偽物ドライとロードポイント

アンチリア・充

橘 海月視点 現在1

僕とミャー子

「一度だけ、ロードする権利が欲しいんスけど」


 すぐ隣でゲームのコントローラーをいつものように握り、割り勘で買った謎ブランドの4Kテレビにいつものように視線を注ぎつつも、声だけはいつもと違い、やや緊張気味な様子でミャー子はそう言った。


「……いや、すれば?」


 何をそんな重々しく? と僕は不思議に思いながらも応えた。


 目の前のゲーム画面を見るに、彼女のプレイに不備はなかったように思えるのだが……?


 しかしこの女はグータラなテキトー主義者と思わせておいて、妙なところで完璧主義者だったりもするからな。何か納得のいかないことがあったのだろう。


 もしくは、僕が視線を注いでいたモニターには映らないところで、彼女はらしくない醜態を人知れず晒していたのかもしれない。


 だとすればそれは珍しいことなので、見逃したのを惜しむ気持ちが芽生えてくる。隣の4Kテレビを見ておけばよかった。からかう材料になったのに、と。


 そう、彼女と僕は並んでソファーに腰掛けてゲームをしている。そして僕達の対面にはそれぞれ謎ブランド4Kテレビと、モニターがある。


 何でも、最近のゲームは画面分割で協力プレイとかでなく、1ハード1アカウントでオンライン協力が主流なんだそうで。


 全く以て懐に優しくない時代である。兄弟を持つ親御さんはクリスマスやら誕生日に頭を抱えているのではないだろうか?


 まぁ、それはいい。


 そんな時代なので僕と、大学の友人であるミャー子は同じ部屋で、別のハードに別のソフト、別のモニターで同じゲームをしている。


 ……自分で説明文を思い浮かべてて気が付いた。


 何故僕は半分代金を負担した4Kテレビをミャー子に使わせていて、自分は彼女のお古のモニターを使っているんだ? と。


 いや、何故とか思いつつも理由は分かってるんだけどさ。『ミーくんが買ってきた中古のハードじゃ4K対応してないっスよぉーっ!』てプンスカ言われたからだ。


 ならば折角だし、最新ハードを使ってるミャー子が活用した方がよかろうという話になったのだ。


 今使えるモニターがあるくせに、半分他人の金で買った4Kテレビを使ってる贅沢女、と思われてはあまりにアレなので、彼女の名誉の為に言わせてもらうと、だ。


 彼女は金欠の極みにある時に、たまたま台数限定の上、無名の謎ブランドなのも手伝って、この4Kテレビが破格販売されているのを見掛けてしまったのだ。


 一台、また一台と売れていくのを見ては『ギギガガガガ……!』などと、頭を抱えて唸る彼女を見兼ねた僕が代金を肩代わりし、鼻水やら色々垂らして喜ぶ彼女の僕への返済が、まだ半分程しか済んでいない、というだけの話だ。


 その時『クリスマス……誕生日? お年玉? 何でもいいけど、うん。プレゼントだ』なんて精一杯カッコつけていた時の僕は、『ううん、絶対に! ちょっとずつでも返すっスから!』と押し切られた上に、『そうだ! ミーくんも一緒にゲームやるっスよぉ!』などと言われ、自分の分のゲーム代まで懐から出ていくことになるなんて予想だにしていなかったのである。


