第8話 夫婦じゃねぇ
だとすれば優羽は死んでいないと言う事なのだろうか。
もっとも否定はしなかったというだけで、肯定した訳でもない。間違いく生き霊なのかどうかはわからない。
「ふむ。可能性はなくもないな。しかしの。お主、この娘がとりついたのはいつの事じゃ」
坊主は少し思うところがあるのか、腕を組んで誠と優羽を見つめていた。
「いや、そうだな。まだ一昨日の事だけどさ。それがどうかしたのか」
桜餅坊主が何が言いたいのかはわからなかったが、とりあえず素直に答えてみる。特に隠し立てするような事でもなかったし、もしそれが何か手がかりになるのであれば、はっきりさせておいた方がいい。
「ふむ。知っておるかもしれんが、生き霊という奴はな。生きている人間の肉体から魂だけが抜け出したものなのじゃよ。じゃが魂と肉体はきっても切り離せないもの。それがこうして魂だけが遠く離れているという事になれば、それはかなりの負担となる。じゃからあまり長い事生き霊のままでいると、そのまま昇天してしまうということにもなりかねんのじゃよ」
桜餅坊主はどこか憂いを帯びた声で呟く。
しかしその言葉は、誠にとってかなり衝撃的なものだった。
「って、そうしたら何か。こいつはこのまま放っておくと、本当に幽霊になっちまうって事か」
「うむ。その通りじゃの」
慌てて訊ねる誠に桜餅坊主が深々と頷く。
ただ当の本人は、理解しているのかいないのか、ぼんやりとした声でのんびりと答える。
「はえ。そうなんですかー。それは困りましたねぇ」
「困りましたねって、お前の事だろがっ。ちったぁ、危機感をもったらどうだ、おい」
誠が呆れて声を荒げる。
ただその様子に優羽は少し眉を寄せて、急激に話し始めていた。
「だって私よくわからないんですもん。生き霊とかなんとか、そんなのよく知らないですしっ。実感がないんですよっ、実感が。だいたい私、自分がどこの誰かも知らないんですよ。それでどうやって危機感をもてというんですかっ。どうなんですか。そこんとこ教えてくださいよっ」
「逆ぎれすんなっ!?」
「切れてないですもんっ。ましてや逆なんかじゃありませんっ。誠さん、ひどいです。悪魔です。鬼ですっ」
「いや、切れてるだろうがっ。つか、今の台詞のどこが鬼悪魔なんだよっ」
大声で叫び合う二人に、美朱は横から割って入る。
「はいはい、夫婦漫才はそこまで。ほんとにその子が生き霊だとしたら、それどころじゃないでしょうが」
ため息を漏らしながら、美朱は呟く。
「夫婦漫才じゃねえっ。つうか、それどころじゃないってどういうことだ」
「どういうことですかっ」
誠と優羽の二人は思わず美朱の方を見つめていた。
「どうこうもないでしょ。生き霊ってのはつまり身体から魂だけが抜け出しているって事よ。あんまり長い事、外に抜け出していたら戻れなくなっても不思議じゃないでしょうが」
美朱の言葉に誠を息を飲み込む。
優羽も驚きを隠せないようで、すっかり声を失っているようだった。
「そ、それって」
優羽はためらいがちに訊ねる。
それはそうだろう。あまり聞きたい答えが返ってくる事はないのは明白だ。
身体と魂が切り離されている状態のまま戻れなくなるという事は、つまりは本当の幽霊になってしまうという事。死ぬという事だ。
優羽はまだ言葉に出来ないでいるのか、誠の方へと視線を送っていた。
しかし誠は何もしてやる事は出来ない。首を振るって、美朱へ告げるように促していた。
優羽は一瞬寂しそうな表情を浮かべたが、どちらにしてもはっきりとさせなくてはならない。
優羽は霊なのだからあり得ないとわかってはいるけれど、息を飲み込む音が聞こえたような気がしていた。
それでも優羽はもういちど口を開く。
「それって……どういうことなんでしょうっ」
その瞬間、思わず誠は身体を滑らせていた。
「わかってなかったのかよっ」
声を荒げてつっこみを入れるが、優羽はぷぅっと大きく頬を膨らませそっぽを向いていた。
「わかりませんよっ。今の説明じゃっ」
「わかれよっ。それくらいよっ」
「知りませんっ。私、何にも覚えていないんですから、わかるはずがないじゃないですか」
「あのなぁ」
言い合う二人を、さらにもういちど美朱が間に入って止めていた。
「はいはい。だから夫婦漫才はそこまでだっつーの。あんたら人の話はききなさいよっ」
ため息を漏らしながら美朱が告げていた。
「だから夫婦じゃねぇ」
「そうですよっ。まだ夫婦じゃありませんっ」
「まだって何だまだって」
「そりゃあ、もしかしたらいつかはそうなるかもしれないじゃないですかっ」
「なるかっ!?」
「わ、ひどいですひどいです。なんて事いうんですか、誠さんはっ。鬼っ、悪魔っ」
「だから今の台詞のどこが」
がん。
告げようとしていた台詞の途中で、思い切り後頭部に衝撃が走っていた。誠は思わず両腕で頭を抱える。
「い、いてぇ!?」
「いいかげんにしろっつーの」
見ると美朱が拳をぐーにして、息をはきかけていた。恐らくそれで殴りつけたのだろう。
「とにかく、あんまり時間を無駄にしてる訳にはいかないの。この子が本当に生き霊なんだったら、少しでも早く元の身体に戻さなくてはいけないわね。でしょ、おじさん」
