[就職――現在]

 就職してからおばあちゃん家に行ったのは多分三回と記憶している。

 一回目は最初の就職先に就いた時。この時の事はあまり記憶が無い。就職先があまりに最低な企業で、それに紐づけられているせいで物事を碌に覚えていないのだ。

 どうでもいい話、社会人になるとあれだけ長かった夏休みが長くても三日しか取れないのに驚いた。人間という生き物はそりゃ働かないとメシを食うことが出来ないのだろうけど、だからってこれは極端じゃないだろうか。休まずに働けと言うことだろうか。体も心も壊したら生きている意味もないだろうに。

 少なくとも一年おきにおばあちゃん家に訪れるという目標を設けたので、直近でおばあちゃん家に行ったのは残りの二回になる。

 二回目はブラック企業を脱出して、アルバイトをしながら就職活動をしていた時期だった。例によって家族それぞれのスケジュールがバラバラだったので、先に妹、次に私、最後に両親という順番でおばあちゃん家に行った。

 バイトはシフト制なので厳密には夏休みが無い。その時のバイトは地元の大型書店で、人手にそんなに余裕が無いので一泊二日の弾丸スケジュール、おばあちゃんにちょっと顔を見せるだけでまたバイトに戻る予定だった。

 例によって一関駅で叔父さんの車に乗せられて私はおばあちゃん家に行ったわけなのだけど、

「そう言えば妹ちゃんが今日花火大会があるから――ちゃんも行こうって」

「え⁉」

 普段無口な叔父さんがいきなりそんな事を言うものだから結構大きな声が出たと思う。

 花火大会なんてまだ海があった頃以来で、私は東北の街がドンドン元気になっている事に思わず嬉しくなって二つ返事で応えたと思う。

 確か会場は一関付近だったと思う。一度私をおばあちゃん家に送って、妹と合流、そして会場に引き返して、また帰る……二往復合計四時間弱……。

 後でおばあちゃんから「いいの、あの人は運転が好きだから」なんて言葉を貰ったけど、正直言うと申し訳なかった。次におばあちゃん家に行くときはレンタカーなり、自分で動ける手段を持って逆に叔父さんを乗せられるようになろうと固く決意した次第である。

 花火大会の会場は思った以上に大盛況だった。大きな河川が会場で、川べりに屋台がひしめく様子は圧巻の一言だ。

 屋台をみて驚いたのは「献血パックジュース」に「電球ソーダ」、「チーズハットグ」など最近の韓流ブームに乗っかった屋台が少なくない事。的屋のおっちゃんたちもずいぶん流行に敏感だ。

 そして流行に合わせると言うことはその文化を理解している客層がいる訳で、会場のあちこちから続々と最新の流行に身を包んだ十から二十代の若者たちが集まって来ていた。

「……すげえ、過疎地なのに、こんなに多くの若者始めて見た……!」

 叔父さんがしみじみと驚いている。これだけの人出はやっぱりなかなか見られるものじゃないらしい。私もこの人の活気があるのが嬉しくて花火大会が始まる前から感情のボルテージがマックスだった。

 色々屋台の物を食べながら私達は花火が上がるのを今か今かと待っていた。その日は小雨だけど降っていて、打ち上げの時間調整に手間取っていたのだ。

「ええそれでは――花火大会を始めます」

 大船渡の花火大会は結構有名で、ナイアガラの滝に代表されるプログラムが組まれたちょっとしたものだ。私は一関のそれがどのようなものなのか、過去の思い出が想起されると共に楽しみにしていた。

「まずは――協会様より提供の――尺花火です」

「ん?」

 アナウンスと共に一発の花火が「ぴゅーひょろろ」と打ち上がる。上空に大輪の華が一輪。それは確かに綺麗だったけど、私も妹も叔父さんもその様子を見て首を傾げた。

「どうして連発しないんだ⁉」

 次々と提供先がアナウンスされては例によって一発ずつ花火が打ち上がる。私達は自分達が持つ花火大会とかけ離れた光景が来る広げられる様子にひたすら戸惑っていた。

「これって……もしかして……」

 私達は駐車場入り口でもらった大会のチラシを広げてみた。そこには花火大会の開催に協力してくれた地元の商店街や企業の名前が一覧で印刷されていた。そして、花火はその署名順に一発ずつ打ち上げられていたのである。

