僕がトモと名乗った日
前編
「
「今年が最後なんて信じられないよね」
廊下で前からやってきた女子らが、会話で弾みながら通り過ぎていった。僕も踵を返し、体育館へ向かう。
摺木先輩とは、この高校で有名な男子生徒だ。
僕が知っているのは、彼の苗字が「摺木」であること、「先輩」なので高校三年生であることだけだ。
下の名前は知らないが、他のことはもう少し風の噂で耳にしている。
まず成績はつねに学年トップであり、この学校の模範的生徒だと言われていること。それだけなら勤勉野郎とバカにされて終わっただろう。
摺木先輩は文化祭をきっかけに有名になった。
ダンス部に所属する彼は、一年生のとき選抜メンバーでないため端で踊るだけの、地味な生徒の一人に過ぎなかったようだ。
にもかかわらず髪を染め、衣装をアレンジして踊ったのだという。それは普段模範的生徒と噂される彼がはじめてみせた一面だった。女子の間でかっこいいと話題になったらしい。
僕が初めて見たときも、先輩は輝いていた。すでに選抜メンバーとなっていた頃で、センターではなかったものの目立っていた。その年は金に染めていた。
しかし今年の文化祭は違った。
体育館内に入ると、先輩はたった一人で舞台上に立ち、全身真っ白な衣装が青い髪を際立たせ、海のようにきらめいていた。
「今年は選抜メンバーじゃないの?」という声が、客席をざわつかせる。
例年、体育館のライブ会場はダンス部がトップバッターを務める。文化祭の盛り上がりを左右する大事な役目を負っているため、ダンスコンテストに出場経験がある選抜メンバーでパフォーマンスを魅せてきた。
それが、今年は先輩たった一人のパフォーマンスから始まる。
ダンス部もずいぶんと彼に信頼を置いているようだ。
音楽が、始まる。
客席から動物みたいな奇声があがった。
何言ってるかさっぱりわからない外国語の歌と、見たことのないダンスを呆然と眺める。
空気を切るかのごとく乱れる髪、華麗な脚捌きからの蹴り上げられる足。重力すら感じさせない身のこなし。
彼が動くたびに客席から悲鳴のような叫び声があがった。ステージ下の客席は徐々に蒸せるような熱気を帯びていく。暑さと騒々しさに目が眩んだ。
最後だからって盛り上がりすぎだろう。
騒々しい体育館から出ていこうかと考えたときだった。
先輩は突如、膝から崩れ落ち、膝立ちの姿勢になった。その姿勢になると肩で息をしているのがよくみえた。
音楽は止まらない。パフォーマンスは続いているようだ。
オーラのある人間はどんな姿も絵になるんだなぁ。
「頑張れ!」
のんきに感心していると、客席から声が飛ばされた。それに続き、めいめいに声援を送っている。
状況が呑み込めない僕は一度首を傾げたあと、身を乗り出すように舞台のほうを見つめる。
先輩はすぐに立ち上がり、踊りは再開された。そこから終わりまであっという間だった。会場は拍手と喝采に包まれ、彼は笑いながら他の部員と交代して退場していった。
どうも腑に落ちない。
なぜ誰も彼も先輩に笑顔を向けるんだろう? 立ち上がってから終わるまで、彼は鬼気迫る表情で踊っていた。僕なら気まずくて話しかけられない。
文化祭の翌週、先輩のパフォーマンスが好評だったが、すぐに別の噂に上塗りされた。
というのも、もうじき高校三年生の推薦枠に入る生徒が明らかになるからだ。達先輩が推薦枠を希望したのかどうか、まだ明らかになっていなかった。
たかが一人の進路選択になぜここまで盛り上がるのか。けして有名人だからだけではない。
つまりはこういうことだ。
「推薦は逃げ」「これだからできる人間は妬ましい」「全国模試順位四桁が推薦枠を横取りするな」などなど。彼をからかいたいやつらの仕業なのだ。自称進学校の空しい末路である。
