第17話 誠の決意

 重い空気が辺りにただよっていた。


 まさかあのドクター中森にずっと踊らされていただなんて、誠は夢にも思っていなかった。偶然であった優羽のために、彼女の記憶を探しているとばかり思っていた。


 だがドクター中森の言葉によれば、優羽が誠の部屋にいたのはドクター中森の仕業だと言う。しかし誠にはなぜ誠が狙われたのかがわからない。


 確かに誠は優羽をみてとる事が出来た。しかしそれまで特に霊が見えたような事はないし、特にそのきっかけとなる事態があった訳でもない。


「ま、考えるに誠が狙われたのは私の幼なじみだったからかしらね」


 美朱がぼそりと声を漏らす。


 かなり迂遠な方法のような気もするが、一つの説としてはあり得るだろう。何らかの理由で美朱、そしてその叔父である錯乱坊主が術士だと言うことを知ったドクター中森が彼らの力を利用するために誠と接点を作らせたという考えだ。


 その点ではたまたま一人暮らしを始めるところだった誠はうってつけの人材だったのかもしれない。佐由理が霊を見て取れる事から考えても、ドクター中森は何らかの方法で霊、少なくとも優羽のような生き霊を見る事ができる人間を判別できると考えられる。


 あるいは何かしらの方法でその力を覚醒する事が出来るのかもしれない。


「そうかもしれないが、確証は何もない。何にしてもどうして俺が狙われたのかよりも、優羽をどうしたら救い出せるのかを考える必要がある」


 消えてしまった優羽を想い、誠は胸が締め付けられるような感覚を覚えていた。


 幽体兵器とやらが、どのような力をもっているのかはわからない。完成したという言葉の意味も誠にはわからない。ただドクター中森の言葉とともに姿を消した優羽の事を考えれば、ドクター中森の言うことをすべて受け入れてしまう事は考えられる。


 優羽に何をさせようとしているのかはわからないが、兵器として使われる事は優羽にとって少なからず望まない形である事は間違いないだろう。


「すべてみなかった事にするって手もあるけど、それでも誠はあの子を救おうっていうの?」


「そりゃ俺はただの一般人だから、美朱のような術はつかえないけど。でもここまで関わってしまったんだ。だから優羽の事、放っておけないだろ。何の得にもならない猫を救おうとしたり、あいつは良い奴なんだ。あいつは俺を頼ってくれた。だったら俺はそれに答えなきゃいけないと思う」


 誠は手を握りしめて、自分の拳を見つめていた。


 何が出来る訳では無いのはわかっている。ただ何もせずにじっとしている事も出来なかった。確かに美朱の言う通り、見なかった事にして忘れてしまえば、後は自分には関わり合いのない事かもしれない。