 以来、僕はミャー子とこうしてゲームをするようになった。ここに入り浸っているのはそれ以前からだが。


「ゲームの話じゃないっス」


 思いを過去に巡らせていた僕は、ミャー子の声で現実へと回帰した。


 モニターを見れば既にクエストが終わっていて、考え事をしていた僕が役立たずであったことと、ミャー子が一人でクリアしてしまったことが窺える。


「ゲームの話じゃ……ないっス」


 何回目だろうか。多分僕が反応していなかった時から何度も繰り返していたのだろう。彼女の掛けている伊達眼鏡の向こう側の、少し眉間に皺の寄ったその表情から読み取れる。


 度々ミャー子に指摘されることだが、僕は話の最中にぼーっとしてしまうことがある。コレは直さなければならない癖だな。


 ……話を戻そう。


 彼女はぼーっとしている僕に何度か同じ事を言った。そう、確か――


「――ゲームの話じゃない?」


「……そっス」


「…………」


「…………」


「……ごめん。その前、何て言ったっけ?」


「もうっ! ミーくんいつもそうっス!」


 まさにプンスカ、といった様子でミャー子がむくれる。


「ごめんって。微妙に理解しにくいこと言ってたのは覚えてる。何だっけ?」


「だ、だからぁ……」


「うん」


「……一度だけ、ロードする権利が欲しいっス」


「…………」


「…………」


「……何だって?」


「もうっ!」


「いや、だって……ゲームの話じゃないって言ったじゃないか」


「ゲームの話じゃないっスよ!」


「一度だけ……ロードをする権利が欲しいんだよな?」


「そうっスよ。聞いてるじゃないっスか」


「…………」


「…………」


「……ゲームの話じゃないか」


「もうっ! だから違うっスよ!」


「ミャー子、元々アホの気がある娘だとは思っていたが、とうとう現実とゲームの区別がつかなくなったのか?」


「ひっど! え? ミーくん元々ウチのことアホだと思ってたんスか? ショックなんスけど」


「何言ってるんだ。僕の方がショックだぞ。僕だけはミャー子がアホなこと言っても、噛み砕いて、咀嚼して、補完できるという自信があったんだ。それを自分の特技だとすら思っていたんだ」


「確かにミーくんはウチが言うことは大抵理解してくれるっスね。いつもありがとうございます」


「どういたしまして。しかし今回のミャー子の発言でその自信も瓦解しつつあるぞ。僕のアイデンティティが一つ失われそうな危機なんだぞ。どうしてくれるんだ」


「……ご、ごめんなさい」


 ミャー子がおずおずと頭を下げる。


 うん。やっぱり素直な子なんだ。


「で、だ。僕のアイデンティティを守る為にももう少し分かりやすい説明を頼みたい。アホのミャー子に頼むのも若干酷であるとは思うが、アホでも分かるように説明して欲しい」


「うう……やっぱりひどいっス……」


 追い打ちが苛烈すぎたか。息も絶え絶えにミャー子は俯き、片手を胸に当てながら、もう片方の手を助けを求めるかのように中空へと伸ばす。


「えーっと、スねぇ……」


 と思ったらもう回復したのか、頭を切り替えたのか、すぐさま彼女は胡坐を掻き両腕を組み、頭を傾けながら唸る。


 今はデニムのショートパンツに、タイツも履いているからいいものの、この女はスカートの時もこういうことを平気でやりかねないから危なっかしい。


 今は部屋に二人だから特に何も言わないけど、外ではいつも僕が周りから見えないように壁になったり、たしなめたりと、油断することを許してくれないのだ。


「ロードとは……何だと思うっスか? ……て! そーゆーことじゃなくって! そこ、アホを見る目をしない!」


「いや、だって――」


「ウチが分かってないワケじゃなくて、敢えてミーくんに問うことで理解を促そうって試みっスよ!」


「――なるほど」


 ちょっと安心したぞ。僕が心配していた程までにはアホではなかったようだ。


「しかし……ロードとは、何か? とな?」


「そっス。例えばゲームでセーブをするじゃないっスか」


「うん」


 結局ゲームの話かよ、とは僕は言わなかった。コレ以上話が進まないのはよろしくない。ツッコミを入れるのは最後まで聞いてからにしよう。


「で、その後に死んじゃったり、間違えた選択をしちゃったりするじゃないっスか」


「うん」


「つまりそれは……現実の話で言うと……取り返しがつかなくなっちゃうってことっスよ」


「うん」


 ……なるほど。話が見えてきたぞ。


「ところがロードをすると、死んじゃった人はまだ生きていて、まだ間違った選択をしていないことになるっス。つまり!」


「セーブ以降に起こったことをなかったことにできる。取り返しがつくということだな」


「そうっス! やっぱりミーくん頭がいいっスね」


「つまりミャー子はロードと、セーブを一度だけさせてもらいたいってことだな」


「そうっス!」


「なるほど。何言ってんだお前。アホなのか?」


「ええぇぇ!? ひどいっス!」


 ハツラツとした笑顔から一転、絶望顔に変わるミャー子。


「いや、だって……僕の答えが変わらないからだ。結局ゲームの話じゃないか」


「違うっス! 現実の話っス!」


「どこがだよ。現実の世界では時間を戻せないし、死んだ人も生き返らないぞ」


 僕は嘆息混じりに両手を組んで、そう言った。


「でも、取り返しのつかなかったことを取り戻すことはできるっス」


 いつになく真剣なミャー子の目を見て分かった。彼女は至って真面目に話している。


「……哲学的な意味じゃなくて、だよね?」


「そっス」


 ……まあ、本当はおぼろげながら、彼女が何を言いたいのかは分かっていたんだが。


「ミーくんは、大学で……て言うか、今まで会った人の中で、一番ウチと仲良くしてくれた人っス」


「嘘吐けよ。鈴鳴すずなりさんがいるじゃん」


「た、タマちゃんは確かに同性では一番の親友っス。一番てか同性の友達タマちゃんしかいないっスけど」


 今ミャー子が言った通り、鈴鳴さんはミャー子のただ一人の親友だ。


 僕としても、何かと危なっかしいミャー子の面倒を見る係として、同志のような絆を感じている。


 彼女とミャー子が友達になったのを見た時は、少しホロリときたモノだ。


「で、でもでも、同性とか異性とか関係なく、一番仲がいいのはミーくんっス」


「……うん」


「ミーくん、いつもバイト先から食材貰ってきてくれるし、それで料理も作ってくれるし……」


「いや、こちらこそいつも終電やら課題やらの度に転がりこんできてしまって……申し訳ないやらありがたいやら……」


 何だか、日頃言えない感謝の気持ちを言い合う時間みたいな雰囲気になってるな。お互いにペコペコ頭を下げ合うこの状況は、一体何なんだろう?