「ど派手な自慢大会だったんだなぁ……」

「今時そんなことがあるんだね……」

 見慣れたプログラム花火で無い、初めてみる形式とのギャップに私達はただただポカンと口を開けながら見ていたとおもう。

 こんな事を言うと花火大会に関わった人たちに怒られる気がするけど、スポンサー打ち上げ形式はエンターテインメントからはかけ離れている。テーマに合わせた音楽と共に精密な計算で次々と打ち上げられるのでない、氏名アナウンスで間延びした一輪は地味だし、とにかくテンポが悪いのだ。

 どうでもいいけどスターマインはお手軽なのか個人や規模の小さな法人がよく打ち上げていた。そしてスターマインの割合がそれなりに占めていたのでやっぱり地味だった。

 今回の収穫は一関の街に活気のある若者たちがたくさんいたことだった。花火はまあ、そうでも無かったけど、それでも久しぶりに花火大会の雰囲気を味わえたのは良かった。

 三回目はこれを執筆している二か月前の八月。

 東京での就職が決まり、私はようやくまともな会社で生活を送れるようになった。とは言え、一人暮らしの生活はお金が無い。生活を安定させるまでは遠出が出来なかったので、今の会社での生活が安定するまではおばあちゃん家に行くことが出来なかった。

 なんとか貯金が出来るようになって、自分で自由に使えるお金が増えたのが今年。私はようやくおばあちゃんに顔見せすることができるようになった。

 ただ、私がおばあちゃん家に行けていない一年のあいだにあちらでは大きな変化があった事を母親から知らされた。

「おじいちゃんがボケた」

 電話で母からその言葉を聞いた時私はどんな表情をしていたのだろう。

「免許も返納した。危ないからね。車も処分」

「トイレも自分でできなくなっちゃって、漏らすことも多くなったね」

「娘の私の顔も覚えていないからもうすごいよ」

 おじいちゃんがボケた事をキッカケに母は二か月に一回のペースでおばあちゃん家にお手伝いに行っているらしい。上の家はもうおじいちゃん一人じゃ維持する事は出来ないし、おばあちゃんも仕事が忙しい。母も思う所があったのだろう。庭のお手入れに、おじいちゃんのお世話に、最近では力を入れるようになったみたいだった。

 この話を聞いて私はおばあちゃん家に行くのが怖くなった。私の記憶にあった世界は、私が忘れる前に形から無くなっていってしまう。思い出の街は津波で流されて、元通りには程遠い姿。おじいちゃんの人格も無くなっていって……今年で御年八十代後半、生きているのはいいのだけど、その人で無くなる、その事実が私には怖くて仕方がなかった。

 次に会いに行くとき、おじいちゃんは私を覚えていないかもしれない。それだけならいい。別に私が忘れられていても、おじいちゃんが元気であればそれでいい。

 けれど、ボケや認知症は単に物事を忘れる病気じゃない。どういう理屈かは分からないけど、やる気とか運動能力も忘れさせて、寝たきりにしてしまう恐ろしいものだ。

 私は他人の病状を気にしすぎなのかもしれない。だけど、私は感じやすい性分なのだ。だから、せめておじいちゃんに会ったら笑えるようにだけ、覚悟を決めようとその時はまるで戦場にでも行くように新幹線に乗った。

 東京駅が始発ということもあって、私はたっぷり英気を養うことが出来たと思う。車窓から久々に見えた景色は私の中の幼少期の記憶を呼び覚ましてくれて一関駅に到着する頃には懐かしさで胸がいっぱいになっていた。不思議と「帰って来た」気持ちになった。東京のアパートよりも空気が馴染んでいて、「ああ、ここは私のもう一つのふるさとなのだな」と胸が熱くなった。

