第5話 Who Are You? What Have You Sacrificed?


 皇帝の話をまとめるとこうだ。

 まず、この世界には多重宇宙からなる物質世界と精神世界がある。

 皇帝が支配するのは物質世界のうちの約5%(質量比)。

 7大魔王以外にも3ケタを超える魔王やら強力な魔物が蠢いている世界の比率から考えれば、この支配域がなかなか広域であることはわかってもらえるだろうか。

 物質世界と精神世界は完全に分離しているわけではなく、魔界はむしろその両方の側面を持っていると言える。

 昼と夜の世界の中間に、暁と夕暮れが存在するように。

 ざっくりいって、完全に精神体のみで構成される世界が1割、物質のみで構成されるのが1割、残りの8割が混合世界。

 物質のみの世界には精神体は存在しないので、知的生命体も存在しない。

 ひるがえれば、前世に私(もしくは夢を見ている私)が暮らしていたような人間界ですらも、何割かは精神世界に属しているということになる。

 魔法が使えない世界なので、たぶんその割合は相当低いだろうけれど。

 ちなみに、こちらでいう人間界は、たぶん私の前世とは違う歴史や成り立ちを持っているらしい、ちゃんと調べたことはないけれど、ほかの魔界と多少の交流があるようなのでたぶん別世界だ。

 まぁ、今見ているこれが私の夢だとしたら、私の「前世」が存在しない世界ということになっていても特におかしくはないけれど。


「僕は魔界の皇帝となるべくして産まれた」


 皇帝は王の息子として産まれた。

 もちろん吸血鬼の王で、なんでも始祖と呼ばれる存在なんだとか。

 それはあれか?

 神の子を銀貨30枚で売って十字架にかけさせ、その結果を悔いて自殺した彼が吸血鬼の祖だとかいう…?

 と一瞬思ったけどそれは映画の中だけの話だったようで、始祖は普通に神の子よりも昔に産まれたらしい。

 そりゃそうだ、目の前の皇帝が約1500歳、今は神の子が産まれて2000年以上なのだから、この皇帝の父親ならもっともっと古いだろう。

 ああもしかして神の子じゃなくて悟った人のほう…?


「言いたいことはわかるが、話を戻していいか?」

「すみません、お願いします」


 怒られた。

 そもそも私のいた人間界と共通しているはずがないのだから。

 あまり横道に逸れないようにしないと。


「僕が産まれた頃ヴァンパイアの王国は、この惑星のごく一部にすぎなかった。もちろん昼があり、昼の世界の住人に脅かされる可能性があった」


 惑星。

 そう、惑星なのだ。

 大陸や海が広がり、本来空には太陽がある。

 かつてはその惑星の一部にすぎなかった吸血鬼の王国が、この皇帝の代になって惑星すべてが闇の世界に変わった。

 太陽が失われたわけではない。

 惑星すべてを覆う魔力が、太陽を遮っている。

 ね、これだけでやばいでしょ?

 面積から推定するに、地球より少し大きい程度の質量を持つ惑星。

 その大空すべてから太陽を奪ってしまった。

 さらにこの皇帝、このとんでもない所行をほかの惑星でもやってる。

 別次元とか重複世界の宇宙の惑星にも手を伸ばしてる。

 規模が大きすぎて意味が分からない。

 惑星一つを覆う魔力ってだけで普通の魔王は魔力が枯渇するレベルってことだけ覚えておいてくれると嬉しい。


「僕が14歳の時、遠方の国と国交を結ぶことになった。王太子であった僕が父の代理として使節に立った。だが海を越えた遠国にいる間に、僕の故郷は隣国に攻め入られ、滅ぼされた」


