第16話 敵の正体
隣の部屋に移ると礼拝堂とは違い小さな小部屋になっていた。
部屋の隅にはベッドがひとつあり、その中に少女が眠っていた。この少女こそが佐由理の妹であり、礼拝堂に浮かんでいた彼女の肉体なのだろう。
見た限りではただ眠っているだけのようにみえる。血色も悪くないし、寝息もとても静かで安らかな寝顔をしていた。
「ふむ。一見する限りでは特にこれといった様子はないの。じゃが明らかにこの娘は魂が抜けており、意識はここにはない。さきほど皆も見たであろうが、霊体は隣の礼拝堂にある。しかし普通であればここに魂の尾がつながっているはずじゃが、そこの霊体娘と同じく魂の尾が見えぬ。そして同じように何かしらの術をかけられている様子もみえるな。つまり霊体娘と同じような術によって強制的に霊体を取り出しているのじゃろう」
錯乱坊主は佐由理の妹の肉体を一目みるなり告げる。おおむね想像していた通りだったのだろう。特に驚いた様子もない。
「じゃがの。この娘御にかかっておる術は不安定な術じゃな。これならワシの力で元に戻せるやもしれぬ」
「本当か!?」
佐由理がやや声のトーンを高くして言葉を漏らす。
「うむ。じゃがやってみなければ戻せるかどうかはわからぬ。ひとまずは通常の魂を呼び戻す術を唱えてみよう」
いつになく真面目に錯乱坊主は呪文を唱えると、拳に強い力を入れて佐由理の妹の前にかざしはじめる。
「魂よ、元に戻るがよいっ」
そう唱えた瞬間、強い光が放たれる。
そして光が収束していくと同時に礼拝堂に浮かんでいた佐由理の妹の霊体が引き寄せられているのがわかる。
「おお……。これは」
佐由理が感嘆の声を漏らす。
少女の霊体と肉体が重なり合うと同時に軽く光が放たれる。
「肉体に戻れっ!」
錯乱坊主の声とともに、カメラのフラッシュのような瞬く光が少女の肉体から放たれる。
元に戻るか、と思った瞬間だった。
少女が軽いうめき声をもらしたかと思うと、霊体が再びはじかれるように外に浮かんでいた。
「失敗じゃの。まぁ、しかしやはり想定通りじゃな。この娘御にかかっておる術は、そちらの娘にかかっておる術と完全に同じものじゃな。だとすれば単純な術では元に戻らぬ」
錯乱坊主は優羽の方へと視線をちらりと移す。しかし優羽はなぜか渋い顔をして佐由理の妹の体を見つめており、錯乱坊主の視線には気がついていないようだった。
「なんだと……!?」
佐由理がややとげのある声を漏らす。
「U-02にかけられた術は、ドクター中森の作り出した機械と組み合わせた独自の術式だ。それがなぜゆかり、私の妹にかけられている。妹にはU-02のような機械もつけられていない。何かの間違いじゃないのか」
「間違いはない。この二人にかけられた術は同じじゃよ。ただしおぬしの言う通り、この娘御には機械がつけられていない。そのため術が不完全な状態じゃな。すなわち」
錯乱坊主は再び佐由理の妹の方へと向き直り、そして呪文をとなえはじめる。
もういちど霊体が彼女の肉体へと近づいていき、そして激しく輝きを増していく。
「この程度の術であれば、ワシならば打ち消す事も出来る。
高らかに唱えられた呪文と共に霊体がこの場から完全に姿を消していた。
それと共に少女がゆっくりとまぶたを開ける。
「あ……あれ。ここ……どこ」
「ゆかり!? 目を覚ましたのか!?」
「あれ。お姉ちゃん。どうしたの、そんなにあわてて」
きょとんとした顔つきで佐由理の妹、ゆかりの方を見つめていた。
「よかった……よかった……。ありがとう、ありがとう……」
佐由理はベッドに横たわったままの妹を抱きしめると、人目もはばからずに涙をこぼしていた。
「お姉ちゃん恥ずかしいよ。他の人達が見ているよ」
