第7話 It Was Beautiful but Now It's Sour


 言葉を失って真っ青になっている私を、グランは抱えて城に帰ってくれた。

 そのまま熱を出して寝込んでしまい、エルさんが看病してくれたらしい。

 私が気がついたのは翌日だった。


「……あれ?」

「気がつきましたか?」


 目の前に最推しの顔がある。

 ここは天国か…?

 そう呟きかけたところで昨日のことを思い出した。

 額に乗せられた綿のようなものがひんやりして気持ちいい。

 氷枕の代わりのやつかなこれ。


「えと…私は…」

「慣れない魔界で瘴気にあたったのかもしれないと医者が申していました」

「……そう、かもしれないです」


 倒れた本当の理由を口にしづらくて言葉を濁す。

 だってもしかしたら、幻かもしれないし。

 きっと、思い詰めすぎてあんなものを見てしまったんだ。

 あれが彼らであるはずがない。

 暗いから見間違えたんだ。

 ちょっと胃のあたりがしくしくしてる気がするけど、たぶん気のせいだ。


「もう、大丈夫です」


 起きあがって額の綿をエルさんに渡す。


「では、スープでもどうです?」


 にっこりして訊いてくるエルさんの笑顔が可愛い。

 私が皇帝なら間違いなく嫁にしている。


「ぜひ」


 腰のあたりがむずむずするので布団をめくると、トム君がぎゅっとくっついていた。


「ずいぶん心配していたようでしたよ」

「あー…すみません、ベッドを土で汚しちゃって」


 見ればシーツに点々とトム君の寝床にしていた土が落ちている。


「どうぞお気になさらず」


 ベッドの上にナイトテーブルを設えながらエルさんが微笑む。

 天使かよ!

 いや実際天使なんだと思う。

 というか私の中では天使疑惑がある。

 なにしろ、エルというのは天使の名前の最後によくついている。

 ガブリエルとかミカエルとか。

 確かヘブライ語で「神」を示す言葉だそうだ。

 だからエルさんが天使であっても私は驚かない。

 …と、ここまでこじつけたことを考えてるのは私だけかと思っていたんだけど、賛同してくれる人もいて一部のファンの間では共通認識になっていた、と思う。

 いやほかにも根拠ないわけじゃないんだよ、淫魔以外で性別がどちらもある、もしくは無性なのは天使だけという説もあってですね…!

 あと、いつでも優しいし穏やかだし、グランを叱るときも威圧的ではないというか心配が先に立っている感じだし。


「どうぞ、オリオスープです」

「お…オリオスープ…、これが噂の…」


 透き通った褐色のスープは、一見するとただのコンソメスープ。

 けれどウサギや野ガモを含めた数種の肉類と根菜類や豆類を、複雑な手順でソテーしたり何十時間も煮込んだり裏ごししたりという手間暇をかけたハイカロリーハイ蛋白なスープ、それがオリオスープなのである。

 皇帝の大のお気に入りで、城の調理場には常にこのスープが常備されているとか。

 栄養を凝縮したこれなら病人食にもぴったりだろう。


「そんなに珍しいものではないと思いますが…」


 首を傾げるエルさんに慌てて否定する。


「いやこれだけ手間暇かけたスープは王侯貴族じゃないと食べれません!」

「そうですか? 料理は、ここに来てから覚えたので、まだあまりよくわかっていなくて」

「それは…陛下のために覚えた、ってことですか?」


 ちょっと照れたように頷く推し可愛すぎる。

 ねぇこれなんなんですか、なんていう神スチル?