 ただ誠にはそんな事は出来そうもなかった。


 優羽は一緒にいる時は、いつも笑っていた。自分を見ていてくれていた。

 ちょっとおかしなところはあるけれど、優羽は自分を好きになってくれた。


 誠はまだその言葉に答えを返していない。

 それだけでも優羽を探す理由はあるはずだった。


「わかった。誠がそういうつもりなら、私も力は貸したげる。ただし」


 美朱はいたずらな瞳を誠に向けて、誠の鼻先に一本伸ばした指をつきたてる。


「これは貸しだからね!」


 美朱は笑みを浮かべて、誠へと向き直る。


「わかったよ。必ず貸しは返す。だから力を貸してくれ」

「おっけー。じゃあまずは優羽ちゃんの肉体の方を確保する事からね。こんなこともあろうかと、ちゃんと対策は打っているから」


 言いながら美朱は一枚のコンパクトミラーを取り出していた。普通に女子が身だしなみを確認する時に使う鏡だ。


 ただその鏡面には反射した自分達の姿ではなく、誠の部屋が映し出されていた。

 優羽の肉体は特に何もなく部屋の中で眠るように布団の中でじっとしている。そちらまではドクター中森の手は回っていないようだ。


「いまのところ特に問題はなさそうね。でもドクター中森とかいう人が体を取り戻しにくる事は考えられる。一応結界も張ってあるから、誰かが侵入すればわかるとは思うけど」


「いつの間にそんなことを」


「出かける直前にちょちょっとね。ま、とにかく一度、誠の部屋に戻って作戦を考えますか」


 美朱はミラーを閉じて立ち上がる。錯乱坊主も続いて立ち上がっていた。


「まぁ乗りかかった船じゃし、可愛い姪の友達のためじゃからの。ワシも力を貸してやるとするかの」


「本当か。助かる。ありがとう」


 誠は頭を下げるが、錯乱坊主はからからとした笑顔で高笑いを返しただけだった。


「私も力を貸してやりたいところだが、妹もまだ術が解けたばかりで本調子ではない。だから一緒にいってやる事は出来ないが、代わりにこれを渡しておく」


 佐由理が手渡してきたのは一枚のICカードとスタンガンだった。


「カードはセキュリティカードだ。もしかしたら私のIDは止められてしまっているかもしれないが、そうでなければこれがあればラボの中には入れる。こっちは君も知っての通り小型霊体発生装置だ。何もしなければただのスタンガンとしても使えるから、何かの役に立つかもしれない。


 それからドクター中森は幽体兵器が完成したとは言っていたが、しかしそれもあの装置の力を使っての物だ。装置を壊せば元に戻る可能性は高いと思う」


 佐由理の言葉に誠はうなづく。


「ありがとう。必ず役立てるよ」


 礼の言葉をつげたあと別れを告げ自身の部屋へと向かう。

 優羽が取り戻せるか否か。今は一刻を争う事態だ。いつまでもここにこうしている訳にはいかなかった。




 戻ってきた時、部屋の中には変わらず優羽の体が眠っていた。特に誰かが訪れた様子もないようだ。


 ただもしかするとドクター中森にとって必要なのは優羽の霊体だけで、肉体は不要なのかもしれない。


「ま、とりあえず優羽ちゃんの体は無事なんだから、あとはどうやってあの部屋に忍び込んで機械を壊すかよね。ドクター中森って人が本当にいままで三味線ひいていたんだとしたら、今度はセキュリティも厳しくなっているはずよ」


 美朱の言葉に誠は首を縦に振る。


「だろうな。もちろん行ってみなければわからないけど、そう思っていた方がいいと思う。しかしなんだってドクター中森はこんな事をしていたんだ。俺と優羽が触れあう必然性がどこにあったっていうんだ」


 誠は眉をよせて今までの事を考え始めた。

 優羽が部屋にいたのはドクター中森の仕業だとすれば、当然以前からドクター中森は誠の事を知っていた事になる。


 誠はもちろんドクター中森の事なんて知らない。


 佐由理も同様にドクター中森の手によって操られていたようだが、佐由理の場合は装置の完成に必要な技術をもっていた訳だから理解ができる。


 誠はもちろん機械の事なんて何一つわからないし、かといって術が使える訳でもない。ごくごく普通の男子高校生だ。しいていうなら少しばかり細かい事に気がつきやすい観察力はあったが、それも人より多少というだけでどこぞの名探偵のような力がある訳でもない。


 術士である美朱の幼なじみだからという事も考えられるが、美朱とは高校に入ってから疎遠になっていた。たまたま優羽と共に学校に訪れて再会はしたものの、本当に偶然に過ぎないはずだ。


 もしそこまでを見越していたのだとすれば、あまりにも出来すぎている。


 途中から美朱や錯乱坊主の助けを借りていた事はばれていたのだろうから、それを踏まえて対策を立ててはいただろうが、さすがに美朱と出会うタイミングまで操作できるとは思えない。


 一つ考えられる話としては誠は優羽の姿を見て取る事ができたが、宅配便の人は優羽の姿を見つける事はできなかった。だとすればどこかで誠に霊を見る力がある事を知った事によるものだという可能性はある。


 しかし誠は優羽と出会うまで幽霊を見た事はなかった。そして今も優羽以外の霊体が見えたのは、佐由理の妹についてだけだ。


「もしかすると俺は霊体発生装置によって出没した霊体だけが見えるのかもしれない」


 思わず声に出してつぶやく。


「そういえば誠は他の霊については全く見えていない様子だったかしらね。私にとっては見えて、他の人にとっては見えないのが当たり前だったから気にもとめていなかったけど」


