第3話 I Have No King But Caesar!
推しと一つ屋根の下ってどういう状況だ。
いや、親切なのはわかる。
悪魔のくせに、ではあるけれど。
そもそもこんな状況はゲーム本編にはない。
もちろんゲームの中に「記者」は出てくる。
でもそれは、いわば職業だけのモブで、固有名も立ち絵もない存在だ。
「審判者」が魔界で起こるさまざまなことを知るツールの一つが記者たちの書いたものやインタビュー映像だし、その意味では責任重大ではある。
けれど、所詮はその他大勢の一人。
私だって、推しを眺めるならモブがいい。
背景とか壁とか天井とか、そういう「その他大勢」の一部になってこっそりと眺めていたい。
今の自分のような、こんな、存在感あるものになりたいわけじゃない。
毎日こっそりひっそりと推しの周りに出没したかっただけなんだ…。
…いいや、絶望するのはまだ早い、要は推しに気にされなければいいんだ。
「…よし、今日から気配を消す!」
用意された客間のベッドの上で改めて誓う。
ちなみに、ペット(マンドレイク)がいるから無理と主張したらペットもつれてきていいと言われてしまったので、トム君は私の足下で丸まって眠っている。
ペット同伴の取材って何なんだよ…。
というかマンドレイクでも眠るんだな…。植物じゃなかったのか…?
すよすよと寝息をたてるトム君を撫でながら、そろそろ諦めて今後の予定を考える。
明日は皇帝直々に昼餐に招かれていて、そこで皇帝にインタビューをしていいことになっている。
太陽が昇らない世界で昼も何もないだろうと思うが、皇帝が起きたときが朝で眠るときが夜なんだそうだ。
なんだその「我は太陽なり」って。お前はルイ14世か。
そういうところも好きだけど。
真面目に解説すると、この闇魔界は全土を皇帝の魔力で覆われているので、皇帝の一挙手一投足にもろ影響を受ける…ということだそうだ。
おはようからおやすみまで皇民に注目されてる生活ってどうなんだろう、私だったら耐えられない。
まぁでもそれこそフランスの王家とか、朝のお着替えから食事から何から全部臣下(時には一般市民も)の前で行ったというから、高貴な人というのはそのへんプライバシーという考え方が我々のような下々の人民とは違うのかもしれない。
もしかすると、私を城に泊めてくれるのも、珍しい「下々の生き物」を観察したいとかいうそういう…?
コボルトって比較的一般的な魔物だと思うけど、そういえばこの城で見かけるのはだいたいがコボルトの親戚みたいな人狼だ。
…いや、考えるのはやめよう、むなしくなる。
私はモブ、そうモブ…。
ゴミのように扱われたらそれはそれで悲しいけど、珍獣扱いならまだいい…うん、大丈夫。
それに推しをすぐ近くで観察できるのは、なにものにも代え難い。
よし、推しの観察のためにがんばるぞ!
そんな決意を胸に、明日のインタビュー内容や気をつけることなどをメモしていると、扉がノックされた。
「はい?」
「失礼します」
入ってきたのは、エルさんだった。
やばい、最推しが目の前にいる。
しかもお茶のトレイを手にしている…もしかして、絶品と名高い推しの淹れたお茶を振る舞ってくれる…?
「あきら様、軽食をお持ちしました。いかがですか?」
「いります!」
しまった、食い気味で返事してしまった。
よく見ると彼の持つトレイにはサンドイッチのようなものも乗っている。
にこりとしてから、エルさんはサイドテーブルにトレイを置いた。
「お口に合うといいのですが」
「い、いただきます…!」
転送ゲートはそれなりに魔力を使うし、なにより緊張と興奮ですっかりおなかが空いていたことに、食べ物を目の前にして気づいた。
すぐさまサンドイッチに手を伸ばす。
「…っ、おいひい…!」
粗めの小麦で作られたパンと、癖のあるチーズに厚めのハム。
ワイルドだけど隠し味に粒マスタードと刻んだピクルスが刺激的で、品の良さすら感じさせる。
やばい、普通異世界での食事って、そこまでおいしくなくて改良に乗り出すとかそういうのがお約束じゃない?
なのにこれは店で出せるレベル…!
さすが、魔界の皇帝のシェフだけあるぜ…。
「よかった。コボルト向けはあまり作らないもので、味の加減がわからなかったんですが」
「え、エルさんが作ってくれたんですか?」
「ええ。陛下の食べるものもすべて私が」
「…あの、カルロ陛下って、吸血鬼では?」
血を料理…ブラッドソーセージとか?