 この日は実家から同じ新幹線で母と妹も来て、駅で合流する手筈だった。私は新幹線代をケチって自由席。二人は指定席を取っていたせいか車両で会う事は無かった。多分コロナウイルスのせいもあって席の間隔も開けるようになっていたから尚更だ。

「あ――ちゃん」

 私達が合流したのは駅のトイレの中だった。私達一家は電車に長距離乗ったらトイレに行く習慣があって、どうやら全員考える事は同じだったようで、あまりに変な場所だけど難なく合流に成功したのだった。

 母はもちろんの事、妹の方は毎年おばあちゃん家に行っているせいなのか二人は街の空気にかなり馴染んでいるみたいで、率先として歩くのは二人だった。妹は手際よくレンタカーを予約していて今回の宿泊ではそれで色々な場所を観光するつもりらしい。

 今回もまたバイパスを使ったので一関から陸前高田の街を見る事は出来なかった。個人的には街の復興の状況が見たかったのが半分。復興が進んでいない箇所が見えてしまうのが怖かったのが半分だった。それよりも久しぶりの新幹線で疲れた事もあっておばあちゃん家に早く着く分にはいいやと、妹に運転を丸投げした。我ながら嫌な性格である。

「――ちゃんにね、良いものを見せてあげよう」

 妹と母はニコニコしながら私に告げてきた。

「?」

 どうやら妹は手鏡を持ってくるのを忘れたらしく、それを買うのに一度おばあちゃん家を通過して大船渡の港街に買い物に行きたいらしかった。そして「良いもの」はそこにあるらしい。

 道中芸能界の話とか、妹の看護師の仕事の話とか、おばあちゃん家の近況とかを話ながら車は約一時間半の道のりをグングン進んでゆく。あっという間に港町に到着すると、

「じゃん! ――ちゃん、これが新しくできたかもめカフェだよ」

「かもめカフェ⁉」

 岩手県のお土産といえば銘菓「かもめの卵」である。あまりに美味しくて、他のお土産が候補にあがらないほど、定番も定番。実家でも知り合いに配る分以外に自分達用で買ってしまうほど美味しい。

 大船渡の港にはそんな名産品を今風に楽しめるように、オリジナルのかもめの卵を作ったり、お土産として買ったり、買った商品を食べるカフェが併設された新しい建物が出来ていた。

 それだけじゃない。灰色のコンクリート一色だった港町にはいつの間にか本屋さんや巨大スーパーや、ホームセンターなど、生活に必要な施設が続々と出来ていた。驚くことにLRTの線路まで出来上がっていて、復興の具合は私の予想をはるかに上回るものだった。

 津波前の風景は無くなってしまったけれど、ここに住む人たちの生活が復活していることだけで私は嬉しくて仕方がなかった。

 生憎かもめカフェは定休日だったけど、次は行ってみたいと思う。今度は一人でじっくりと、変化してゆく街を噛みしめたい。

 結局鏡は売っていなかったので、私達は足早に港町を去る事になる。「まさか手鏡が売ってないなんて……」と妹はかなりがっかりしていた。私もそれにはびっくりした。

 他に鏡が売っている場所といえば高田まで引き返さないといけない。さすがにそれは体力的にきついので私達は本日の真打であるおばあちゃん家に行くことに。

「お邪魔します……」

「ああ! いらっしゃい!」

 そんな大声が返ってくる。おじいちゃんの声色だ。

「で、アンタはどちら様?」

 グレーのスウェットの上下に暖かそうなベスト。生地はどちらも厚手の物で、寒さから身を守るもの。確かに、今年の東北も例年通り涼しいからその格好は正しいのだと思う。

 そんな防寒装備を身に着けたおじいちゃんの体はとても細くなっていた。頭部は相変わらずがっしりとしていたおじいちゃんのままだったけど、首から下、特に両足が棒のように細くなっていて、おじいちゃんの体は椅子に座っているのがやっとみたいだった。

