自転車でぼーっと

@KKOOKK

第1話

現実なんてただの妄想だ、

そうぼやっと考えながら、僕も今日は学校へ行くために自転車をこぐ。

別に学校に行きたいわけじゃない。

むしろ、できるならば行かないでいたい。

友達がいるわけでもないし、何かしら楽しみがあるわけでもない。

授業だって、あまり効率的な勉強とは思えないし、必要とも思っていない。

ただ学校に行かないは行かないで、それなりに面倒な問題が起こるので、ただ仕方なく僕は今日も自転車をこいでいる。


朝の通勤通学真正中の時間、街は異様に慌ただしい。誰もがそれなりに急いでいる。

僕の周りには、のんびりだらだら歩いているような人間は見つけられない。

皆それぞれの理由で自転車を急いでこいだり、朝から過度なランニングを強いられたり、バスの中にぎゅうぎゅうづめになったりして、苦しそうな顔をしている。


そんな顔をするならば辞めてしまえばいいのに、と僕は思う。誰だって自分の人生は自由に決められたはずだ。

高校3年生の時、あるいは大学を卒業する時に自分の将来について考えるはずだ。

それだけでなく、自分の仕事の適性についても考えただろう。朝早く出勤するのは嫌だな、とかその時この人たちは何も考えなかったのだろうか。


まあ、しかし考えたとしてもやむにやまれぬ事情がある人間もいるだろうが。


彼らはこの選択がベストだと思って、いま急いで通勤通学をしているのだろうか。

僕は毎朝、疑問に思う。 


僕は今高校生だ。

中高一貫を選択したわけではなく、ただ一般の公立高校に通っている。そして僕もまた朝急いで自転車を漕いでいる。


だから僕がこの人たちに言えた義理ではない。

僕だってこの生活が一番無難で、一番普通だと思って選択したのだから、たとえ自分に合っていようとなかろうと、僕の中の普通という価値観に合わせるべく、この道を選んだんだ。


もし僕が中学3年生の時、高校生にならずに中卒として何か芸術と極め、大成するという決意をしたならば、その道で輝いていたこともあっただろうが、僕はいかんせん臆病者なのでこの道を選んでしまった。


おそらく僕には集団行動が苦手な性質が含まれているため、きっとその道の方がら今頃生き生きしていたに違いないが、今でもどの道を選ぶのが正解だったのかはよくわからない。


自転車を漕いでいる時は、いろんなことを考えてしまう。

体は忙しく動かしているけれど、頭は暇だからだ。何も考えることがない。

寝起きのぼーっとした頭では、頭も上手く働いていないのかもしれないが、それでも何かしら考えてしまう。


周囲の人間を観察して、(あー、この人はバスに遅れそうで焦っているんだな)とか、(あの人は自転車を急いでこいでいるから、遅刻しそうなのかな)とか、(このお母さんは子供がぐずっているから、今焦っているのかな)とか。


そういう些細な、至極どうでもいいことを真面目に考えてしまう。僕にはそれがちょっと楽しかったりする。朝の少しちょっとした楽しみだ。


僕はこれを考えるために自転車を漕いでいるといっても過言ではない。いや本当に過言ではない。


ここまでペラペラ話してきたからわかるように、僕はそれなりに周りの人間に関心がある。

関心があると言ったら、少しイメージが違うかもしれない。僕が今行った関心はどちらかと言うと、実験観察の方に近い。


僕はそれぞれに好意的な感情は抱いていない。

人間がどう動くのか、それを無機質にただ眺めているだけだ。その中に、好きとか嫌いとかそういう感情は一切ない。…………当たり前か。


感情はないと言ったが、それは実験観察をしている時だけのことであって、僕が被害を受けた時は少しばかり違う。

それなりにイライラする、ムカつく、腹が立つ。激怒まではしないが、少し心にモヤモヤが残る。


それは信号無視だ。

特に僕が待っている信号を、後から来た人間に平気に渡られるとものすごく……激怒はしないが、イライラとする。

僕が待っていた時間が無駄になったような気がしたからだ。僕が待っているのがバカらしいように感じたからだ。

赤信号のまま渡った人間は、数分、あるいは数秒、時間的に得をするんだ。

僕はそれがとてつもなく腹立たしい。


それでも僕は、赤信号を待つルールは遵守するべきだと思うしら何があっても赤信号で渡るなんてことをしてはいけない。

青信号の時にしっかりとわたるべきだ。

 

一度ルールを破ったら、もう歯止めがきかない。歯止めがきかないということは、他の規則も破りやすくなるということだ。


ここまで信号無視を語ると、真面目な人間だと勘違いされてしまいそうだが、僕は真面目な人間ではない。


自負しているだけだから、本当に真面目な人間ではないかどうかはわからないけれど、基本的に僕は僕をいい人間ではないと思っている。


その根拠を今、ひけらかすと僕の全てを見知らぬあなたに理解されることになるから、それはやめておく。

僕は元来、人に自分自身を理解されるのが好きではない。人が理解した部分は僕の一部分であって、僕全体ではないからだ。それなのに、人は僕全体をわかった風に話す。それは僕にとって、とてつもなく不愉快なことだ。

だから、僕は安易に人に全てをひけらかさないことにしている。

それが今の僕を作っているとも言えるのだ。


僕が全てをひけらかすのは誰もいない。 


家族にもらとうとうひけらかすことはなかった。

僕の全てを提示することはなかった。

僕はきっと僕をありのままに理解されることが怖かったんだ。きっとそうだ。


何も言わないまま、何も伝えられないまま、何も分かり合えないまま、僕の両親は天国へといってしまった。首吊り自殺だった。


この選択は正解だったかもしれないし、不正解だったかもしれない。一般的に見れば、不正解だったと答える人が多いような気がする。

でも、僕は正解だったと思っている。思おうとしているんではない。実際に僕の主観的な感想はそう述べているんだ。


僕の考えは、僕の心の中の世界でしか広がっていない。

勿論、人は分かり合うことも大切だけれど、触れられてはいけない部分もある。

自分の中で大切に守っていかなければいけない部分はどんな人にでも存在すると思うんだ。

僕にとっては、それが両親に話すか話さないか迷っていたその部分そのものだった。話してしまえば、分かり合えたのかもしれないけれど、僕はそれを望んでいなかった。


わかりあえたかもしれないというのは、あくまで僕の頭の中での理想的な結果であって、現実の結論がそこに至るとは限らないからだ。

悪い方向に転がる可能性だって十分にある。


良い方に転がる可能性だってそこには十分にあったはずだが、僕は良い方に転がることより、悪い方向に転がる事の方が確率的に高いと考え、それを恐れたんだ。


そうして、僕は一人で、一人のままで、一人で生きて、一人で死んでいく、それを結果的に洗濯したんだ。

後悔をしていないとは言い切れないけれど、僕のあの時の気持ちを信じることに迷いはない。

だから、僕は後悔をしないことにしている。


あの時の自分を後悔することは、あの時の僕を侮辱することになるからだ。

僕は……僕だけは……僕自身に、高い矜持と大きな自信を持って生きていってほしい。


僕は僕に理想を抱いているんだ。


誰も僕に理想を抱いてはくれない。

誰も僕に夢を抱いてはくれない。

誰も僕に期待してはくれない。

だから僕だけは僕を大切に思っていたい。

僕だけは僕を大切に思っていないと、僕はきっと壊れてしまう。


それだけは嫌だ


そして僕は今日もやる気のない速度で自転車をこぐ。


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