[中学時代]
昔からボーっとした性格で、社会人になった今も私はよく「天然」とか「どこか抜けている」と言われることがある。多分幼少の頃から一人遊びが好きで社会生活、人間とのかかわりを重要視していなかったから、実生活においてどのように人間らしく振る舞うのが正解なのかを知らないためだと思う。
しかしながら、流石に中学生ともなるとある程度自我意識が芽生えて新幹線に乗ったり、バスに揺られるくらいはできるようになる。中学時代になると私は一人、もしくは妹と二人でおばあちゃん家に行くことになった。と言うのもこの頃になると父親の仕事が忙しくなったり、母親も学校のPTAの行事などに参加する事になったりと家族全員が一緒に行動できることが難しくなったのだ。
また、それぞれの時間がずれた結果おばあちゃん家に訪れる時期も何故か冬から夏になった。これ以降おばあちゃん家に訪れる季節の印象は冬から夏へと一八〇度その印象を変える事になる。とは言え東北の夏は関東のそれと比べると非常に涼しい。夜、朝はかなり冷え込むので布団に毛布は必須だし、寝起きで窓から外を見ると山々には霧が立ち込めているし、昼はやませの影響でカンカン照りでも寒いのだ。夏だろうと長袖は必須。視覚は灰色から緑に変わっても、本質的に寒い場所だという印象は変わっていない。
また変化はこれだけでは無い。小学生後半だか、中学一年の頃におばあちゃん家の敷地内に道路を通す計画が持ち上がったために、おばあちゃん家を巡る環境は一変した。
古い家屋は取り壊して、一つ上の敷地に一階建ての新築が出来た。元の家屋もかなり広い印象だったけど、新しい家はその二倍は広いのではと、旅館を経営できるのではと思うほど部屋数が多い。お風呂場も壁が崩れていない、それどころか――多分フェイクだけど――石畳と石壁のしっかりしたもので、トイレなんて二つもある。台所も屋内に、ダイニング近くにキッチンとして収まっている。一転して近代建築に様変わりした。
前の家に比べると、郊外に住む私にとってはかなり使いやすいものになったと思う。夏休みだから、親孝行ならぬ祖父母孝行だといって妹と一緒に張り切って家屋の掃除に精を出していた事を覚えている。
ただ、変化はいい事ばかりでは無かった。まず、おじいちゃんが経営していた牧場が姿を消した。
元々手放す予定ではあったらしい。道路工事をきっかけに廃業する事は既定路線で、私も牧場の事を碌に覚えていなかったからそのことが話題になる事は無かった。ただ、時折TVなどで牧場関係のニュースが出る度におじいちゃんは「豚さんの鼻はね、こんなに長くないんですよ。日本の昔の種類はぺちゃんこでね、海外の種が入ったせいでもう日本の豚さんは鼻が全部長くなってしまったのです」などとポツポツ話し出していたことが頭から離れない。
おじいちゃんとおばあちゃんは九~一〇歳差で結婚していて、当時のおじいちゃんもかなりの高齢だった。年齢的に働き続けること、とりわけ農業は体力的にハードな仕事だ。だから、加齢と共に一区切りをつける事は自然なことなのかもしれない。けれど、おじいちゃんは働きたがりだったのだろう。自分の仕事が無くなった代わりに、周辺地域の色んな所に出入りして色々とお手伝いしたり、運転免許の無い母と私達の足代わりに車で色んな所に連れて行ってくれたりと精力的に活動していた。
牧場こそ綺麗に無くなってしまったけれど、おばあちゃん家の農業は完全に廃業というわけでは無かった。新家屋のすぐ下にはビニールハウスが五棟ほど、その中でおばあちゃんと叔父さんが汗だくになりながら作業している。私が知らなかっただけかもしれないが、おばあちゃんは花き類の生産、お花の生産元の仕事を中心に再出発していた。青い三トントラックは銀色の物に買い替え、側面には会社の屋号がバッチリと刻まれている。地元の評判がいいのかお仕事は大繁盛。おばあちゃんと一緒に遊ぶ機会はどんどん減ったと思う。当然だ。おばあちゃんが稼ぎ頭なわけで、子供に構っている暇なんて無いだろう。母もそれを承知で、だけど朝昼晩の食事だけはありがたいことに家族全員で摂れるようにはしてくれていたように思う。