 母曰く、ボケて、車に乗らなくなっていらいどこにも行けずふさぎ込んでしまったみたいだ。あちこちに出かけていた面影は、もはやうかがえない。

 そして足元には人用のトイレシートがあちこちに敷いてあった。あの犬猫が屋内で漏らしてしまうのを防止するやつの人用。それがおじいちゃんがよく歩くと思しき場所に敷かれているのである。よく見るとおじいちゃんが座っている椅子に、ダイニングの指定席にも敷いてある。

 私の想像以上におじいちゃんは生活能力を失っていた。ボーっと宙をみつめたかと思うと、椅子の上で力尽きて眠ってしまう姿、覚悟はしていたけど、あまりの変化に私一人だったらどうにかなりそうだった。

「おじいちゃん! アンタの娘――だよ。こっちは私の娘の――。こっちは去年も見たでしょ」

「ああそうだった――ちゃんに――ね」

「それとこっちはもう一人の孫の方!」

「おじいちゃん――だよ」

 ここは自分で名前を言った方がいいと母から言葉を繋いだ。

 どの業界でも夏休みと言うのは三日に決まっているらしい。私は二泊三日するわけで、これからお世話になるのだから自分から名乗らないのは失礼だ。変わってしまったおじいちゃんにもう一度自分の事を覚えてもらう意味でも、私は自分から声をだした。

「ああ――ちゃんね……うん!」

 気のせいか、表情が少しだけ明るくなったような気がした。無邪気な笑顔、おじいちゃんが幸せそうな顔を向けてくると、私がうじうじ考えていたことがバカらしくなってきて、気負いすぎたのだなと思った。

 そりゃボケて、私の事を忘れているのかもしれない。だけど、その笑顔はいつものおじいちゃんそのものだった。記憶は無くなっても、本質は変わっていない。それが分かっただけで私は嬉しかった。

 おばあちゃん家につくなり、私達が始めたのは家屋の掃除だった。というのも、家屋の中は本当に人が住んでいるのか疑問が出るくらい埃っぽかった。窓も締め切って明かりも無し。こんな息の詰まる環境でジッとしていたらそりゃおじいちゃんのボケてしまうのではと、家具に触る度にカサカサする感覚は当分味わいたくない。

 二か月に一度通っているだけあって母は私と妹にテキパキと分担を指示して掃除が始まる。埃の分布からおじいちゃんが動いているのは寝室とリビングだけで、残りのスペースは持て余していることが分かった。

 そしておばあちゃんがこの家を訪れていない事も。これも一種の別居というやつなのだろうか。老々介護というか、人間一人を介護すると言うのは相当な労力が必要になるわけで、おじいちゃんの世話は週に二度やってくるヘルパーさんが行っているそうだ。お風呂はヘルパーさん頼り、トイレはギリギリ自分でできるそうだけど、たまにおむつからも漏らすから大変だと母は語った。

 大きな汚れは母が担当してくれたおかげで私の労働はほこりを払うだけで済んだ。建築からまだ十数年、少し手を入れれば家はすぐに綺麗になるから、やはり家に必要なのはそこに住む誰かがいることなのだろう。私は早速寝室に布団を敷くと横になって家の雰囲気に耳を澄ませた。

 開いた窓からはとんびやウグイスなどの鳥の声、さらに耳を、感覚を深く潜らせると遠くから波の音が聞こえてくる。東京のコンクリートジャングルの中では久しく聴くことが無かった自然の音色に私の意識は睡眠へと引きずられそうになる。

 しかしながら、掃除が終わったからってのんびりしていられない。私達はまだ、下の事務所へとおばあちゃんへの挨拶を済ませていなかったのだ。

 舗装されたアスファルトの道路を下りながら、私達はおばあちゃん家周囲の様子を見渡してゆく。私の第一印象は「荒れたな」と。庭には雑草が生え放題、生垣も所々枝がはみ出している。緑が濃くなった、と言うか侵略している。このまま放置し続けたらあっという間に飲み込まれるのではないかと――そんなことは無いのだろうけど――不安を覚える。