先輩の受験については、僕の所属する漫画研究部でも話題になる。
「摺木先輩と同学年じゃなくてよかったよね」
「なんで?」
「推薦枠を狙うだけでも大変なのに、他のことで悩みたくないじゃん」
「推薦枠とってダンスを本格的に始めるんじゃないかって噂もあるよな」
「え、怪我してるなんて噂なかった?」
「そうだっけ? 詳しくは知らないからなんとも。てか即売会の話始めたいんだけど……。あいつ今日もサボり?」
扉の前で翻り、僕は逃げるように部室から離れた。こういう、先輩の話題が上がる日はいつも部室に顔を出す気が失せる。
文武両道な摺木先輩。
対して平均以下の成績とイラストが描けない漫画研究部部員の僕。
なんてきれいな対比。哀れだ。
こういう日は早く家に帰らないと気分が悪くなって嫌なのだ。
でも、と立ち止まった。
漫画にも完璧キャラは腐るほどいる。そういうキャラはたいてい苦労人が多い。
苦労人は苦労しないために努力する。努力しているから秀才になる。秀才になるから周りから信頼と嫉妬を受ける。
僕は何も長けていないが、深刻な悩みもない。それはそれで嫌じゃない。むしろ、日々苦悩しながら生きるほうがつらい。
……この生き方も悪くないか。
そう自分を慰めると、冬に近づく秋空の下、自転車置き場に向かう。
自転車置き場近くにあるプール施設に人影が見えた。
この学校のプール施設は飾り同然の扱いで、水泳部も名前だけ存在するが部員はゼロ。ここに来るのは自転車で登下校している生徒くらいだ。
まだ部活が終わってないので、普通、この時間に人影はない。僕はグランドの土から駐輪場のコンクリートを踏みいったとたんクラスの人たちが話していたことを思い出す。
あるじゃないか、恋愛絡みでここを利用する生徒が!
にやりと唇の端を上げる。
歯が浮くような雰囲気を台無しにするのもおもしろそうだ。いっそ創作ネタにでもしてやろう。
僕は堂々と自転車置き場に入り、プール施設のほうに目を向ける。
男子が女子に詰め寄ったあと、壁に手をついて女子を完全に包囲していた。女子は屋外プールのコンクリート壁を背に見上げている。男子が女子を覆い隠すように距離を縮めた。
あの距離感はキスしたに違いない。
慌てて身を屈めて無数の自転車に隠れる。辺りを見回し、僕と彼ら以外には誰もいないことを確認する。
安堵の溜息が出た。
はじめは女子が男子の手を掴み拒む態度を示したが、女子も抵抗することをやめたせいか、二度目はより密接に触れ合っていた。
「これ以上はまずいかも」
「……だね。悪い」
我に返った男子が女子の手を引いて歩きだす。
その男子が摺木先輩だとわかると、僕は開いた口が塞がらなくなった。
いつ噂が広まってしまうかわからないのに、有名人のやることはなんとも大胆だ。校則にも過度な男女交際は認められてない。吊り橋効果というやつだろうか。先輩が停学処分受けたら校内がどれくらい騒ぎになってしまうとか、そういうことは考えないんだろうか。
「……なんでそんなこと、僕が気にするんだよ!」
自分の自転車を軽く蹴り飛ばすと、骨にじんじんと響いた。痛い痛いと言うたび先ほどの光景が脳裏にちらついてさらに苛立つ。
最悪だ。惨めな気持ちを抱えたことさえも踏みにじられた気分がする。
創作ネタに使ってやるもんか。人気に拍車がかかるだけだ。教員にばらして処分を受けても同じこと。
翌週、瞬く間に先輩が推薦受験をしないことが校内に広まった。そのとき僕は、彼女と同じ大学を目指すことにしたんだと理解した。
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