橘 海月視点 現在3
僕はミャー子を愛している
フェニルエチアルミン。
恋の病を患わせ、人を盲目にする諸悪の根元だ。
そんなもんがなければ、僕も過ちを犯すことはなかったのだろうか?
しかし抗鬱効果のあるそいつがなかったら、僕はとうに精神を病んでいたかもしれない。
……分かっている。ただの戯言だ。
今、僕は……僕とミャー子は、彼女の部屋の床に、向かい合わせで座っている。
彼女の部屋でゲームをしていて、そんな時に彼女が不意にロードの話を持ち出して、彼氏ができたのだろうという僕の予想をぶっちぎって、とんでもない爆弾発言をした。
その結果、自分の爆弾発言に顔を真っ赤にした彼女が、恥ずかしさに泣きながら僕の上に馬乗りになって、クッションでボスボスと殴ってきた。
そしてそんな彼女の心境など全く配慮せず、僕が発言の真意を問い詰めると、彼女は僕に頭突きをしてきた。
二人して痛みにのたうち回り、ようやく落ち着いてきた僕は、床にぶちまけたコーヒーを拭き取り、一息吐こうとミャー子に新しいコーヒーを淹れてもらった。
そこで、僕達はこれまでお互いになんとなく察してはいたが、まだ語ったことの無かった……お互いの過去を話すことにした。
そこで聞いたミャー子の過去は……友達ができなかったの一言で済ますには、余りに悲惨で、同情に足る物語だった。
いつも煩わしそうにぼやいていた父親のことを、本当は尊敬していて、彼のような人間になりたかったこと、それが叶わないと実感してしまい、自分がどうしようもなく矮小な人間に思えて、失望したこと。
話す内に彼女は泣いてしまい、僕は何も言えずに、ただゆっくりと、ミャー子のペースでいいからと、相槌を繰り返しながら、彼女の話に耳を傾けることしかできなかった。
そこで驚いたのが、僕が思っていた以上に彼女は、あの夜飲み会から彼女を連れ出し、介抱したことを僕に感謝していたらしい。
僕は自分がイラついていたから、自分の為にやっただけで、ミャー子の為を思っての行動ではなかったと何度言っても、彼女は『それだと家に着いてからの優しく寝かしつけてくれた態度の説明がつかない。ミーくんは優しい人だ』と譲らなかった。
……じゃあ、そんな人間じゃないと証明する為にも、ミャー子と出会う前の僕を知ってもらおうかな。
そう前置きして、僕は淡々と、感情的にならないように努めながら、自分の過去を語り出した。
小さな頃は父親を尊敬していたこと、そんな父親が家庭に興味を無くし、浮気に走ったこと。
母親の為だと思って父親を殴り、決別するも、母親はあいつの味方だったことを知り、家族に期待をするのを諦めたこと。
自立の為にと意地を張り、家族を拒絶しながらも、全然自立なんか出来ていなくて、自分の無力さを思い知ったこと。
そんな時、食糧的に援助してくれた女性に気を許してしまい、彼女に溺れた結果、浪人したこと。
……そして、それを悔いた為、そんな彼女との時間を蔑ろにしてしまい、結果……浮気をされてしまったこと。
だから、どうしても女性に気を許すことが出来ないこと。
全てを話した。
「……まぁ、そんな感じ。分かったろ。僕はそんな立派な人間じゃない」
どこか自嘲的な口振りで呟き、僕はミャー子へと視線を上げた。
「…………」
「……ミャー子?」
「え? あ、ああ……」
ミャー子はそこで初めて顔を上げた。
目尻には涙が浮かんでいた。
アレは、さっきの自分の話をしていた時の涙の残りか? それとも……?