 果たして下り終えると、事務所の中におばあちゃんはいなかった。そうなると、おばあちゃんは五つあるビニールハウスの内のどれかで作業している事になるはずだ。

「おばあちゃーん」

「はいはい」

 おばあちゃんは一番下の、道路に隣接したビニールハウス付近の草刈りをしていた。

「何でそんな所で」

「いやね、敷地の周りがだいぶ汚れてきちゃったから。この手の雑草は鹿食べてくれないから。畑の野菜は食い荒らす癖に」

「畑、食べられているの?」

「舐められちゃっているから。この辺じゃ猟師も少なくて威嚇出来ない。最近じゃ畑諦めているよ」

 山に面しているとなれば野生動物に遭遇する事は珍しくない。私もこの付近で鹿は何度も見ている。

 多分おばあちゃん一人だと花園の仕事でいっぱいで、家の敷地全体を維持することまでは出来なくなってしまっているのだろう。おばあちゃんが指さした畑はグチャグチャと、何も残っていない。自然の侵略は緑だけでなく、野生の侵入も含まれているようだった。

「まあ、ゆっくり休んでいきな。おばあちゃんはまだ仕事が残っているから」

 そう言うとおばあちゃんは作業に戻った。私達も長旅でそれなりに疲れていたし、荷物を広げたり、明日の準備をしたりと自分たちの作業が残っていた。私は何かおばあちゃんの手伝いをしたかったけど、野良仕事でなにかやろうにもノウハウの無い素人が手を出しても邪魔になるだけ。また別な形で貢献する方法を考えながら――後ろ髪が引かれる気分だった――お言葉に甘えて昼寝する事にした。

 母と妹との別室で一人ゴロゴロするのはとても落ち着く。普段夜勤の仕事で昼夜逆転生活を送っている事もあって田舎の山の中は静かすぎるほど静かだ。今度こそ私はあっという間に眠りに落ちた。

 寝て起きると丁度夕飯の時間だったと思う。その日何を食べたのか覚えていない。と言うのも、上の家の台所では調理の痕跡が無く、食べ物はおばあちゃんがトラックで事務所の物をいくつか見繕ってきたから印象に残っていないのだ。

「もう腰が悪くって、上まで歩いていけないの」

 その代わりにお味噌汁が入った鍋をコンロにかけながら言ったおばあちゃんの言葉がずっしりと耳に残った。

 なんだか重い気分になってしまったので、私はひたすら食べ物を口に運んでは「おいしい、おいしい」と言っていた。とにかく何か言わないと気分が重くなって仕方がなかった。

 ただ、私の苦し紛れが功を奏したのかおじいちゃんも「うまい、うまい」と言いながら夕飯を食べ始めてくれた。

「この人普段食べろって言っても全然食べないのに」

「――が来たことが新しい刺激になったのかもしれない」

 まだ何の役にも立てていない私が思わぬ形でおじいちゃんを元気に出来たようでそれは怪我の功名と言うべきか。ただの夕飯だったのに、一度に色んなことがありすぎて私の脳はパンク寸前だった。

 その日は逃げるように夕飯を食べ終えてはお風呂に入って寝たと記憶している。

「明日こそは役に立とう。明日の事は明日の私が何とかしてくれる」

 そんなダメ人間の代表みたいなセリフを言いながら、何だかんだんでぐっすり眠ることが出来た。

 振り返ると私、寝てバッカリじゃん。

 そして充分過ぎるほど睡眠をとった私は一番に目が覚めた。

「……」

 朝五時に起きる人間はこの家にはいないようだった。詰まる所私は人の目があると極端に緊張する――相手が親族でもだ――タイプなので、その時は少し浮ついた気分で外に出たと記憶している。

 なにも出来ないのであれば、せめておばあちゃん家の姿をこの目に焼き付けておこう、と変な使命感に駆られて私は敷地の中をふらふらと歩き回った。夏場なのに重く立ち込める真っ白な霧。鮮やかに咲き誇る色とりどりのアジサイ。こちらの様子をうかがっている鹿。事務所の駐車場に住み着いている猫の集団。そして、灰色が浸食した海の風景。