 尊すぎて全身禿げる。

 だって、淫魔のこのひとは、普通の意味での食事は必要ない。

 料理なんて覚える必要ない。

 でも、愛するひとのために覚えたんだよ…美味しいもの食べて欲しいって思いながら料理してるんだよ…その心が尊い。

 自分には必要なかったものを、大事な人のために新たに習い覚えるって、もうそれだけでTOUTOI。

 尊さで息絶えそうになるのを何とかこらえてスプーンを手にした。

 この精緻な装飾のあるスプーンもずっしり重いし銀製なんだろうなー、てか吸血鬼の城で銀製品いいのか、大丈夫なのかもな、たぶんあの皇帝なら。


「…お、おいしい、です…!」


 スープが口に触れたとたん、じんわりした暖かさが体中に広がる気がした。

 え、なにこれ、神の飲み物ネクタルとかそういう…?

 あまりの美味しさにスープ皿ごと抱えて飲み干したくなった、しないけど。

 一人だったらしてた。

 でも、さすがに推しの前ではお行儀よくしてるだけの分別はあったらしい。

 偉いぞ私。

 代わりに、一口ずつ噛みしめるように飲んだ。

 ほんとに飲むごとに指先にまで力が満ちてきて、気づいたら胃の痛みも消えていた。


「よかった。お客様に何かったら大変ですから」


 すっかり飲み干された皿を見て、エルさんが嬉しそうに笑う。

 ありがとうございます、その笑顔だけで元気になります。

 ようやく人心地ついた私は、周囲を見回す余裕が出てきた。


「っ…ちょ…エルさん…!」

「どうかしましたか?」

「いやこれ…私の部屋、入りました!?」


 見回して気づいたけど、テーブルに置いてあるパソコン、見覚えがあるなんてもんじゃない、あれ私の家にある愛機じゃねーか!!

 こっちにはノート型のやつしか持ってきてない。

 なのにデスクトップ型があるってことは、私の家から持ってきたってこと…だよね!?

 あとその隣に置いてあるスクラップブックは、間違いなく私の秘蔵の「闇魔界秘密フォルダ(はーと)」だ。

 過去の記事や出版されたものを集めた切り抜き帳だから恥ずかしいと言うほどではないけど、いややっぱ恥ずかしいです。


「ええ、陛下のおいいつけで、必要と思われるものを一通り」


 あーうん、このやりとり知ってるぞ、これ「サンセット大通り」だ。

 おまえは執事のマックス・フォン・マイヤーリンクか。

 いやマックスはこんなにっこにこしてなかったけどね、無表情だったけどね…。


「マックス、とは?」

「あ、えーと…私の好きな映画というか、ミュージカルに出てくる執事さんです…」

「ミュージカル、ですか…」


 おやおや、もしかして興味ある?

 なんかちょっと目が輝いてません?


「はい、もとは映画なんですけど、ミュージカルになってまして。元大女優のお屋敷に迷い込んだ売れない劇作家のお話です。マックスはその元大女優の執事なんです。ミュージカルは私の好きな役者さんが演じてまして」


 執事、という単語に心惹かれるものがあるようで、エルさんが目をきらきらさせている。

 借金取りに追われていて匿って欲しい脚本家は、元大女優に取り入って彼女の復帰作の脚本の手伝いをすることになる。

 作中、外出してる間に自宅から着替えやタイプライターを持ってこられたことに気づいて、執事に怒鳴り込む、というシーンがあった。

 あのときのマックスは無表情で、決して今のエルさんのようではないけれど、やってることは同じだ。


「映画があるんですね。今度探してみましょうか。お城に映写機があるんですよ」


 ホームシアターとかじゃなくて映写機って、そういうとこまで真似しなくていいですから!

 いや、いるんですよ、往年の大女優のご主人様の「不朽の名作」を嬉々として上映するマックスが。

 そう説明すると、エルさんは目を丸くしてから、「ますます見てみたくなりました」と笑った。

 ほんと笑顔が可愛い。

 ミュージカルのマックスも、このシーンだけはにっこにこしてて可愛かったなー。

 推しを熱く語る推しの姿にきゃっきゃしつつ、向こうからファンはこう見えてるのかもなーと思ったのもいい思い出だ。

 実際三次元の推しが作詞作曲したファン目線を想定して書かれた歌は、なんといいますか、とてもとても、可愛らしくていじらしいファン心理が描かれていて…嬉し恥ずか死というやつだった。

 「あなた見届けて席に着く私」「出会えてよかった」とか、推しに歌われたら死なない?