だからなのか、この時期の記憶はおばあちゃんよりもおじいちゃんと過ごした記憶が濃い。暇を埋めたいのか、私と妹の孫をもてなしてくれているのか、真意は分からないけど東北の色んな場所に連れて行ってくれた。
夏といえば海。ボーっとしている私もさすがに中学生になれば記憶がハッキリしてくる。おじいちゃんがとりわけ連れて行ってくれたのは海に関わる場所だった。
一カ所目は名前を覚えていないけれども、海の家が軒を連ねる大きな砂浜だ。駐車場で学校指定の水着に着替えては妹と砂浜を作ったり、お昼には焼きそばやかき氷を食べたりした。
遊びに飽きてくると、一人遊びが好きな私はボーっと波打ち際で足元の水と砂の感触を楽しんでいた。波が引くときに足の指の間にある砂がドンドン零れ落ちてくる感覚がたまらなく好きだったことを今もハッキリと覚えている。
波の力は海の奥へ奥へと行くほどに強くなるわけで、私はもっとこの、何か大きな力に引っ張られる感覚を味わおうとフラフラと歩いていった。運動神経が悪い私も泳ぎには自信があったし、東北にしては暑さを感じる夏の砂浜、海の水温は浸るのに気持ちが良く、多分大きな何かと一つになろうとしていたのだと思う。
「……っ⁉」
そんなにボーっとしていたせいで――多分水面が腰のあたりに来たところだと思う――たまたまやって来た大きな波に煽られると私の体はあっけなく足元をすくわれて並みの中で一回転した。ついさっきまでの心地いい一体感はどこへやら、パニックになって鼻から思いっきり海水を飲み込んだせいで頭の奥がツーンと痛いし、平衡感覚は滅茶苦茶で天地が分からなくなるし……夢見心地な気分が一気に冷めた。
だからなのか、これ以降私は水着になって海の中をはしゃぐ事を止めた。今思えば相当な浅瀬で転んだだけのようなものだけど、子供のトラウマと言うのは厄介なもので今の今まで海に入っていない。
「何やっているんです。あまり不注意だとご先祖様に連れて行かれますよ」
私が失敗した時に現れるのは大体おじいちゃんだったと思う。まあ、母は妹のお世話をしているだろうし、手の空いている大人といえばおじいちゃんになるのだろう。この時以来、海に来たら私はおじいちゃんを真似て半袖に麦わら帽子で砂浜をほっつき歩くようになった。砂浜にいる分には波にのまれる事は無いし、ふらふらしているおじいちゃんの雰囲気が好きだったのだと思う。
二カ所目は名前を憶えている。海と貝のミュージアムだ。
そこは名前の通り、周辺海域の寄贈品の貝殻や、博物的なアンモナイトとかの大きい化石など、とにかく海に関わる資料が所せましと展示されている場所だった。大船渡という田舎の立地、子供が遊べる場所があまり無いのと、妹が特に気に入っている事からよく連れて行ってもらっていたのでこの場所は良く覚えている。
妹のお気に入りは確か貝殻を使ってのアクセサリー作り体験コーナーだったと思う。ここに行くたびに何かしらのアクセサリー――ブレスレットを作ることが多かったと思う――を作っては自慢げにしていたような……この辺りの記憶はあいまいだ。と言うのも私はストラップ一個作ったらそれに満足して二回目以降は体験しなかった。