 この話をするとき、皇帝の目は暗い怒りに燃えた。

 けど、私が怖かったのはその直後。


「知らせを聞いてすぐさま戻った僕は、隣国も、その謀に荷担していたすべての国も滅ぼした」


 目を細めて笑う。

 一つの国を滅ぼせばその隣の国が攻めてきた。

 それを滅ぼせばまたその隣が。

 なぜなら。


「僕の故郷は、この惑星にただ一つの、闇の生き物による王国だった」


 光の元に生きるものたちは、本能的に闇を恐れる。

 本当は光も闇も生き物には必要なものなのに、それなのに互いを嫌い合う。

 強すぎる光は濃い闇を生み、闇は光の中でこそ形を露わにする。

 そして彼は、彼の濃すぎる闇は光すら飲み込み、この星すべてを覆ってしまった。


「この惑星を支配下に置いたとき、僕は国王から皇帝になった」


 《皇帝》という言葉は、私の前世では古代にあった皇と帝、それぞれ最上の支配者の位を組み合わせた言葉だ。

 ヨーロッパでは「神に次ぐ存在」、諸侯や国王よりも上の存在とされる。

 一つの惑星で最上位の存在となったのだから、確かに彼は国王ではなく皇帝だろう。

 けれど、それだけでは終わらなかった。


「ほかの惑星に住む闇の生き物が、僕に助けを求めた」


 闇の生き物の大半は光に弱い。

 であればこそ、彼らの地位は絶対的に弱かった。

 まるで肉食動物と草食動物のように。

 そのうえ数の対比でも、闇の生き物は少ない。

 闇の王国が栄えることはほとんどなく、彼らは常に討伐され滅ぼされる側だった。


「……それが闇の者に産まれた定めなのだとしたら、これほど残酷なことはない」


 そう嘆息したとき、彼の目には確かに悲しみが浮かんでいた。


「…助けを求められて、そして陛下は、彼らに手を差しのべた」

「闇の領域を増やすことは、すなわち僕自身のためでもある」


 そうして闇の生き物たちを己の庇護下に置き、光の領域に侵略を広げ、彼の支配域は《闇魔界》と呼ばれ恐れられるほどに膨れ上がった。

 最初の100年で産まれ故郷の惑星をすべて支配下に置き、1000年ほどで今の領域にまで達した。


「陛下は、…憎いのですか?」


 光の領域に生きるものたちが。

 彼の故郷を騙し討ちにしたものたちが。

 彼の属性にあるものを脅かす存在が。


「ああ」


 皇帝がきっぱりと答える。

 ああ、だからなのか。

 わかってしまった、彼が恐れられる理由が。

 一度敵と認定したものを、滅ぼすまで絶対にその手を弛めない。

 同時に彼の庇護下にあると判断したものには、たぶん彼はとても甘い。

 合理的で怜悧な皇帝の、その根底にある感情が「家族愛」だと、一体誰が信じるだろう。

 いや、もしかしたらこれは私の希望的観測かもしれない。

 彼は本当に、血も涙もない悪魔なのかもしれない。


「…陛下の、故郷の話を訊いても?」

「君は本当に珍しい話を訊きたがるな」


 少しだけ皇帝が笑う。

 胸の奥を何かが刺した。


「僕の故郷はここより北にあったハビツという森の中にあった。昼なお暗い森の中、死霊の中から父が産まれ、氷の妖精の女王だった母と出会い、僕が産まれた」


 ハビツの森は、今は氷に閉ざされた地となり、カルロの母である氷の妖精の女王が治めているという。


「戦乱で、母は逃げ延びたが父と弟は命を落とした。二人は敵に欺かれて陽光に焼かれ、遺体すら残らなかった。母は二人の灰を集めた棺の側から動かず、いまだに復活を待ちわびている」


 闇と氷に閉ざされた世界。

 暖かな陽光も雪解けも拒む冬の世界。

 この魔界の夜空を思う。

 皇帝の魔力が燐光を放ち、彼の見る夢を表すような星座やオーロラが飛び交う。

 その光景の美しさに昨夜は息をのんだけれど、今は悲しい。

 この惑星は、1500年もの間閉ざされ、闇を広げ続けている。


「…君も、僕を非難するか?」


 訊ねる皇帝の声に冷たさが加わる。

 敵であるかどうか、見極めようとしているのか。

 私は私に訊ねる、彼を否定できるか。


「……それができるなら、私は今ここにいません」


 ジャーナリストとしては最低の答え。

 私は接するものすべてに可能な限り平等に、公平に目を注がなければならないのに。

 この皇帝の非道さを知っても、それでも信じたいと思っている。

 そして、彼の強すぎる信念と清廉な高潔さに、いまだに魅了されている。


「それに、私のような非力なものには、あなたを害することなど不可能です、陛下。もし私にできることがあるとすれば、ただ事実を伝え、人々が判断する材料を提供すること。私はあなたを批判も非難もしません、その立場にありません」

「ではなぜここに来た」

「事実を広めるため。あなたに関する噂のなにが事実でなにが偽りかを知らせるためです」

「その結果には責任を持たないと?」

「……その結果がどんなものであろうと、あなたはそれを受け止めるだけの度量があると信じます」

「信じる、だと? 僕を?」


 はっ、と皇帝が笑う。

 今度ははっきりと侮蔑を含んでいる。


「僕がなぜ長々と話をしたのか、君は気づいているのかな、あきら」


 かたん、と音を立てて皇帝が立ち上がる。


「僕は敵に容赦しない。その意味を、おわかりだね?」


 怖い。

 息が震えているのがわかる。

 彼は本気で怒ってはいないだろう。

 これはただの威圧にすぎない。

 それだというのに、一歩近づかれただけで自然に身が震える。

 それでも、これだけは伝えなければ。

 この一言だけは。


「私はあなたの敵にはなりません、陛下」





(あなたは何者? 何を犠牲にしたの?)

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