美朱は桜餅坊主の方へと向き直る。
坊主はしかしすぐには答えずに、少し考えるかのように、ふむ、と小さな声で呟く。それから優羽の姿をじっと見つめていた。
「わっ。私の顔に何かついてますかっ」
やや怯えた表情で呟き誠の陰に隠れる。やはり優羽は桜餅坊主が苦手のようだった。優羽が生き霊だとしても、霊能力を持つと思われる桜餅坊主は自分に仇する者なのかもしれない。
だが坊主の方はまるで気にした様子もなく、ゆっくりと口を開いた。
「確かに生き霊だとすれば、魂の尾が見えぬ。この状態では、もって一週間というところかの。魂の尾がつながっていない状態で長く霊としてあれば、やがては肉体も滅する。本当の幽霊になってしまうからの」
「一週間!? たったそれだけか」
誠は思わず声を荒げる。
「まぁ、そんなところがいいところじゃな。肉体と霊体は二つで一つ。どちらがかけても生きてはいけぬものじゃ。通常、生き霊というものは、身体から霊体が抜け出したとしても、魂の尾と呼ばれる細い糸で肉体とつながっているものなのじゃよ。しかしそれが何らかのきっかけで離れてしまった場合、肉体は徐々に命を失ってしまうものじゃからの」
「な……。じゃあこのままでいたら、こいつは本当に幽霊になってしまうのか」
誠は慌てた声を漏らして、すぐに優羽の方へと振り返る。
しかし当の本人は状況をよく理解していないのか、きょとんとした顔を誠に向けるだけだ。
「お前。自分の事だろうが。もう少し慌てたらどうなんだよ」
誠は呆れた様子で優羽をみつめていたが、優羽はまるで意に介した様子はなかった。
「でも、誠さん。私、もうずっとあそこにいましたから。ずっとずっとです。仮にそうだとしたら、私、とっくに死んでしまっているんじゃないでしょうか」
だが優羽から返ってきた答えは、誠が思っているよりもかなり冷静なコメントだった。
確かに優羽はかなり長い時間、誠の部屋で一人で過ごしていた様だ。それは今までの話からもはっきりとわかっている。だとすればすでに幽霊になってしまっていても不思議ではなかったし、そうすれば自分の存在を否定する事が出来ないという原則とも反してしまう。
ただその疑問に桜餅坊主はゆっくりとした口調で告げていた。
「ふむ。その間はずっと魂の尾がつながっていたのかもしれんぞ。ワシのような徳の高い霊験者でなくては、魂の尾ほど細い霊体は見えぬし感じぬ。気づかなかっただけやもしれん。つい最近、何らかのきっかけで切れてしまったのかもしれんぞ」
自らの顎髭をさわりながら、桜餅坊主はからからと笑みをこぼす。
何が楽しいのか、この坊主はと誠は内心思わなくもないが、冷静に考えれば坊主にとっては優羽が生きようが死のうがどちらでも良いのかもしれない。
誠にしてみても、優羽をどうしても生かさないといけない理由はない。優羽はほんの数日前に知り合ったばかりのただの霊にすぎないのだから、知らないふりをしてしまえば、それでおしまいだろう。
それでももうすでに出会ってしまった。
言葉を交わして、彼女なりの優しさも知ってしまった。
優羽は霊かもしれない。
しかし美朱の話が正しいとすれば、どこかに優羽は生きている。生きているはずなのだ。
今ならまだ優羽は元に戻れる。
生き残る事が出来る。
それならば黙っていられる訳もなかった。
「なら、やっぱりこいつの身体がどこにあるか探し出さないと」
誠は静かに、しかし決意を込めた声で呟く。
ただ有力な手がかりである教会関連はすでに回ってしまった。
どこにいるのかもわからない手がかりもろくにない少女を探し出す事は、砂浜の中に一つだけ混ざっている砂金を探し出すようなものだ。
「とはいえ、どうしたらいいのやら……」
誠は思わずため息を漏らしそうになって呟く。すでに心当たりがある場所は回ってしまった後だ。それに優羽が思い当たる節がない以上、どうしたらいいのかまるでわからない。
「とりあえずいそうな場所を回ってみればいいんじゃないの」
しかし美朱は何事もないかのように告げると、きょとんとした様子で誠を見つめていた。
「それがわかんないから悩んでいるんだろ」
「そうなの?」
「そりゃそうだろ。こいつは自分の名前すらろくに覚えてないんだぞ。手がかりは、こいつが神様とかなんとかいってたことくらいでさ」
「あー。それでうちの学校にきたわけ」
美朱はやっと納得したのか、感心したよなう声を漏らす。
後ろで優羽が「こいつじゃありませんっ」とか言っていたが、とりあえずそれは無視しておくことにする。
「そうだよ。でも何も見つからなかった。あとは一体どこを探したらいいものやら」
今度ははっきりとため息をついて、誠は天を仰ぐ。もはや天に運を任せるくらいしか方法は思いつかなかった。
しかしすぐに美朱が呆れた声で告げていた。
「ばかね。この子は生き霊かもしれないってわかったわけでしょ。だったら手がかりはあるじゃないの」
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