私はなぜかお土産コーナーをふらふらするのが好きだった。よくある地元の、博物館とは関係の無いおまんじゅうとか子供だましのおもちゃがひしめく中で、展示品と同じような貝が売っている。しかもその値段がべらぼうに高い。底値でも五万円はしたと思う。オウムガイだかアンモナイトだかハッキリ覚えていないけど、その実物が普通に取引されているのと、簡単には手に入れることが出来ないそのギャップを面白く感じていたのだろうか。子供ながら嫌な趣味である。
三カ所目は大船渡の海。その場所は山間にあるおばあちゃん家を下へ下へと下ったところにあって歩いて三〇分は大げさだけど、子供の足ではそれくらい時間がかかったと思う。舗装されていない田舎道を超え、歩道の無い道路を車に轢かれないように気を付けて下るとたどり着けるのだ。
海と言っても白い砂浜がまぶしいプライベートビーチでは無く、ボウリングの球みたいに丸く磨き上げられた岩や玉砂利など、大小さまざまな石で構成された岩浜だった。行くたびに何故か昆布みたいな海草が着物の帯みたいにべローンと岩の上で天日干しされているのが特徴で「食べれるの?」「いや無理」とやり取りしているのを覚えている。
この場所を知ってから私は海をとても気に入った。砂利ばかりで見た目に綺麗では無く、船も一隻も無い、まるで誰かから忘れられたようなぽっかりと空いた空間。ただの海岸として武骨にあるがままの姿を見せているのがやけにときめいた。
加えてウチの一家以外誰も来ないのがいい。ここに来れば一人でジッと海の音に耳を傾けることができる。手前は緑で奥に行くほど青みが増す果てしなく広がる水平線。引き潮で取り残された岩肌のくぼみに出来た小さな水たまりの生態系。座り心地は悪いけどごつごつとそれぞれの存在を主張する砂利の浜。瞑想というか、一人でボーっと何も考えずに、自然と一体化できるような場所。私の理想の環境がここにあったと思う。
場所ではないけれど、もうひとつだけ、海にまつわる心に残った出来事がある。
多分大船渡の漁港のどれかだったと思う。
「――ちゃん。ちょっと来なさい」
何がキッカケだったのか覚えていないが、私一人おじいちゃんに誘われてその場所に車で連れて行ってもらったように思う。その時は多分夏休みの宿題の一日分のノルマを終わらせてふらふらしていたんじゃないだろうか。私はどうせ暇だし二つ返事で付いて行ったと思う。
車で、そんなに大した距離はかからなかったと思う。下の方にある商店街を駆け抜けて、私達はあっという間に漁港の一つにやってきた。
「どうです。これ」
車を降りるなりおじいちゃんは私に一隻のボートを見せてきた。ボートとはいっても豪華な奴じゃ無くて地元の漁師が使うような、普段は浜でひっくり返っているオールで漕ぐ奴である。だけどそんなありふれたボートをおじいちゃんがやけに誇らしげに見せつけてきた事が妙に記憶に残っているのだ。
そのとき私はどんな反応をしたのだろうか。そのまま成り行きで乗せてもらえたのだから変な地雷を踏んでいない事は確かだと思う。
「このボートの名前『昴』って言うんですよ」
漁港でひっくり返っている時に、その側面には目立つように確かに昴の一文字が書いてあった。
「本当は『昴丸』って名前を入れたかったんです。でもね、『丸』を付けるのは漁師の特権。ただのボートが生意気だと言われて入れられなかったのですよ」
私は一体どんな顔をしていたのだろうか。そう語るおじいちゃんはエンジンが生み出すせっかくの快晴のさわやかな潮風を受けながらも、どこか寂しいまなざしで海を見つめていた。
おじいちゃんはどんな思いでこのボートを手に入れて、私に自慢と……心の底にこびりついた不満を吐き出したのか、今では確かめる方法が無い。このときも私が選んだのは無反応か、相槌か、今の私であればもっと気の利いた一言が言えたのだろうか。
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