 私はそれを目の前で歌われたことあるよ…ほんとに死ぬかと思ったよ。好き。


「ああ、もうこんな時間ですね。それでは、私は失礼します。何かあればそこの鈴を鳴らしてお呼びください」

「あ、すみません、長く拘束しちゃって」

「大丈夫ですよ、あなたのお世話を、陛下からも命じられていますから」


 私が倒れたのは昨日の午後だから、ほぼ半日寝ていたことになる。

 さすがにずっといたとは思えないけど、それでも長い時間を私に費やさせてしまったのは確かだろう。


「あ、そういえば、グラン様があなたにお会いしたいと言っていました。大丈夫ですか?」

「え、グランさんが…? 大丈夫ですけど…」

「では、伝えておきますね」


 そう言い残して、エルさんは部屋を出ていった。

 もう一度ベッドに潜り込みながら、グランが何の用だろうと考える。

 謝罪とかかな?

 心配してくれてたみたいだし、逆に申し訳ないな。

 理由を説明するのはちょっと私の心情的にまだきついけど、それでも彼のせいじゃないことは言っておかないといけない。

 にしても、皇帝に続いてエルさんにも思考を読まれてしまったな…。

 皇帝の力は尋常じゃないし、エルさんは相手の好きなものを察するのが得意みたいだから、ちょっと種類は違うのかもしれないけど。

 ゲーム内でも強い魔物から内心を読まれるという場面もあったと思うけど、あれは主人公が人間だからじゃないのか…私もコボルトという立って歩く犬に毛の生えた程度の低級魔物だから似たようなものか。

 だとしたら気をつけないといけないなぁ…。

 害意や悪意がないことはすぐにわかってもらえるけど、さすがに思考ダダ漏れは恥ずかしい。


「てゆーか、あきらはわかりやすいんだよねー」

「うわぁああああああ!!!」


 いきなり出てこないでください!!!


「ぐ、グランさん…」

「やっほー! 大丈夫?」

「あ、はい…大丈夫、です…。ご心配おかけして。…って、いつのまに?」

「ノックしても返事ないから入っちゃった☆」


 可愛く言ってもダメなものはダメだからなー!!!

 可愛いけど!!!!