「かまうものか。ゆかりが目を覚ましてくれたんだ。これ以上に嬉しい事なんてない」
佐由理はしばらくの間、ゆかりから手を離そうとはしなかった。
少し佐由理の落ち着きが戻った頃に、一同は教会のさらに別室に集まっていた。ただし佐由理の妹はまだ念のためさきほどの部屋で休んでもらっているため、ここにはいない。
「じゃがの。本来それだけ長い間霊体と肉体が離れていれば、かなり状態が悪くなっていてもおかしくはない。霊体と肉体は本来一つであるべきものゆえ、離れればかなり体も弱ってしまうし、同時に霊体も弱ってしまうのじゃ」
錯乱坊主の言葉に佐由理がうなづく。そしてその言葉を引き継ぐようにして話し始める。
「だがゆかりはまるで一晩眠っていて目が覚めたかのようだった。長い間寝込んでいたとは思えない。霊体だのは別にしても人の体は一月も動かさないでいれば急激に筋肉がおちて体を動かすだけでもかなり辛くなる。けれどゆかりにはその様子もなかった」
「そうじゃな。おそらくそこな幽霊娘の肉体も衰弱しているかの姿は見られなかった。つまりこの術は強制的に霊体をはじき出すものの、肉体への影響を最小限にしておるどころか、肉体の状態をそのまま保っておると見える。かなり高度な術じゃ」
「本当に妹にかけられていた術と、U-02にかけられていた術は同じ術なのか。あの術はドクター中森の作り出した術だ。すなわちドクター中森以外には使えない事になるが、しかしドクター中森との接点ができたのは妹が眠ってから、つまり術がかけられた後の事だ。それまで私はドクター中森の存在すら知らなかった。貴方の力をもってしてもU-02の術はとけていないようだし、何かの勘違いではないのか」
佐由理はいぶかしげに錯乱坊主を見つめていた。
だが錯乱坊主は首を横に振るうと、優羽の方へと向き直る。
「機械の補助がない分、術が甘かったに過ぎぬよ。これほどの術はそうそうあるものでないゆえに、勘違いという事もあるまい」
錯乱坊主がいつになく真剣な顔で告げると、その言葉を美朱が引き取って話し始める。
「佐由理さんってあの病院のお医者さんなのかしら。ドクター中森って人とはどうやって知り合ったの」
唐突に切り替えられた話に佐由理は少し目を丸くしていたが、素直に美朱の質問に答える。
「いや私は医者ではない。あの病院にいるために医者のような格好をしているが、専門はナノテクノロジーだ。普段はナノ素材を研究している。ドクター中森とは霊媒師などを探している途中で霊を操る研究をしている人がいると話にきいてね。私からたずねた。
眠り続ける妹に普通なら病気を疑うところだろうが、幸か不幸か私には妹の霊体が見えた。だから病気ではなく、何かの超常現象だろうとは思っていた。ただ霊媒師等はほとんどがいんちきだったな。ろくな術も使えないし、そもそも妹の霊も見えてはいなかった。
けどドクター中森は一目見るなり妹の霊体をみつけ、術によるものだと見破った。そしてこの術を解くためには今の研究を完成させる必要があるため、力を貸して欲しいと言ってきたんだ。だから私はドクター中森の研究に力を貸す事にしたんだが、次第に彼のやり方にはついていけなくなってたところだった」
佐由理は少し悔やむように眉をよせて首を振るう。
ただ美朱は佐由理の言葉をきいて大きくうなづいていた。
「やっぱりね。佐由理さん、私が思うにそれはたぶん因果が逆ね。妹さんが眠りに入ったから、佐由理さんは術をとける人を探してドクター中森って人と出会ったんじゃない。ドクター中森って人は佐由理さんを引き入れるために、妹さんに術をかけたのだと思う」
「なに……?」