 美朱が漏らした声を引き取って話し始める。


「俺にはわからなかったが、他にも霊がいるのか」


「え、そりゃいるでしょ。まぁそんなにあふれているって訳でもないけど、けっこうその辺にいるものよ。霊は」


「うむ。人にとりつきでもせんかぎりは、放置しておるがの。まぁ霊の姿など珍しいものではないな」


 錯乱坊主が美朱の言葉を引き継いで話し始める。


「そ、そんなにいるもんだったのか」

「ええ、そうよ。ほら、いまそこにもいるわ」


 美朱が部屋の右隅の方を指さす。


「な、なにっ!?」


 誠は驚いてじっとそちらを凝視するが、何も感じる事は出来ない。


「何も見えないな……やっぱり霊体発生装置による霊体のみが見えるって事なのか」

「そうね。それで間違いないと思う」


 美朱は誠の言葉を肯定すると、それから口元に笑みを浮かべて告げる。


「まぁそこに霊がいるっていうのは嘘だけどね」


 ぺろりと舌を出していた。


「ちょ。お前。こんな時まで人をからかうのかよ」

「あら、いい気分転換にはなるでしょ? ま、あんまりはりつめていたって仕方ないしね」


 屈託の無い笑顔で告げる美朱に誠は溜息をもらした。


 いまだかつて美朱と口げんかをして勝てたためしがないので、これ以上余計な事は言わないでおくようにした。


「何にしても。霊体発生装置で出没した霊だけが見えるって事は、普通の霊力と違う何かが誠にはそなわっているって事ね。それがドクター中森によって植え付けられた何かなのか、もともと誠がもっている力なのかはわからないけど。優羽ちゃんと引き合わせたのはその力による何らかの効果を狙っていたのでしょうね」


「そしてその何らかの効果によって幽体兵器とやらが完成してしまった、という訳だ。何がどう関係しているのか全くわからないけどな」


 溜息まじりにつぶやくが、しかしそれで何かが変わる訳ではない。誠は錯乱坊主の方へと顔を向けて、そちらの意見を促してみる。


「ふむ。まぁそうじゃの。想像にすぎぬが、あの娘はおぬしにとりついておったであろう。本来は生き霊であればとりつくなんて事はないはずでの。とりつくという行為は自分の肉体を失っているからこそ、相手の肉体を奪うつもりで行うものじゃからのう。だがあの娘はおぬしにとりついた。つまり本来は行うはずのない行動をしていたわけで、そこに何らかの鍵があるのじゃと思う。その経験こそが完成に必要な行動だったのじゃろうな」


「確かに最初の時とりつくなんていうのは低級な霊だとか、そんなような事を言っていたな」


「まぁ本当のところはわからぬ。ただ幽体兵器とやらが完成したという言葉の通りにとらえるとすれば、次に会う時にはあの子は自我を失っているかもしれぬ。自由自在に操れてこそ兵器といえるからの」


「自我を失っている……か」


 誠はその事を思うと胸がぎゅっと締め付けられたような気がしていた。


 次であった時、優羽は自分の事を覚えているだろうか。朗らかに笑ってくれるだろうか。考えても答えはでないけれど、ただ優羽の笑顔だけは失わせたくないと強く思う。


 ややとんちんかんな答えを告げてきていた優羽。

 優しさを見せた優羽。

 ずっと一緒にいた時間は無かった事になんて出来ない。


 誠は強く願う。もういちど優羽がここに戻ってくることを。


「とにかくまたあの研究室に忍び込んで霊体発生装置を破壊するしかない。ただ認識阻害の術をかけたとしても、さすがに見つからずに忍び込むという訳にはいかないよな」


「そうね。あの時、佐由理さんに見つかったように、誰か沢山の人がいる時に紛れ込むのならともかく、部屋の中に一対一でいた時に認識されないなんてほどの強い術じゃないから。まぁもういちどナース服を着たいというなら止めないけど」


「誰が着るかっ。くそ。もう 騙されないからなっ」


 誠は悪態をつくも、美朱は全く気にしていない様子で笑みをもらすだけだ。


「くっ、生暖かい視線をよこしやがって。まぁ。いい。とにかく認識阻害の術は使えないってことは、だとしたら強行突破しかないってことか」


 さすがにそれは避けたいと誠は思う。おそらくはドクター中森も警戒を強めているはずで、それでは飛んで火にいる夏の虫だ。


「それなんだけどね。ちょっと私に考えがあるのよね」


 美朱が口角を上げながら告げる言葉に、しかし誠はどこか体が震えるのを隠す事は出来なかった。

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