「……」

 海を見ても何も感じなかった。今の私ならその場所まで車なり、徒歩なりで行けたと思う。それでも行く気になれなかったのは、その場所が実際にどのようになってしまったのか、知るのが怖かったからかもしれない。滞在日数も少ないし、家の手伝いを何かしなければと言い訳して、私はまた上の家へと引き返した。どこまでも、私はビビりだ。

 そういうネガティブな感情を追い出すためには食べて、体を動かすに限る。みんなで朝食を食べて、その後私は何か手伝う事は無いか母とおばあちゃんに申し出た。

「やる事? いっぱいあるよ」

 母はそう言うと私に高枝バサミを手渡して来た。

 おばあちゃん家が抱える問題はやっぱり緑の浸食、もとい荒れた庭のお手入れだった。草刈りに生垣の選定に――二か月に一回母が訪れては手を入れているのだけれどそれでは全然追いつかない。

 本当は枝を刈る専用のチェーンソーがあったのだけど、何故か付属の延長コードの接続が悪くて楽が出来なかった。まあ、これも一つの体験だと思って私は勇み足で生垣に挑んだ。

 作業する中で何で野良仕事をする人たちが長袖長ズボンで行動しているのか、熱くないのかと思っていたけれど、その疑問が解消される事になった。長いもので体を保護していないと枝の切れ端やハサミの歯で容易に怪我をするからだ。バツンバツンと高枝バサミは軽快な音を立てているけど枝の破片は割と自分の方に降ってくるし、腕が疲れて手を下ろした瞬間に刃が足元に……なんてひやりとすることが普通にある。次におばあちゃん家に訪れるときはごついブーツを履いて来ようと真剣に考えた。

 選定は生垣の椿だけでなく、樹木にまで及んだ。母のセンスで要らないと判断された幹に目印をつけて、それを私がのこぎりで切り落とすのである。

 椿の枝と比べて木の幹は、生木と言うこともあって湿気が多くてのこぎりがあっという間に水浸しに、切り落とす苦労が比じゃ無かった。切り落とした幹は重量もそれなりに合って山の中に捨てるのも一苦労だ――目が合った鹿に向けて投げ捨てるのは楽しかった。

 新築――まあすでに十年以上経っているのだけど――の家でも維持できなくなると大がかりな作業が必要になる。この作業で私は家を維持する責任がこれだけ重いのかと体験した次第である。

 日暮れまで作業して、多分作業で来たのが庭の三分の二くらい。私と母二人でこれなのだから、これはおばあちゃんではどうにもならないなとしみじみと感じた。遊ぶ分には手狭だけど、手入れするには広すぎる。その日の内に終わらせることが出来なかったのは少し悔しかった。

 その日の夕飯は盛岡冷麺だった。多分おばあちゃんがお中元か何かで貰って冷蔵庫の肥やしになっていた奴だ。妹は岩手に就職した先輩と遊びに出かけたので、その日は私と母とおばあちゃん、おじいちゃんの四人で夕飯を食べた。

「うまい! うまいなぁ!」

 おじいちゃんがものすごい勢いで冷麺を食べていたことを覚えている。

「この人よく食べるねぇ。こんなに勢いがあるのは久しぶりに見た」

「――が来たのがよっぽど刺激になったのかな」

 量も半分だし、キムチが入っていない冷麺だけど、それでも食欲を見せて完食するのは最近のおじいちゃんにとってはかなり珍しいことみたいだった。その日は分かりやすく、即物的におばあちゃんの役に立てたかどうかは分からなかったけど、私一人が現れたことで何かいい変化が起きたのであれば、それはとてもいいことだなって思った。

 その翌日。私は休みの最終日なので東京に戻る必要があった。残りの滞在時間は妹がレンタカーで戻ってくるまで。私は今度こそ、庭だけでも完璧にやってやろうと朝食を食べ終えたらすぐに作業を始めた。