「そうとでも考えなければおかしいもの。だってそうそう都合良く、あんな怪しげな研究をしている人のものにたどり着いて、その上で研究を手伝えってそんな都合良い話はないもの。理由はわからないけど初めから佐由理さんに目をつけていて、引き入れるために妹さんに術をかけ、そして佐由理さんがたずねてくるように情報を流した。そうだと思う」
「……いや、まさか。あのドクター中森にそんな真似ができるとは到底思えないが」
佐由理はこめかみを押さえながらつぶやく。
ただ完全に否定したという感じでもなく、考えもしていなかったという表情をしていた。
誠もあのドクター中森がそこまで頭が回るようには思えなかった。なにせ誠が隠し部屋にたどり着いても、侵入者である事に気がつかなかったような男だ。機械と術の融合等の成果をみる限り地頭はいいのかもしれないが、あの様子では悪巧みを働かせられるようには思えなかった。
「私はそのドクター中森って人とは直接話していないからわからないけど、そう考えるのが一番しっくりくるもの。もっと警戒した方がいいと」
美朱がそこまで告げた瞬間だった。
不意に質の悪いスピーカーから響くようなくぐもった声が部屋の中に響いた。
『エクセレント! いやぁ。君。よくわかったねー。僕もまさか見破られるとは思っていなかったからびっくりだよー』
「ドクター中森!? なぜ彼の声がここに」
佐由理が驚きのあまり声を張り上げていた。もちろんここにはドクター中森の姿はない。
『佐由理くんのね。カーボンナノチューブの研究がちょっとばかり必要でね。協力してもらおうと思ってちょちょっとね、佐由理くんの妹くんに術をかけた訳さ。まぁただ佐由理くんが僕のやり方に賛同していない事はわかっていたからねー。そろそろ潮時かな、なんて思っていたのだけど、まぁまさかこのタイミングで本物の術士と知り合うなんてねぇ。いやぁ本当の偶然っていうのは恐ろしいねー』
「まさか……本当に……」
『そうだよ。だってそうじゃなきゃ、こんな研究、簡単には人には見せられないだろう。君は妹くんのために何も言わないだろうってわかっていたからね。ま、そもそも僕が仕掛けた事なんだけどねー。いやぁ、こりゃまた面白い。笑えるね』
ドクター中森は面白そうにけたけたと笑い声を漏らす。
『で、ついでに告白するとだね。そこの彼。誠くんとか言ったかな』
「俺の名前を知ってる!? なぜだ……!?」
不意に呼ばれた自分の名前に驚愕の声を漏らす。
『そりゃあ知っているよ。だって君の家にU-02を配置したのは僕なんだからねー。いやぁでも君はするどいねぇ。まさかあんな短時間で僕のラボにたどり着くとは思わなかったよ。ほんとはもう少し、次第にヒントをちりばめるつもりだったんだけど、まさかノーヒントでたどり着くとはねー。おかげでまだちょっとばかり準備が足りていなかったんだけど、まぁでも何にしてもうまくいって良かった良かった』
「なに……?」
『実験はすべて成功。いやー。ははは。でもほんと偶然っていうのはすごいねぇ。まさかこうまでも僕の思った通りに進んでくれるなんてねー。いやー。ほんと。すごい。面白い。おかげで幽体兵器、完成しちゃったからね。すごーい。すごーい。いやはや、もー、たまりませんっ』
ドクター中森はけたけたといつまでも笑い続けていた。
「ど、どういうことですかっ。幽体兵器が完成したって。私、どうなっちゃうんですか」
今まで黙っていた優羽が慌てて声を漏らす。
その声に答えて、ドクター中森が急に笑い声を止めて告げる。
『もちろん君は幽体兵器になる。さぁ戻ってこい。U-02』
バチッと電気がはじけるような音が響く。
同時に強い光があたりに弾けた。
思わず目を閉じて、そして再び開いた瞬間。もはやそこには優羽の姿は無かった。
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