「ウチがゲームに誘ったら何だかんだ言って付き合ってくれるし、ウチが寝落ちしちゃったら眼鏡外してベッドまで運んでくれるし、ゲームはちゃんとセーブしてくれてるし」


「それ……もうほとんどお父さんだよね」


 こうやって冷静に考えてみると、何なんだこの関係性は……と額に一筋汗が浮かんでしまうな。


 ……多分、ミャー子も同じことを思っていたのだろう。


「ウチは、ミーくんとのこの関係……すごい大事だし、失いたくないっス」


「うん」


「……でも、ミーくんに言いたいことや、聞きたいこともあるっス」


「うん……分かってる。ミャー子は、今の僕との関係を大事に思ってるんだけど、それでも言わずにはいれない不満があるってことだよね?」


「ふ、不満ってワケじゃ……ないっスけど」


 少し困ったように彼女が眉間に皺を寄せる。不満と言う程ハッキリしたものでもないが、それに近い感情があるのだろう。


「でもミャー子が僕に伝えたいことは、僕達の関係を今まで通りには続けられなくさせる可能性を含んでいるってことだよね? だから、ロードなんだね?」


「そうっス……我ながらズルイと思うっスけど……ここで、セーブしておきたいっス」


「うん。セーブして……それで?」


「……もし、コレからウチがミーくんに言ったことで、ミーくんが怒ったり、ウチに愛想尽かしたりしちゃったら……一回だけ、ズルを許して欲しいっス」


「つまり……ロードさせて欲しい、と」


「そう……です」


 ロード……さっき彼女が言っていたな。取り返しのつかなかったことを取り戻すこと。


 つまり、彼女が胸中に秘めてる思いを打ち明けた結果、僕が彼女と今まで通りの……半ば保護者のような友人関係を続けるのが到底無理だ、と思ってしまった時は……


 ……彼女が僕に打ち明けた言葉は聞かなかったことにして、それこそセーブデータをロードしたかのように今まで通りの二人として過ごそう、とミャー子は言っているのだ。


 でもそれって――


「――ミャー子がいっつも嫌がる『チート』じゃん」


 そう僕は言った。


 だってミャー子が言っているのは、聞いてしまった言葉を聞かなかったフリをして、その時生まれてしまった感情に蓋をして、さも何もなかったかのように素知らぬ顔をして、コレからもよろしく……てことだろ?


 ハッキリ言って、僕は気が進まない。


 何故なら僕は、ミャー子が何を言うのか、そこに半ば予想がついてしまっている。


 そして……できればそれを聞きたくない。それを聞いて心がざわつかない自信がない。


 ……かと言って、既にここまでで、『ミャー子が僕に対して僕達の関係を壊しかねない程の言葉を胸に秘めている』という事実を知ってしまったこの時点で、もう手遅れなんだよ。


 たとえ今僕が『NOだ。何も言うな』と言い、ミャー子が『了解。やっぱりやめたっス』と主張を引っ込めたとしても、結局僕は苛まれることになるだろう。彼女は何を伝えたかったのだろう、と。


 セーブするポイント間違えてんだよ。アホミャー子め……!


「そ、そうっス! コレは『チート』っス!」


 分かっていると言いたげに、彼女は益々眉間に皺を寄せる。


「それが分かってても、それでも、そんなに……僕に言いたいの? それ」


「……そうっス。タマちゃんにもこのままじゃよくないって、ハッキリさせろって言われたっス」 


 僕は正直、少しショックだった。


 僕が予想している彼女の言葉。それは間違いなく僕達の関係をぶっ壊すに違いない爆弾だ。


 それを彼女がこんなにもかたくなに伝えようとしてくるなんて。


 僕がいないとミャー子は駄目なんだ、と心のどこかで思っていた自分の間抜けさが、そしてミャー子の背中を押したであろう鈴鳴さんが、どうしようもなく恨めしかった。


 おそらくミャー子は……彼氏か、好きな人ができたのだろう。


 となると、当然彼氏でも何でもないただの友人の分際で、終電を逃しただの、課題が終わらないだのと言っては転がりこんで泊まっていく男なんざ、邪魔以外の何者でもないだろう。