そんな疑問を浮かべた私に、エルさんは軽く首を振った。
「生き血が一番好きですが、食事もしますよ。肉が特に好きで」
「へぇ…吸血鬼なのに食事もするんだ…」
「なにしろ陛下は特別な吸血鬼ですから」
優しく笑うエルさんは、カルロが太陽なら月だ。
「特別…というと、太陽も平気とか、ニンニクも気にならないとか…」
「そうですね、一般的な吸血鬼の弱点はまったく通用しません」
うわお!
あてずっぽで聞いたのに当たってる…というか、それ最強すぎない?
「私の知る限り、もっとも強い魔物ですね」
「ですよね…ここにくる前にある程度は調べたんですが、陛下がそうなら、この魔界が闇に覆われてる必要ってなくないですか?」
「そうですねぇ…」
エルさんは右手をわずかに顎に当てて首を傾げた。
くっ、執事然とした白手袋が目にまぶしいぜ…。
「それは、明日陛下から直にお聞きになった方がいいでしょう」
にこり、と笑うと髭の下の形のいい唇が綺麗な弧を描くのが見えた。
こんなんスチルでも拝めなかったわ…眼福すぎる…ありがとう神様。
まぁ目の前にいるのは悪魔だけど。
「では私はこれで。もし何かご用がありましたら…」
「あの、一つだけ、訊いていいですか?」
「なんでしょう?」
「えーと…」
問いかけるのに少しだけ迷った。
訊いていいことなのかわからなかったから。
「…答えたくなかったら別にいいんですけど」
「はい」
「……エルさんの、名前、知りたいです」
魔物に本当の名前を訊くことはタブー…だったりする文化もあったり…するよね?
本当の名前=真名が相手にばれると力を失うとか相手のいうがままになってしまうとか。
だから、結構勇気がいった、たぶん外から見るよりずっと、私はドキドキしている。
もしかしたら相手の不興を買うかもしれないし、すごく失礼なことかもしれない。
それでも、知りたかった。
「私の名前を?」
エルさんはきょとんとして目を見開いた。
あ、この感じ、たぶん訊いても大丈夫なやつかな?
「はい!」
嫌悪感などはない様子を見て、チャンスとばかりに勢い込んで頷く。
「…だめ、ですか?」
下から見上げて、ちょっと困った顔をしてみる。
ふふふ、前世はともかく今の私は可愛らしいコボルトだ、愛玩動物的な意味でだけど。
ちょっと古いが、チワワの「きゅーん(ハート)」に勝てるものなどそうそういない、はず!
「だめ、ではありませんよ」
くすり、とエルさんが笑う。
「ただ、私にも興味を持ってもらえたと、にわかには信じがたくて」
むしろあなたに興味津々です。
とはさすがにいえなかったので適当に笑ってごまかす。
推しに興味のないオタクなんていないよね?
「陛下のことを書くには、なるべくいろいろなことを知っておきたいのです」
なんかそれらしい理由をひねり出す。
うそうそ、取材相手のことなら可能な限り(人道や法律に反しない限り、というのは人間界だけのルールかもしれないけど)材料を集めるのはジャーナリストの基本だ。
ただ、カルロ皇帝に関してはそもそも情報が少ない。
あれほど広大な地域を支配しているというのに、1500年という長きにわたって生きているのに、彼について書かれたものはほとんど見あたらない。
「この体の私」が事前に調べたのは嘘じゃない。
だというのに、カルロ皇帝に関しての情報は、ゲームをやっていた私の方が多い。
たぶん上司が新人の「私」にこの取材を任せたのも、誰がやっても大した情報が出ないのを知っていたからだろう。
新人のうちに困難な相手をぶつけておこうとか、鬼か、スパルタか。
あ、悪魔でした。
「そういうものなのですね」
「『エル』という呼び名は陛下が名付けられたとか?」
「ええ。私の名前は、男性としてはルートヴィヒ、女性としてはレオノーレといいます」
「え、フィデリオではなく?」
あ、しまった、反射的に言っちゃった。
頭文字はLだって言ってるだろ。
「『誠実』…ですか?」
「いえ、なんでもないです」
「フィデリオ」とは「誠実」を意味するドイツ語、そしてルートヴィヒ、レオノーレとくれば連想するのはオペラ「フィデリオ」。
かの楽聖ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが作曲した唯一のオペラだ。
政治犯として投獄された夫を救うため、妻のレオノーレが男装して「フィデリオ」を名乗り、牢獄に潜入する。
公式絶対中の人にオペラ好きいる、間違いない。
「女性の名前もあるんですね」
忘れてるかもしれないけど、エルさんは淫魔の血が混じっている。
だいたい昼と夜で性別が勝手に変わる種族として知られていて(昼は男性、夜は女性が多いけど、例外もいる)、ついでにいえば外見も誘惑する相手に合わせて変幻自在、らしい。
それでも、「安定する姿」というのはあって、だいたいは年若い美少年や美少女の姿がほとんどだ。
「エルさんは、その姿で安定を?」
「ええ、まぁ…」
エルさんがはにかむ。
おやこれは、コイバナの気配か…?
