橘 海月視点 ロードポイント2―1

僕と都さん①

 僕は、僕とミャー子ことみやこさんの通う大学から、何駅か離れた場所にアパートを借りている。


 大学のすぐそばだと、どうしても家賃やらが高くついてしまう為、そうせざるを得なかったのだ。


 コレがまた微妙に過疎っている地域でして。


 家賃は安いが、周囲に何もなく不便。快速電車は停まってくれないし終電も早い。


 自宅周辺にアルバイトできるような店がなく、あっても募集がなかったりといった状況だったので、僕は大学の近くで働くことにした。またも、せざるを得なかった。


 そしてありがたいことではあるのだが、バイト先からそれなりに重宝されているようであり、頼られる。終電ギリギリまで頼られる。時には終電の時間を過ぎても頼られる。


 ちょっと客に出すにはよろしくなかったり、余ったりした食材などを貰っている恩もあり、何より、未だ鉄火場のように騒がしい繁忙の最中、仲間達を差し置いて帰る罪悪感に勝てず、僕は『勘弁してくれ』が言えないまま、ネットカフェに泊まったり、バイト仲間の家に泊まったり、ファミレスで過ごしたりと、若さに任せて、家に帰って布団で休むということをまるでしなかった。


 結果、勉強やプライベートに影響が出てきてしまった。


 ぼーっとしていることが増え、無表情でいる時間が多くなっていたのだ。


 だというのに、思考力が低下していて冷静な判断力を失っていた僕は『感情が表に出ないのなら余計なトラブルが起きないから好都合だ』なんて思っていた始末だ。


 僕にはこういうところがある。


 無理です、とできない理由を並べて、言い訳することに抵抗を覚える。


 それと同時に、こういうのを弱味を見せず、弱音を漏らさず、黙々とこなせたら男らしいんじゃないだろうか、と思ってしまう悪癖だ。


 主張しない。アピールしない。気付いてくれる人だけ気付いてくれればいい、みたいな。


 要するに……カッコつけだ。


 ……我ながら、ブラック企業に勤めてしまったら、過労死へまっしぐらな性分だと思う。


 おまけに過去に裏切られた経験もあり、他人をアテにしない。


 特に女性は、何も考えていなくて、男に依存することしか処世術を持ち得ていない生き物だとすら思っていた。


 期待をすると、そうでなかった時に失望してしまう。ダメージを負ってしまう。ダメージを負うと、癒えるまで動けなくなってしまう。パフォーマンスが著しく下がってしまう。


 だったら最初から期待しなければいい。それなら『またか』で済む。もしくは『やっぱりな』で。


 症状の重い軽いの差はあれど、誰もがこんなことを思ったことがあるのではないだろうか。


 僕は割りかし……というか、結構な重度だった。


 他人をアテにしない。そう結論付けた時に僕の中に『ドライスイッチ』が生まれた。


 感情を表に出さずに、淡々とやる必要があることだけをやれ。


 他人に期待をするな。


 他人に自分の心を読み取らせるな。


 所謂、遅咲きの中二病的思考というヤツである。


 この時ほどではないが、このドライスイッチは、今も僕の中にある。実際役に立つこともあるし、善し悪しの判断はそう易々と下せるものではない。


 だが、この時期の僕は……さすがに荒んでいたと言わざるを得ない。


 勉強もロクにしないで、やりたいことも目的もない他のアホ学生を、敵と認識していたくらいだ。『目障りだし、時間の無駄だから、僕に関わるなモラトリアム主義者共め』と。


 そして……その日もネットカフェに泊まる前に、コンビニで買い物をしていた時のことだった。


 僕は寝間着にスタジャンを引っ掛けただけという、明らかに近場に住んでいるのであろうことが窺い知れる出で立ちのミャー子と、再会したのだ。


 僕は声を掛けられるまで、まだ二、三度話しただけの関係であるミャー子を、ミャー子と認識できなかった。


 大学で会う彼女と違って、眼鏡をしていたし。……今ではそれがTVゲームで遊ぶ時用の、ブルーライトカット眼鏡であり、学校では掛けないものなのだと知っているが。


 そして、やはり彼女は大学のすぐ近くに住んでいた。聞けば彼女の父親が娘を溺愛しているらしく、ポンと敷金に礼金、生活に必要な費用を出してくれたのだそうだ。


 それは羨ましい話だな。と返す僕に彼女は過保護で困る、と言った。


優美穂ゆみほ、必要なものは全て用意した。コレで夜に外を彷徨うろつく必要も、電車に乗る必要もない。バイトなんて以ての他だ! なんて言うんですよぉ?』なんて、今まさにその言いつけを破っている彼女が、僕とは対照的に妙に高いテンションでそう続ける。


『はぁ。それじゃ……僕はネカフェに行くんで』と言って彼女に背を向けようと思っていた僕に、彼女はこう言った。


『あの……前は酔いつぶれちゃったウチを家まで運んでくれて、ありがとうございました。ずっとお礼が言いたかった……です』と。


 背を向けかけていた僕は、急いで彼女に向き直り、少し気恥ずかしそうに目を背けるその顔に、じっと視線を注いだ。


 さすがにポンと手を打つなんて、わざとらしいことまではしなかったが、その時になって初めて僕は思い当たった。


 ……既に今、過去の記憶を思い出しているところなのに、ここから更に過去に遡るなんて罪深いことなのかもしれないが、どうか許して欲しい。

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