 勿論、僕は常日頃から『彼氏とか好きな男ができたら、お邪魔しないようにするから言えよ』と伝えている。


 実際僕はミャー子を性的な目で見ないように努力し、つ彼女が一応異性であることは忘れないよう、そこの所は尊重してきた。


 自分自身にも『変な期待はするな。彼女は友人として僕を頼りにし、親切で寝床を提供してくれているだけだ。ドライたれ!』と言い聞かせてきた。


 言い聞かせてきたつもりだった。


 なのに、僕は少しショックを受けてしまっている。


「分かった。約束するよ……じゃあ、ここで『セーブ』だ」


 だというのに、あろうことか僕はそう言った。


 当然今まで通りになんて、いくワケがない。そりゃそうだろう。


 彼氏がいるのに、今まで通り終電や課題の度に転がり込んで一緒にゲームに興じる男? 何だそいつは? となるだろう。


 もしミャー子の彼氏が、それを聞いてそれを見て、構わないなんて言ったら、何だそいつは? となるだろう。勿論、僕もだ。


 でもミャー子はそこの所が分かってない。男の思考が分からないのか、動揺しているからなのか。多分、両方だ。


 ミャー子は今まで彼氏どころか、友達もあまりいなかった。僕と鈴鳴さんくらいだ。当然異性の友人は僕だけだ。


 そしてミャー子は今、自分が思っている言葉を口に出したら、取り返しのつかないことになるということすら分かってない。ロードして何も無かったことになんてできるワケがない、という事実に気づいていない。


 それでも、彼女の意志は頑なだった。彼女は前に進もうとした。


 僕が、守れるはずがないと分かっている約束をすることで、彼女が一歩を踏み出せるのなら、それでいいじゃないか。彼女が自分の中に芽生えた感情に従うのなら、僕はそれを促してやるべきだ。


 ……何せ、僕はミャー子の言うことを理解できるのがアイデンティティなんだから。


 僕としては彼女に言った『彼氏とかできたら、お邪魔しないようにするから言え』という言葉を『アレは嘘だ』とか言って撤回するような、情けない真似はしたくない。


 また、彼女が彼氏と別れたり、好きな人にアプローチした結果フラれてしまった時に、『マジで? じゃあまた泊めてくれ』なんて、クズ人間のような真似もしたくない。


「絶対っスよ? 約束っスよ?」


 やや不安げながらも、彼女の瞳に決意の灯が宿るのを見た僕は、いよいよ観念した。


「あぁ、約束だ」


 ……色々あったけど、楽しかったな。


「み、み、ミーくんは、いっつもウチに来て、ご飯作ってくれたり、ゲームしてくれたりするっスよね」


 ……ミャー子の為にしたワケじゃないのに、彼女は優しい言い方をした。


「うん」


「いつも……いっつも一緒にいてくれたっスよね……?」


「うん」


 ……だけど、コレからはそういうの、もうやめよう……て続くんだろうな。


「だ、だけど……だけど……!」


 ……それでもウチと友達でいて欲しい、てとこかな?


「……うん」


 目を閉じて必死に勇気を絞り出しているミャー子を、真っ直ぐ見ることができなくて、僕は傍らにあったマグカップに視線をやった。


 ミャー子が自分のと色違いで用意してくれた物だ。それが、今は見ていると辛い。


 ……ミャー子は料理はできないけど、コーヒーを淹れるのは上手いんだよな。


 コレを飲むのも、最後になるのかな。


「だけど……!」


 大丈夫だよミャー子。大丈夫だ僕。


 このコーヒーを飲み干した後の僕は、笑えるはずだ。キミが何を言おうと、笑って、『分かった』って言えるはずだ。


「……え」


「……え?」


「え……!」


「……?」


「……エッチ、しないんスか……?」


 顔を真っ赤にしたミャー子が、目に一杯涙を溜めて、そう呟く。


「…………」


「…………」


 ……大丈夫だ。


 僕はミャー子が何を言っても、噛み砕いて、咀嚼して、補完できるという自信があり、それを特技であり、アイデンティティであるとすら思っているんだぞ。


 ……うん、噛み砕いて、咀嚼して、補完しよう。このコーヒーと一緒に飲み込もう。


 僕はマグカップを傾け、少しぬるくなってしまったが、確かな苦味の中に少し感じる甘味を口に含んだ。


 ……うん。


 つまり、彼女は、いつもここに来ては、料理をし、ゲームをし、一緒にいる僕が……何故……?


「……ブバァッッ!!!!」


「ミャーッ!!」


 ミャー子の悲鳴が聞こえる。


 口から鼻から色々と噴き出しながらも、僕は常にドライたろうと命じてきた自分の脳が、完全にオーバーヒートし、冷静さを見失っていることに気付いていた。

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