「み、ミーくんて一個、年上だったんスねぇ……」
「あぁ、うん。浪人したからね」
そこかよ、と思いつつも、僕は何だか、ささくれ立った心が少し和んでいくような感覚を覚えていた。
何故だろう。ミャー子の言葉は、他の誰の言葉よりもスッと僕の心に入り込む。嫌悪感や不快感が全くないのだ。
「は、はは……」
どこか取り繕うような笑い声を上げようとしていたミャー子が、急に再び俯いて、震え出した。
「ど、どうしたミャー子? そ、そんなに同い年じゃないのがショックだったのか? それか、今までタメとして接していたことを気にしてるのか? 僕は全然気にしてないぞ?」
僕は少しパニックになりながら、慌ててミャー子を励まそうと捲し立てた。
「ちが……違うっスぅ……!」
そう言ったミャー子が、ゆっくりとこちらに手を伸ばしてきたので、僕はその手を取った。
「じゃ、じゃあどうした?」
取った僕の手が強く握り返されたことに驚きながらも、僕がミャー子を見ると、俯いた彼女の顔から、床に幾滴もの雫が落ちていることに気がついた。
ミャー子が……泣いている。
「何故――」
「ミーくん」
僕の声を遮って、ミャー子が僕を呼ぶ。
「――何?」
「勝手にこんなこと言って……本当にごめんなさい。ウチが踏み込む話でも、そんなこと言う資格がないのも……全部分かってるっス。でも……我慢できないの……!」
「……何が?」
「酷いっスよ!! ミーくんのお父さんも! お母さんも! その、バタコさんも!!」
未だ僕の手を強く握り締めたまま、そう叫びながら顔を上げたミャー子は、号泣していた。
「え……」
「どうして! どうして誰も、自分のことばかりで……! 誰一人、ミーくんの気持ちを考えてあげられなかったんスか!? 子供が! 親に拒絶されて、味方になってもらえなくて! どれだけ傷つくのか、想像できなかったんスか!」
「……ミャー子」
「子供が親に無視されたら! 期待されなくなったら! 何を目標に生きていけばいいんスか!? 自分のことだけで精一杯で……そんな、そんな簡単なことも分からなかったんですか!」
「ミャー子……!」
声が震えた。
「バタコさんだって! ミーくんが何の為に頑張ってるか分かってるでしょう! 最初は両親との決別の為だったかもしれないけど、最後にはあなたと一緒の未来の為に頑張っていたんだよ!? それなのに、待てなかったの?」
ミャー子がこんなに感情を顕わにするのを初めて見た。泣きながら怒るのは何度か見たことがあるが、アレでMAXじゃなかったんだ。
僕の為に怒ってくれているミャー子の顔は……なんて可愛らしいのだろうと、どこか場違いなことを、ぼんやりとした頭で考えていた。
「それでも寂しいなら、寂しいって言えばよかったんだよ! 自分の気持ちを言葉にしなかったくせに、伝えなかったくせに! 自分は被害者で、全部、全部ミーくんのせいにするなんて……ふざけないでっ!」
「ミャー子……もう、分かったよ。もう、充分だよ……!」
何だか、胸がざわついた。もう二度と動かされないようにと、何層にも鎧を重ね、奥に仕舞い込んでいた心が掻き毟られるような……そんな感覚を覚えていた。
「そんな人達に、もうミーくんは渡さない……! ウチがずっと傍にいる……!」
「……え」
ミャー子の言葉に、僕が再び頭を真っ白にしていると、彼女が僕の目を見た。
「ミーくん……辛かったね。でも、すごいね……偉いね……!」
「――っ!」
「そんな辛いこと、いっぱい、いっぱいあったのに、ミーくんはウチに優しくしてくれた……辛かったのに、優しくて、強くて……偉いね……!」
「……あ、れ?」
視界が歪む。頬を伝って何かが落ちている。身体が震えて、呼吸も乱れた。
「……何だ、これ?」
僕は……泣いていた。
「ミーくん……!」
ミャー子が、僕を抱き締めた。
「……っ。……っっ!」
少しずつ、少しずつ、嗚咽が大きくなってきた。
やがて僕は、歯止めを無くしてしまったように、ミャー子の胸に顔を埋めて泣き喚いた。
彼女の背中に腕を回し、しがみついたまま泣き続けた。
「ミーくん……」
ミャー子が、僕の頭を撫で続ける。
「ウチは……ミーくんが……好きです」
優しいのは……キミの方だよ。ミャー子。
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