く考えてもいなかった。


「で、何やってる訳。周りで侵入者だとか騒ぎになっているけど、それあんたの事でしょ」


「いや、それが。その。どう話していいのかわからないんだが、別に悪意があってここにいる訳じゃあないんだ」


 問いつめるような口調の美朱に対して、しどろもどろになりながらも誠は答える。本当の事を話すのは簡単だったが、証拠は何一つない。信じてくれという方が難しいだろう。


 そもそも普通ならある程度は中に入り込まなければ、仔猫が木に登っていた事なんてわかるはずもない。言い訳だと思われて、余計に心証を悪くする可能性の方が高かった。


「ふうん」


 しかし悪意がないといったからとて、それで納得してくれるはずもない。実際に美朱は眉を寄せてこちらを見つめていた。やはり疑っているのだろう。

 隙をみて逃げ出すべきかどうか、誠は迷いを思い浮かべた。ただ逃げたところで素性は知れてしまっている訳で、美朱が通報してしまえばそれで終わりだ。逃げても意味がない。

 とはいえここで捕まってしまう訳にもいかない。こうなれば彼女に何とか見逃してもらうしかなかったが、誠にはどうすればいいのかはわからなかった。


「あ、あのな」


 黙ったままでいるのもまずいかと思い、何とか口を開く。

 ただそれを遮るように、美朱はため息を漏らした。


「まぁ、いいわ。とにかくあんたはそこにいなさい」

「え?」


 突然の提案に思わず首を傾げる。

 さきほどの言葉に納得したようにも思えなかったが、見逃してくれると言うのだろうか。


「いいから。そこから動かないで」


 有無を言わせない美朱の口調に、仕方なく従ってその場で身を隠す。

 優羽もきょとんした顔のまま、美朱の様子をうかがっていた。


「どうするつもりなんでしょうね」

「俺がしるか。とにかく今はあいつに任せるしかないだろ。だいたい元はといえば、お前が勝手につっぱしるから」

「あ、待ってください。美朱さんが何かするようですよ」


 優羽の言葉に、一度話すのを止める。その瞬間、美朱は大きく息を吸い込んでそれからありったけの声量で叫びだしていた。


「こっち、こっちに変質者がいたっ!!」


 美朱の声に、思わず言葉を失っていた。

 任せておいてといわんばかりの態度で、その実、問答無用で幼なじみを突き出すつもりだったとはさすがに誠も思いもしなかった。


「あ、なんか大変ですね。これ」


 のほほんとした声で優羽が告げていたが、しかし誠はもちろんそんな状況ではない。


「どこだどこだ!?」


 ただすでに声に応えて人が集まり出していた。今更この陰からでていけば、すぐに捕まってしまうだろう。

 こうなってしまえば、何と言い訳をするかを考えるしかないかもしれない。

 そこまで考えたところで、美朱は駆け寄ってきた面々に慌てた口調で告げる。


「あっちです。向こうの校舎の奥の方に行きました。早く捕まえてください」

「旧校舎の方だな。わかった。みんないくぞ」


 集まってきた皆は、美朱の指さしている方向へとそのままかけていく。誠が隠れている校舎の陰とは正反対の方向に。


「みんな行ったから。今のうちに逃げたら?」


 美朱は誠のいる場所に背を向けたまま呟く。

 誠はいったい何が起きたのかわからない様子で、美朱と去っていった追跡者の方向を交互に見つめていた。


「さっさと行きなさいって。それともほんとは捕まりたい訳?」


 美朱は呆れ顔で呟いて、それからため息を漏らす。


「あ、いや、んな訳はないけど」

「じゃあさっさと行きなさい。ぐずぐずしてて捕まっても知らないから」


 言いながら美朱は校門の方を指さす。確かに今のおかげで、そちらには人気がなくなっていた。


「わかった。ありがとう」


 そう呟いて、すぐに駆け出していた。

 同時に誠の背中に美朱の言葉が投げかけられる。


「お礼はこんどたっぷりしてもらうからね。あとお人好しもたいがいにしておきなさいよ」

「え?」


 美朱の言葉に思わず振り返ると、美朱は追い払うように手を振るった。


「ほら、いいから。早くいけいけ」

「あ、ああ」


 再び背中を向けて、外へと駆け出していく。美朱の言い様は気にかかるものの、とにかく今は脱出する方が先決だ。

 門をくぐり、それからもしばらく走る。やがて学校が目に届かないくらい遠くまできたところで、誠は足を止めて息を吐き出す。

 ここまでくればさすがに追いかけてはこないだろう。ひとまず安心といったところだろう。


「ふぅ。なんとか助かったか。あいつにはほんと礼をしなくちゃな。しかしなんでまたいったい俺を助ける気になったんだか」


 見えはしないものの、今きた道の方向を向いてぼそりと呟く。

 幼なじみだから信用してくれたのかもしれないが、それにしてもほとんど疑うそぶりは見せていなかった。さすがに多少なりとも疑ってもよさそうな場面だ。


「そういえば、美朱さんはさっきのところみてたみたいでした」

「は? さっきのとこって」

「もちろん、誠さんが仔猫を助けてくれたところです。あれはかっこよかったです。私、思わず惚れちゃうかと思いましたよ。惚れませんけど」


 優羽が目をきらきらさせながらろくでもないことを呟いていた。

 しかし優羽の台詞に誠は思わず眉を寄せる。


「なんだと」

「え。だって、まだ誠さんとは知り合ったばかりですし、私、そう簡単には惚れたりしませんよっ。こう見えても身持ちは堅いんですからっ」

「そうじゃねぇっ!? つか幽霊に惚れられてもうれしかねぇし」

「あ、酷いです。誠さん。私傷つきました。こう見えても、私、傷つきやすいんですよ。ひどいです。乙女の心はかくも繊細で壊れやすいんです。そう、それはまるでガラス細工のように。ぴしーんですよ。ぴしーん。だいたい私、幽霊じゃないですから」


 一人言い放つと、優羽はすみの方でいじけて道の上にのの字を書いている。それも何か力を使っているらしく、きちんと路面の上に跡が残っていた。


「あああ。話がすすやしねぇ。そうじゃなくて、美朱の奴は本当にみていたのかよ」

「あ、それですか。はい、そうですよ。みてました。誠さんの位置からだとわかりづらかったかもしれませんけど、私はほらちょっと浮かんでますから」


 はじめ不思議そうな顔をしていたが、すぐに優羽はうんうんと頷きながら告げる。しかし誠は目尻をつり上げて、声を大にしていた。


「美朱の奴。みてやがったのなら、最初からそう言ってくれればいいものを」

「あー、そうですよねっ。いってくれた方がすっきりはっきりですよね」


 優羽は腕組みをしながら、再びうんうんと頷いていた。


「きっとあいつの事だから、恩を売っておこうとか思われたんだぞ。たぶんまたかなりいろいろさせられる。前なんか試験の時にたまたまシャーペンの芯がきれた時に、親切に貸してくれたかと思ったら、その後で丸一日買い物の荷物持ちさせられたんだ。それも半端ない量だぞ。山ほどの荷物を抱えて、次の日筋肉痛で動けなくなったくらいだからな」


 かつての美朱の所行を思い出しながら、誠はため息を漏らす。

 その様子をみつめながら、優羽は誠の方にぽんと手をおく。


「まぁまぁ、誠さん。ため息こぼしたり、泣いたりばかりしていると幸せが逃げますよっ」


 その言葉に、誠の中の何かが切れる。


「元はといえば、全部お前のせいだぁぁぁぁっ」


 誠の絶叫が町中に響きわたっていた。

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