 ああほんとに心臓によくない。


「…まぁいいですけど」

「そういってくれると思ってたー」


 嬉しそうに笑顔を見せられたら、喉元まであがってきていた文句も綺麗に霧散するってもんですよ、推しってっょぃ。

 楽しそうにベッドの端に腰掛けたグランに、トム君が寄っていく。


「あはは、これ君のペット? 可愛いねぇ」


 すりすりと触手をグランの指に絡めて甘えてる。

 あれ、この子ここに来てからちょっと大きくなったかも。

 土にずっと入ってなくてもよくなってるみたいだし。


「こっちの空気が合ってるのかもねー」

「そう、なんですかね…?」

「そうそう。きっとあと何日かしたらもーっと大きくなって、しゃべったりできるようになるかもー!」

「え、それは…」


 嬉しいとも嫌ともいえない複雑な気分。

 まぁ闇の魔物の総元締めみたいな皇帝の住んでるお城なんだから、低級な魔物でも成長しちゃうっていうのはわからないでもない。


「この子が喋れたら、嫌?」

「…嫌、とまではいわないんですけど。なんというか…」


 あの二人の顔が浮かんで、また胃のあたりがずきりと痛んだ。


「あきらって、名前呼ばれるの苦手?」

「えっ、いや、そんなことは…」


 ただ、前世で私を「あきら」と呼ぶのはあの人だけだったから、ちょっと思い出してしまうだけ。


「ぜんぜん、呼んでくれて大丈夫ですよ?」


 ちゃんと笑えてる、はず。

 大丈夫。


「……今日来てた審判者って、名前カイっていうんだって」

「…そう、ですか」

「あの子のこと知ってるんだ?」

「……直接は、知りません」


 これは本当。

 今の私は、こっちの「カイ」は知らない、会ったこともない。

 私の担当は《暴食》だから「審判者」との関わりはない。

 ましてやもう一人なんて。


「じゃぁどうしてそんな顔してるの?」

「…っ」


 うつむいてしまった私の耳にするりと潜り込んできた声が、思いの外優しくて息をのむ。

 顔を上げると、予想とは違って優しく真摯な顔をしたグランがいた。


「あの三人、しばらくこのお城にいるんだって。オレが《怠惰》に相応しいかどうか、見るんだってさ」

「…はい」


 当然想定される事態だった。

 「審判者」は《怠惰》を選ぶ。

 グランがその有力候補の一人なのだから、彼らもそりゃぁ会いに来るだろう。

 予想できなかった私が悪い。


「…あきら、…会いたくない、でしょ?」

「……はい、できれば」

「うん、いいよ。じゃぁ会わなくてすむように協力したげる」

「いいんですか?」


 ほっとしたのもつかの間、差し出せる代償がないことに気づいて青ざめた。

 悪魔や妖精相手に、善意でなにかしてもらえると思わない方がいい(たまに気まぐれや個性で優しくする個体もいるらしいけど)。


「…あ、いや、…あの、私ほんと、ただのしがないコボルトなんで、…できることとか、あげられるものとか、ないんですが。てゆーか、そんなこと、してもらう理由ないですし」


 グランは吸血鬼じゃないから血をくれとは言われないだろうけど、肉体を貪り食う系の要求をされると、さすがに痛いのは勘弁したい。

 別な意味での「体で支払う」?

 いやそれはないですね、私モブなんで。

 腐女子ですし、夢願望はないですしおすし。


「えー、そんなの別にいいよー」

「…ぇ」

「あ、んじゃぁさ、どうせこの魔界をもっと見て回るつもりなんでしょ? オレが案内役ってことで遊びに…じゃなかった、いろんなとこ行こうよ!」


 いまはっきり「遊びに」って言いましたね。

 妖精は嘘がつけないというのは本当みたいだ。

 言い訳はできるみたいだけど。


「私をダシにして公認で外に行くつもりですね」

「う…そうともいうかもね~」


 あははーと笑ってるけど目が焦ってる。


「…案内、してもらえるなら嬉しいですけど」

「え、まじまじ!?」

「はい、でも陛下の許可もらってからじゃないと…」

「大丈夫大丈夫! なんならカルロ…は無理かもだけど、エルならついてこれるだろうし!」

「エルさん巻き込んでいいんですか…」

「いーのいーの! やった、決まりねー!」


 んじゃオレ、カルロに言ってくるー!と止める隙もなく出て行ってしまった。

 思わず引き留めようとした手が宙を掻いて、私は苦笑した。

 本当に、風のような子だ。

 一瞬、ほんの一瞬。

 「彼ら」の目的であるグランが外出していいのだろうか、と思ったのだけれど。


「…考えないようにしよう」


 もしものときは、そのときだ。

 向こうは私のこと知らないだろうし。


「そうだ、たぶんわからないはず」


 今の私は、前世とは違う見た目をしている。

 コボルトという説明はしていても、外見についてそこまで詳細には伝えていなかった、と思う。

 それとも、名前で気づかれるだろうか。

 いやいや、そもそも会うことはないのだろうから。


「大丈夫」


 自分に言い聞かせる。

 トム君が甘えるように鳴きながら、頬にすり寄ってきた。

 ざらざらした感触の触手を撫でながら、枕に頭をつけて目をつぶる。

 大丈夫。





(美しかったのに、今はもう…)

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