第18話 蜘蛛蜂

 その夜、虫の音が不意に消えると同時に、何者かが私の前に転がり込んできました。

「追われております」

 その者は、面か何かつけているのか、くぐもった声で言いました。

 かすかに血の臭いも漂いましたから、私はそちらに顔を向けて小さく頷いてみせましたら、その者は息を整えて、次のような話を語りました。


 我らは、さる神を信奉し、山野を駆け巡ってそこに生きるものの力を我がものとする一党にございます。

 子どもの頃に二親の命を奪われて拾われた私も、蜘蛛と蜂の力を身に纏うて、蜘蛛蜂、と呼ばれております。

 もちろん、おのが身の鍛錬を第一と教えられてはおりますが、その眼目は、世中を正すことにあります。といって、何をしているのか、有り様を申し上げますと、首領の命じるままに、我らは身につけた力を用いて世に仇なす奸物を亡き者にする、つまりは、殺しをもっぱらとしているわけでございます。

 それぞれがどのような力を身につけているのか、またどれほどに同類がいるのか、そういったことは知らされておりませんが、それでもともに働いておりますうちには、いろいろと思うこともできてまいります。

 あるとき、刺し殺しました奸物には、幼い子があって、その子を抱きながら妻女が亡骸にすがって泣いておりました。

 首領は、かの奸物は私腹を肥やし、政を蔑ろにしている、と話しておりましたけれど、貧しい者にも施していたことが、あとになって知れました。

 あるいは、ともに謀って奸物らを消し去る同類と親しくなりますと、互いに思うことを口にすることもあり、それがまた己の所業に疑念を抱かせます。

 まれに、首領から裏切り者としてそうした同類を始末するように命じられることがあって、私も、一度その命を奪ったことがありました。

 ただ、我らが同類まで亡き者にして、果たしてそれで世の中を正すことになるのだろうか、と思わぬこともありませんでしたが、そのときは、まさかに己が裏切り者と呼ばれて同類に命を狙われることになろうとは、思いもよりませんでした。

 ここまで追われて、さて、このまま逃げ切れるかどうかはわかりませぬが、おかげで人心地つきました。

 ……どうやら、我が張りし蜘蛛の糸に追っ手がかかったようにございます。これにて、御免仕ります。


 蜘蛛蜂なる者の気配がなくなると、虫の声がまた聞こえ始めました。

 世の中を正すために奸物を消し去る、そうした一団がありやなしや、私の与り知らぬことではありますが、翌朝早く、寺男がわざわざ私の寝所を訪れて、

「大きなスズメバチと女郎蜘蛛が死んでおりました。外にお出でのさいは、どうぞお気をつけください」

 と申しました。

 さて、今宵は何を弾じましょうか。

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