 今度はおばあちゃんが気を利かせてチェーンソーの別の延長コードを持ってきてくれた。そっちのコードは相性が良いのかチェーンソーは難なく動いた。

「なんでそっちのコードくれなかったの⁉」

「だってアンタ言わなかったから」

 母とおばあちゃんの応酬からなんとなく、私の人格のルーツのようなものを感じた。

 何がともあれチェーンソーである。高枝バサミで作業するのも楽しかったけど、効率の意味で機械の力は圧倒的だ。私は次々と生垣の余分な箇所を削り、昨日高枝バサミで歪んだ箇所も楽々と修正させていった。

「じゃあ――ちゃん、あの生垣もお願い」

 もうほとんどの生垣をやったなと思った所で、母は「まだ作業があるぞ」と奥の方を指差した。

「……あ」

 その箇所は海の見える高台のようになっていて、私の寝室、あの灰色になった海が見えるアングルだった。

「……」

 久々に真正面から見た海は青くきらめいていた。

「……!」

 多分私が長袖で汗ダラダラになるまで動いて心拍数が上がってテンションが上がっていたからかもしれない。だけど、あの灰色をしていた海がいつの間にか、あんなに眩しい青になっていたのかと思うと驚きで目が離せなかった。

「あ……」

 半分海を見ながらの作業になってしまったので、海側の生垣の作業はおざなりになってしまったかもしれない。コードがコンセントからそんなに距離を伸ばせなかった事も原因だけど……それに関してはおばあちゃんに謝らないとなって思っている。

 けれど、海を見る事を避けていたのに、いつの間にか海を正面から見ることができるようになっていて、私は綺麗な海と自分自身に戸惑ってしまったのだ。

 おばあちゃん家を取り巻く環境は確かに変わっている。でもその中には変わらない物だって存在している。おじいちゃんの笑顔に、海の美しさ。たまには目を逸らしてもいい。そして、回復した所で落ち着いて見れば、改めてその美しさと向き合うことができる。私はその事を海に教えてもらった気がした。

「来てよかった……」

 妹が戻って来た所で作業を終わりにした。滞在時間が短くなるのはおばあちゃんにもうしわけないし、私ももう少しだけ海を見ておきたかったのだけど、私の仕事は夜勤なので出来るだけ早く戻って体内時計の調整をしておきたかったのだ。

「――ちゃんが運転して」

 かなりの距離を運転したのか、夜通し遊んできた妹は後部座席でぐっすりと眠っていた。私は母を助手席に乗せて、一関駅までアクセルを踏んだ。

「気をつけて帰りなさいよ‼」

 帰るとき、おじいちゃんが慌てて外に出て私に手を振ってくれた。

「あれだけ元気なおじいちゃん初めてみた」

 その姿を見て一番驚いていたのは母だった。私は嬉しくて仕方がなかった。私一人が、ただ存在するだけで誰かを元気にしている。おじいちゃんにいい影響を与えているのと同時に、私もおじいちゃんから元気を貰っている感じがして、本当にやってきてよかったなって心の底から思った。

 車の進路を一旦下へ、車越しでアレだけど、おばあちゃんがいるハウスまで車を走らせる。

「気を付けて帰りなよ」

「……うん」

 忙しなく動くおばあちゃんに挨拶して、私はそのまま整備された道路を走り出した。

 振り返れば私はこのとき初めておばあちゃん家に関わる道路を運転した。何度か人が運転する様子を見ていたから、運転自体は危なげなく出来ていたと思う。道のりはほとんど一本道だし、とても初心者向けのコースと言っていい。

 バイパスは高速道路扱いだから愛機のスーパーカブでは乗れないだろうか。いや、まとまったお金を持てるようになったのだから妹みたいにレンタカーを借りて、今度は自分の力で東北の街を巡るのが一番いいだろう。

 私は一関駅に降りると妹に運転席を譲り、母と妹へ挨拶をした。

 さようなら、変わり続ける東北のおばあちゃん家。次に会う時は起きた変化を全部受け止められるように、強くなって戻ってきます。

 誰もいないプラットフォームで私は固く誓った。そして、それを忘れないために今、彼方の記憶をここに刻み込んでおく。


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うみのきおく 蒼樹エリオ @erio_aoki

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