「よかったら、詳しく訊いても?」
「おもしろい話ではないですよ」
「でも興味あります。…陛下に関連します?」
「っ…」
さっとエルさんの顔に血が上る。
うわぁ、人がこんなに鮮やかに赤面するの初めて見た。
わかりやすく耳まで赤い。
エルさんは色が白いからその分よくわかる。
「…初めて陛下にお会いしたときに、この姿で」
「ほほう? ということは、その姿は陛下の好み?」
「いえ、そうではなく…お恥ずかしい話ですが」
ひとつ溜め息をついてから、エルさんが口を開く。
「私が、人違いをしまして」
「人違い」
「…違う部屋の、違うベッドに忍び込んでしまいまして」
……あー。
なるほど。
それは赤くなるわー。
つまりあれですね、淫魔としてお食事しようと思って、狙いを付けたお嬢さん(仮定)がおじさま好きだったと。
で、その好みの姿になって夜這いをかけたのに、部屋を間違って、しかもベッドに潜り込むまで気づかなかったと。
「そういうことですか?」
「…はい」
それは恥ずかしい。
「…で、陛下に美味しくいただかれてしまったと?」
これはただの私の勘、というより願望かな。
でも、この姿で安定した理由はほかに思いつかない。
あれだけ力のある悪魔の寵愛を受けてしまったから、それで固定してしまった。
「…そう、です」
消え入るような声が返ってくる。
これはやりすぎてしまったかもしれない。
ただ、恥ずかしそうにしているけれど、嫌そうではない。
思うに、悪魔で淫魔であるエルさんとしては、性的な話題に忌避感や嫌悪感はないのだろう。
悪魔の倫理観ガバガバってこういうことなんだな…。
これは悪魔全般への熱い風評被害かもしれないけど、少なくとも一部については真理だと思う。
まぁ淫魔にとって性行為は人間の食事の感覚が強いようなので、「失敗した」羞恥はあれど話題そのものへの背徳感はない、ということだろう。
それにしても、まさかの推しカプの馴れ初めを聞けるとは…死んでよかったというべきか。
いや死んでないんだっけ?
夢だとしたら、とても自分に都合のいい夢だな。
とはいえこんな馴れ初め想像はしてなかったけど。
「どうしてそのあとも、陛下に従っているんです? 服従の契約を結んだんですか?」
「契約は結びましたが、強制ではありませんよ」
「でも、美味しくいただかれたんですよね?」
「ええそれは…だから、です」
なるほど、淫魔のエルさんにとっても美味しい話だった、と。
利害の一致というやつですね。
「ごちそうさまです」
「あ、まだ召し上がりますか?」
ペコリと頭を下げたのを、サンドイッチへのお礼だと思われたらしい。
訂正するのもあれなので誤解させたままにしておこう。
「いえ、もうおなかいっぱいです。美味しかったです」
「よかったです」
ゆったり微笑んでいると、エルさんは本当に素敵な紳士(執事)にしか見えない。
あーやっぱり好きだな…。
改めて、間近な推しにしみじみと思った。
「…そろそろ、陛下がお休みになるようです」
ふ、と空気が揺らいでエルさんがトレイを取り上げた。
「ありがとうございました」
「明日また昼餐のときにおじゃまします」
綺麗な一礼をするエルさんを見送り、ベッドに戻る。
燕尾服に似た黒い衣装をまとった背中を思い出す。
思いがけない相手に仕えることになったエルさんだったけれど、そのことを後悔している様子は微塵もなかった。
そんな在り方を、少し羨ましいと思う。
少し、じゃない、かなり。
あんなふうに自分の存在も心も委ねる相手がいるというのは、ある意味でとても幸せなことなのかもしれない。
その相手さえ間違えなければ。
そしてエルさんは、決して間違えたりはしないだろう。
たぶん、部屋を間違えたときも逃げようと思えば逃げられたはずだ。
まだあの二人のことを深く知っているとは言い難いけれど、私の知っている二人ならきっと。
そうしなかったということは、エルさんは少なくとも途中からは望んで自分を差し出した。
一度間違えた私には、きっとどう頑張ってもたどり着けない境地だろう。
「……」
それにしても、推しの摂取は体にいい。
今日はいい夢を見られそうだ。
夢の中の夢って何だよと思いつつ、てゆーか起きたら「夢から醒めた夢」になるのかよと思いつつ。
(ちなみに日本オリジナルミュージカルのタイトルですYO)
(私には王ではなく皇帝がいる)
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